自担に出逢ったあの日のこと

8月17日。私にとって決して忘れられない大切な1日となったあの日のこととこれまでをしっかりと残しておきたくて、ちょうど1年経った今、完全に休眠状態にあったこのブログに戻ってくることにした。

 

思い出を残したい、といっても正直あの日の記憶は全てが断片的で朧げな記憶ばかり。

一緒に行こうと約束していた友人は仕事でどうしても開演には間に合わないということで同行者を募ってエスカレーターの前で待ち合わせをしたこと。夏は常にカラーワンピースしか着ないから、敢えて他のメンバーのメンカラを着ていくのもなんだし…と普段着の赤いワンピースを着て行ったら予想外にメンカラ主張が激しくなってしまって着てこなければよかったと後悔したこと。刺すような日差しの中で日焼け止め塗って来ればよかったと更に後悔を重ねながら開場を待ったこと。同行した方に「宮近担でいらっしゃいますよね?」と聞かれて「はい」と答えたものの、内心ではあくまでもJr.の中での推し、御贔屓、ファンであって私みたいのが担当を名乗るだなんてそんな痴がましい…でもまあ否定するのもおかしな話だし…などと思っていたこともはっきり覚えている。開場して印刷されたチケットを手に座席へ向かってみたら、Bステージがすぐ目の前に迫るど真ん中の座席で、あまりの良席に震えたこと。この近さでは中継に映り込んでしまうのでは…と動揺したこと。(結果的には大丈夫だったみたいでよかったです、本当に。)うちわもペンライトも持って無い私に同行の方がご親切にもペンライトを貸して下さり、開演までの間赤いライトの付け方を練習したこと。

開演前のことは今でも色々と蘇ってくるのに、肝心の公演中の記憶は悲しいかな本当にわずかしか残っていない。 

はっきりと忘れられない光景として覚えているのは、まっすぐにこちらを射抜くように見つめる視線。自分のすぐ後ろに位置するカメラのレンズを見つめているのだと頭ではわかっているのに、自分を見つめているのではと錯覚してしまうほどのその強い目力に開演直後から身動きが取れず固まってしまった。Happy Groovyでどんどんとこちらへ迫り来るムービングステージにどうしようどうしようと混乱して半分パニックに陥ってしまったことも覚えている。

すぐ手が届いてしまうほどの距離で披露された宇宙に行ったライオンでは、飛び散る汗まで全てが輝いて見えてあまりの神々しさに呆然と見つめていたことを今も鮮明に覚えている。二度ほどちらりと視線が合ったような気がしたけど、もしかしたらそれも気のせいかもしれない。何せずっと動揺しっぱなしだったから。叫ぶように「限界なんか壊して」と歌う元太くんの歌声が響く中、普段なら視線が合う気恥ずかしさからすぐに目を逸らしてしまいがちな自分が、ただ食い入るように宮近くんだけを見つめていた。宮近くんから目を離すことが出来なかった。

メインステージで披露されたVOLCANOではあれだけの距離があるにもかかわらず、あまりの迫力に気圧されて後ろに倒れ込みそうになったことは今でも思い出せる。

でもこれがあの日の思い出の全て。あとのことはほとんど具体的には思い出すことができない。ただ終演後からずーっと熱に浮かされたような状態で、夢心地のまま数日を過ごしたことは覚えている。確か帰宅してからは延々とYouTubeのジャニーズJr.チャンネルを再生しながら寝落ちたはず。そしてもうひとつ覚えているのは、今日から恐れることなく「宮近担です」と名乗って行こうと決意したこと。

 

そもそも、幼い頃にジャニーズを好きになってから長いブランクを経てJUMPのファンとして舞い戻ってきたこのジャニオタ人生の中で、一度たりとも誰か個人を担当として応援をしてきたことが私にはなかった。その時々で御贔屓は居たとしても、あまり個人に思い入れは持たないようにしてきた部分がある。特にJr.に関してはいつ何時、何が起こってもおかしくない対象にあまり入れ込み過ぎないように自制を心がけていたし、日々に彩りを与えるちょっとした楽しみを体験できるコンテンツとして一定の距離感を保つことを意識してきた。

