人生のスパイスが欲しい。

自分にも貴方にも、私は力になりたいのです。

必ず恩返しするよ

人生は「ありがとう」で満ちている。

お久しぶりです。

すこし前の更新から時間が空いてしまったのですが、これからはこのくらいの頻度で続けていきたいと思います。最近は忙しかったのですが、でも勉学で充実しておりました。私は勉強が好きな方なので楽しかったです。いえ、まだ終わってませんけれど!現在進行形でコツコツ勉強しております。

(ブログで実体験や考えなどを綴っておりますと、このページを親が見たらきっと私だってすぐ分かるんだろうなぁと思います。それはもう、しょうがないですね。)

 

少し話は変わって。

冒頭の勉学の話ではないんです。趣味でもありませんが。周りの方々が親切すぎて、その割に自分は何もできていなくて、自分が情けなくなってしまったのです。

私は大学院に進学するつもりです。「つもり」なのはまだ100%の決心が出来ていないから。でもそれはきっと歩んでもいい道が二つあるから迷うわけで、あらかじめ院進学の道しかなかったら私は堂々と歩くはずなのです。だからもう、「つもり」だなんて言わない方がいいと思うんです。ですが、私は一度決めたことを覆したくなくて、でも優柔不断だから、と甘えているんです。ごめんなさい、まだ決心できないです。それでも院進学を見据えて、今はTOEICの勉強をしております。というのも現段階では今の大学のまま上に行くつもりはなくて、受験して国立の大学院に行こうと考えているからです。学費が圧倒的に違います。成績的には推薦がもらえるので何の準備もしなくても今の大学の院にはそのままエスカレーターで上がれることは上がれるんです。ただ学費の問題や就活の問題が上がってくる。まだ全て分かっている訳ではないけれど、でも手遅れだったなんて言い訳しない為にTOEICを勉強しています。

 

自分は幸せ者だと痛感しています。

(書き終わって思ったのですが、もしかしたらこの先読むにあたって、不快に思われることがあるやもしれません。私としては、自慢話をして私はこんなに幸せなんだとアピールしているつもりは毛頭ないのです。ですが稚拙な文章ゆえに不愉快に思われることがあるかもしれません。申し訳ございません。)

 

中には家庭の問題で大学へ進学することなく就職をした方や、大学受験に失敗してしまった方や、事情があって中退してしまった方や、満足のいかないまま就職して働いている方などなど、自分の意に反する結果となってしまった方は世に沢山いらっしゃると思います。私も、そういうこともありました。でもそれが全てだと言われたらそうではなくて、ある程度自分の希望通りの人生を今のところは歩めているような気がします。気分を悪くされた方いらっしゃれば大変恐縮でありますが、私としては、(当時は訳が分かっていませんでしたが)中学受験をさせてもらって、そこそこの中高に入り、私立だから学費も高いってのに6年間も払ってくださり、あまつさえ大学も国立に入れる頭が無いから(国立も受験しましたよ。落ちましたけれど。)現在私大に通わせてもらっている。学費も「バイトするくらいなら勉強しなさい」と言ってくれる家庭に身を置いております。

これが当たり前だなんてそんな裕福はないと身に染みて感じております。本当にありがとう。そして自分はまだ大学で何もやってない、何も得られていない、それに私はもっと化学を勉強したい、という漠然とした理由にもかかわらず、「そんなに言うのならば院の学費も出してあげる」と父には言われました。つい最近将来の話をしていた時に出てきた言葉なのですが、これ聞いた時に私ボロボロ涙を流していました。(心の中で。)私はどうも強がりで人前で涙を流したら心配される!と自分を追い込んで生きてきたので、終始泣くのを我慢しておりました。

「院に行きたいのならば、学費くらいお父さんが頑張るから」と言ってくれました。本当に有り難くて有り難くて、なんて幸せ者なのだろうと、そしてそれなのに何もできていない私がひどく情けなく思えてきて、今も書いてて涙ボロボロです。

 

勉強だけではないのです。

自慢話になってしまうかもしれませんが、もう少しだけお付き合いくださいませ・・・。私は中学頃から肌荒れに悩まされております。一旦引いたと思うと次は別の場所にできて・・・の繰り返しです。高校生の時に一回目の大きな山が来ましてほっぺ全体が炎症を起こしておりました。(それでもあの頃の私は精神力が強くて特に隠すわけもなく堂々としておりましたが。)ですが母にとってすれば私がとても可哀想に思えたのでしょう、ある薬を提案されました。その薬は保険適応外だったのですが私の為にと払ってくれました。もちろん感謝しましたよ。毎日決められた量を守って塗っておりました。日差しを避けるべく少しかわいい帽子も、母が祖母に頼んで送ってもらいました。おかげさまで見る見るうちによくなり沈静化しました。

当時は高校生とのことで恐らく思春期ニキビだったと思うのですが、今は打って変わって大人ニキビ・・・。9月ごろに食いトレをしたおかげで顎周りが大変なことになってしまいました。炎症炎症、膿んだと思ったら血が出てまた膿んで・・・、痛くて痛くて見た目もみっともなくて結構辛かったです。元々食べたものが顔に顕著に表れる体質のようで日頃注意していたのですが、夏休みでしたので友人と旅行に行き美味しいものを沢山食べておりました。美味しいものを食べたこと自体は後悔しておりませんが、もっと考えて行動するべきでした。今は母が沢山情報を仕入れ色々なものを私に勧めてくれます。ありがたや・・・・です。当の私は勿論気にしているのですが勉学に気を取られ肌荒れに関する改善方法などを検索することができないのです。完全に甘えております。申し訳なさと感謝でいっぱいです。

