映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「毒親<ドクチン>」

毒親<ドクチン>」
2024年4月15日(月)ポレポレ東中野にて。午後3時より鑑賞(E-7)

~女子高生は自殺か、殺されたのか。ミステリーの中に母と娘のゆがんだ関係を織り込む

 

ポレポレ東中野に行くのは久しぶりだ。ここはドキュメンタリーを中心に上映しているので、なかなかそこまで追いかける余裕がないのだ。しかし、この日に観たのは劇映画。韓国映画毒親<ドクチン>」だ。ホラー映画「オクス駅お化け」(2022)の脚色や「覗き屋」(2022)の脚本を担当したキム・スインの長編映画監督デビュー作だ。

ドラマはある女子高生の死から始まる。河原のキャンプ場でユリ(カン・アンナ)が死体で発見される。車の中で複数の人々ともに死んでいたため、捜査に当たるオ刑事ら警察は集団自殺の可能性が高いと考える。だが、ユリの母親ヘヨン(チャン・ソヒ)は「娘が自殺するはずない」と猛抗議する……。

いうまでもなく、本作の基本はミステリーだ。ユリという女子高生の死の真相をめぐって、警察、ユリの母親、担任、級友などが激しく動き回るさまを、時制を行き来しながら描き出す。

警察は当初は集団自殺だと考えるが、母親のヘヨンは「娘が自殺するはずがない」と警察に抗議し、娘は殺されたのだと主張する。仕方なく、警察は自殺以外の可能性も考えて捜査をする。すると、謎が次々に浮上する。

それと同時に、ヘヨンは思わぬ行動に出る。ユリが死の直前に担任教師ギボム(ユン・ジュンウォン)と2人きりで会っていたことを知り、彼が怪しいと考える。また、優等生だったユリがアイドル志望の級友イェナ(チェ・ソユン)と交流を持っていたことから、彼女も怪しいと考えて2人を告訴するのだ。

断固として娘の自殺を否定し、犯人探しに突き進むヘヨン。その気持ちの根底には娘への強い愛があり、共感する観客も多いことだろう。

だが、次第に明らかになるのは、ヘヨンの異常なまでの娘への執着と拘束だ。彼女は、自分の理想通りに娘を育てようとして、娘を監視し、支配していたのだ。ユリはそのため、精神科クリニックに通い、うつ病の薬を服用していたのである。

ドラマの中盤で、邦題にある「毒親」という言葉が浮上してくる。それはまさにヘヨンのことを指す言葉だろう。

とはいえ、本作の特徴は、彼女のことを完全な悪女として描いてはいないことだ。娘への過剰な愛情がゆがんだ形で表出し、娘に恐怖を感じさせるまでになってしまう。そんな母親の例は、日本でもけっして珍しくはないだろう。つまり、誰でもヘヨンのようになってしまう可能性があることを、示唆しているのである。

暴力的なシーンを極力排除しているのも、ヘヨンを単なる悪女にしない配慮ではないだろうか。また、ヘヨンの言動の背景には、韓国の過度な学歴主義もあるように思える。真面目で優等生の娘を一流の大学に入れる。それこそがヘヨンの願いなのだ。しかし、それが彼女を暴走させる。

ともあれ、ミステリーとしての魅力の詰まった映画だ。SNS、現場から逃げ出した一人の青年、録音された音声、2台の携帯など次々に謎をばらまきながら、観客を混乱の渦に巻き込んでいく。

こういう話は取り立てて目新しいものではないが、それでも二転三転する展開で飽きさせない。そこにはホラー的なテイストも感じられる。刑事のセリフなどがやや定番すぎるきらいはあるものの、それほど気になるものではなかった。

ドラマの終盤、現場から逃げ出した青年が見つかったことから、ドラマは急展開を見せる。果たしてユリは殺されたのか、自殺なのか……。

ラストも秀逸だ。事件が決着したのちのヘヨンの姿を映すと同時に、担任教師ギボムの家族のドラマも映し出す。実は彼も父親から大企業に就職した兄と比較して、不当におとしめられ、罵倒されていたのだ。しかし、それまでは何も言えなかったギボムが、最後に明確な反抗の意思を示す。それはまるで、生前ヘヨンに反抗できなかったユリの気持ちを、代弁するかのような行動だった。

ミステリーという枠の中で、母と娘のゆがんだ関係を描いた本作は、女性監督によるエンタメ性と社会問題を両立させた作品という点で、イ・ソルヒ監督の「ビニールハウス」、キン・セイン監督の「同じ下着を着るふたりの女」などにも通じる作品といえるだろう。その中でも、よりエンタメ性が強いのが本作かもしれない。キム・スイン監督の今後の活躍に期待を抱かせる。

基本はごく普通の母親ながら一線を越えてしまうヘヨンを演じたチャン・ソヒ(ドラマ「ストーリー・オブ・マーメイド」「妻の誘惑」)、その母親に翻弄されるユリを演じたカン・アンナ(ドラマ「ペーパー・ハウス・コリア 統一通貨を奪え」)の演技も見事なものだった。

