日本全国まちめぐり

日本のすべての市に行くのが目標です

群馬県高崎市:シティハント上信編

(135/815)

これからしばらく高崎をベースに群馬県の旅です。

高崎は群馬県の交通の中心地です。勤めていた会社の工場の一つが近くにあったので、新幹線から在来線の乗り換えでよく通っていましたが、駅の中だけで街を歩いたことはありませんでした。

高崎駅前は人口36万人の大都市らしい雰囲気です。

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駅近くにはこれといった名所もありませんので、滞在した駅前のホテルから朝の散歩で高崎城址公園まで歩くことにしました。

城址に建つ立派な市庁舎。

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城址の一部には堀も残っていました。

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隣には広い公園があります。
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公園を抜けると烏川がゆったりと流れています。広々とした風景です。天気が良ければ浅間山が見えるんでしょうね。

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気持ちの良い散歩でした。高崎はゆったりとした住みやすい街のように思えました。

 

三重県志摩市:シティハント三重県編

(134/815)

志摩市には伊勢志摩サミットの頃に行った記憶があるのですが、その時撮った写真が見つかりません。仕方がないので写真を撮りにもう一度賢島へ。

これが2016年サミットの会場になったホテルです。

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日本を代表するリアス式海岸の風景に囲まれています。

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この美しい風景と、島なので警備し易いという理由でサミット会場に選ばれたのでしょうが、潜って侵入しようとするテロリストに対してはどんな対策が採られたのだろう。水中ソナー?島を網で囲む?・・妄想が膨らみました。

近鉄賢島駅に戻り反対側に出ると土産物屋や真珠のお店が並んでいます。でも営業している店はわずかで寂れた雰囲気でした。

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ちょうど湾めぐりの観光船が帰って来ましたが乗客はわずかでした。
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帰りの電車まで間があったので、お店の通りの裏山にある円山公園に上りました。

上り道は落ち葉がいっぱいだったので荒れているかもと思いましたが、公園はわりと綺麗に整備されていました。

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園内には養殖真珠の発明者を讃える碑とアコヤガイの供養塔がありました。

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讃える碑より供養塔の方が大きく、また花やお供え物があって大切にされている印象でした。真珠養殖のために命を落としたアコヤガイへの感謝が感じられて何かホッコリしました。

 

三重県鳥羽市:シティハント三重県編

(133/815)

鳥羽市では特にどこかに行くのではなく、鳥羽湾沿いを鳥羽駅から次の中之郷駅まで、風景を眺めながら歩くことにしました。

歩き始めるとミキモト真珠島が見えて来ます。御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した場所です。

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真珠島には橋で渡ることかできます。橋のそばまで来ると遠くに鳥羽水族館が見えて来ます。

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ここからは海岸を離れて水族館の前を通りました。

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水族館の前を抜けて再び海岸へ。岸壁に海上保安庁の船が停泊していました。

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ここから鳥羽湾の入口の方向を見た景色です。外海は見えません。

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岸壁から中之郷駅はすぐでした。駅の陸橋から見た鳥羽湾の一番奥です。

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天気が良く美しい鳥羽湾を眺めながら気持ちの良いウォーキングでした。

 

 

 

 

三重県伊勢市:シティハント三重県編

(132/815)

伊勢市は何度か車で通過していましたが、どこにも行ったことがありませんでした。従って行き先は迷うことなく伊勢神宮

外宮までは近鉄伊勢市駅から歩きました。後で行った内宮に比べると人はぐっと少ない感じでした。

長い参道の奥、下宮の正宮です。

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隣にある、式年遷宮以前に正宮があった場所。
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私は今の正宮より何もないこちらの方にパワーを感じました。変なのかな?

