生きてる
うえ〜い!生きてまっせ!
毎日充実してて大変。ただ仕事では色々やらかしている。おやすみ。
ウクライナ負傷兵を自衛隊病院が受入れへ、「核共有」含め日本はもっと備えを強化すべきだ
いまだ終わりが見えないウクライナ紛争の中、ウクライナの負傷兵を日本の自衛隊病院が受け入れるとの情報が入ってきた。ロシアは中国や北朝鮮らと手を組み、対抗している。紛争の行く末が不透明な現状だが、「日本としてできることはやっておく」と考えたうえでの受け入れ表明なのだろう。
毎日新聞の報道では浜田靖一防衛大臣がコルスンスキーウクライナ駐日大使と会談し、5月18日にも支援内容を伝えるとの憶測がある。
広島では同月19日から「広島サミット」(主要7か国首脳会議)が始まる。もちろん日本は「議長国」として世界へ向けた何らかのメッセージを発する必要があるが、大きな焦点としてはロシアら専制国家に対してどのような牽制をしつつ、どうやってそれらを首脳宣言にまとめあげるかとの点である。
前述のとおり日本は「できることはやっておく」とのスタンスしかとれない。「やりたいけれどできない」というもどかしさは大変理解できる。
筆者は安全保障上、日本も核兵器を保有する又は核共有で専制国家に対応する必要があると考えている。日本の周辺を見渡すと、前述のようなロシア、核実験やミサイル発射を続ける北朝鮮、そして台湾への侵攻が迫っているとされ、わが国固有の領土である尖閣諸島周辺で監視活動を続ける中国と、多くの専制国家に囲まれている現状がある。
日本ではこれまで核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という原則を示した「非核三原則」を守ってきたが、そういった法令があるわけでもない。あくまで政府見解であるが、反発は根強い。そこで注目したいのが「核共有」(核シェアリングともいう)だ。
世界の常識は「相互主義」だ。相手が核を持つならば日本も核を所有に近い形で保持すべきだ。「核共有」は文字の通り、核兵器を別の国と共有するもの。アメリカの核兵器を日本の岸壁などに配置し、共同で運用する。そうすれば、緊急事態にも対応できるのだ。
昨年に暗殺された安倍晋三元首相は生前、核共有について「わが国はアメリカの核の傘のもとにあるが、いざという時の手順は議論されていない」としつつ、「国民や日本の独立をどう守り抜いていくのか現実を直視しながら議論していかなければならない」と見解を示している。
一方、核共有について、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(WEB)は2022年3月5日付で『「核共有」議論 日本が核攻撃に加わる暴論だ』との「主張」を掲載。『米国との「核共有」という議論は、核使用も辞さない姿勢を示すプーチン・ロシア大統領と同じ立場に身を落とすもので、有害でしかありません』と書いているが、いつ日本が「核攻撃に参加する」とでも思っているのか。
日本が何もしていない国に対して核攻撃をすることはありえない。そうなれば大問題に発展するのは確かだが、日本がそういったことをすることはない。なぜ「だめだだめだ」などと弱腰なのだろうか。そのような姿勢が日本の安全保障問題を停滞させているのだと忠告しておきたい。
(同じものをnoteにも書いています)
今年もよろしくお願いします
今更ながらですが、あけましておめでとうございます。
今年は体調も良く、たくさん記事を書くことができる年にしたいと考えています。
今日は仕事が終わってまっすぐ帰宅し、夕方からずっと酒を飲み続けています。ビールをチェイサーにして日本酒をメインとして飲む。最近はこのスタイルですぐ酔っ払うという生活の毎日です。
あてにはスーパーで買ってきた桃屋のメンマをチョイス。ちびちびですが、メンマを食べながら酒を飲み進めています。
そんなわけでゆっくりしているわけですが、新しい日本酒を飲んでみたいなーと考える。何かいい日本酒が良い銘柄があればぜひ私に教えていただきたいと思います。
それではおやすみなさいませ。
今年もお世話になりました
いやはや。もう2022年が終わりますね。今年も沢山の出来事がありました。自分としても沢山の出来事がありました。
それでは、今年1年を振り返ってみましょう。色々あったよな。
1月
今年は二日酔いで開幕しまして、母親から「あんた斜めに歩いていたよ」と言われました。平和だったのにな。
今年はきのこにハマった年でもありました。きのこをレンジでチンして食べるのがまたおいしい。
また今年は札幌での大雪もありましたね。札幌では昨年12月にも大雪が降り、会社に歩いていきました。今年からは在宅勤務させてくれとお願いし、自主的に在宅勤務を始めるなど。
2月
きました。2月の大雪。札幌駅を発着する列車は終日運転を見合わせる事態となりました。札幌駅前もすごい雪。
これが14日前後と、21日前後の2回も続き、大変なことになりました。
3月
特になし。
4月
初コメダ珈琲。
桜の咲く季節でした。
5月
東京旅行。一人で東京に行くのは初めて。また来年も行ってきます!
