Cure of GAS

Castle Rock Photography

日々について淡々と書きとめてます。

フィルム写真と久しぶり(三年ぶり)の自家現像

休みを利用してフィルム撮影と自家現像を行うことにした。

実はここのところ(コロナ禍以降)すっかりフィルムから足が遠ざかっていたのだが、冷蔵庫を開けるたびに目に入るフォマパン群がどうにも気になっていた。これは安い時にまとめ買いをしたものだが、120が10ロールもある。今なら1万円を超えるだろうか。 意を決して(というほど大袈裟なものではないが)まずは重い腰を上げて撮影に取りかかる。

 

The show must go on

カメラはLUBITEL166とHOLGA。順にみていこう。

LUBITELは旧ソ連LOMO(Leningradskoe Optiko Mechanichesckoe Objedinenie)社製品で、1954年にLubitel 2を発表して以来、Lubitel166, 166Bなどとアップデートを繰り返しながら1980年頃まで比較的ロングセラーを続けていたようである。

LUBITEL 166B

Lubitelはロシア語でアマチュアの意味があり、なんとなくプアマンズカメラという立ち位置ではあるが、現在も中古はそこそこの値段がついている。ちなみに日本でも有名なロモグラフィーの前身がLOMOであるが、現在はオーストリアが商標登録をしてチープで魅力的なトイカメラを多数製造している。

肝心のフィーリングと写りであるが、まずとてもとてもファインダーが見難い。

ローライにアキュマットを装着していた私も悪いのだが、二眼カメラは全てあの美しさであるのが当然だと思い込んでいたのだろう、いい意味でも悪い意味でも期待を裏切られた。慣れの問題もあるが、慣れるまでこのファインダーを覗くのがやや苦痛となってしまった。

Untitled

写りについては作例の通り、思っていた以上に解像度は高く、押さえるところは押さえ、あとはいい加減?という、見方を変えれば良いフィールが得られるかもしれない。

Slow life

おすすめするかしないかは微妙だが、ローライVbの10分の1の値段で買えるので経験としては価値はあるかもしれない。

 

次にHOLGA

1982年に香港で生まれたトイカメラで、ホルガの語源は広東語の「好光(ホウグォン)」(とても明るい)に由来するとのこと。アマゾンを始め大抵の雑貨屋で買える、日本でも有名なカメラ。

HOLGA

風景写真で有名なアンセルアダムスさんも、いつも愛用しているハッセルブラッドとは異なった趣を得たい時に使用していて、見事な芸術作品を残している。

所感では、とにかくチープ。シャッター以外の細部のギミックは全て飾りで、撮影はファインダーをのぞいてシャッターを押すだけで良い。全く何も考える必要がない。

しかしこれが旅先では便利だった。

HOLGA WORKS PROJECT

まずその重さは100g程度で、スマホより軽い。120フィルムなので大きさはそこそこあるが取り回しに苦労はしない。そして前述の何も考えずに写真を撮れること、これが何より気持ちいい。

HOLGA WORKS PROJECT

1/100のF8固定のため晴天に限られるが、まさに気になったものを片手でパチリとできるカメラ。一応フラッシュも付いていてバルブモードもあるので、その気になれば夜間でも問題ないだろう。

前述のLubitelもそうだが、はっきり言ってHOLGAの撮像には全く期待していなかった。

そもそもLubitelの恐ろしいほど見難いファインダーやHOLGAの冗談みたいな歪んだレンズで何を期待するのか?

Web上に作例は数多くあるが、今目の前の製品が露光漏れしていないことや、キチンと動くかどうかは現像するまでわからないではないか。 ちなみに掲載写真はトリミングしているが、Lubitelは完全に漏れていた。さらに今回は自家現像を行うにあたって別の問題が数多くあった。

まず庭の倉庫から現像用具を一式持ち出して埃を丁寧に拭うことから始めなければならなかった。

パターソンとヨーボのブラックのタンクとレッドのキャップを洗っていると、無我夢中で現像を行っていた過ぎし頃を思い出した。懐かしい!