外宮から内宮へはバスで行きました。入口にある宇治橋

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五十鈴川の御手洗場。
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内宮正宮。
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神とは何か、神道とは何かをいろいろと考えさせる場所でした。

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最後におかげ横丁を少し歩いて、バスで五十鈴川駅に向かいました。

三重県鈴鹿市:シティハント三重県編

(131/815)

鈴鹿と言えば鈴鹿サーキットなのですが、駅近にこだわる私は白子駅で降りて白子港へ。

本能寺の変の後、直前まで織田信長に招かれていた徳川家康は、明智光秀の手を逃れて伊賀を越え白子港から三河へ・・神君伊賀越えの白子港に行こうと思ったのです。

ですが調べ出すとここにはもう一つ面白い歴史がありました。幕末に白子から江戸に向かっていて暴風にあいアリューシャン列島に漂着し、紆余曲折の後なんとロシア皇帝エカチェリーナ2世に謁見し、許されてまだ鎖国時代だった日本に帰国するという波乱の人生を歩んだ船頭大黒屋光太夫はこの港を出港していたのです。井上靖の小説「おろしや国醉夢譚」に描かれています。

まずは白子港。

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大きな漁港という感じです。この港の南側に伊勢湾に面した白子港緑地があり、そこに大黒屋光太夫のモニュメントが立っています。

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抽象的な造形で予想していたイメージとは違いました。

そばの桟橋ではおじいさんが釣りを楽しみ

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その先には砂浜が広がって

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砂浜の陸側にはハマダイコンの花。

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なんとものどかな風景でした。

ここを出る時に大黒屋光太夫は、当時の航海ですから遭難することがあるくらいは考えていたでしょうが、実際に遭遇することになる波乱の人生など想像も出来なかったでしょうね。

 

三重県津市:シティハント三重県編

(130.815)

津市の主要駅は津駅で三重県庁も津駅の近くにあります。でも津駅の近くにはこれといって行きたい所が見つからなかったので、隣の津新町駅で降りて津城跡に行くことにしました。

津新町駅から津城跡まで歩いて10分ほどでした。津城は場内に銅像が立っている藤堂高虎が改築した城で、石垣や内堀が残っていますが建物は再建された角櫓が残っているだけです。

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城跡のすぐそばには立派な津市役所がありました。

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ここである疑問が。城の周りにたっぷり空間があるのに、なぜ官庁一等地のここに県庁が無いんだろう。

まだ時間があったので、ここから津観音三重県庁を経て津駅まで歩くことにしました。まず津観音

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さらに進むと川向うの山の上に県庁が見えて来ます。

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坂道を上ると県庁が見下ろすように建っています。

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ここでふと感じました。この県庁は津城を見下ろすためにここに置かれたのではないか。明治初期に三重県庁がここに置かれる頃に、明治政府か三重県知事と旧津藩士との間に何か対立があったのではないか。

調べてみたのですがそれらしきものは見つかりませんでした。どなたかご存知ありませんか?

 

三重県松阪市:シティハント三重県編

(129/815)

松阪市では松坂城跡に行きました。あれ、市と城でサカの字が違うけどどっちが正しいの?

どちらも正しいのです。城が出来た時名付けられたのは松坂、当時は大阪も大坂だったそうです。明治に市となる頃には大坂は阪になっていたのて松坂も阪の字にしたそうです。でも城の名前はずっと使われて来た坂のままです。

実は行くまでは松阪と言うと松阪牛という程度の知識で、駅近では他に名所も無いので城に行ってみようという気持ちでした。ところが城に向かう途中の風情のある町並みにまずびっくり。

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松阪は江戸時代は商人の町で、三井家発祥の地でもあるのですね。商家の生まれで後に国学の大家となる本居宣長宅跡もありました。

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城は蒲生氏郷が築城した平山城で美しい石垣が印象的でした。

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松阪は紀州徳川家が出来るとともに飛び地の紀州藩領となり、紀州藩の代官が統治していました。

松坂城の裏門を出ると御城番屋敷と呼ばれる一角があります。松坂御城番という役職の武士20人とその家族が住んでいた長屋状の屋敷で、今もその子孫の方が住んでおられたり維持管理されているそうです。国の重要文化財になっています。

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そのうちの一軒の内部が公開されていました。

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御城番屋敷の通りを抜けた所から御城を振り返った写真。

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松阪は私が知らなかっただけで、意外にも歴史の深みを感じられる町でした。