そのまま

感じたことをそのまま書いていきます

ハニカミ

「お誕生日おめでとう!」
思えば先輩からきたこのメールが全ての始まりだったのかもしれない。

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大学1年の9月。ぼくは最愛の人をなくした。なくしたと言っても亡くしたのではなく、失くしたのだ。そう、5年付き合い、なにもかも捧げた彼女に振られた。
それからぼくの歯車は狂ってしまった。女性と会っても彼女が頭をよぎり、なにかあると彼女を思い出し、人を好きになることが出来なかった。
そんなときだ、その年の12月某日。ぼくの誕生日を祝うメールが先輩から来たのだ。この先輩は、同じ高校の二つ上の人で当時ぼくの部活の先輩と交際していた小柄で可愛い人であった。
ぼくは話したことがないのにいきなりメールが来たので驚いたがよくよく考えると、先輩の誕生日も12月であったのだ。ああ、そうか。同じ月でFBかなにかで通知が来たのだろう。ん、先輩の誕生日もう過ぎてるじゃん!!!
そのときぼくは来年こそは先輩の誕生日にメールを送る、といういわば自己満足な考えを決めていた。

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ここで少し振られてからの1年間の話をしよう。大学2年になったぼくは少しずつ彼女を忘れていけるようになった。いろんな女の子と遊び、紹介してもらい、ナンパをし、、、だいぶヤンチャをしていたかもしれない。そんなときだった。9月に彼女から電話がきたのだ。「今日会えないか」と言った内容であった。ぼくはもちろん即答し、横浜に会いに行った。
行ってみると彼女はあの頃と変わらない笑顔で話しかけてくれた。
"なんだ、まだ可能性あるじゃん"
一瞬そんなことを考えたが、それはすぐ彼女によって崩された。
「でさー。彼氏がさー!」
そう。彼女の今日の目的は"元"彼である僕に"今"彼の愚痴を聞いてもらい、5年付き合った元彼としてアドバイスをしてほしかったのだ。
このとき、勝手に期待していたぼくのなかでも"彼女"はようやく"元彼女"になれた。
そこからはラグビーに没頭する日々が続いた。毎日毎日練習、ウエイト、フィットネスを繰り返し1年間変わらなかったチームも階段を登り始めた。
体格も傷心していた頃とは変わり、ひと回りもふた周りも大きくなった。

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そしてやってきたのだ。12月某日、先輩の誕生日が。
既に先輩がぼくの部活の先輩と別れていたのは知っていたので、ご飯いく約束もとりつけようと、メールを送った。
「せんぱい、お誕生日おめでとうございます。こんどご飯でもいかかですか?」そういった類の内容であったはずだ。如何せん、先輩の元カノに手を出すということで後ろめたさと緊張で内容をあまり覚えていない。
返事はok。ぼくの部活が落ち着いたら行こうと言ってくれた。
勿論、その10日後に先輩はぼくの誕生日を祝うメールをくれた。

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必死に取り組んだ部活もシーズン終盤に差し掛かり、チームに一体感が生まれ、ピリピリしていた頃であったであろうか。
ぼくは先輩に連絡をし、具体的な日時を決めた。1月某日の18時に逗子の先輩がアルバイトをしている居酒屋。

当日、ぼくは手土産(誕生日プレゼントの意味も含めて)として、ラグビー好きな先輩のために部活の限定Tシャツを持って行った。逗子駅で待ち合わせをし、早速お店に向かった。先輩が働いているというこの店は、3階建てだがこじんまりとしていて隠れ家のような雰囲気が漂い、ぼくはすぐに気に入った。店員に促されるがままに階段をあがり、3階についた。そこにはもうひとつ階段があり、階段を登るとそこはロフトであった。ロフトには2人席専用の座敷がひとつだけあった。先輩はそこを予約しておいてくれたらしい。
ぼくと先輩は早速生ビールを頼み、乾杯をした。ここぞとばかりに手土産のTシャツを先輩に渡した。
そうすると先輩は、
「ありがとう。すごい嬉しい」
と喜んでくれた。続けて先輩は
「実はわたしも...」
とカバンから小洒落た包装紙に包まれたお菓子をぼくに渡してきた。
「これ、成人祝いに。なんかプレゼント交換みたいになっちゃったね。」
とはにかんだ。
ぐっと来た。本能で感じた。
「可愛い。」と。
そこからというもの、閉店の1時過ぎまで話し込んだ。
お互い元恋人に振られ1年以上彼氏がいない話、映画の話、富士山に登ってみたいやらUSJに行ってみたいやら、先輩は時折ぼくの心をくすぐるかのようにあのハニカミを見せながら他愛ないもない話を延々と続けた。
結局その日は先輩を家まで送り、終電を逃したぼくはタクシーで明け方5時ごろ帰宅した。
ああ、今日は成人式。8時には友達が迎えに来るから2時間しか寝れないや。そんなことを考え眠りについた。