サプリや高い化粧品(一概に高いのが良いと言うわけではないですが、現在使わせてもらっている化粧品はやはり名の知れた評判のいいもの)、母の美顔器等を貸してくれて一生懸命治しているところです。その甲斐あってだいぶ炎症は収まり、残すところ小さなニキビとニキビ跡を退治するのみとなりました。ニキビ跡は割と手強い相手ですよね・・・。分かっております。100%治すには何年もかかるでしょう。それは覚悟の上ですし、今はそれよりも沈静化したことが嬉しいと思えます。ですが母は「今じゃなくても、もしこれからニキビ跡が嫌だと、治したいと思うようなことがあればその時は相談してね。一緒に良い所を探そうね」と言ってくれました。「なんでそんなにしてくれるんだろう」と思いました。「娘だから」というのが理由なのかもしれませんが、私にはまだ娘は居ませんからその気持ちはよく分かりません。それに、つまるところ「肌荒れしない娘だったら苦しめることにならずに済んだ」と思うのです。そう考えると自分が情けなくてどうしようもなくなります。こんなにまでしてくれるのに治らない、治せない私は一体何なんだろうと思います。あ、書いてて涙ボロボロ出てきた。

 

絶対に恩返しする。

何でもいい。勉学ででもいい。基準もないけれど、どうしたら情けなくなくなるのか、それすら分からない今だけれど。

いつか大丈夫な私になって、安心させてあげられる存在になって、私のことで悩まなくてよくなるくらい立派になって、情けない私じゃなくてお世話になるだけの私じゃなくて頼りになる私を作っていきたい。私が作るんだ。

決意だけで終わらせることなく、今この時点で出来ることをしていこうと、私は思ったのです。

 

 

ここまで読んで下さった方有難うございます。そして不愉快に思われた方、重ねてお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。文章の方ももっと、端的に分かりやすく、読みやすく、誤解を招かない文を作り上げるスキルを磨く必要があると感じました。精進致します。

そして、ここまで自分の体験を書いていると、やはり両親がこのページにたどり着けばすぐに私が書いたと分かるんだろうなぁと、しみじみ感じます。恥ずかしいですけれど、今あなたの娘はこんなこと思ってます!いつもありがとう!本当にありがとう!

 

 

ぜんぶ私

ふとした瞬間に、そうでない時も、感情は人一倍。

私、感受性が強いんです。

音楽、アニメ、映画、読書・・・etc で涙を流す方は沢山いらっしゃるのではないかと思います。かくいう私もその一人なのですが、最近思うのは私は人一倍感受性が強いのではないか?ということです。以前気になって調べたことがあります。医師の診断はない世界なので100%そうだと決めつけることはできませんが、私は恐らくエンパスなのではないかと思います。

エンパシー(共感能力)を持つものをエンパス(共感能力者)と呼ぶようです。「能力者」と聞くと漫画アニメが大好きな私の気分は高まりますけど!私もまだまだ勉強不足なのでここでは具体的な説明は省略します。詳しく知りたい方はどうぞググって下さいませ。

平たくいうと「人(物)の影響を受けやすい人」のようです。一概にエンパスと言ってもタイプは様々で、周囲の人の体の不調が伝染する人・動物と会話(意思の疎通含む)が出来る人・相手の心が分かる人などなどいらっしゃるようです。私は恐らく、相手の心が分かるタイプだと思います。

とは言っても、ほんまじ超能力者みたいに?「○○さんは△△で◇◇で☆☆で・・・・」というように詳細には分かりません!あくまで「今この人はこう思ってそうだな」「口ではあんなこと言ってるけれど実際は・・・なんじゃないかな」「きっと気を使って言ってくれたのかな」と、思うだけです。勘、直感の延長線上くらいだと思います。

人混みが苦手(頭が痛くなる)だとか、星座や血液型で考えても、割と私に当てはまるな~と思いました。すみません、こういうの、私信じるタイプなんです。神様も仏様も、信じてます。サンタさんだって、実際のところいるんじゃないかって、信じてます。信じた方が可能性があるみたいで楽しいと思うんです。

あとは、本当に相手の思ってることがなんとなくわかるんです。だから勝手に自分に置き換えちゃって、「あぁ、なんて辛いんだろう」と思ってしまうんです。

相手の気持ちが分かるからこそ言えないことが多すぎて、結果自分を苦しめてるところとか、私はエンパスなんじゃないか?と思ったことが所以です。あとは今までの環境で生きていたおかげで、「(恐らく)自分じゃない何か」になりきっていたために自己が迷子という点も当たってるなと思いました。

 

英語では「才能」を「Gift(=贈り物)」と言うそうですね。

 知っている方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか?私がこの事実を知ったきっかけは某アニメなのですが、それとほぼ時を同じくして英単語にて発見しました。(当時は受験生でしたので。)