◆「毒親<ドクチン>」(TOXIC PARENTS)
(2023年 韓国)(上映時間1時間44分)
監督・脚本:キム・スイン
出演:チャン・ソヒ、カン・アンナ、チェ・ソユン、ユン・ジュンウォン、オ・テギョン、チョ・ヒョンギュン
ポレポレ東中野ほかにて公開中
ホームページ https://dokuchin.brighthorse-film.com/

 


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「ブルックリンでオペラを」

「ブルックリンでオペラを」
2024年4月10日(水)シネ・リーブル池袋にて。午後3時20分より鑑賞(スクリーン2/D-3)

~常識外れの人間たちが笑いを巻き起こす上質の夫婦コメディ

公開作品の案内が映画館になかったので近所の桜の写真を・・・。

ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズでブレイクし、「パーフェクト・ケア」「シラノ」などで個性的な演技を披露しているピーター・ディンクレイジ。彼がアン・ハサウェイマリサ・トメイと共演した映画が「ブルックリンでオペラを」だ。

ブルックリンに住むオペラの作曲家スティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は、妻の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)と幸せそうに暮らしていた。だが、スティーブンには悩みがあった。作曲ができずに人生最大のスランプに陥っていたのだ。

ある日、スティーブンはパトリシアのアドバイスで、愛犬を連れて散歩に出かける。その途中に寄ったバーで、一人の女性と出会う。引き船の船長をしているというカトリーヌ(マリサ・トメイ)だ。

彼女に誘われて彼女が船長をしている船を見に行くスティーブン。するとカトリーヌはスティーブンを誘惑する。

その後、スティーブンはこの一件をもとにオペラを書く。その公演は大成功に終わる。だが、公演後のロビーにはカトリーヌ本人が待ち受けていて……。

この映画の全体的なタッチはクスクス笑えるコメディだ。監督・脚本のレベッカ・ミラー(劇作家アーサー・ミラーの娘で、引退した名優ダニエル・デイ=ルイスの妻)は、「スクリューボール・コメディをやりたかった」と語っているという。

スクリューボール・コメディは「1930年代初頭から1940年代にかけてハリウッドでさかんに作られたコメディ映画のサブジャンル。常識にとらわれない登場人物、テンポのよい洒落た会話、つぎつぎに事件が起きる波乱にとんだ物語などを主な特徴とする」(Wikipediaより引用)。

その通り、このドラマに登場するのは、常識にとらわれない人物ばかり。スティーブンはスランプで年中しかめっ面をしているし、パトリシアは病的な潔癖症。カトリーヌは恋愛依存症だ。こういう人物が、あれやこれやと入り乱れ、笑いを巻き起こしていくのである。

中盤まではカトリーヌとの出会いによって、スティーブンとパトリシアの夫婦関係が大きく変化する様子に焦点があてられる。このまま常識的な線で物語が進むかと思いきや、その後は予想もしない意外な方向に物語が進みだす。

映画の序盤で、10代の若いカップルの熱愛場面が描かれる。これがパトリシアの連れ子のジュリアンと、彼女たちの家のハウスキーパーのマグダレナ(ヨアンナ・クーリク)の娘テレザ。2人はラブラブだ。

だが、その恋路を邪魔するものがいる。マグダレナの夫のトレイ(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)だ。テレザもマグダレナの連れ子なので、トレイはテレザの義父ということになる。彼が熱中しているのは、南北戦争再現ごっこ。仮装して本物の銃を持って参加するのだ。この強烈なキャラもスクリューボール・コメディにはピッタリ。

さりとて、この超保守親父が10代の娘の恋愛など許すはずがない。そこでトレイの魔手から逃れて、若い2人のロマンス成就に向けて登場人物が奔走するのが後半の展開というわけ。

とはいえ、ロマンスに突っ走る10代のカップルに、「たぷん高確率で別れる」などと言わせて甘いだけでない現実を突きつけたり、人種差別や移民の苦悩(マグダレナは不法移民)に言及したり、ダイバシティなどの現代社会に対する目配りもしっかり効かせている。もちろん、お説教臭さは微塵もない。

劇中に登場するオペラも秀逸だ。特に最後のSFロマンスもののオペラは、なかなか面白くて見入ってしまった。これも本作の大きな見どころ。

ラストはみんなが落ち着くところに落ち着くハッピーなエンディング。そこで最後に映るアン・ハサウェイの尼僧姿が傑作。

俳優陣の個性的な演技も目を引く。ちょっとやりすぎぐらいにやっていて、それで嫌味にならないのだからバランス感覚が絶妙だ。

ちょっとウディ・アレンの映画を思わせるこの作品。すべてにおいてバランスの良さが光る上質な映画だ。「ただのラブコメかな」とあまり期待していなかったのだが、期待以上の面白さで、観終わって後味さわやかに映画館を出ることができた。ブルース・スプリングスティーンの歌う主題歌もなかなか良い。