酒ばっかり飲んでたなあ。
高校野球のお仕事が始まったのもこの月から。
6月
北海道コミティアへ行った。
7月
安倍晋三元首相が銃撃死。衝撃でした。
割愛
12月
なんだかのどが痛いと思ったら、翌日に高熱が。検査したところ新型コロナ陽性でした。症状は数日でなくなり、暇を持て余すようになりました。
こんな感じで1年が終わる訳です。来年は連載を持てるようなライターになるのが目標であります。
みなさま、今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。
小林英介
コロナになりました
小林です。生きてます。
新型コロナになりました。当初はのどの痛みだけだったのですが、翌日にだるさと高熱、咳、関節痛が一気に来ました。当日の夜に病院へ行ったところ、コロナ陽性とわかり、1週間の自宅療養期間を過ごしている最中です。
今は症状がすっかりなくなり、ヒマです。ヒマなので家の中の掃除をしたり、資料の整理をしたリ、この記事を書いたりしています。あとすこしで療養期間が終わると知っていても、ヒマです...
「百年記念塔を守らなければならない」ー団体ら反対も道が記念塔の解体に着手、その経緯を振り返る
北海道にあるJR札幌駅から旭川方面の特急に乗り、札幌駅を出発する。雲一つない秋空の中、特急が函館本線の「森林公園」駅に差しかかると、進行方向の右手には大きな塔が見えてくる。
その塔の名は「北海道百年記念塔」(以下、記念塔)。高さ100メートルもある塔であり、「道民がみんなで築く躍進北海道のシンボル」(道公表の資料による)として建てられ、総工費5億円のうち半分は道民などの寄付で賄われている「私たちの記念塔」と言っても過言ではない記念塔なのだ。
しかし記念塔を管理する道は記念塔を解体する方針で、道は本稿執筆時の11月7日に塔の周りに看板などを設置。実質的に解体工事に着手したことになる。
「百年記念塔を守らなければならない」
「私たちはこの百年記念塔を守らなければならない、北海道の心を守らなきゃいけない」。11月7日、記念塔解体に反対する団体が記念塔を前にして抗議活動を行った。
北海道百年記念塔は北海道百年記念事業の一環として昭和41年(1966)に建設を決定、翌々年に着工したのち昭和45年(1970)9月に完成した。「北海道の開拓につくした先人の苦労への感謝と、未来を創造する道民の決意を示すため」(道HP)として建設され、これまで道民の「シンボル」として親しまれてきた。
しかし道は平成28年(2016)、平成30年(2018)で「北海道」命名150周年を迎えることを受けて「北海道の歴史文化施設活性化に関する懇談会」を開催。「国内外からの誘客促進のためのアイデア」等、幅広い意見が出たという。
なお、同懇談会は平成28年10月から29年10月まで1年間、5回にわたって開催され、同年11月に百年記念施設の再生に向けた構想をとりまとめた「百年記念施設の継承と活用に関する考え方について」を策定。百年記念施設を「自然・歴史・文化体感交流空間として再生することを目指す」として半ば強行的に再生することを明記している。
特に記念塔については、道民の幅広い意見も踏まえ、今後の検討状況によっては「様々な形態」が考えられ、「当該地域の景観にも十分配慮する」とした。この時点で、何となくではあるが記念塔を「解体」するニュアンスが濃くなっていると感じるのは、私だけだろうか。
専門家などからは「解体」の声が多数も、学生からは有意義な意見が
道は平成30年の4月から6月の間に住民等に対してアンケートを、同年4月から7月までの間には専門家へヒアリングを行っている。
このうち専門家ヒアリングでは、「地域のシンボルとしてできれば残してほしい」といった意見のほか、「耐震性、耐風性の担保など安全性が第一」と解体に賛成する意見もあった。道の資料を見た限りでは、専門家の「主な意見」としては「解体賛成」の意見が多かったように感じた。