確かにこの力のせいで人混みは苦手ですし、友人と遊ぶにしても遊んだ次の日は一日おじゃんになるものですから、2日間(欲を言えば3日間)OFFの日が取れなければいけません。(必要以上に明るく盛り上げてしまうことも原因のひとつかもしれません。)この力のおかげで良いことだけでなく嫌なことまで分かってしまいますし、きつい面もあります。 そして何より、泣きたいのに泣けない環境で育ったことが自分を苦しめていたのかなって、今では思います。

でもまだ子供だった私にはそもそも私がエンパスだってことを知らなかったわけですし、世界を知らなさ過ぎました。自分の見えている世界しか知らず、かつ見えている世界が狭いのなんの・・・。完全に呑まれていました。今も制御なんてとてもじゃない、全くできていませんけれど、少なくとも正体を把握して、知ることはできたんじゃないかと思ってます。これからうまく使えば、私の願い:「人の力になりたい」を叶える助けになるのではないかと期待しています。可能性はとことん信じるのが私です。

今はまだ情けない自分でも、いつか自分の憧れている姿になれたらいいなぁと、心の底から思います。

 

 

私は人の力になりたい

自分の一番の原動力を知る。

ツイッターを登録しました。

随分前にアカウントはあったのですが、三日坊主の面もあり更新は日に日に減り今では凍結寸前となっていました。が、この度PCで色々いじってサイドバーに表示させる技術を身に付けたのでせっかくなのでこの機に登録してみました。ブログを書くほどでもない内容の時にちょこっと呟こうと思います。

また、便宜上名前を悠梅に変更しました。(勿論偽名ですが、)これで「ゆめ」と読みます。ただの当て字です。

 

初心を取り戻す。

私は大学院へ進学するつもりです。今の自分では仮に内定を頂くことができたとしても企業の力になることはできません。それくらい、学生時代に打ち込んだことがないのです。(ネトゲはやり込みましたが、流石にESには書けませんしね・・・。)勉強は好きです。そして私は高校三年生の時に「もっと勉強したい」と思い大学へ進学しました。初心を思い起こしました。だからこそ、私は大学院へ進学してもっと専門分野を深く学びたいと思いました。大学院は今通っている大学以外の院も視野に入れて、これから検討していきたいと思います。

 

私は決意で来たのはある人のおかげ。

散々就活するつもりでいた私ですが、大学院へ進む!と決心できたのはある人のおかげなのです。それはネトゲ上の友達:Dさんです。「またまた~」と仰るやもしれません。ですが、「たかがネトゲ、されどネトゲ」なのです。基本的にネトゲは顔や素性は知れずとも相手はれっきとした人間です。そこでは現実世界と同様に人間関係があり、社会と呼べるようなものがあります。勿論ゲームですから「狩りに行こうよ!(勧誘)」とか「○○と△△を交換してくれませんか?(売買等取引)」「○○討伐メンバー募集(告知)」などなど、ゲームに関連する話が殆どを占めます。ですが、そのうちに、ほぼ毎日顔を合わせる「友達」ができます。現実と同じですね。一緒に遊んだりお話したりするにつれ少し込み入った話をする機会が、チャンスが増えるわけです。顔も知らない・会ったこともない人だからこそ相談できることがきっとあるんですね。

私を救ってくれたDさんとは今年で三年目の付き合いになるのですが、彼はゲーム以外の現実のことでの悩みですとか、そういうのを親身に聞いてくれます。(ぼかすところはぼかします。)また、彼も私に相談をしてくれます。そういうところから彼から力をもらえるんです。「バカバカしい」ですか?でも、「ネトゲか現実か」だけが違うところで、他はすべて一緒なんですよ。

 

彼もまた悩んでいました。

これは私の持論になりますが、すごく偏った言い方かもしれませんが、「ネトゲにいる人は大きかれ小さかれ何かしら心に闇を抱えている人が多い」と思います。私は彼に、抽象的な言葉の羅列でしたが色々相談に乗ってもらいました。「自分が苦手とするをやらなくてはいけないこと」や「自分は心配性だから中々行動に移せない」だとか「自分を情けなく思っていること」などなど・・・。本当に情けないことを聞いてもらいました。それでも彼は親身にこたえてくださいました。(ちなみに私と彼は「恐らく」同い年です。)

余談ですが、実際は彼も(詳しいことは一切書きませんが)あることで悩んでいました。いつも明るく振る舞っていた彼ですが、ある日チャットをしたときは、文面を見ただけでも悲しそうでお辛そうなのが明らかでした。彼の身を置いている場所が分からない以上外野の私が言えることなんて何もありませんでしたが、「もし私が彼だったら、どう言ってほしいだろうか」それをずっと考えていました。(彼と私は違いますけれど)私だったらただ話を聞いてくれるだけでもとっても嬉しいと思いました。だから精一杯耳を傾けました。

 

良い影響を沢山与えてくれました。

彼はいつも頑張っていていつも辛そうにしていましたけれど、それでも「充実している」と弱音をあまり吐かずにいました。その彼の姿を見て「対して私は何をしている(した)だろうか」と何度も思いました。「Dさんも頑張っているのだ、私も見習おう」「Dさんのようになりたい」と思いました。一人では越えられない壁も、誰かの力があれば乗り越えられる。例えそれが傍にいない人でも目に見えない人でも、同じ力なのだと気づきました。

 

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この記事でも触れましたけれど、人は環境一つで何にでもなれるのだと思います。私はネトゲをしていて、彼以外にも沢山の友達に出会いました。尊敬する人、大親友、慕ってくれる人、頼りにしてくれる人、沢山です。(勿論苦手な人にもお会いしました。)ネトゲは決して無駄ではなかったと、思います。

 

「無駄ではなかった」・・・過去形?