手順についても忘れていることが多く、過去の日記を再度見直して何度も確認した。もっとも心配だったのは溶剤。今更追加で購入する元気はないので、まだ使えることを祈って冷暗室(霊安室と書いてもよいくらいだが)からボトルを引っ張り出して確認した。

オレンジ色したADOXの現像液と停止液。使用期限については恐らくアウトだろう。それからILFORDのフィキサー。これは白濁しており、やはりアウトのにおいがする。臭いといえば、この鼻をつくお酢のような臭いはまるで古巣に戻ったような懐かしい気持ちにさせる。いいね!

それからお気に入りだったSPURの現像液。なんとこれは未開封だった。未開封で3年が期限とあるので、やや過ぎてはいるが、これならなんとかやれそうだ。

と、色々問題はあったが、ダメならダメで、それでいいじゃないか、そう思った。

せっかくの休日、リラックスしてやりなさいよ。カメラもダメかもしれないし、全てにおいてダメ元、写っていればそれでよし、むしろ何が写っているか楽しみ、という大らかで、別の期待感を持つことが人生を楽しむ秘訣でしょ?

そんなわけで休日を1日潰して朝から洗面所で現像開始。

HOLGA WORKS PROJECT

溶液作りから始まり、タンクへの前浴から現像開始など、最初ぎこちなかった手つきが、1ロール終わるごとに勘を取り戻したかのような老練の手さばきへと変わる(自己評価)。思わず顔がほころぶ。あの頃、どれくらいだっけ。毎週5ロールくらいは現像していたかな……。

トラブルがなかったわけではない。

まずヨーボの120を2本巻きつけることのできるリールでは、きつく巻き過ぎていたようで、2つのフィルムが接触していて、現像ができていなかった。これは本当にめげた。いくらダメ元といえど、人為的ミスで現像不可というのは情けない。

それで気を取り直して1本1本時間をかけてキチンと現像。これが成功。SPURの持つ最大の魅力である繊細な粒状感を最大限までフィルムからひっぱり出したような、そんな印象を受けた。 料理もそうだが、ほんの少しの丁寧さが出来を左右するとは本当のことだ。

楽しかった?と聞かれれば、特に楽しくもなかったが喜びはあった、と答えるだろうか。

液体に20分近く浸けて、いざネガを広げた時、水滴の下に見える小さな枠の中には時間が、世界がモノクロの美しいコントラストとなって現れていて、再び光と重なり合うと奥底にある有情を惹起する。それはいつまでも燦然と輝いていて情緒纏綿な自分を思い出させてくれる。

これは他では得難い喜びだと思う。

HOLGA WORKS PROJECT

撮るのも楽しいが、現像も楽しい、それがフィルムカメラの最大の魅力かなとあらためて感じられた休日だった。

「三歳老け込むくらいなら、二万円払った方がマシ」の真意

「三歳老け込むくらいなら、二万円払った方がマシ」

上手いことを言うもんだな、そう思った。

GWに旅行にでも出かけようと計画を立てていた時、300キロ離れた場所へ車で行くべきか新幹線で行くべきかについて友人に聞いてみたところ、先の返事が返ってきた。

彼は大の車好きで、私とはもう30年来の付き合いがある。 もっとも車好きといっても彼の場合は一台の愛車を乗り回すのではなく頻繁に買い替えるタイプで、車”買い替え”好きといった方がしっくりくるかもしれない。新車の前で嬉しそうにポーズを決める彼をライカM3で撮ったのは良き思い出だ。

数ヶ月前にもRVハイブリットモデルを新車で購入したと嬉しそうに連絡があった。

「これでキャンプに行くんだ」

中学生になる息子と星空キャンプ。素敵な親子だな、心からそう思った。

まあとにかく、先の質問にはてっきり「車に決まってんじゃん!」という即答を半ば期待していたのだが、回答は「新幹線で行く」という意外なものだった。 理由を聞いてみると「疲れるから」と、あまりにも単純すぎて閉口した。

というのも、これは偏見になるのだが、私の考える車好きの人はメカニカルな面が好きなのはもとより、何よりも運転そのものに楽しみを見出しているのではないかと思っていたからだ。

私自身は車の運転はどちらかというと好きではない。神経を使うし、身体のあちこちがこわばって痛くなる。渋滞はストレス以外の何ものでもない。

車好きの人はこの渋滞すらも、アイドリングのエンジン音やハンドルの微調整、アクセルの吐息に愛情を感じられる人。ある意味で本当に羨ましいと思っていた。 それが彼から「長距離運転は疲れるからやりたくない」と、私のリスペクトを一蹴されてしまい、コペルニクス的転回ほどに真理を目の当たりにした気分だった。やっぱりそうか!