一方、同年5月に学生を対象にして行われた大学での出前講座では、様々な意見が出されたが、「道民の意見を聞いた上で検討するのがいい」という意見もあった。学生よ、まさにその通りだろう。本当はこのようにあるべきなのだが、道の考えは全く違うようだ。
驚くべきは同時期に開かれた「ほっかいどう歴史・文化・自然『体感』交流空間構想検討会議」から出た意見で、「高度成長期の当時とは時代背景は大きく異なる」「インフラの大更新期が迫る。将来世代の負担で維持すべきものにはならない」「解体した後、跡地には何もつくらない」など、厳しい意見が相次いだが、あまりにも極端すぎやしないだろうか。
特に「跡地には何も作らない」など言語道断。なぜそのような意見が「専門家」から出てくるのか理解できないが、道は同会議を3回開催。平成30年9月に「ほっかいどう歴史・文化・自然『体感』交流空間構想素案」を公表し、道民に広く意見を聞く「パブリックコメント」を実施し、同年12月に道は同構想を策定した。
住民説明会では苦言相次ぐ、道は解体を正当化
時は過ぎ今年2月、道は「北海道百年記念広場(仮称)の整備等に関する説明会」をオンラインで3度開催。道が考え方を説明した後、参加者からの質問に担当者が回答したのだが、その回答は「回答」になっていなかった。
いくつかのやり取りを紹介しよう。例えば
「疑問や質問がある分だけ解体を形式で則って着々と進めるだけが行政の役目とは思えない。立ち止まり、多くの知見を取り入れて進めることが北海道を世界に誇れる新しい大地と考え直す方が道民のためになるのでは」との質問に対しては、
「記念塔のあり方の検討にあたりましては、様々な分野の専門家や有識者のご意見を伺うとともに、道民の皆様から寄せられたご意見を踏まえまして、十分に時間をかけて慎重に検討を重ねてきたところ」としたうえで、「記念塔の解体に関する方々の思いですとか、様々なご意見につきましては、真摯に受け止めた上で、道の考え方をご理解いただけるよう今後とも努めてまいります」
と回答。あくまで「道の考え方」が主眼にあり、「理解いただけるよう」などと変更するつもりはないと強調した。また
「専門家有志による反対意見が出されているにもかかわらず、反対意見の検証はなぜされないのか」
との質問には令和2年(2020)9月に記念塔の内部見学会を開催したことに触れたうえで
「公園を利用される方々の安全確保や将来世代への負担軽減等の観点から、解体もやむを得ないと判断したことなどにつきまして、繰り返しご回答」「存続に向けた活動は、他の団体等においても行われていることを承知しており、今後も道の考え方についてご理解いただけるよう努めてまいる考え」
などと回答している。説明会では、賛成する住民があまりいないほど、記念塔の解体に反対する意見や、道への批判が相次いだ。ある意味、説明会は「炎上状態」といっても良い状態だった。
鈴木道知事は「ご理解いただきたい」と解体ありき
この道の姿勢を受けてなのか。2月4日の知事定例記者会見では、記念塔に関する質問がなされた。とある記者からは
「知事は前回の会見で、『道民に丁寧な説明をした』と説明した。しかし取材をしたところ、町内会で説明会を開いていないなどと話を伺っている。知事の今の認識をお聞かせ願えれば」
などと質問が飛んだ。しかし鈴木直道北海道知事は
「道民ワークショップを3回、出前講座を2回開催させていただいた」と述べたうえで「アンケート調査などを通じ、さまざまなご意見を踏まえて交流空間構想の案を策定した」「道では交流空間構想の策定後も道民、存続を求める団体に対して、できるだけ丁寧な説明に努めてきた」
と実績を強調。そして3回にわたる説明会で