私はそろそろネトゲを卒業するつもりです。今きっぱりと辞めるというわけではないのですが、現にここ最近はネトゲから離れた生活を送っています。ネトゲをして得られたことを胸に、これからは現実をもっと生きなくてはいけません。多少の不安はあります。昔痴漢やらストーカーやら盗撮被害に遭った身としては少し人間不信になっていますし、(恐らく私はエンパスなので)人混みがとても苦手なのです。それでも、ネトゲで私を慕ってくれる人がいた事実は私の力になっています。同じ人間ですもん、ゲームか現実かの違いだけ。

私の基本性質は「誰かの力になりたい」。必要としてくれることを幸せに感じるのです。でもそのためには自分に力がないと、100%で力になることは不可能だと思うのです。どんな分野であろうとも、それが今は研究であっても、まずは自分自身に力をつけることが大切だと考えました。

だからこそ、これからは現実で今よりもっと頑張ろうと思います。

 

別れがあるから出会いがある。

卒業とは、すなわちネトゲで出会った友人との別れを意味するわけです。勿論私がプレイしてきた間に卒業をしてゆく方は沢山いらっしゃいました。その瞬間瞬間は結構心に堪えました。でもしょうがないです。そして今は自分で決めて自分が卒業をする番。友達との別れは辛いです。もう会えないでしょうから。

「出会いがあるから別れがある」。この考え方は悲しいな。出会っても最期には別れが来てしまうのはとても物悲しい。

「別れがあるから出会いがある」。この考え方の方が嬉しいな。希望や可能性を彷彿刺せるような気がします。ただの気の持ち様の話ですが、でもそれって案外とっても大事なことだと思います。だから私はこっちを信じたいな。

 

今はそれでもまだ決心できないけれど、その時が来たらみんなに「ありがとう」と伝えて、私は次に進もうと、思う。 

 

 

悲しい!気持ちはどこか遠くへ投げる。

可能性を信じること。

一年は早いですね。

もう10月、今年も残すところあと2か月ですね。

「一年というのはあっという間に過ぎていく」と思っている方は多いのではないでしょうか?かくいう私もその一人です。

当の私は大学三年生になってもう7か月目、就活か進学か、迷っている間も時間は待ってくれない、身の振りが全く決まらないうちに時間だけが過ぎていく。悩んでいても始まらないと最近は悩むのをやめて、調子が悪い時は「そういう日もある」と割り切って、やりたいことをするときもある。それでもふとした時に悩みは降りてきて、情けなく感じたりもします。兄は夏前にとある会社から内定を頂くことができ、近いうちに家に帰ってくるようです。兄は私の誇りです。本当に立派な人で、とっても尊敬しています。どこか抜けているように見えるだけで、実際は要領が良くて、とんとん拍子に事が進んでいくのです。尊敬通り越して羨ましい限りです。だからこそ、兄が帰ってくるとなると我が家はお祭り状態。いつもは家族間の会話なんてほとんどないけれど、彼が帰ってくれば自然と会話は増えるし、活発化する。だから、「私も同じ子供なのに、あなたたちの娘なのに、私にはできないことだ」と、悲しくなったりします。自分が情けなくなります。

恐らく、親にとってみたら息子も娘も自分たちの子供なのだからと、優劣なんてなくて、無償の愛なんでしょうけれど。それでも私は、同じ子供として兄が眩しいし、だから悲しくて情けなくなります。「それが私」だと思っても、考えるようにしたって、やっぱり100%うまくは行きません。

 

悲しい!という気持ちは遠くに投げる。

私はストレスに弱い方だと思います。でも、ストレスを解消する方法は人より多く、自分に合っている方法を選択できるのに長けているんじゃないかなと思います。

私のストレス解消方法は歌うこと。

感受性が強いのか、自分の知らない曲でもふと涙が流れてしまうことが、私にはよくあります。歌詞が心に刺さるのか、メロディライン(響き)が心に刺さるのか、あるいはその両方か。アニメをよく見る私にとってはアニメ音楽やBGMも大好きです。(BGMだとカラオケで歌えませんけどね。)

だから自分が情けなくなったり、将来について不安になってどうしようもなくなったときなんかはカラオケに行きます。一人で全然行っちゃいます。応援ソングなど明るい曲をあまり歌わない私にとっては一人の方が気が楽です。(勿論、お友達に誘われれば喜んで行きます。)

十八番はブラック★ロックシューター(曲名)、その他、コネクト(曲名)・カラフル(曲名)・ポルノグラフィティ(歌手)、RADWIMPS(歌手)などなど、歌います。基本はアニメから音楽を知っています。自分の見たことのないアニメでも「この曲いいな!」と思えば歌います。直近で言えば「映画:君の名は。」の楽曲、特に言うなら「なんでもないや」はとても好きです。

歌詞に助けられたり、それ以前に大声を出すことに助けられたり・・・兎にも角にも私にとって素晴らしいストレス発散法です。

忙しい時やお金が厳しい時に中々カラオケに行けないのが難点ですが、そういう時は家で聴いているだけでも(+鼻歌を歌ったり)少し力が湧いてきます。

 