「歳のせいか、長距離を運転すると疲れが全く取れない。300キロなら新幹線で一時間程度で到着するし、その間ビールでも飲んで寝てればいい。景色もゆっくり楽しめるだろ。往復で八時間近く運転した日には三歳は老け込むぞ。その距離を新幹線なら往復二万円で済む。俺はそっちを選ぶね。アンチエイジングだ、ははははは」

なるほど。

机の上に置かれた出番の少ないホルガカメラをみながら、まあフィルムとデジタルのようなものかな、とやけに納得した。

HOLGA

さて、家でゆっくりしますか(笑。

シルキーな水の撮影について

露出トライアングルの理解が進むにつれ、水の流れを絹のようにしたいという欲が出てきたのはちょうど中判フィルムで撮っていた頃。B(バルブ)を知ってからというもの、チャンスあればこれを多用していた時期がある。

いうまでもないが、バルブといってももちろん配管のValve(ヴァルヴ)ではない。

Gas appliance

カメラ好きの間でBといえばB(並品)を除いて当然シャッタスピードの開放ボタンのことである。

デジタルにもB(バルブ)機能はもちろんあるが、フィルムカメラのBは単純明快なシステムで、それはシャッターボタンを押している間はフィルムに露光し続けていて、手を離すと幕が降りて撮影終了というもの。 なんというか、非常に物理的、直感的、直接的で大変面白い。

しかしシャッターボタンを直接長時間押すわけにもいかないと気づいた頃に、シャッターケーブルなるものを入手する。三脚に据えたカメラから伸びるケーブルを親指で押し込みながらアナログ時計の秒針の動きをみていると、なんだか明治時代みたいで良いじゃないですか。

もちろん適当な時間露光すればいいというものではなくかなり高度な、あえていうと、専門的な技術が必要となる。 特に日中のバルブは相当工夫がいる。

ISO100 でF13まで絞っても、例えば青々とした海に対しては1秒も開いておくことができないため、NDフィルターなるものを挟んで、云々、など、まあ遊び心をくすぐるわけである。

それ以来、水面を撮影する時はとにかく開いた。

開けば滑らかになるだろう、開けば開くほどにそれはきっと白い煙となった銀河のような水丘が、むせび行く冬の寒気に枯れがれな男体山の眺望を厳かに浮かび上がらせるに違いない、と。

しかし現実は違った。

開けば開くほどに水の質感は消え失せ、飛沫は文字通り空気となって、どこか寂寞(せきばく)とした砂漠のような、いやそれどころか、これではただのコンクリート埋立地のようになってしまっている。

Lake Chuzenji (Chuzenjiko)

心を開けば開くほどに離れゆく貴方(あなた)

このようにして高いフィルムを散々ダメにしてその反省もあってか最近で ”ゆるく” ひらく、というZ世代のソーシャル・スタンダードを真似してみたりすると、まあ結構 ”ふわっ” としていい感じじゃないですか。

Small Waterfall in Japan

流れの早い滝も1/8くらいあれば絹糸のように ”つながる” し、波飛沫も同様。 

Sea of Japan

さて、新年度もハリキッて参りましょう。

 

 

X100VIプロモーション映像について

先日久々にYouTubeを開いたらおすすめに表示されたのがX100VIのプロモーション映像。

youtu.be

FUJIFILMのX専用公式サイトが公開している、以前軽井沢フォトコンでお世話になった(といっても面識があるわけではないが)野辺地ジョージさんと大御所写真家のSam AbellさんがX100VIを片手に山口県萩市をぶらり巡るロードムービーのようなもので映像も素晴らしく、さらに私の友人が萩市に住んでいること、昨年冬の訪れを前に私も該地へ旅行したことがあり、大変な親近感を覚えて見入ってしまった。