◆「ブルックリンでオペラを」(SHE CAME TO ME)
(2023年 アメリカ)(上映時間1時間42分)
監督・脚本・製作:レベッカ・ミラー
出演:ピーター・ディンクレイジマリサ・トメイ、ヨアンナ・クーリク、ブライアン・ダーシー・ジェームズ、エヴァン・エリソン、ハーロウ・ジェーン、アン・ハサウェイ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/BrooklynOpera/

 


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「パスト ライブス/再会」

「パスト ライブス/再会」
2024年4月6日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後3時30分より鑑賞(スクリーン9/E-10)

~幼なじみの2人の24年目の再会。繊細な感情描写で切なさ最高潮

 

激しいだけが恋じゃない。恋愛には様々な形があるのだ。ハリウッドのロマンス映画といえば、情熱的だったり、とびっきりおしゃれだったりする印象があるが、それとはだいぶ違う恋愛映画が公開されてヒットした。今年のアカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされた「パスト ライブス/再会」である。

映画の冒頭、3人の男女がバーで会話をしている。ノラとその夫アーサー、そしてヘソン。ノラとヘソンは韓国人。アーサーはアメリカ人だ。3人の過去に何があって、どうしてここにいるのか。それがその後に描かれる。

韓国・ソウル。12歳のナヨンとヘソンはとても仲がいい。2人はともに成績優秀だ。ナヨンは無邪気に、「将来はヘソンと結婚する」などと言っている。とはいえ、それは幼い頃のありふれた関係のように思えた。

まもなく、ナヨンの両親がカナダに移住することになり、2人は離れ離れになる。その時のシーンが印象的だ。学校からの帰り道。今まで黙っていたヘソンが「サヨナラ」とだけ言って、分かれ道の片方に去っていく。ナヨンはもう一方の道へ去っていく。その後のドラマに続く余韻の残るシーンだ。

そして、話は12年後に飛ぶ。ナヨン(グレタ・リー)はニューヨークに移り、ノラと名を変えて作家を目指していた。一方のヘソン(ユ・テオ)は韓国で兵役につき、その後大学に進学していた。ヘソンはナヨンをネット上で探す。それを知ったナヨンはヘソンにメッセージを送る。それをきっかけに、2人はオンライン上で会話するようになる。

まるで12年の時がなかったかのように、2人はすぐに打ち解けて親密になる。2人ともお互いの関係が特別なものだと、心のどこかで悟っていたのだろう。だが、それでも乗り越えられないものがある。ニューヨークとソウルの距離だ。

ナヨンはヘソンがニューヨークに来てくれたらと願うが、ヘソンは上海への留学が決まっていてそれは難しかった。ナヨンとて作家への道が開かれつつある中で、ソウルに飛ぶことは難しい。2人はやがて疎遠になる。

それから12年後。つまり、12歳で出会った2人にとって24年後。ヘソンがニューヨークにやってくることになる。だが、ナヨンにはすでに作家の夫アーサー(ジョン・マガロ)がいた。2人は会うことにするが……。

下手なメロドラマならドロドロの三角関係になりそうな話だが、そうはならない。このドラマ全体に言えることだが、ごく抑制的なタッチで描かれている。そして何よりも繊細な描写が目に付く。セリフはもちろんだが、それ以外でもナヨンとヘソンの複雑な感情を実に鮮やかに切り取る。

カメラワークも巧みだ。切り返しの映像はほとんど使わない。例えば2人が会話するときに、片方の人物にカメラを据えて、その感情の揺れ動きをしっかりととらえる。大胆なそのカメラワークが、2人の微妙な距離感まで映し出す。愛する喜び、苦しさ、そして葛藤。

東洋的な情緒が漂うのも本作の特徴だ。ナヨンは「イニョン」の話をよくする。それは日本語では「縁」。「袖振り合うも多生の縁」ではないが、道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだという。もちろん西洋にもこうした考えはあるのかもしれないが、「イニョン」「縁」「前世」「来世」という言葉に東洋的な響きを感じずにはいられない。

ナヨンとヘソンはまさしく「イニョン」の関係だ。特別な人。言葉を変えて言えば「運命の人」なわけだ。お互いにそれを薄々感じてはいたが、ニューヨークでいろいろなところをめぐるうちに、はっきりとそれを自覚したのだろう。生き生きとした2人の姿からそれがわかる。そして「もしもあの時違った選択をしていたら」とつい考えてしまう。

ここで冒頭の場面が再び登場する。バーでヘソンとナヨンは韓国語で親しく会話をする。その時には、英語しか介さないナヨンの夫アーサーは置いてけぼりだ。だから、ナヨンが通訳して意味を伝える。それでもヘソンとナヨンの関係に、特別なものを感じ取ったアーサーは不安だ。

その後、ナヨンは帰国するヘソンを見送る。たとえ「運命の人」だとわかっていても、どうしようもないこともあるのだ。そこで無言で黙々と歩く2人をカメラがとらえる。別れ際、無言のまま抱き合う2人。もしも来世で出会ったなら……。