 

宮近海斗という存在に初めて出会ったのは2015年3月1日のこと。出会った、とは言っても実はほぼ記憶がない。約10年ぶりにジャニオタに戻り、今のJr.の子達はどういうことやってるんだろうと興味本位でドラマ「お兄ちゃん、ガチャ」を観たのがこの日だった。ただオタクとしてのリハビリ真っ只中の時期だったのでジャニーズ × 野島伸司のトンチキワールドに全くついて行けず途中でチャンネル変えてしまったのでほとんど記憶がないし、出演者のこともほぼ個体識別すらしていないレベルで、唯一覚えているのは松田元太さん演じるネガという役のことだけ。(ご本人はネガどころか超絶ポジであることを知るのはだいぶ先のこと。)後に宮近担となってからBlu-ray Boxを購入することになるわけですが、まあその時はそんな未来が待っているとは露知らず、レイくん役を演じている宮近さんのことも名前すら認識していままでの初めての出会いだった。

宮近さんを初めて認識したのはいつだったのか記憶が定かではない。どこからか流れてきたのか動画サイトでたまたま目にしたのか、2013年7月少クラで披露されたちゃか松松3人でのShelterを見てめちゃくちゃ好みの踊りをする子がいる!と思ったことだけは覚えてる。

その後、滝CHANnelでトラジュクリエのダイジェスト映像に巡り合うことになる。これがどうやら2015年6月のこと。この年のクリエでの他のグループの映像を観た記憶は全く残っていないから、最初から宮近くん目当てで動画を再生した可能性はある、けどまあ当然細かいことは何も覚えてはいない。ただ、冒頭のス・リ・ルのイントロでの音ハメに衝撃を受けて、何度も何度も数え切れないくらい見返したことは明確に覚えてる。恐らくこの頃から宮近担の方のTwitterアカウントをフォローし始めて、彼の情報を集め動向を追い始めたのかなと思う。雑誌を買えば必ず宮近くんの記事は読んでいたし、ガムシャラではチーム覇を応援して、色々な現場レポを読み漁った。紅ショウガ衣装とか一度も目にしたことがないのに、めちゃくちゃ懐かしい想い出として今でも蘇ってくる。

この頃の宮近くんはトラジャとしての括りでの活動以外にもセクボの括りでもまだ雑誌に出ていた頃で、あまりグループ自体や“あらちか”というコンビにも特に思い入れはないまま、最高に好みのパフォーマンスをするJr.の子として彼個人を応援していた。古のオタクの習性でJr.内ユニットは結成と解体が繰り返される運命、決して執着してはならないと自らに言い聞かせていた部分はどこかあるかも知れない。彼のパフォーマンスを見続けていきたい、だからそのためには何らかの形でデビューしてほしい、そう願っていたからきっとセクボの5人でいた方がデビューにはより近いのかな~なんて思ってたりもした頃。

その後はTravis Japanはメンバー脱退が相次ぎ、この先宮近くんはどうなっちゃうんだろうと気を揉みながら、こんなにも才能溢れるパフォーマーを埋れさせるなら本当に事務所見る目ないぞ!と思いつつ雑誌やテレビを通じて茶の間ファンを継続していた。グループには思い入れを持たないようにしていたとはいえ、美勇人くんは宮近くんの次に好きなパフォーマンスをする人だったので、グループ兼任から脱退への流れはそれなりにしんどくて、心穏やかに居たいがために敢えて情報を遠ざけたりもしてみた。

もともと移り気かつ御贔屓はたくさん抱えた方が喜び2倍、悲しみ半分の信条を掲げながらオタクをやってきたので、JUMPファンを満喫しながらB少年の活躍に心躍らせたりもしつつJr.界隈を眺めながら過ごした2017年。松松の加入はとてもうれしかった。非常に冷淡な言葉になってしまうけれど、これで生き長らえたなと思った。私は一日でも長く彼のパフォーマンスを見続けたいと思っていたし、そのためにはやっぱりTravis Japanがグループとして活路を見いだしていくことが不可欠だとこの頃には思っていたから。その年の12月には舞台「太陽のかわりに音楽を」観劇。初めて生きて動いている宮近くんを見てとても満足したとともに、いつかこの眼で舞い踊る姿を見られますように…と切に願った。