悲しい!と言う気持ちは持っていてもしょうがない。

悲しいと言う感情は面白いもので、自分の心から湧いて出てくるのに制御できないものだと思います。ずっと持っていたら体が固まって動けなくなってしまいます。悪い感情ではないと思うのですが、それでも持っていたからと言って幸せが来る、なんてことはないと思います。でも大事なものでもあると思います。なぜなら「悲しい」と思うから「変わりたい」「頑張りたい」と思えるようになるから。だからきっと、「今の自分」の手に届かない遠くに大切に保管することが大切なような気がします。手に届いてしまったら、手放してもすぐに掴んでまた不安になってしまうから。そう思うから。もっと欲を言うなら、友達や家族に「少しだけ」持っていてもらうのもいいかもしれません。一人では重いものでも二人や三人なら持ちやすいと思うから。(相手のことも考えて「少しだけ」。)

 

ちゃんと覚えておいて、いつか手が届くようになった時に「悲しい」が「変わりたい」「頑張りたい」に変化できますように。

 

 

後悔しないこと

実は私、今絶賛悩み事を抱えているんです。

お話に入る前にまず一つ。

星、ブックマーク、読者登録、有難うございます!とても嬉しく思っております。これからも頑張ります。ちゃんとお礼訪問を行っておりますが、多忙ということもあり多少遅れてしまうこともあると思います。そこはご了承下さい。申し訳ありません・・・!

 

さて、本題に入ります。

散々自分の考えを書いている私ですが、分かっていることとそれが出来るかは別の話です。自分で言っている割には私は「自分を誇ること」が出来ていませんし、「信じること」も出来ていません。なんとも情けない話ですが、それでも諦めている訳ではないので許してください。

 

私、心配性なんです。

不安要素が極力ゼロの物事しか進めたくないんですよ。そんな物事に関わりたくないんですよ。私の周りにはヒッチハイクをする人、突然海外に行く人、恋人がいる人に猛アタックする人、などなど、そういう優れた行動力を持っている友人が沢山います。すごいなぁと、自分にはそんな力がないからこそ彼らのことを尊敬しているのです。ですが、自分にはどうもできません。恐らく極限状態:生きるか死ぬかの状態に陥ったら何でもできると思いますよ。人間なんてそんなものですから。ですがそもそも自分が極限状態に陥ることがないようにしたいっていう考えなんです。

憧れはあって、自分もそうなりたい!と思うんです。だから例えば「インターンに参加しようか!」とか、「海外一周しようか!」とか、色々構想は練るんです。そしてそういうプログラムがインターネットで募集がかかっているなんて時は食いついてしまうんです。でも実際やるかやらないかの選択を迫られた時、「飛行機が墜落したらどうしよう」とか「スリに会ったらどうしよう」とか、そういうネガティブなことばかり考えてしまうんです。真っ先にマイナスの事態を考えてしまいます。「何とかなる」「別に死ぬわけじゃあるまいし」(飛行機が墜落だと話は別ですね・・・。)と、最悪の事態を想定して「それよりかはマシだ」と言う風にこじつけて頑張れる時もあります。だけど頑張れない時の方が大半です。

 

私は「安定」を求めている。

自分が何が欲しいかというのは分かっています。私は「安定」を求めているんです、「不変」を求めているんです。今と変わらない生活がこれから先ずーっと続けばいいなぁと思っているんです。

また、私は極端に「恥をかくこと」を嫌っています。日本は昔から「恥の文化」と呼ばれるように、もう民族にその考えが定着しているんだと思います。例えば武士には切腹がありますし、戦争においても自決という言葉があります。「有終の美」なんかもこの文化に通じているように思います。それはそれで日本人の特徴で、ていうことになるんですよ。でも私は少し異常な方で、自分は恐らく完璧主義者だと思うんです。「全て完璧でなければならない」という強迫観念にとりつかれてると思います。それはきっと幼少の時の環境が大きく関わっているんです。

 

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この記事で書いたように、私は「人に迷惑を掛けてはいけない」「良い子でなければいけない」と思って生きてきましたから。多分この分析は当たっているんじゃないかと思います。ですが、今更どうしようもできない話ですし、これが私なのだから仕方ないじゃないかと、この事実自体を悲観している訳ではないんです。

 

「不変」は「衰退」を意味する。

少し専門的な、理系っぽい話をしますけれど、エントロピーという言葉を知っていますか?これは「乱雑さ」の指標です。例えば月の始め:1日に自分の部屋の掃除をしたとしましょう。掃除完了直後はとても綺麗なんです。ホコリ一つ落ちていない。ですが時間が経って月の終わり:30日にその部屋を見てみます。大してその期間は何もしていないんですよ。机に向かってPC作業をしたり、ベッドで寝ているだけなんです。そこにはいつもと変わらない「不変」の生活があったんです。ですが30日に部屋の隅々まで確認してみると、角にはホコリや髪の毛が、机の上はノートやプリント類が散乱している・・・なんてのはよくある話じゃありませんか?