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「えー、君たち若者はこれからの日本を背負い、」
市のお偉いさんであろうか。パンチパーマをあてたいわゆる湘南のヤンキーが飛ばす罵声をかき消さんとばかりに、お祝いの言葉が続く。退屈だ。
もともと友達も少なく、私立中学に進んだ僕には他の友達よりも退屈であった。
そんなとき思い浮かんだ。
そうだ、先輩にスーツ姿をみせにいこう。
早速メールを送り、式が終わってから中学の同窓会までの間の数時間逗子で会う約束をした。
式が終わるとすぐさま逗子へ向かい、先輩を待った。遠くからあのハニカミが見える。おお、今日の髪型は三つ編みか。そんなことを考えながら僕は先輩へと歩み寄った。
「どうですか?」
スーツ好きの父親に作ってもらった一張羅を見せる。
「うん。かっこいい。」
そのときばかりはいつものようなハニカミではなく、少し頬を赤らめていた。こんな表情もハニカミと並びとても可愛かった。
時間が中途半端であったため僕らは駅から少し歩き、逗子海岸へ向かった。快晴だった。綺麗だった。太陽が海に反射し、輝いていた。それを見て綺麗と呟く先輩を見た。
思わずぼくはiPhoneを取り出し、先輩を撮った。無意識だった。それほど先輩は綺麗であり、どことなく幼く、可愛かった。
ぼくは会って二回目の人に恋をしてしまったと、気が付いたのだ。
そこから直感で動くタイプのぼくは"今日告白するんだ!"なんてことを考えながら、二人で浜辺を歩いた。
ただあのハニカミやら赤らめた顔やらを見ながら告白するのはどうも勇気がない。
そんな感じで小一時間が過ぎた。"ああ、時間がない。ここで告白しなかったらめんどくさがりの僕にはきっとチャンスはもうないだろう。"
そう考えてるとふと先輩はしゃがみ込み、桜貝を探し始めた。
ここぞと言わんばかりにぼくは後ろから先輩に抱きつき、告白をした。緊張でなにを言ったか覚えていないが、ストレートに気持ちを伝えたはずだ。
「会って二回目だが先輩を好きになった。付き合ってくれないか」
先輩は困惑した顔をし、口を開いた。
「確かに、付き合ったら楽しそうだよね。昨日からずっと話がはずむし、楽しいよ。でもね、会って二日だよ?」
"ああ、終わった"
ぼくは落ち込んだ。
だがそのとき耳を疑う言葉が聞こえた。
「本当に私でいいの?」
....え?え?
ぼくの時が一瞬止まった。
だがようやく理解した。
「うん。先輩"が"いいの。」
僕たちはハニカミ、手をつないだ。
"先輩"が"彼女"になった瞬間であった。
眩いばかりに輝きを放つ太陽と海を背にはにかんでいた先輩は、それよりもはるかに綺麗であった。

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子供の気持ち

突然ですが、皆さんはいつから知人を”友達”と認識しますか?
もしくは、いつから”なかよし”と思いますか?

私はその人といて作り笑いをしなくなったらかなあ、と思います。私が作り笑いをする時は、その場が楽しくない時や、相手を不快にさせない、もっと言えば「相手に好印象を持ってもらいたい」と思っている時です。いずれにせよ、本心で楽しめていなく、相手のことばかり気にしています。


みなさんはいかがでしょうか。
「自分は心を開いてるけど相手が自分をどう思っているのか分からない」などと信頼関係に疑問を抱かなくなった時から、連絡先を交換してから、自然になどと多くの答えに分かれてくるでしょう。

質問を少し変えましょう。こどものころはどうでしたか?きっとこんな言葉が自然と言えていたはずです。
「○○くん、お友達になろうよ」
おとなになったいまではとても恥ずかしくて言えませんね。ですから、好印象を持ってもらいたいがために作り笑いをしてしまったり、信頼関係に疑問を抱いてしまうのです。
この差はどこからくるにでしょうか。