ヘソンが去った後、同じ道を帰るナヨン。そして彼女の涙。一方、タクシーからニューヨークの街を見つめるヘソン。2人はこれからも、お互いの存在を感じつつ、別々の人生を生きていくのだろう。

「大人のラブストーリー」という宣伝文句で語られている本作だが、そんな言葉が陳腐に感じられるほど深く、じんわりと胸にしみるドラマだった。中盤以降、切なさがどんどん募って、ラストシーンは胸が痛いほどだった。

肉体関係もなく、ずっと離れていた2人がこれほど惹かれ合うのを、不自然に感じる人もいるかもしれない。しかし、これが長編初監督作品のセリーヌ・ソン監督は、そんな2人の関係を不自然さを微塵も感じさせずに描き出している。聞けば自身の経験をもとにこのドラマを描いたという。物語の背景となるソウルとニューヨークの街並みもリアルに映し出されていた。

これと全く同じとは言わないまでも、似たような経験をした人も多いはず。かくいう私も……。というわけで、ますます切なくなってしまった。

ナヨン役のグレタ・リー、ヘソン役のユ・テオはともに素晴らしい演技。セリフとは違う感情を表現する演技は難しいはずだが、2人ともそれを軽々とやってのけている。グレタ・リーは韓国系移民2世で、アメリカで俳優をしているとのこと。ユはドイツ生まれで現在は韓国で俳優をしているとのこと。よくぞこの2人を起用したものだ。アーサー役のジョン・マガロも、妻を取られるのではないかと不安そうな(だからと言って暴力に訴えたりしない)演技が絶品だった。

アカデミー賞はじめいろいろな賞レースをにぎわせたのも納得の作品。製作はまたしてもA24(韓国との合作)。さすが目の付け所が違うよなぁ。過去に私が観た恋愛映画の中でも上位にランクされる作品。何回も観たくなる素晴らしい映画だった。

◆「パスト ライブス/再会」(PAST LIVES)
(2023年 アメリカ・韓国)(上映時間1時間46分)
監督:セリーヌ・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ、ムン・スンア、イム・スンミン、ユン・ジヘ、チェ・ウォニョン
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://happinet-phantom.com/pastlives/

 


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「オッペンハイマー」

オッペンハイマー
2024年4月2日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時35分より鑑賞(スクリーン8/I-20)

~天才物理学者の苦悩と葛藤の日々。映像の力に圧倒される


第96回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィー)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門を受賞した映画「オッペンハイマー」。これは観ないわけにはいかないだろう。というので行ってきたのだ。

原爆を開発した科学者の伝記映画だ。舞台は1920年代から50年代。アメリカは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに先駆けて原子爆弾を開発することを目標に極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を始動させた。そのリーダーには、天才物理学者ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)が任命される。彼はニューメキシコ州のロスアラモス研究所で原爆開発を進め、ついに世界初の核実験を成功させる。その後、広島・長崎に原爆が投下されオッペンハイマーは英雄となるが、戦後は核開発に反対して共産主義者と決めつけられて失脚する……。

本作は、日本の配給会社がなかなか決まらず公開が危ぶまれていた。配給会社が躊躇するのもわかる。原爆実験の成功を歓喜する人々の熱狂ぶりを見た時に、その後の広島・長崎の惨状を想起して背筋が寒くなった。

原爆投下後にオッペンハイマーらが被爆地の映像を見る場面があるが、その惨状は映さない。オッペンハイマーが、ただ目を背けてうつむく様子を見せるだけなのだ。アカデミー受賞式後に、「ゴジラ-1.0」の山崎貴監督が、「日本人として『オッペンハイマー』に対するアンサーの映画を作らなきゃいけないんじゃないか」と言ったのもよくわかる。

ただ、それでもこの映画を観ることができて良かったと思う。アメリカの世論や映画界の限界があったとしても、核の恐ろしさは十分に伝わってくる映画だった。「原爆投下のおかげで多くの命が救われた」というアメリカの常識(?)に対しても、けっして肯定的な描き方はしていない。現代の世界が直面する、核による平和がいかに危険で危ういものかを実感させるつくりだった。

それより何より、オッペンハイマーの人間ドラマとして見応え十分の映画だった。彼の複雑な側面をしっかりとスクリーンに刻み付けていた。

全体の構成は、時制を行き来しながらドラマを構築するクリストファー・ノーラン監督お得意の手法による。そこではカラーとモノクロが巧みに使い分けられている。

その軸になるのは2つの公聴会での会話劇だ。オッペンハイマー共産主義者の嫌疑をかけられた、いわゆる「赤狩り」の公聴会。そして、アメリ原子力委員会の委員長だったストロース(ロバート・ダウニー・Jr.)の公聴会。前者はなぜか狭い部屋で目立たないように行われるが、後になってそれが仕掛けられたものであることがわかる。

その合間に描かれるのは、オッペンハイマーのそれまでの人生だ。若き日にイギリスやドイツの名門大学に留学し、教職に就き、共産主義に傾倒する。その後、軍に請われて原爆開発に乗り出し、ロスアラモス研究所でくせ者揃いの天才たちをまとめて、実験を成功させる。そうした様子をテンポよく描き出す。