そして念願叶って初めてTravis Japanの現場に赴いたのは2018年3月26日 横浜アリーナで行われたジャニーズJr.祭 2018。

今も変わらずだけど、語彙力がなさ過ぎて具体的には何も伝わってこない残念なつぶやき。でもこのときTravis Japanのグループとしてのパフォーマンスを、Travis Japan宮近海斗をもっとずっと見ていきたいと思ったことだけは確か。私の見たい宮近くんはTravis Japanとともにあると思ったからこそTravis Japanのファンになれた。それでもやっぱり担当を名乗るだけの勇気も覚悟もまだ持てなかった。

その後は残念ながらなかなか現場にはご縁がなくドラマ出演を喜んだり、舞台「今を生きる」を観に行ったり。オリジナル曲と衣装も増えていって、グループとしての成長を感じていたし、時折TVで見られるパフォーマンスを純粋に楽しんでいた。スノストトラ3組で括られると若干弱さを感じる部分もあったから、扱いの差もそれほど気には病んでいなかった。私はトラジャの謙虚さや品のいい優しく暖かい雰囲気、貪欲になりきれない控えめなトラジャが好きだった。でもステージ上パフォーマンスでは絶対負けてないって思っていたけど。

2019年、Snow Manに新メンバーが加入して、何か色々動きそうな気配を感じる中、忍者のころの面影がないほど見事な成長を見せたラウールくんのパフォーマンスに度肝を抜かれて、またしても贔屓が増える。

そして8月8日。おそらくスノスト関連でなにか新たな発表がありそうという気配を察知しながら配信が始まるのを今か今かと待ちわびていた。宮近さんとTravis Japanのパフォーマンスはもちろん楽しみだったけど、ほぼ初めて目にすることになるラウールくんの踊りがどんなものなのか胸を躍らせていた。オープニングでドームを煽る宮近さんかっこいい!となりながらもスノストはどうやって登場するんだろう、この登場の仕方はなにか特別なことが用意されてるに違いないと思いながら画面を見つめていた。予想はしていたはずだった。だけど実際に両グループのデビュー発表を目の当たりにして、スーッと心が冷え切っていくのがわかった。呆然と画面を眺めながら自分自身の感情の落差に全然ついていけなかった。Fire Beatは直視することがあまりにつらくてトイレ休憩を一旦挟んで、ふと画面に眼をもどしたらのえるくんが涙している姿が眼に入ってきた。もうそこからはTravis Japanしか眼に入らなかった。あの日まで自分はJr.では宮近くんのファンで“トラジャ寄りのDD”くらいのつもりでいた。でも違った。自分で思っていった以上にずっとずっと宮近くんがTravis Japanのことが好きだと気付かされた。こんな形で自覚したくはなかったけれど。つらい悲しい悔しいという気持ちがあったのも事実だけど、それ以上にTravis Japanのファンとして信じて支えて応援してきた身ではない自分がつらいなどと言うことは許されないんじゃないかと思って何も言えなくなってしまった。そして、あんな状況に仕立て上げられてしまったことが可哀想という同情心のような感情がTravis Japanに対しての思いを強化してしまっていることを否定できないことも苦しかった。宮近さんも他の6人も決してそんな気持ちは歓迎しないことはわかっていたから。

それでもあの8月8日、決してあの過剰なまでに作り上げられ演出された物語や状況とは無関係に、純粋にステージ上で繰り広げられるTravis Japanのパフォーマンスに宮近さんの踊りに魅せられて、好きという思いを募らせたのも事実だ。ステージ上どんなに大人数になろうとも一番好きな動きをしている人を探せば、どんなに埋もれていてもすぐに見つけられる。やっぱりこの人のパフォーマンスが好きだなと思った。この大好きな人をこれからも応援し続けるために自分に何ができるのだろうかと思った。その一方で、これまで数年ずっと追い続けたはずなのに、ただ提供されるものの表面だけをさらうようにおいしいとこ取りで楽しんできたことに罪悪感のようなものを感じていた。こんな無責任な人間が担当はおろかファンを名乗ることも許されないだろうと思っていた。