Beach before dawn

思うのだけど企業のプロモーションは品があって良い。もちろん、新製品を売りたいという目的は変わらないのだが、それを感じさせない演出がさりげなくて良い。

実際、この動画ではほんの後半にSam Abellさんが

「・・・このような瞬間を撮影するのには(Fujifilm X100VIのような)コンパクトカメラが欠かせない・・・」

とボソりと呟くだけで、新機能がどうとかこうとかの説明はほとんどない。

決してベンダー(販売業者)のプロモーション「新製品レビュー!」に難癖をつけるわけではないのだが、そこは北風と太陽理論で、なんとなくいい雰囲気の場所で、いい写真を撮って、それをこのカメラで撮ったんですとひとこと言うだけで人の心は簡単に動くのかもしれない。

ただ実際のところ1980年代に当時ナショナルジオグラフィックのカメラマンで世界中を飛び回っていたSam Abellさんが萩市でストリートフォトを撮影した時の機材はこんなちっぽけなカメラではなく、ニコン(恐らく)のF3あたりを3台くらい肩からぶら下げて何百ロールものコダック製フィルムをクーラボックスに入れた、映画『マディソン群の橋』に出てくるイーストウッドのようであったろう。

そんなカメラの、ある意味で不自由さの歴史を纏(まと)って風情ある萩市に立ち尽くす姿を想像してみるのも面白い。

 

このX100VI、今の所買うつもりはないし、これは私向きのカメラではないと経験からわかるが、こんなカメラで幾つになっても胸のざわつく春にぶらぶら散歩に出かけられたら素敵だろうな、と思う。

購入予定の方、購入したら是非教えてください(笑)

やめてみた事 - 過去から現在

お題「思い切ってやめてみた事」

 やめてみた事(過去から現在)リストとその感想

タバコ

昭和生まれには宿命といえる喫煙。

それこそ10代の頃から吸っていたわけだが、26歳でキッパリやめた。理由は簡単で、金欠になったこと。当時派遣社員として死に物狂いで毎日を凌いでいたのに、毎月一万円近い金額が、それこそ健康を害するために使われている事実に気がつき唖然とした(気づくのに遅すぎるけど)。お金が絡むと人は真剣になるのか?リバウンドもなくすっぱり辞めることができた。

あれから20年超えた今ももちろん吸っていない。しかし昭和の時代って、法律よりも慣習が優先されていた最後の時代かなと思う。10代で酒タバコなんて、ね?普通といいますか。年上の兄弟がいるともう絶対避けることは無理。 しかし本当にやめて良かった!

 

お酒

以前ブログにちょこっと書いたが、隣家でボヤ騒ぎがあった時、酔っ払った頭で対応したら犯人疑いされたため、常日頃からシャキッとせねば、と思った。

マルコ福音書13章32節にも、

『いつも起きていなさい、その時がいつ来るか誰にもわからないのだから』 と記されている。

大昔から人は何も変わっていない。

ちなみに今は流石に飲んでいる。しかし体験としては断酒して良かったと思うし、おかげで酒量をコントロールできるようになり、飲まない日が続いてもなんとも思わなくなった。酒量が明らかに減っているので、これは良いこと。最近はドイツの修道院ビールをゆっくり1本味わって飲むのがお気に入り。

 

コーヒー

コーヒーを飲まないと頭が痛くなる症状が出始めたため、怖くなって飲むのを止めた。

ある日、昼食を摂った後いつもなら習慣的にコーヒーを飲むのだけれど、あまりに忙しくてそのままにしていたら頭痛がしてきた。たまらずにコンビニでコーヒーを買って飲むと、頭痛が治った。なんか、変?