その中では彼の女性関係も描かれる。妻キティ(エミリー・ブラント)、元恋人ジーン(フローレンス・ピュー)とのもつれた関係だ。二人の女性ともかなりアクが強い。それに翻弄されるオッペンハイマーの苦悩と葛藤をあぶり出す。

正直なところ前半は、大量の科学者が登場し物理の専門的な話も多く、ついていくのが大変だった。しかし、それを乗り越えると、中盤以降はどんどんドラマに引き込まれた。

オッペンハイマーは天才物理学者であっても、弱さと未熟さを持つ人間だ。若き日の彼は自分を邪険にした人物を毒リンゴで殺そうとする。その後は学問に励み、政府の取り立てで原爆開発に邁進するが、その心は次第に揺れてくる。自分の開発した「大量破壊兵器」の威力におののくようになる。

その描写を支えるのが映像の力だ。序盤からテレンス・マリック監督ばりの美しすぎる映像が目を引くが、何といっても最大の見せ場はトリニティ実験の核爆発の映像である。スクリーンがすさまじい光と炎、そして完全な静寂に包まれる。その破壊力ときたら「とんでもないものを見た」と思わせるほどだ。CGを使わずにIMAX用の65ミリフィルムで撮影したというが、それだけで核の恐ろしさを見せつけられた。

実は今回私が鑑賞したのはIMAX上映。IMAX用に撮影された映画をIMAXのスクリーンで観るのはたぶん初めての経験だと思う(普通の映画をIMAXスクリーンで観たことはあるが)。それだけに、なおさら映像の力を実感した。

終盤、それまでの時制をバラした映像の持つ意味が明らかになり、物語は一つに収斂される。孤独な男の末路は、お気楽な英雄物語とは違い苦さに満ちたものだった。同時に、彼を追い落とそうとしたストロースにもハッピーエンドは訪れない。このエンディングも示唆に富むものだった。

俳優陣の演技もすごい。主演のキリアン・マーフィをはじめ、エミリー・ブラントマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネットケイシー・アフレックラミ・マレックケネス・ブラナーなどなど。観ただけでは「あなた誰?」と思ってしまうほどの化け方をした人も多く、その熱の入った演技に圧倒された。

ちなみに、アインシュタイン役のトム・コンティは、「戦場のメリークリスマス」のロレンス役だった人なのね~。

この超豪華俳優陣も含めて、完全にアカデミー賞を狙ったと思える映画。その思惑通りに受賞してしまうのだから、凄い映画なのは間違いなし。3時間の長尺をまったく感じさせなかった。ノーラン監督の集大成的な作品といえるかもしれない。

天才物理学者の苦悩に満ちた人生を描き出し、核の恐ろしさと赤狩りの恐怖を見せつけた本作。内容に賛否はあるにしても、見逃す手はありませんぞ。できればIMAXで。

◆「オッペンハイマー」(OPPENHEIMER)
(2023年 アメリカ)(上映時間3時間)
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラントマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネットケイシー・アフレックラミ・マレックケネス・ブラナー、ディラン・アーノルド、デヴィッド・クラムホルツ、マシュー・モディーン、ジェファーソン・ホール、ベニー・サフディ、デヴィッド・ダストマルチャン、トム・コンティゲイリー・オールドマン
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.oppenheimermovie.jp/

 


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「12日の殺人」

「12日の殺人」
2024年3月29日(金)新宿武蔵野館にて。午後2時10分より鑑賞(スクリーン2/C-8)

~迷走する殺人事件の犯人探し。刑事たちの人間ドラマに妙味アリ

ドミニク・モル監督の「悪なき殺人」(2021年)は、ある失踪事件を軸にした5人の男女の物語でなかなか面白かった。そのモル監督の新作が「12日の殺人」だ。

2016年10月12日の夜。21歳の女性クララが、何者かにガソリンをかけられ、生きたまま焼き殺される。さっそく捜査が開始され、殺人課の班長に昇進したばかりのヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いるチームが捜査を開始する。ヨアンとベテラン刑事マルソー(ブーリ・ランネール)は聞き込みをするが、その中でクララが複数の男性と関係を持っていたことが明らかになり、相手の男たちが次々に捜査線上に浮上してくる。だが、決定的な証拠はなく、犯人逮捕に至らないまま時間だけが過ぎていく……。

この映画は実際に起きた未解決事件がもとになっている。映画の冒頭でその旨が告げられる。つまり、犯人は見つからないのだ。だから、犯人探しにはあまり期待しないほうが良いだろう。

とはいえ、それなりにミステリー的な魅力もある。ヨアンたち刑事が殺されたクララの交友関係を洗ううちに、様々な怪しい男たちが疑惑の俎上に上る。だが、決定的な証拠は出てこない。刑事たちはどんどん混乱の渦に巻き込まれていく。その経緯を緊迫感たっぷりに描き出す。