 

私は脳の処理能力が遅い残念な人間であることを自覚しているので、現場に行く前はいざ目前で起こったことを極力見逃さないように事前に情報収集をしていく派だ。でも2019年のSummer Paradiseはいつもと違った。レポはTLに流れてくるものを読み流すだけ、セトリすら曖昧なまま現地へ向かうのは異例だった。それが何でなのかは今では思い出すことができないけれど、8月8日以降宮近さんへのTravis Japanへの思いが自分の中でまとまりきらずに当日を迎えてしまった結果なのかなのとも思う。

 

そして8月17日。最高のライブを体感してTDCを後にする自分には全く別の世界待ち構えていた。会場に向かうまで色々考えていたこと何もかも全てが吹っ飛ばされてしまった。ただただ宮近さんがTravis Japanが最高で大好きだ!という気持ち以外はもう全てがどうでもよくなってしまった。信じられないくらい幸せな気持ちに包まれて、もうこれからは一瞬だってこの人から眼を離したくないって思ったから、だからもうごちゃごちゃ考えるのは止めて躊躇なく自分は宮近担だと名乗ることにした。心を鷲掴みにされて、ただただ感動と言葉にできない大きな感情に押し潰されそうな中で、宮近担にならないなんて選択肢はなかった。

 

宮近さんは私にとって生まれてはじめての自担である。まさか自分に担当という存在ができるだなんて本当に想像もしてなかった。自分の中にこれだけ大きな強い感情が生まれてくることが今でもどこか不思議な気がしている。宮近担としてのこの1年は本当に幸せだった。どんどん輝きを増していく宮近さんとTravis Japanの姿をしっかり余すところなく見つめて応援できてたことをこの上なく幸せに思う。もうきっとこんな幸せな夏は訪れないんじゃないかと思った1年前の私に教えてあげたい。大丈夫。宮近さんは次の夏も最高の夏免許センターに連れて行ってくれて、これでもかとあっさり最高の夏を更新してくれるから安心して。

 

今回、本当はただ1年前の今日のことだけど記そうと思っていた。でも2020年8月10日、あの公演を見てしまっては過去を思い返さないないわけにはいかなかった。Shelter、Never Again、Will Be All Right、Crazy Accel…宮近くんを知ったあの頃の想い出の曲達。あとはス・リ・ルさえあれば完璧だった。ずっと正面切って応援してきたわけではないということに未だに引け目を感じてしまう部分もあるけれど、でも確かにこの5年、私は私なりに宮近さんを見続けてきて大切な想い出をいっぱいもらってきたことは間違いない事実だ。だからその想い出達を大切にしっかり自分の中に残しておきたいと思った。

言いたいこと書き残したいことをひたすら羅列していたら、こんなにもまとまりのない文章になってしまった。でもいいのだ。小綺麗にまとまった文章よりも、自分でもわけがわからないあの頃の自分の心の動きを書き残すことが目的なんだから。担タレとはほど遠く、感情を言語化するのが苦手で、語彙力もなく、考えあぐねて妙にこねくり回した稚拙なものしか書けないけれど、これからもできる限りアウトプットは続けていきたい。私の気持ちも想い出もあの時の感動も誰にも否定はできない私だけの確かなものだから。他の誰にも代弁はできないからこそ、これからも自分のために自分の思いを大切にしていきたいと思っている。

 

2019年8月17日。あの日、あの時、あの場所であなたに出逢えて本当によかった。ありがとう。私は幸せです。

 

 

 

完全に余談ではあるけど、ここに書くべきかも悩んだけど、せっかくだから忘れないように書いちゃおう。私が本当の意味で“宮近海斗”の名前を知ったのは、彼が初めてドラマに出演した際の色々な噂話だったと思う。宮近さんを認識したときに「あ~この子があの時の子か」と思ったことは覚えているので。まさかそんな形で未来の自担に出会ってるだなんて想像もしなかったし、そんな未来が待ってるだなんて思うわけもなかった。本当、人生何が起こるかわからないものです。