明日は明日のcoblog

徒然なるままに日々の由無し言をば。最近は某モバイル系IT企業で仕事中。

売れればそれで良いという考え方

これ、2年ほど前に下書きで保存していた投稿を見つけたのでそのまま公開してみる。
 
 
あれから2年もの年月が経過したにも関わらず、国内の電子書籍事情ってさほど変わってないことに苦笑。
 
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現在販売中のコンテンツの中にはダウンロード期限が設けられているものがある。
 
これについてはよく「何故?」と思うし、紙版の書籍に例えて考えてもどうにも釈然としない。
 
携帯端末の場合、書籍コンテンツを購入した端末を紛失したり、不慮の事故で故障の憂き目に合うケースも少なくない。そのような突発的事象に備えて、外部メモリ媒体にバックアップを取ることができればまだ救いがあるのだが、それさえ叶わないことが多い、というのが現在の電子書籍の販売状況である。
 
これでは折角の電子媒体のメリットも台無しではなかろうか。
 
ダウンロード期限の設定の根底にあるのは、「紛失したらまた買ってもらえたら良い」という出版社の考えなのかもしれない。紙版でも購入した書籍を紛失するケースはあるし、紛失してしまったら同じ書籍を買い直す人も少なからずいるだろう。
 
ただ、ここで考えるべきことがある。
 
上で言うところの「買い直し」というのは、何も新品であるとは限らない。過去ならいざ知らず、現在ではブックオフAmazonマーケットプレイスで買い直されるケースも少なくない。これでは出版社の単なる取らぬ狸の皮算用ではないか。
 
現在の電子書籍サービスにおいて、コンテンツの永続性が担保されていないという点に嫌気を起こす消費者が多い。その背景にある最大の理由は、取扱書店毎に採用されているDRM方式が異なることにあり、そのため、購入した書店がサービスを終了してしまったら最後、遅かれ早かれそこで購入したコンテンツを閲覧することができなくなるのは間違い無いだろう。そうなると、また別の書店で同じコンテンツを購入する必要があるし、使い慣れた電子書籍リーダーと決別して別のリーダーの使い方を覚えなくてはならなくもなる。自炊が盛んな理由はここらにもある。
 
これでは、出版社は腹のどこかで、消費者が自炊に走っても、結果的には自炊用に紙版書籍が売れる訳だから今の状況もそれほど悪くない」とでも考えているのではないだろうか?と疑いたくもなる。
 
次のようなことも考えられる。
 
ある程度知識のあるユーザであれば、自分で自炊に走る。そういった知識のないユーザに対して自炊サービスが立ち上がると出版社はそこを責める。ただ、業者が自炊を行う際にコンテンツの使い回しがされていて、そこを責めるのであれば百歩譲って理解できなくもないが、消費者が持ち込んだ書籍の自炊まで責められるというのは如何なものか?
 
 
少し話を変えてみる。
 
 
例えば、引越しで面倒だから紙版の書籍を処分後、その後買い直す人も少なからず存在する。勿論二度と購入しない人もいる訳だが。
 
そういう意味だと、版元にとってはブックオフもある意味容認の余地があるのかもしれない。ただ、一度売った書籍を買い直す際、新品で買い直す人ばかりだとは限らない。当然、中古で買い直すケースも多いだろう。
 
 
「面倒だから手放したが、やはりまた読みたくなって購入する」
 
「面倒だけど手放したくない」選択肢を用意することなく、無条件に買い直しを強いるような「ダウンロード期限の設定」は納得できない。
 
つまり、「所有し続けるコスト」を削減するために自ら処分した消費者が買い直す分には、ある意味自己責任なので構わないが、「所有し続けるコスト」を払ってでも所有し続ける選択肢を用意する必要があるのではないのか?
 
そういう選択肢は電子書籍にもあって良い筈である。新しい端末に替える際、面倒なのでコンテンツデータを引き継がない人もいるだろうが、何とかして引き継ぎたい人もいる。そこでデータを引き継ぐ選択肢を用意していないのではサービスとしていかがなものか。
 
人から借りて読むだけの人もいれば、人から借りたことがきっかけで自分でその書籍を購入する人もいる。何も機会損失ばかりではない。書籍にしてもCDにしても、である。これは今で言うところのシェアに近いのではないだろうか。
 
昔は版元にそういう懐の深さがあったにも関わらず、デジタル化となると一気に了見が狭くなるのは何故か?
⇒今でもそれが海の物とも山の物ともつかない意識にあるのではないか?
 