「解体の判断に至った道の考え方、今後の周辺広場の整備の方向性などについてあらためて説明し、皆さまにご理解をいただきたい」
とあくまでも解体ありきでものごとを進めていくとした。
本当に「道民みんな」の意味を理解しているのか
道はなぜそこまでして記念塔の解体を進めたいのだろうか。「道民がみんなで築く躍進北海道のシンボル」というコンセプトはどこへ行ったのか。「みんな」で築いたのであれば、「みんな」で解体について議論すべきではないのか。工費の半分は道民が賄っていると本稿の冒頭で触れたが、道には「道民の記念塔」を残す考えがないのだろう。道のやり方はあまりにも一方的で、なぜこういったやり方ができるのか不明だ。
解体に反対する人々はクラウドファンディングを実施しているといい、本稿記者が確認した段階で、目標金額300万円に対して698万円もの支援総額となっている(確認した対象は「解体差し止め住民訴訟」)。
道は粛々と解体作業を進めていくだろう。しかし反対派は諦めていないはずだ。私も解体は反対であるので、本稿を執筆した。「解体反対」の声を上げている人々を心から応援しつつ、本稿を閉じることとしよう。
※酔っ払いながら書きましたので、もしかしたら間違いがあるかもしれませんし、薄〜い記事になっていますね。とにかく、私の思いが伝われば。ご了承を。
オリックスが逃げ切って1勝目!日本シリーズ第4戦
<日本シリーズ:オリックス1-0ヤクルト>◇26日◇第4戦◇京セラドーム大阪
日本シリーズの第4戦は26日、強者ドーム大阪で行われ、オリックスが1対0で勝利して対戦成績を1勝2敗1分けとした。
オリックスは3回、2死2塁から杉本の適時左安打で1点を先制し、そのまま逃げ切った。
先発の山岡から代わって2番手でマウンドに上がった宇田川が勝利投手。今日は4人の投手リレーでヤクルト打線を0点に抑えた。
一方敗れたヤクルトは、オリックスを上回る6安打を放ったものの、1点が遠かった。
オリックスはシリーズ1勝目。オリックス・中嶋監督は、「かなりしんどかった」と試合を振り返った。
3回、杉本の適時打で先制。その1種「欲しいところで(適時打を)打ってくれた。点を取ってくれて嬉しかった」と喜んだ。
一方、ヤクルトの高津監督は「チャンスからあと1本が出なかった。野球をしっかり勉強しないといけない」と明日に向けて気持ちを入れ直していた。
日本シリーズの第5戦は27日、場所は同じく、京セラドーム大阪で行われる予定だ。
ヤクルトが山田の一発などで勝利!オリはチャンスを活かせず
<日本シリーズ:ヤクルト7-1オリックス>◇25日◇第3戦◇京セラドーム大阪
日本シリーズ第3戦は25日、京セラドーム大阪で行われ、ヤクルトが7対0で勝利して対戦成績を2勝1分けとした。
ヤクルトは5回、2死1・2塁として、山田が3点左本塁打で3点を先制。球界にも村上の2点適時二塁打が飛び出して7対1とリードを大きく広げた。
ヤクルト先発・高橋は6回を投げて7奪三振無失点の好投。打線も2ケタ安打を記録し、日本シリーズを通じて打線の好調さが目立った。
一方、敗れたオリックスは8安打を放つものの、1点を返すのがやっとだった。
ヤクルトの高津監督は、「投手戦だったが、山田が一発を放ったこと、そして(先発の)高橋が6回まで投げ切った。チームの成長を感じた」と試合を振り返った。
先制点となる3点本塁打を放った山田は「ストレートを狙ってしっかり打ちに行った」という。それが結果的にチームの勝利につながった。山田は「素直に嬉しい」と喜び、「自分のスイングができて感触も良かった」と上出来だった。
一方、オリックスの中島監督は、「4回のチャンスで先生できていればよかった」と悔やんだ。そして「やり返すチャンスはまだあるのでやるしかない」と気合を入れていた。