カフェインが切れたから頭痛が起こる、頭痛を治めるためカフェインを摂る、中毒症状そのもの。 だからやめた。ノーマルな身体というかリセットしたかった。

しかしこれは本当に、断酒よりも苦行だった。

特に最初の3日間は頭痛とむくみがひどく、今思い出しても二度とやりたくない。 このようにカフェイン抜き生活は三ヶ月かそこら続いた。スタバでもデカフェ生活。まあ悪くはなかったが、デカフェ飲むくらいなら飲まない方がマシだし、緑茶にもカフェインがあるし、紅茶すら楽しめないのはQOLが下がる。それでいつしか解禁した。

しかし総量としては飲む量が減ったので、例えばそれまでスタバに月数万円近く払っていたのが、半額程度になった。なので、やはりカフェイン抜きも体験できて良かった。

とまあ、以上は過去の出来事で、今はタバコ以外ほどほどに嗜んでいる。次は最近の話。

 

ネットやめた

いきなり本丸に攻め込んだようなパワーワードだが、すでに1ヶ月になる。しかしこうしてブログを書いたり読んだりしてるんだから矛盾があるので、具体的に何をやめたかリストする。

ネット記事

ダラダラと本当にくだらない記事や射幸心を煽るタイトル、破廉恥な事件の数々に心底うんざりした。そもそもブラウザのスタートページがGoogleニュースだったのでそれを天気に変更。ブラウザ立ち上げる度に今日の天気がすぐに分かって便利。

それで、その生活になってひと月経つが、実際何も変わらない。全く変わらない生活が続いている。ということは世の中のニュースの大半(というかほとんどか)は見なくても知らなくても良い娯楽ということになるのかも。

SNS

それからしばらくしてYouTubeなどの動画サイトを観るのもやめてしまった。代わりにアマプラで映画を観る時間が増えた。 とはいえ、私はそもそもフリッカーしかやっていないのでほとんど変化はない。50前にして隠居生活を始めたような感じである。そして大変快適。

先ほどからネット止めても何も変わらないと書いたが、唯一体感できたことが疲労感の減少。例えばこれまで仕事中に何か調べなければならないことがあって、最初は合目的的に資料をネットで調べていたのが、いつの間にかダラダラ波乗り(ネットサーフィン)が始まる現象。

そういうことがなくなったのでやるべき事へ一種のマインドフルネス、コンセントレーションできるようになった。結果、業績が上がった、ということはないのだが、先ほど述べたように疲労度が減った。

これはおそらく毎日情報過多(しかも意味のない内容ばかり)だったものが、入力レベルが森林浴して鳥の声を聞いているほど(言い過ぎかも)に下がったためかと思われる。

まあ、とにかく私はこの生活がかなり気に入ってしまったので、これからも続ける予定。 

しかし、Xやインスタ漬けになっている若い人たちはさぞ生きづらいネット社会だろうな、とは思う。

ポイことやめた

ポイ、とはそれっぽいということである。

具体的に挙げるとキリがないが、このイミテーションや高貴なるオマージュという便利な言葉で飾られた”ポイもの”はあらゆる分野に広がっている。

マホガニーのように高級感のある合板、シルクのようなポリエステル、ヤスリで削ったアンティーク風家具、フカヒレのようなこんにゃく(あるのか?)、モンサンクレールシェフ辻口さん監修のコンビニケーキ(実際は作っていない)、フィルムっぽいレタッチされたフィルム写真、などなど。

もちろんこれはポイことが悪いわけではない。あくまで私の贅沢な主観ではあるのだが、50歳近くになるとある程度目や舌が肥えてしまうというか、ポイものはやはりポイものでしかないことが分かってくる(嫌でも分かってしまう)ので、なんだが死ぬ前に、というのも大袈裟だが、本物を見て感じていたいという気持ちが強くなっているのかもしれない。

とはいえ、一体何から手をつけていいのかもわからないので、まずはポジフィルムをルーペで観察(今更か)など如何か。

My room

 

イライラやめた

これで最後。

生きていると本当にイライラすることが多い。しか国内だけでも自分の他に1億2000万を超える人間がそれぞれの価値観を持って、あくまで法律上のルールに則ってだが、生きているわけだから、日々の生活でも多少の不調和があって当然。

そして何より怒りやイライラは自分を全く幸せにしない。無駄な時間と労力。だから私はそれをやらないことにした。

おかげて最近仏のように穏やかな表情になったとのこと(妻談)