 
売れればそれで良いという考え方、それはかえって出版社自身を殺しかねないことに早く気付いて欲しい。

本は電車で読むだけのモノじゃない

先日、とある電子書店で興味のある料理本を見つけた。
 
が、電子版については購入意欲が全く沸かないもんで、その後Amazonで先の書籍を検索、とりあえずカートに入れておいた。
 
なんだかなぁ。
 

コレ、何も料理本に限った話ではないけど、こんな経験をした人は少なからずいるんじゃなかろうか。


なぜ電子版を購入したいという気持ちが喚起されなかったのか?
 
まずは以下のような理由がある。

1)その電子書店専用の電子書籍リーダーにマーキング機能が無い
2)その電子書店専用の電子書籍リーダーに付箋機能が無い

これらについては、その電子書店では現在紙版の書籍で可能なことが電子書籍ではできないということになる。


次に、以下のような理由もある。

3)その電子書店専用の電子書籍リーダーに本文中の文字列検索機能が無い
4)その電子書店専用の電子書籍リーダーにリンク作成機能が無い

これらは紙版の書籍では実現できないが、それ故、電子書籍に対して期待したいことでもある。だがしかし、その電子書店の電子書籍はこれくらいのささやかな(十分実現可能な)希望さえ叶えてくれない訳だ。

だが、これは何も電子書籍全体のことを嘆いている訳ではなく、より正確に表現すれば、その電子書店専用の電子書籍リーダーの機能不足に嘆いているのだ。


現状のように電子書籍リーダーが書店毎に異なるような状況では、いくらその電子書店で欲しい書籍を発見したとしても、書籍の再生方法が限られるために最終的に書籍の購入に至らないケースが結構出てくる。

とりわけ、実用書的な意味合いを持つ書籍を新たにラインナップに加える際には、その書籍が紙版で購入されていた場合の利用スタイルに近い形で、電子版でも再生可能な機能を電子書籍リーダーで用意するべきである。


電子書籍の場合、そのコンテンツ本体とは分離した形で様々な効果を紙面上で表現することができる、という利点もある。

例 えば学習参考書の場合、試験勉強の時には必要な箇所にマーキングをして使用し、必要がなくなればマーキングを取り除くことも可能である。理解しずらい説明 があれば付箋機能で補足を加えることができるし、それについても必要が無ければ取り除くことができる。ついでに言うと、付箋紙を購入する費用や手間さえもなくなる。


このようなことはあくまで一例ではあるが、そういう「使う側の気持ち」ってものも、書店が電子書籍リーダーを提供しているのであれば、少しは考えて欲しいものだ。
 
というか、少しどころの問題ではないんだけど。
 
 
電子書籍が中々浸透しない一つの理由として、実生活の中での電子書籍の使用イメージが多くの消費者に伝わっていない点もあるのではないかと考えている。そこらの役割を電子書店がもっと担うべきなのか、はたまた電子書籍リーダーの提供者が担うべきなのか、という議論はあるのかもしれないが、書店が電子書籍リーダーの提供者でもある場合においては話が明白である。

 

言いたいことは、


電子書店が、自書店の書籍を再生するための電子書籍リーダーを提供することにあくまで固執するというのであれば、電子書籍リーダーというものが電子書籍体験においてユーザ満足度を大きく左右する程の重要な要因であること、また、それを提供する責任の重さというものをもっと真摯に考えて欲しいということである。

それは電子書籍なのか印刷物の電子アーカイブなのか

今現在、世間一般でよく言われる「電子書籍」って、なんだか「印刷物の電子アーカイブ」の話をしているように思えてならない。

 
ちなみに、この業界で仕事をし始めてまず最初に感じたことが、
 
へぇ、これが一般的な「電子書籍」になるんだ、
 
っていうことだったし。
 

思い出してみると、かくいう自分がちょっと昔「電子書籍」にイメージしてたものって、なんというか、「電子な(発想をした)書籍」みたいなものだった。

しかし、今、巷の電子書籍関連の情報に触れるに、コンテンツの中身への言及が意外なほど少ないように見受けられるのだ。結局のところ、自炊の公式版、みたいな。
 
 
また、その「印刷物の電子アーカイブ」の品質についても割りと疑問。
 
ここんところ仕事柄各社電子書籍ビューアでコミック、文字モノ問わずいろいろ触れてみてるけど、ほとんどのコンテンツにおいてのコンテンツそのものの質ってものが、これが申し訳ないけど自炊レベル(自炊者によってその質は変わるけど)とそう大差ないように感じられて仕方がない。
 
 
そもそも、自分にとっての「電子書籍」っていう言葉が醸しだす妄想傾向としては、例えば、
 
登場人物が多い小説を読んでいて「あれ? この人どういう人だっけ?」って思った時、画面上の人物名を選択すると、簡単な説明が表示されたり、初登場のページに飛べたりとか、できたら良いな。
 
とか、
 
小説の中で特定の音楽が流れる描写があった時、その音楽名を選択すると楽曲が実際に流れたらテンション上がるな。
 
とか。
 
そういう脳内でなんやかんや汁が溢れてくるような要素、所謂インタラクティブ性というものが電子書籍にもっと問われても良いんじゃないか、と思う。
 
 
とにかく、今のままだと「電子書籍」って言葉に夢が無いよね、ってことが言いたい。
 

もう本屋が電子書籍リーダー作るの辞めません?