私の考えはこうです。
こどものころは自分の気持ちを伝えて喧嘩になることが多くありませんでしたか?そして時間はかかっても仲直りができたはずです。喧嘩といういわば「失敗」を仲直りをすることによって「修正」してませんでしたか?
生まれて来た時は「諦め」と「失敗」を知りません。
しかし、わたしたち大人はいつの間にか「失敗」をマイナスなものと捉えているために、失敗(例として喧嘩)を恐れ、避けて生活しています。なので友達作りに慎重になりすぎて、友達になろうよなど自分の気持ちを上手く伝えられていないんじゃないでしょうか。ましてや科学技術が発展して顔を見なくてもすぐに話せる現代は、より本当の気持ちを伝えるのは難しいですね。


では、わたしたち大人はなぜ「失敗」をマイナスなものと捉えているのでしょうか。
それは教育に問題があると思います。本来教育は「死に至らない失敗をさせて成長させるもの」だと思います。ですが現代の教育は「失敗=マイナス」と教えていることが多いです。顕著な例として、問題の答え合わせの時に自分の答えが間違っていたらバツをつけずに消しゴムで答えを書き直す子供がいることです。
失敗は次をより良くするためのデータです。自分の答えを消す必要はありません。「可愛い子には 旅させよ」とは良くいったものです。

純粋な「諦め」と「失敗」を知らないあのころを思い出し、恐れずに大切な人に気持ちを素直に伝えてみませんか?仲直りを諦めていた人と和解を試みてみませんか?
繰り返しになりますが、失敗は次をより良くするためのデータです。

買い物

僕の友人には、電気製品(特にApple製品)好きがいて、
新型iPhoneの情報や便利なアプリのことなどいろいろ教えてくれます。
そんな彼の影響で僕もApple好きになり、今年の3月にiPad miniを購入してしまったのですがWi-Fiを持っていないので、あまり使い道がなく電子書籍を読む程度でした。
ただ、かっこいいからとLogicoolのワイアレスキーボードは欲しいと思っていました。これも彼が持っていて憧れて、しかし使い道がないので衝動は抑えていたのですが先週にきっかけが出来てしまいました。
そう、ブログをはじめてしまったのです。まあこれまた彼の影響なのですが、、、(^_^;)
Twitterなどと比べて比較的に長い文章を打つのにはキーボードがあると便利だなあと、今日ついに購入してしまいました。
どんだけ彼に左右されているんだ、というお話でした。
これからも下手な文章ではありますが不定期に、感じたものをそのまま載せていきますね。
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ぶれない自分

人柄か、頼まれたら断れない性格だからか、よく人にアドバイスを求められます。それは人生でも、スポーツでも恋愛でも。
そんなときにぼくはその人に嫌われないように、もっと言えば好かれるようにアドバイスをしていたかもしれません。
相談してきてくれる人によって自分の考え方や発言を変えていたのです。

最近本を読み始めました。一番の友人や父の影響です。
この本を読んで、今までの自分がコロコロしていたと感じます。

大事なことは自分の価値観を持つこと。なにか聞かれたときは自分の過去の経験から生まれる価値観を基準にして考えること。
それは決して全てのひとに受け入れてもらえるわけではありません。
だから数少ない心の許せる友人を大切にしていきたいです。f:id:chonki:20141203122656j:plain

感情

きれいなものをみても何も思わなかった
かなしいことがあっても泣けなかった
美味しいものに出会ってもかんどうできなかった
素直に喜べずわらえなかった

あなたに出会った。
あなたといると綺麗なものを綺麗と思えた。
あなたといるとなんでも綺麗に見えた。
あなたが悲しんでいると涙がこぼれた。
あなたといると美味しいものに感動できた。
あなたといると笑いが絶えなかった。
あなたが全てを教えてくれた。

なのにあなたは私の前からいなくなった。私には感情だけが残った。

きれいなものを見るとあなたと見たいと思った。
悲しいことがあっても泣く場所がなかった。
美味しいものに出会っても感動できなかった。
笑えても本心では笑えなくなった。
全部あなたがいたから。
あなたがいたから感情が生まれたのに、あなたがいないと心が空っぽだ。いまのわたしには何も無い。

いや、こんな私にも
二つだけ残っている。
あなたのおかげで人を愛すること、そして失うことを覚えた。


いまでも想っている。
いつでもあなたが帰って来れるように。