【更新】両チームとも決め手を欠き、決着つかず!日本シリーズ第2戦
<日本シリーズ:ヤクルト3-3オリックス>◇23日◇第2戦◇明治神宮野球場
日本シリーズ第2戦は23日に神宮球場で行われ、延長12回で決着がつかず試合終了となった。
オリックスは3回、1死3塁から9番に入ったオリックスの先発・山崎福の適時右安打などで2点を先制。5回にも2死1・3塁から杉本の適時内野安打の間にもう1点を追加。3‐0とリードを3点に広げる。
ところが9回、ヤクルトは無死1・2塁の場面で代打・内山が同点となる3点本塁打を放って3-3とし、試合は延長戦へ。
10回以降は両チームとも細かい継投で得点を許さず、同点で試合を終えることとなった。
日本シリーズは24日の移動日を挟み、第3戦は25日から京セラドーム大阪に場所を変えて行われる。
ヤクルト・高津監督
9回に同点3ランを放った内山について「壮真の一振りでよく追いついた。とにかくすごい」と興奮を抑えきれない様子だった。
ヤクルトが村上の一発などで白星発進!オリックスはチャンス生かせず【更新】
<日本シリーズ:ヤクルト5-3オリックス>◇22日◇第1戦◇明治神宮野球場
日本シリーズ第1戦は22日、神宮球場で行われ、ヤクルトが5-3で勝利して白星発進した。
ヤクルトは2‐2と同点で迎えた3回、1番の塩見が中本塁打を放って3‐2と逆転すると、4回にもオスナの左本塁打で1点、さらに8回には村上が右中本塁打を放って得点を重ねた。
ヤクルト先発の小川は5回2失点で勝利投手。打線も二桁安打で塩見、オスナ、村上にそれぞれ1発が飛び出した。オスナは3打数3安打3打点とチームの勝利に貢献した。
一方敗れたオリックスは、先発の山本由伸が4回途中4失点。打線は9安打を放ったものの、チャンスからあと1本が出なかった。
ヤクルトの高津監督は試合前、「ここまで来たら、一番高く、てっぺんに登ろうと話した」と選手たちに声をかけたといい、「(初回の)オスナの2塁打、(3回の)塩見の本塁打など、長打がよく(オリックス先発・山本に対して)効いた」とたたえていた。
生きております
お久しぶり〜私は生きております。
最近は、高校野球ドットコムで取材したり、
クラーク記念国際の優勝で長いオフシーズンへ!選手たちの頑張りに期待! | 高校野球ドットコム
ねとらぼ交通課で記事を書いています。
特にねとらぼ交通課では編集者さんに助けられていて、毎回感謝です。ありがとうございます。
こんな感じでバタバタと過ごしております。しかし、今年ももう10月。はやいったらないですね。
今月はドラフト会議、来月は侍ジャパンの強化試合、ワールドカップ...来年3月にはWBCとイベントが目白押しです。
さらに私、最近ですね、サッカー観戦にハマっております。私の住む北海道を本拠地にしている、北海道コンサドーレ札幌のファンになりつつあり、出費が大変なことに笑
でも楽しくスポーツを観て、お酒を飲んでお酒を飲んで...なんて酒ばっかりですが、精神的にも安定していて、充実した毎日を過ごせています。
そんなわけで近況報告でした。ではまた。
(本業はまだ継続しております)
だるいからPCR検査受けてきたじょ
ブログのことをすっかり忘れておりました。お久しぶりです小林です。
数日前から体の倦怠感があり、熱も37度前後となることが続いていたため、今日PCR検査を受けてきました。結果が分かるのは約4〜5日後。心配です。
東京に行ってきた③(最終回)
おいおい、あれからどれぐらいの期間が経っているんだ!とお怒りの方もいらっしゃるでしょう。
僕も同じことを思っています。どうしてまたこんな期間が開いたんだと。安定のサボり癖がここにも出てしまいました。そんなわけで今回の記事で東京旅行を扱うのは最後にします。最終回です。
そうしないとまたサボります!ほんだら、まいりましょう!