しかし、それ以上に重点を置いて描かれるのが刑事たちの人間模様だ。未解決事件を捜査する刑事たちを描いたドラマには「ゾディアック」(2007年)、「殺人の追憶」(2003年)などがあるが、いずれも犯人探し以上に人間ドラマに妙味がある。

本作の冒頭では刑事のヨアンが公道ではなく、トラックを周回しながら自転車を走らせるシーンが映る。彼はストイックで、何もかもキッチリしないと済まない性格だ。

続いて映るのは殺人課の班長が定年で退職するのを、みんなでお祝いするシーン。ヨアンは彼から班長を引き継ぐ。その晴れやかで明るいシーンが、その後の捜査の混乱ぶりと鮮やかなコントラストを成す。

捜査が進むにつれて刑事たちの心理も露わになる。特に、ベテラン刑事のマルソーは妻が不倫をして、離婚を突きつけられている。その苦悩が捜査にも影を落とす。家に帰れないマルソーをヨアンは自宅に泊めるが、そこで両者の性格の違いが明らかになる。

捜査は何度もゴールに近づくが、そのたびに振出しに戻る。ヨアンの焦燥感はどんどん高まっていく。

それ以上に焦り、イラついていたのがマルソーだ。彼は私生活のトラブルも相まって、ついにブチ切れて独断でとんでもない行動に出る。それをヨアンは必死で押しとどめる。

もう一つ、この映画で注目すべきことがある。ジェンダーの問題だ。捜査にあたるチームは全員が男で、配属された新人刑事がからかいの対象にされるなど体育会的な体質を持つ。そんな男優位の状況は捜査の局面でも顔をのぞかせる。

映画の中盤で、クララの友人が刑事たちに何度もクララの男関係を尋ねられて、「彼女は女だから殺されたのだ!」と反論する場面がある。犯人を突き止めるためとはいえ、クララの男性関係が容赦なく暴かれることに異議申し立てをするのだ。

そしてもう一人、男社会に疑問をさしはさむ女性が出現する。クララの事件は犯人が捕まらないまま、予算の関係もあって捜査が打ち切りになってしまう。しかし、その3年後、新任の女性判事が再捜査を命じて再び動き出す。

再捜査にあたるのはもちろんヨアンたちだが、そのチームにはすでにマルソーはいない。代わりに女性刑事がチームに加わっていた。その彼女は捜査の途中でズバリと言う。「警察組織は男社会だ。犯人も男。そしてそれを捕まえるのも男だ」と。これぞまさに今の社会のカタチを的確に言い表した言葉ではないか。本作はジェンダー的視点を持った現代社会を投影した映画だと言える。

その3年後のドラマには、犯人探し的な盛り上げもある。クララの墓に仕込まれたカメラにある男が映っていたのだ。こいつが犯人なのか!? 

そして、最後はヨアンがトラックではなく、公道に初めて自転車を漕ぎだす。それは彼が新たな人生を踏み出そうとしていることに加え、これからの社会もまた新たな展開を見せることに期待しているともとれる場面だ。

犯人探しの妙味はイマイチだが、刑事たちの人間ドラマには見どころがある。背景に男社会の弊害を描いた点も見逃せない。フランスのアカデミー賞と言われるセザール賞で、最優秀作品賞をはじめ6冠を受賞したのも納得。

◆「12日の殺人」(LA NUIT DU 12)
(2022年 フランス)(上映時間2時間1分)
監督:ドミニク・モル
出演:バスティアン・ブイヨン、ブーリ・ランネール、テオ・ショルビ、ジョアン・ディオネ、チボー・エヴラール、ポーリーヌ・セリエーズ、ルーラ・コットン=フラピエ、ピエール・ロタン、アヌーク・グランベール、ムーナ・スアレム
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://12th-movie.com/

 


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「変な家」

「変な家」
2024年3月27日(水)TOHOシネマズ日本橋にて。午後6時50分より鑑賞(スクリーン9/D-10)

~変な家というよりは変な一族の話。怖くなくてむしろ笑っちゃいました

何だか知らんが、月に一度3~4人が集まって映画を観る会を開いている(本当はその後に飲むのが目的ではないかと疑っているのだが……)。基本的に映画選びは人に任せているので、私の趣味とは違う作品が選ばれることも多い。今月選ばれたのは「変な家」だ。

違和感だらけの変な間取りの家を追ったYouTube動画をもとに、動画制作者・雨穴が書いた小説「変な家」を映画化したらしい。

オカルト専門の動画クリエイター雨宮(間宮祥太朗)は、マネージャーから引っ越し予定の一軒家について相談を受ける。それは変な間取りの家だった。そこで雨宮はミステリー愛好家の設計士・栗原(佐藤二朗)に間取り図を見せて意見を求める。次々と浮かび上がる奇妙な違和感から、栗原はある恐ろしい仮説を導き出す。そんな中、変な家の近くで死体遺棄事件が発生。雨宮は事件と家の関連を疑い、一連の経緯を動画で投稿する。すると、動画を見た宮江柚希(川栄李奈)という女性から、この家に心当たりがあるという連絡が入るのだが……。

オカルト専門の動画クリエイター雨宮が、動画配信をしている場面からドラマが始まる。雨宮に対して、マネージャーは最近再生回数が少ないと告げる。

何だ? このド下手な演技をするマネージャー役の役者は? DJ松永? CreepyNutsの?