つまり自分が「不変」だと思っていても実際は「衰退」しているんです。少しずつ悪い方に向かっている。ということは「不変」にするにはそのための「努力」が必要なのではないでしょうか?まっ、そう考えているだけで私は実行できないんです・・・。本当に情けない話です。いやいやもちろん、部屋の掃除ですとかそういうのは努力してます。そうではなくて、私は「自分が変わるための努力」をしていないんです。だから恐らく大学に入る前50だったものが三年目になっていつの間にか30くらいになっているんです。

言葉ではなんとなくでも分かっていても、それでも行動に移せない。中々難しいんです。「やらなければならないこと」はやっていますが、「やらなくてもいいこと」はほとんどやっていません。

大学生には自由が与えられています。「何をしてもいい自由」と「何もやらなくていい自由」。私は後者を選択して今まで生きてきました。うん・・・何とも情けない。

 

自分の心に聞いてみよう。

今私が抱えている悩み、(上の具体例で少し紹介はしたんですが)それは「海外インターンシップに行くかどうか。」です。ほんとネックです。

まず私、海外志向ありません!今時代はグローバル化なんて言ってます。勿論大事だと思いますよ。例えば英語話せなければ海外の方たちと意思の疎通なんてはかれませんから。ですけど、みんながみんな世界へ行く必要はないんじゃないかなって思うんです。誰かは日本に残らないと、日本が空っぽになっちゃいますから。(ちなみにこの言葉、「異端のススメ」という本で林修先生が仰っていました。実際はこんな軽いノリじゃないです(笑)。)日本はガラパゴスでさえいいと思っています。(この話は後日致します。)

それから、やっぱり海外怖いです!夏休みに海外へ行ってきましたが、愛国心が強くなりました。やっぱり日本は最高です。日本じゃ当たり前なのに、なんでここにはあれがないんだ!とか日常茶飯事でした。(この話も後日。)

それでも、必要か必要じゃないかを今決めて行動するのは正攻法じゃないとは思います。つまり後々になって物事に意味を見出すなんてことはザラにあるんじゃないかなと思うんです。勉強のこと然り、高校時代、よく友人が「数学なんてどこで使うのよ!」と言っているのをたくさん聞きましたけど、実際世の中数学で成り立っているんですよね~。使う人は使う、ものすごく必要。

だから今ものすごく悩んでいます。しばらくこの悩みは続きそうです。

 

悩み事を解決することができない私から一言。

解決できない私が言うのもおこがましいですが、一つアドバイスができます。(何様w)

それは、「後になって後悔しない方の道を選ぶこと」です。「あの時ああしておけば!」と思うのが一番辛いんじゃないでしょうか?「あの時ああしておいて本当によかった!」と思えたら最高じゃないでしょうか?

また、「どんな道でもこれは自分が選んだ道!と言えること」も大事だと思います。自分の人生ですもん、人からアドバイスをもらっても最終的に決断するのは自分自身。これは恐らく「後悔しないこと」にもつながると思います、自分が選んだ道だ!と納得できるでしょうから。

 

全然一言じゃないですね、すみません。

さぁ、私はまた悩みごとを再開してきます。ムリしない程度に。

 

 

 

私の師匠は全て

我以外皆我が師。

身の回りのもの全て、人間以外のものも全て自分を成長させるものだと思います。

私は漫画やアニメが結構好きです。ピアノも長年習っていましたし中学生・高校生では音楽系の部活に所属していたこともあり音楽も好きです。

悩んだりしたとき、私はよくアニメに助けられます。音楽にも助けられます。ここではまずアニメに触れていこうと思います。

 

同じこの世を生きていない、架空の世界の話なのに。

得られるものは沢山あります。そしてそれが心に染みて明日を生きるための糧になるのです。

今まで沢山のアニメを見てきたので、ここで全て紹介するのは不可能ですが、真っ先に思い出せる私がとてもお世話になったアニメ(漫画)を紹介したいと思います。

 

詳しくはWikipediaで調べた方がいいと思います。ここではざっくり紹介しますと。心に傷を抱えた十数人の子供から大人まで幅広く居るキャラクターたちが、それぞれ助け合いながら傷つけあいながら、頑張って生きていくと言うストーリー。(あれ、すごく紹介が下手な気がする。)

少し自分の境遇と似ているところもあったりして私はとても共感しました。だからこそキャラクター一人一人の言動が、気持ちが分かってしまって、涙無くしては見ることはできません。(読むことはできません。)特に私が気に入っている言葉を一つ。

草摩紅葉くんというキャラクターがいるのですが、その子が言ったセリフですね。

 

僕はちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、僕を痛めつけるだけの思い出でも、
いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、
ちゃんと背負って逃げないでいれば
いつかそんな思い出に負けない僕になれるって
信じているから。信じていたいから。

 

彼は過去にあった出来事を引きずって、でも主人公や他のキャラクターたちには悟られないように笑顔で過ごしていたんです。(彼と血縁関係のあるキャラクターはお互いが抱える問題をある程度は知っていると思いますが。)ですが、とあることがきっかけで主人公に知られてしまいます。その時のセリフです。

「過去に嫌なことがあっても、忘れてしまうのはとても悲しいことで、だからどんなに辛い記憶でも、その記憶と向き合い続ければいつかそんな思い出に負けない強い自分になれるって信じたい。」というニュアンスで私は解釈しました。

このセリフを聞いて思ったことがあるんです。それは、何事も信じることから始まるんじゃないかってこと。信じることは中々難しいことで、どうしても物事を100%信じるのはできなくて、疑ってかかってしまう部分もあったりします。先の見えないことなんて不確実なことですもん。でもそんな難しいことができたら?信じることができたら?それは確実に力になると思います。(ふと「諦めたらそこで試合終了ですよ」という有名なセリフを思い出しました。)そう考えたら途端に未来は明るいような気がして、楽しいと思うんです。これも「信じる」に通じていると思います。