東京2日目の朝は、散歩から始まった。東京に着いた時は外が真っ暗だったため、どこに何があるかさっぱりわからなかった。そんなわけで歩こうとしたわけだ。
道の途中に駐車場があった。札幌にはこんなものないと思っていたが、後から調べると札幌にも同じような駐車場があった。ただ道路の幅が札幌より狭い。そこにこの駐車場を作ったのはすごい。
なんだこれは。「ナチュラルローソン」という名前らしい。ローソンではなくナチュラルローソン。中に入ってみたら確かにローソンとは違った。何かが違うのだが、なんと言ったらいいかわからない。ネットで調べると健康志向的なことが書いてあるが、まぁそういうことにしておこう。
喫茶ルノアールなるものがあった。1度も行った事はないが聞いた事はある。結局この旅行でも利用せずに終わってしまった。また今度東京に行った際に入ってみたいと思う。
東京駅周辺まで来た。これはなんだブラザーの会社か。建物がとにかくでかい。上を見すぎて首が痛くなってしまった。まるでお年寄りである。
デカすぎ。
すごい。
東京駅八重洲口に着いた。東京オリンピックの国立競技場かと思ったが、少し違ったようだ。あの赤いレンガの建物がない!と悲しくなってしまったが、その建物は反対側にあることが判明した。急いで反対側に向かおうと思う。
いやもう建物がでかすぎる。少し怖く感じた。
ようやく着いた。東京駅丸の内口?丸の内中央口?出口を忘れたが、この光景を見に来たのだ。めっちゃ感動した。テレビでよく見る東京駅と言うイメージがここに完結した。実際に自分の目で見て感じたい。だから東京に来たのだ。よかった。
さあ、今日は神田神保町へ向かう。自分が東京旅行を決意した大きな目的がそこに隠されている。神田神保町は古本の街として有名である。今回は古本を調達しに神田神保町へ向かうのだ。目標は100冊を購入すること。さすがに持ち帰れないので郵便で送ってもらう予定であった。
良い町並みである。北海道ではあまりこーいうところは無いのではないか。羨ましく感じた。
さあ神保町に着いた。憧れの神保町に着いたのだ。自分の心は踊りまくっている。どの本を買おうかどの書店でどれぐらい本を買おうか…ワクワクが止まらなかった。
と思ったところでいきなり日本大学である。あのかつていろいろあった日本大学である。あーお金持ちの大学なんだなと思った。さすが会長があれだけの事はある。逆に感心した。
東京は燃えるゴミのことを「燃やすゴミ」と表現するのだそう。札幌は燃えるゴミなので、めっちゃ面白く感じた。
神保町の交差点。
神保町にあった三省堂書店。私が東京を離れた後にこの店舗は閉店して別の店舗に移るらしいと言う話を聞いていた。その前に最初で最後の神保町の三省堂にお邪魔した。入ってよかった。
なんかなんて言っていいかわからないけれどもよくわからない教会。
ああっ!古本屋だ!
何冊か買った。
ここで所用のため水道橋へ。
自分敵視しているプロ野球球団の本拠地、東京ドーム。今日もドームの風は吹いているのだろうか。
腹ごしらえ。この日は暑かったのでざるそばを頼んだ。おいしかった。
腹ごしらえを終えて本格的に古本屋探しを始める。
出てくる出てくる、古本屋。
白黒の写真の撮り甲斐がある。
ここで本郷へ。写真は東京大学。めっちゃ懐かしかった(僕は東大出身ではございません)。
これが安田講堂ですか?学生運動の舞台となった場所でもあります。
今日はもうこれでおしまい。本郷の居酒屋でいっぱいいただきました。写真はビールとお刺身です。おいしかった。
知り合いと飲むためその後新宿へ向かい、
最後に新橋へ。
1日目と同じ場所でシメました。
3日目も地下鉄からスタート。
新宿へ向かいました。新宿駅めっちゃでかい。
ここで特急に乗り、
八王子まで向かいました。なぜならば、八王子では「八王子古本祭り」という古本祭りが開かれていたのです。
八王子駅前の富士そばで腹ごしらえ。富士そばに行くのは初めてです。安くてめっちゃおいしかったです。北海道にも富士そばがもっとできてほしい。
そんなわけで八王子を去り、吉祥寺へと向かい、
荻窪へ。
こんな感じで古本屋をめくった後、暑くなったので喫茶店に入りました。
頼んだのはソーダフロート。暑かったのでめっちゃおいしかった。
そして荻窪を去り、
秋葉原に向かいました。ヨドバシカメラがくそでかでした。
秋葉原で一杯!