だってセリフを棒読みなんだもの。一気に観る気が失せましたよ。「まあ、でも、この先は面白くなるのかもしれない」と気を取り直して鑑賞続行。

マネージャーは雨宮に変な間取りの家について相談。雨宮は知り合いの設計士、栗原に意見を求める。栗原はその家は「殺人を実行するための家」ではないかと言い出したのだ!

これはもうホラー映画になるしかないでしょう。その通り、血のりのついた能面をかぶった何者かが雨宮たちを襲うという恐怖の場面が登場。しかしなぁ、単発の怖さはあるけれど長続きしないのよ。ほら、Jホラーの魅力って、そのものズバリの怖さよりも、不穏さや不気味さがズンズン積み上がっていくところに特徴があるでしょう。それがまったくないから物足りないんだよなぁ。

その後、雨宮や柚希は問題の変な間取りの家に侵入。そこでは、雨宮が撮影する動画カメラの映像を繰り出すなど、それなりの工夫もあってなかなかのスリルが味わえます。

しかし、柚希の母親(斉藤由貴)が出てくるあたりから、何だかドラマは変な方向に走り出す。

え? これってそういう話だったの? 変な家じゃなくて、変な家族、あるいは変な一族、もしかしたら変な村の話じゃん。

というわけで、ドラマは柚希の家族模様から、その本家筋の物語に発展する。そして、絵に描いたように怪しい本家の家族たちが登場。ステレオタイプなその造形に、怖いどころか思わず笑ってしまいました。

おまけに当主が女中を妊娠させて、家族がよってたかっていじめるなんて、横溝正史の小説に出てきそうな話。これって「犬神家の一族」かよ!

しかしなぁ、奇怪な風習というか、儀式というか、それが現代にも残っているとは、どう考えても納得できん。あんなことしてたら、とっくに警察に捕まっているだろ。

呪われた村といえば、何といっても韓国映画「哭声 コクソン」を思い起こすのだが、あれほどの怖さや不気味さもないし。

終盤は本家の家でのバトル。刀はもちろん、猟銃まで出てきてあわやの場面の連続。ここはまあ、それなりにハラハラします。

その後もすったもんだあって、最後は親子の情愛を訴えるかと思ったら、雨宮の家が変だという話になり、挙句は平穏を手に入れたはずの家族が実は……という展開。だらだらと締まりのないエンディングで、「まだ、あるのかよ!」と叫びそうになったのである。

いやぁ、怖いはずの映画がそれほど怖くもなく、あまりのやり過ぎ感に笑ってしまいました。そういう意味で逆に楽しめたのかも。

この映画で私が感心したのは美術。変な家の造形はもちろん、本家筋の儀式にまつわるグロテスクなアイテムなど、手の込んだ作りで感心した次第。美術さんに拍手!

さらに加えてこの豪華キャストよ。間宮祥太朗は相変わらずいい男だし、佐藤二朗は相変わらずヘン。川栄李奈は何でもこなすし、瀧本美織もいい味を出している。しかし、斉藤由貴はどう考えても無駄遣いだろ。あんなメチャクチャな役をやらせんでもいいものを。それにしても根岸季衣高嶋政伸石坂浩二はどこに出ていたんだ? あ、もしかしたらあの本家筋の人々かしら……。

うーむ、日本にもラジー賞ことゴールデンラズベリー賞(最低映画賞)があったら受賞確定か!? でも、まあ、何も考えずにポップコーン片手に楽しむには、十分な映画でしょう。天下の東宝がこんなB級テイスト満載の映画を作るのも面白い。

◆「変な家」
(2023年 日本)(上映時間1時間50分)
監督:石川淳一
出演:間宮祥太朗佐藤二朗川栄李奈長田成哉、DJ松永、瀧本美織根岸季衣高嶋政伸斉藤由貴石坂浩二
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://hennaie.toho.co.jp/

 


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「ペナルティループ」

「ペナルティループ」
2024年3月23日(土)シネマロサにて。午後2時20分より鑑賞(シネマロサ1/C-8)

~タイムループものの新機軸。復讐の意味を問う

イムループものの映画は数あれど、当たりハズレがけっこう激しい。最近では「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」はなかなか面白かったが、配信で観た「リバー、流れないでよ」は中盤ちょっと飽きてしまった。同じことの繰り返しだから、そこに何か工夫がないとね。

「ペナルティループ」もタイムループものの映画。はたして、そこに何か工夫はあるのか?