もう電子書籍の書店が電子書籍リーダーを作るの、辞めにしませんか?

 

そもそも、書店が読書方法を決めて、かつ読むための環境さえ提供することに強い違和感を感じているし。電子書籍リーダーだけで一体いくつアプリをインストールさせるんだ!と激しく言いたくもなる。

 

電子書籍リーダーアプリケーションを誰でも作ることができれば、何も書店が必死こいてUI考えなくても素晴らしいUIを備えた電子書籍リーダーが世に多く出てくるだろうし、自分のための電子書籍リーダーだって作ることができる。

 

そこで、電子書籍リーダーアプリケーションのオープン化実現のために少しだけ考えてみた。

 

一概に電子書籍フォーマットって言っても、これがホントにいろいろある。

 

国内だけで目に付くところをザッと挙げてみただけで、

 

・コミックで今なお大きなシェアを持つ.book(ドットブック)

SHARPXMDF

・自炊も含めて一般的な普及度ならダントツのPDF

・最近巷を賑わしているEPUB

・雑誌フォーマットとして一定の立ち位置を確保しているYappaのSpinMedia

 

これ以外にもAmazonKindleのTopazやモリサワのMCBook、青空文庫なら一般的テキストフォーマットをベースにしたものもあるし、変速的なEPUBなんてものもある。挙げ始めると本当にキリがないくらいだ。

 

詳細についてはこんなページも。

 

また、各出版社やコンテンツ毎に採用されている フォーマットがそれぞれ異なっていることと、なまじ流通していること、その他にも様々な理由のために、このマルチフォーマット事情はそうそうすぐには改善されそうにない。それは、たとえ今流行りのEPUB3に今後各社の足並みが揃ったとしても、膨大な既存コンテンツがある限り、依然マルチフォーマットリーダーエンジンのニーズは高い。まさか、既存コンテンツを金かけてEPUB化しないだろうし。つまり、日本で「使える」電子書籍リーダーを開発するためには、少なくともこれらフォーマットの大部分に対応させる必要がある。

 

だが、それらフォーマットの大部分について、その詳細な内部仕様が世間一般に公開されている訳でもないし、いくつかの主要フォーマットについては現時点において無償では利用すらできるものでもない。また、その次の段階として、仮に内部仕様が無償で使用できるようになったとしよう。これだけバラバラと存在する各フォーマットに合わせてリーダーエンジンを開発して用意するなんて、1個人に中々できることではないだろう。

 

加えて、DRMという非常に大きな存在が目の前に立ちはだかる。

 

このDRM(Digital Rights Managementについては、専らの理由がコンテンツの許諾元の版元に対するコンテンツ保護の目的のためである訳だが、この問題を解決しないことには電子書籍リーダーアプリケーション開発のオープン化を進めることはできない。

 

というよりは、現状のDRMの仕組こそが、リーダーアプリケーション開発のオープン化ができない理由そのものと言っても過言ではない。

 

また、それはDRMの仕様や実装技術が難解だとか言う問題では無く(確かに現状流通しているDRMアプリケーションの仕様の多くは読み解くのに根気を要するが)、DRMの存在意義そのものや、それに関わるモラル的な要素に端を発している。

 

無論、何もDRM仕様をオープン化することは無いし、 暗号化されたコンテンツの複合化機能のみライブラリとして隠蔽化をした上で提供し、復号化のためには購入後のダウンロードの際に書店で発行したライセ ンスKeyが必要とする方式にすれば良いの訳だが。

 

ただ、ライブラリとしてでも広く一般的に提供するということに対する、一部からの強い抵抗は確実にあるだろう。

 

たとえ一部機能のみをライブ ラリ提供するだけと言っても、やれ解読されやしないか?大丈夫か?等と必要以上の心配が指摘されることは容易に考えられる。ただ、そんなことを言えば、現状のDRM技術のほとんどが現在世に流通している様々な暗号化技術の積み上げと組み合わせに他ならないし、それこそそれなりの(とは言ってもかなり高レベルで はあるが)技術さえ有れば現在流通している電子書籍リーダーアプリケーションの挙動からさえ、ある程度の解読はできるんじゃないだろうか。