いや、二杯でした。
タイ古式マッサージを受けてみようと思ったけれど、ちょっと嫌な予感がしたのでやめました。
ここでまた知り合いと飲むため上野へ向かいます。
写真映えがすごい。
ここから4日目。安定の散歩からスタート。
これはすしざんまいです。すしざんまいびっくりでお馴染みのあのおじさんの人形が置いてありました。めっちゃシュールじゃんか。
築地市場の中は、こんな感じ。
なかなか良かったです。
これは朝日新聞の社屋。でかすぎてびっくりしました。
東京にはたくさんの史跡があった。歴史好きの僕にとっては朝からウキウキ。特に最後の浅野内匠頭の邸跡は興奮。僕は忠臣蔵が好きなので、特に思い入れがあるのかもしれません。
日刊スポーツの本社。思ったより小さかった。
ここで九段下へ向かい、靖国神社へ。お祈りしてきました。ここで早稲田へ。
昼は「ひやむぎ」。冷たくておいしかった。
そしてここから高田馬場へ。
これは出版社「ガイドワークス」。パチンコ雑誌を中心に出版しています。
高田馬場駅。何か面白かったなあ。
ここで下北沢へ。
喫茶店でゆっくりした後、
街をめぐりました。
そのあとは渋谷へ。スクランブル交差点が大変で、2往復して帰ってきました。人で疲れました。
東京最後の夜は焼肉!ただ、どこで食べたのか記憶がない……。
とにかく!うまかった!
東京最後の夜は、新橋で終わり。楽しかった東京旅も最終日を迎えます。
さあ、最終日。
長く泊まったホテルに別れを告げ、地下鉄へと向かいます。
向かったのは池袋、
少し外れるとこんな住宅街が。不思議です。
ジュンク堂書店に寄って、上野へ。
帰る直前、上野をぶらぶら。
西郷隆盛さんを見て、帰ります。
ありがとう、東京。
東京最後のご飯は、そば。僕が東京にいたときは大体暑かったので、麺類ばっかり食べてたなあ。
上野駅の改札。これで東京ともお別れです。
乗り込んだ瞬間にビールを飲みはじめました。
2本目。いかそうめんと。
新函館北斗に到着する前、僕が乗っていた車両には僕しか乗っていませんでした。自由。でも、JR北海道の収益は大丈夫なのかしら。そう心配してしまう。
さあついたぞ。
乗換までに時間があったので、一度改札の外へ。
新函館北斗駅の外観です。周りは民家。2030年度末に札幌開業を控える北海道新幹線ですが、この新函館北斗駅はどうなってしまうのでしょうか。心配です。
近くにホテルこそあれ、殺風景と言わざるを得ない。
さて、札幌へ帰りましょう。
新函館北斗駅の在来線ホームはこんな感じ。右が「はこだてライナー」専用ホームです。
新函館北斗駅の周りは暗い。民家だらけでした。
さあさあ、そんなわけで特急「北斗」に乗車。もう疲れ果てていたので、寝ました。疲れた。
そしてようやく札幌へ到着。長い長い旅が終わりました。
今回の東京旅は4泊5日という少し長めの旅でした。
1人で東京に行って、色々なことを感じ、思いました。本当に東京に行って良かった。そう思います。古本も送ってもらいました。これから天日干しをして、じっくり読みたいと思っています。
長々とお送りしてきました「東京旅」の記事。これにて終了。完結です。
どれだけの方々が読んでくださっているか分かりませんが、とにかく感謝申し上げます。ありがとうございました。