冒頭は幸せそうなカップルの朝が描かれる。岩森淳(若葉竜也)が目を覚ますと、砂原唯(山下リオ)はすでに出かける支度をしている。岩森は「行かないで」と甘えて唯に抱きつくが、唯はそれをなだめて出かける。

その後、岩森は趣味らしい模型作りをし、やがて夕食の準備をする。唯の帰りを待ちながら本を読んでいると、そこに悲報が届く。何と唯らしい人物が殺害され、その死体が発見されたというのだ。現場に出かけて身元を確認する岩森。死体はやはり唯だった。取り乱す岩森。

イムループものと聞いているからSFなのだろうが、ここまではシリアスでサスペンスフルな展開だ。異様な緊迫感に包まれている。

それにしても、私の好きな山下リオがこんなに早く消されるとは……。「三井のリハウス」12代目リハウスガールだぞ! 彼女が出ているのもこの映画を観にきた理由の一つなのに、どうしてくれるんだ! いや、実はその後も彼女は出てくるんですけどね(笑)。

続いて映し出されるのは6月6日の朝。「おはようございます。6月6日、月曜日。晴れ。今日の花はアイリス。花言葉は『希望』です」という時計の声を聞きながら、岩森が目を覚ます。

岩森は車で職場に出勤して仕事をする。それは植物工場の仕事だった。そして、工場にやってきた素性不明の男・溝口(伊勢谷友介)を、綿密な計画のもとに殺害し、遺体を池に沈める。彼こそが唯を殺した犯人だったのだ。

だが、翌朝目覚めるとそれは同じ6月6日の朝。またしても「おはようございます。6月6日、月曜日。晴れ。今日の花はアイリス。花言葉は『希望』です」という声を聞きながら、岩森は目を覚ます。そして、周囲が昨日のままであることに戸惑いつつ職場に出かける。殺したはずの溝口は生きている。岩森はまたしても復讐を繰り返す。

というわけで、岩森が溝口を殺して復讐を果たす6月6日が何度も繰り返されるのだ。そのたびに岩森は溝口を殺す。工場の無機質な空気感も手伝って、うすら寒い風がスクリーンを吹き抜ける。音楽も何やら不気味だ。

その合間には、岩森と唯の不思議な出会いも描かれる。唯は何か秘密を抱えているらしかった。岩森は彼女にひたすら寄り添う。

それと同時に、不思議な書類を前にした岩森も映る。この時は何が何だかわからないのだが、後々になってこれが伏線であることがわかる。

6月6日のループは続く。ここで次第に岩森と溝口の関係が変化する。何しろ岩森は何回も溝口を殺すし、溝口は岩森に何度も殺されるのである。どうしたって普通の関係ではいられない。

なぜか2人はボウリング場へ行って、ボウリングをする。溝口はうまいが岩森はガーターばかりだ。溝口は岩森にボウリングを教える。復讐する方とされる方が親しく接してしまうのだ。

その果てにやはり岩森は溝口を殺害するのだが、それは最初の刺殺とは違う殺害方法によるもの。その後も殺害方法は変化し、岩森と溝口はより効率的な殺害方法を2人で模索する。最初は殺されることなど予期していなかった溝口だが、そのうちに自ら覚悟して殺されるようになる。

ここに至ってドラマはシリアスなサスペンス、あるいはミステリーから、笑いに満ちたブラックコメディへと転化する。序盤の展開からは予想がつかない方向へと走り出すのだ。

そして明らかになるのが、主人公の岩森が自らこのタイムループを選択したということ。この設定が見事にはまっている。

そして終盤は、タイムループとは別のSFチックな展開に突入。ますます予想がつかない展開で、「え? そうくるの?」と驚くばかりだった。

正直なところ唯と溝口の素性は最後までわからず、唯の抱えた秘密も曖昧なままだ。溝口に至ってはただの殺し屋に見えないこともないなど、突っ込み不足なのは明らか。そのため観終わってモヤモヤするのだが、もしかしたらそれは荒木伸二監督の意図したものなのかもしれない。だとしたらまんまとその術中にはまったわけだ。

荒木監督の前作「人数の町」は未見だが、やはりこちらもユニークなSFらしい。脚本・演出ともになかなかの腕前と見た。

本作のテーマは復讐だろう。実は劇中でアイリスの花言葉が「希望」だと紹介した後に、黄色いアイリスの花言葉は「復讐」だと告げている場面がある。そうなのだ。本作では復讐の持つ意味や、人が人を殺すことの本質を問うているのだ。岩森の持つ復讐心は、観客にとっても無縁ではないはずだ。

それにしてもユニークなドラマだ。タイムループという手あかのついたネタをひとひねりして、SFを基調にサスペンス、ミステリーからブラックコメディまで様々な色調に色合いを変化させる。時間が経てば経つほど余韻の残る映画だった。

若葉竜也は相変わらずいい味を出している。伊勢谷友介の不気味さも印象的。そして山下リオの謎めいた魅力が、本作を支えているのは言うまでもないだろう。

◆「ペナルティループ」
(2024年 日本)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:荒木伸二
出演:若葉竜也伊勢谷友介山下リオ、ジン・デヨン、松浦祐也、うらじぬの、澁谷麻美、川村紗也、夙川アトム
新宿武蔵野館、シネマロサほかにて公開中
ホームページ https://penalty-loop.jp/

 


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