 

これはつい最近まで地上波で放送していましたね。私は放送される少し前にOVA版を見て知りました。(もっとはじめは、ガンダムユニコーンのBGMの一つである「On Your Mark」からこのアニメを知りました。)年が年なのでファーストガンダムと言うよりかはガンダムシードをちらっと見たことはあった、くらいのガンダム歴でしたので、はじめは話の展開などさっぱりでした。しかし何度か繰り返し見ていくにつれてこの作品の魅力が分かったのです。

 これもにわかの私が紹介できることなんてないので詳しくはWikipedia等を見ることをお勧めしますが、ざっくり紹介するならば、主人公:バナージという少年が連邦と袖付きという相対する組織の間で揺さぶられながら自身のやりたいことを見つけそれを叶えるために奔走する、という感じでしょうか。(ホントまとめるのがヘタすぎて、気になった方は詳しくは公式サイトなどを見ましょう!)

このアニメには「可能性という名の未来」というキーワードがあります。人の想いがあって願いがあって、それが一つ一つ託されていくことで繋がり合う。キャラクターの抱える闇や夢も一つ一つが深く、感情を揺さぶられます。敵味方関係なしに見ればみんな自分の信念を貫いているだけなんです。人の未来を人の手で切り拓く、先は見えずとも可能性を信じて戦う。「人生そんなにうまくいかない」「どうにもならないときだってある」「どうしようもない」「それぞれの葛藤」という要素を取り込んだ、現実味のある作品です。非常に悲しく、非常に泣ける、そんな作品です。

(言葉で表すことが不慣れな私が言うと、どんどん胡散臭くなっていくような気がするのでここで止めておきます。)

 

どちらの作品も素晴らしいのは内容とともにそのBGM。是非聴いていただきたいですね。どちらの作品も、どの曲も全てが心に訴えかけてくるものだと思います。

 

 最後に。

 自分の身の程と言うのは分かっているつもりです。だからこそこれからの人生は生半可なものではないでしょう。挫折も沢山すると思います。恐らくその時その瞬間はとても怖いでしょう。悲しくて仕方がないでしょう。ですがその恐怖や悲しみは時間が解決してくれると思います。そう信じたいです。全てのものには良くも悪くも意味はあると思います。でもだからこそ、悪いことにも良いと思える意味はある。その時は思えなくても時間がそう思わせてくれる。(昔のことが笑い話になるのはよくあること。)

自分を信じることは難しいですが、頑張りましょう。自分の周りにあるものには全て意味があって、それらは全て自分の成長を促すものである。

 

 

 

ありのままの自分を誇ること

今日は自分の実体験について話をしようと思います。

今この瞬間の私。

大学三年生です。ですが受験の反動と中高六年間(中高一貫校でした)の反動でか大学入って一年二年は自堕落な生活を送っていました。だからこそ三年になった今何か就活でネタになりそうなものも無くて困っていて、あれしてみようこれしてみようとヤケになっている気がしております。

今も就活を控え漠然とした悩みを抱えて頭の中はぐちゃぐちゃになっているんです。でもまずは心を落ち着けて、事実と気持ちを整理したいと思いこの記事を書き始めています。まずは落ち着くところから、紅茶など温かい飲み物がいいと思います。

 

今の自分を形成した過去の体験。

結論から言うと、私は自分の悩みを一切人に話さない、話せない、『良い子』を演じて生きてきました。誰にも迷惑を掛けないように、誰も私のことで困ることがないようにして生きてきました。今では多少マシにはなりましたが(母に今までのこと80%位打ち明けたから)、完全には治ってないですよ。

 

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この記事で触れたとおり、私には兄が一人おります。両親は二人とも健在で、恐らく裕福な方の家庭だと思います。お金には然程困ってはおらず(無駄遣いはしていませんよ!)、子供の願いは基本叶えてくれる優しい親です。私はとても感謝しております。

・・・今はね。今この年になってやっと親の有難みを身に染みて感じているのです。

遡ること小学生。私は兄と非常に仲が良く、家の中で卓球をしたり野球をしたりしていました。夜は夕飯を食べ終わってから二階で父と私と兄とでトランプをしていました。ですが、そういう日もあったというだけで父のことは昔から恐怖の対象でした。

父はすぐに機嫌が悪くなる人で、仕事のストレス?で機嫌が悪くなったりご飯やテレビなど本当に些細なことで機嫌が悪くなる人でした。そんな父の機嫌をとろうと母は自分のできる範囲で、家事などを精一杯やっていました。私はその母を間近で見ていましたから分かるんです。母はとても頑張っていました。ですが母は精神的に強くなく、度々泣いている姿を私は見てきました。だからこそ私は迷惑を掛けないようにしなければならない、と幼いながらに考えていました。

時は経ち、やがて兄の中学受験が始まり、母は父の機嫌をとりながら兄の面倒を見るようになったため、私の覚悟はより一層強くなりました。私も数年たてば中学受験本番という時期ではありましたが、そんな環境であったので悩み事などは一切話せなかったです。ちなみに百歩譲って相談するとして、できる相手は母だけです。父にはできません。