以上、私のやめてみたことリストの紹介でした。

 

捨てられないもの

2017年に記事を書いたONAのカバン

その当時で3年ものだったので、今年で10年になる。 こんなに長く所有しているものは私的には珍しい。

9 years old

エイジング?というほどでもないが、革素材は時々タピールでメンテナンスしているので、まずまず状態は良いといったところか。

表面はバブアーのようにオイルが若干含まれたキャンバス生地(定かではない)で購入当初は撥水性も十分にあったが、10年経った今では傷だらけで、オイルも完全に抜けているように思われる。

思えばこのカバンにライカM3とオールドズマロン3.5を詰めてどこにでも行った。

M3 ズマロン3.5

茅ヶ崎海岸で雨に打たれた時もしっかりとフィルムを守ってくれた。ビーチに直接カバンを置いても気を遣うこともなく、いつでも傍にいてくれた。

サイズ感も重量(フルレザーじゃないので軽い)もちょうど良く、肩または斜め掛けした時の収まりも良い。革素材が品良く、普段使いに街中で持っていても中年特有の ”子どもぽくてみっともないなり” にならない所も良い。

正直なところ外観やインナーはかなりくたびれてきているが(遠目からは許容範囲といった感じ)、妻とのちょっとした外出や小旅行に今でも使っている。

手放そう、買い換えようと思ったこともあるが、どうしても踏み切れなかった。そういうモノは人生でそう多くはないだろう。

私にとってのバッグ、ONA、これからも大切に扱っていきたい。

 

 

カメラのネット販売が停止されていた話

つい先日都内にある某老舗カメラ店のWebサイトを覗くと、ネット販売を終了したと掲示されていた。

今やマーケティングに欠かせないネット販売を中止というのは只事ではなく、また私自身がよく利用していた店なので、大袈裟にいえば、大変驚いた。

店舗についての詳細は控えるが、まあ良い店で、特に35mm、中判、大判と揃っているし、全てオーバーホール済みで整備の腕も良い。

値段は安くはないが上記メンテナンスがしっかりしているので妥当といったところ。まあ私のようなカメラ懐古主義の人間にとっては貴重なお店だった(といっても閉店した訳ではないので誤解しないでください)。

Road Trip #3

Webサイトには大切なお知らせと題してネット販売を止めた理由が書かれていた。

まとめると、原因は不心得な顧客による理不尽なクレームで、その多くはフィルムカメラ初心者による操作ミスによる故障とのことだった。

さらに自分の過失であるにも関わらず修理代や返金を店側に要求、店の対応が気に入らなければ罵詈雑言を送りつける(おまけにSNSへの投稿などする)者もいたらしい。

返品の容易い某サイトの影響か、単なるゴネ得か。

私は何度もこの店を利用したことがあるが、これまで購入した製品の初期不良や保証期間内の故障などは皆無であった。たまたま運が良かったのかもしれないが、中古製品の調整は完璧であるし保存状態も良い。

ただしこれは ”使う側が正しく使える” という前提条件あってこそで、それが担保されてはじめて店側もユーザーもハッピーに商取引を終えることができるのではないかと思う。

My M6

例えばハッセルブラッドのレンズ交換の儀式は重要であるし、マキナは無限遠で蛇腹を仕舞うのがマナー、M3のセルフタイマーは使わない(と、これは冗談だが、地雷を踏む緊張感はある)、などなど、これらをおろそかにすると文字通りあっという間に故障してしまうくらい機械式カメラは精細な作りをしている。

こういったルールを守るのはユーザーとしては当然のことであると思うのだが、最近のフィルムカメラブーム?レトロブームによって、軽いノリのユーザーが増えたのだろうか。よく分からない。少なくとも私はそういう触り方はせず、購入前に使用方法を調べまくってから骨董品と対峙するのが常だからだ。

まあどっちにしても店側としてはたまったもんではないだろう。 

以前、寺での撮影が禁止になったという記事を書いたが、あれも心無いユーザー達の振る舞いが原因である。 こうやってまた一つ大切な機会が失われていくのだろうか。 嘆かわしい。