 

これらの問題については、技術的な課題を一つ一つ対応していき、それでも発生し得るだろうもしものケースに対するリスク管理をしっかり行う。また、コンテンツ許諾元である版元から理解を得るために版元への地道な説明を行なっていくことも忘れてはいけない。

 

それらを確実に行っていくことで、必ず潰していくことができるものだと考えている。

 

あと、書籍購入シーケンスを公開するのは流石にい ろいろと問題があるだろう。そこはオープン本棚の場合、本の購入はWebのストアで購入してもらい、購入した本の配信部分以降をWebAPI化すれば良い。また、書店自体が提供するリーダーでのみリーダーから電子書籍購入が可能とすれば、ちょっとした差別化をつけることも可能だ。

 

ここまでの話を纏めると、オープン化された電子書籍リーダーが提供すべき基本的な機能は、以下の3つになると考える。

 

1)購入済みの電子書籍をコンテンツ配信サーバからダウンロードする機能

2)暗号化されたコンテンツの複合化機能

3)全ての電子書籍フォーマットを再生可能なマルチフォーマットリーダーエンジン

 

つまり、簡単に言えば、1のためのWebAPI1から3の機能の開発用ライブラリ書店側が提供する、というのが本文で言うところの「電子書籍リーダーアプリケーションのオープン化」である。まぁ、今の段階ではざっくりとした思いつきに毛が生えたレベルに近いんだろうけど、基本的な根幹はここらで良いんじゃないかと考えている。

 

最後に言っておきたいのは、何も書店がリーダーを全く開発するな、ということが言いたい訳では無い。エンジンの開発のためにもリーダーは必要であるし、一つのサンプルケースとしてもあった方が良いかもしれない。但し、書店がそこに力をかける必要はない、ということだ。

 

電子書籍リーダーを開発するということは、エンジ ンの開発だけで無く、UI設計という大きな要素を抱え込むことになる。これは想像以上にタフな要件で、そのためには社内で懸命に意見を集めたり、時にはテスターとして大量の人員を投入することもあるだろう。他社リーダーを絶えず研究しながら機能追加をしたり、日々サポート窓口に届く要望や苦情に耳を傾けて 改善を行い、デバイスに新機能が追加されたら速やかに対応する。当然各種フォーマットエンジンの開発やデバイスの基本OSのバージョンアップへの対応を行 いながら、である。

 

そして、これらのライフサイクルを維持するための体制を整備するだけで相当なコストが発生し続ける。到底書店が片手間にやるレベルではないし、効率が良いやり方とは到底考えられない。それよりも、どうせお金と労力をかけるのであれば、先日書いた記事のように書店としてやるべきことは他にたくさんある筈だ。

 

以上、今回はパパッと考えたところを半ば勢いで書きなぐってみたが、今後は(機会があればw)個々のトピックに対してより詳細に突っ込んだ内容や、電子書籍リーダーAPIオープン化のもたらす素晴らしさについても書いてみたいなぁ、と。

安心という最高の購入導線

音楽の場合、AppleiTMSの安心感が購入に至らせる大きな導線。そう言って差し障りはないんじゃなかろうか。
 
電子書籍において、上記と全く同じ適用はできないかもしれないが、
 
ユーザにとって、電子書籍をファーストチョイスにさせるための安心感が現時点で全然提供されていない。
 
乱立する電子書店とビューアアプリ、そして様々なDRM方式。
 
果たして、自分が今購入した書籍はいつまで読み続けることができるのか?
 
この不安に答えることができる電子書籍サービス提供者は皆無だろう。
 
DRMフリーが実現すれば良いのだろうが、それは非常に難しいと言わざるを得ない。
 
 
「いつでも読みたい時に読みたいとこで」
 
どこかで聞いたようなキャッチフレーズだが、
 
これの本当の実現とは、
 
どの電子書店で購入したコンテンツでも1度正規の方法で購入しさえすれば、どのビューアでもいつでも読むことができる。
 
これこそ正にユーザ目線に立った解決だろう。
 
ユーザとしては、欲しい書籍が最も早くリリースされた、或いは、欲しい書籍を最も容易に見つけることができた書店で、
 
コンテンツを購入すれば良い。
 
また、電子書店としては、ユーザがコンテンツを購入し易い書店作りをしさえすれば良いのだ。
 
非常にシンプルである。
 
実現のためにはいろいろと障害もあるんだろうけど、そんなことは何だってそうだ。
 
 
問題は、真剣にユーザに向かい合ってサービスを考えているかどうかじゃないのか。