悩み事の具体的な例としては「いじめ」です。けして水を掛けられたり机に落書きをされたり、そう言ったハードないじめではありませんでした。ですがあまり友達に相手にされなくなった時期がありました。今でもその理由は分かりません。何か気に障るようなことをしたのか、沢山考えてみたものの原因は全く分かりませんでした。でもこの悩みを母に相談することはできませんでした。1人で夜泣いて、気付かれて「どうしたの?」と声を掛けられたことはありましたが、虐められているということを言ってしまえば母を困らせてしまうだろうと思っていましたから「なんでもない」と応えていました。今となっては当時の傷も癒えて平気ですが、ですが傷は癒えても考え方は何ら変わっておりません。

受験を終えて中学に入りました。家から遠い学校でしたので朝5時に起床し6時に家を出るという生活が始まりました。(あの頃の私に拍手です・・・。よく頑張ったと褒めてあげたい。)人見知りということもあって入学から一週間、二週間経っても友達はできませんでした。お昼は始めこそ班といって席の近い子と机をくっつけて御飯を食べるのですが、そのシステムも早くに崩れ、しばらくは1人でご飯を食べていました。1人というのが怖くてトイレで食べたことも・・・。自分が情けなくてどうしようもありませんでした。(書いてて泣けてきた。)そんな生活も、同じクラスだった子にいつの日か助けられ(一緒に食べようと誘ってくれました)、夏休み入る前には終わったのですが、やはり当時は辛くて辛くて、ご飯ものどを通りませんでした。この事も悩みはしましたし、学校には行きたくないと思って家で泣いていましたけれど、母に相談は一切しませんでした。(数年経った今、母と話をして知ったのですが、実はこの事実は担任の先生が母に電話をしていた為、母は知っていたようです。それでも母は私が相談してくれるのを待ってくれていたのです。)

中学に入って電車通学をすることになり、痴漢にもストーカーにも会いました。盗撮をされたこともあります。この頃は時期も時期だったことで非常に辛かったです。でも誰にも言えませんでした。困らせてしまうと思ったからです。「親は子の悩みを聞いてあげたい、相談に乗りたいものだ。相談してくれたらうれしい。」と言うような話もネットを見たりして知りましたけれど、それでも今更自分の頑張っていたことを、生き方をやめるようなことを、覚悟を壊すような行いを、私はできませんでした。

夜中一人で泣いて、それでもどうしようもなくて、「心のノート」のようなものを作りツラツラと心境を綴ることで堪えていました。(十年程経った今でも恐らく家族誰にも見つかっていないと思います。現在7冊目。)

高校生になって自分の進路を考えるときなど、悩みは尽きません。終わったと思えばまたすぐに次の問題がやってくるのです。

それでも、「どうしても」「話を聞いてほしい」「親には逆らえないからこそ話を聞いて許可が欲しい」とか、そういう場合は話をしました。大学受験の志望校とかですね。理系と言うことに反対されることはなかったですが、「どうせ目指すなら目標は高い方がいい」とK大(ご想像にお任せします。)を第一志望にしなさいと言われた時ですね。

まず第一に、本当は家から離れたとある大学に魅力を感じていたのです。「○○学部○○学科、いいなぁ」と思っていました。ですがその時兄は既に大学受験を終えていて地方の大学に進学しており、家には父と母と私だけでした。ある日母が親戚の方と電話しているのを聞いてしまったのです。「(兄)は遠くに行ってしまったから、(私)は家にいてほしい、遠くに行かないでほしい」と。真っ先に私が気になっていた大学への進学を諦めましたね・・・。説得するにしても100%の熱意はなく認めてくれるとは思えなかったからです。それならば何も言わない方が困らせないと思いました。この想いも早くに消滅することを願いました。

私は兄に比べて出来が悪いもんでしたから、そんなの無理だとすぐに伝えました。しかし、「あなたならできる」「まだ高校一年生、これからの努力でなんとでもなる」など様々なことを言われ、最終的に言い包められました。実際高校二年生までは志望校を決めようが願書を出すわけでもなかったので「そういう設定」で乗り切りましたが、高校三年生になってからは違いましたね。

まず問題が解けない!というね。それとK大に魅力を感じなかったんです。負け惜しみか、受かりっこないという理由欲しさの言い訳だったのかもしれませんが、本当に致命的でした。私は「頑張れば手が届くだろう」という位の目標が欲しかったんです。「届きっこない」という程の目標は自分を苦しめるだけでした。それが夏休み後も分かってもらえなかったんですよね・・・。本当に辛くて辛くて、声が出なくなった時期がありました。きっと言いたいことはあるのに言えなくて、咽に負担がかかったんでしょう。実際ものすごく痛かったです。これはもう、ヤバイですね。体に現れちゃってますから。人に迷惑をかけるとか以前に、言わないと自分が死ぬと思いました。

今でも覚えています。2013年10月1日でした。目は涙で腫れ、久しぶりの声は震えまくりで聞き取りにくかったと思います。第一声は「お母さん」。それなのに「お゛・・・かあ゛・・・さ・・・ん゛」としか言えませんでした。「辛くて辛くてどうしようもない、相談できなくてでも自分でどうにもできないから勉強に身が入らない、何もできない自分が情けない、母を困らせてしまうが生きる為に打ち明けている自分が醜く恥ずかしい」、本当に本当にしょうがなかった。全部全部聞いてもらいました。ありがとう。

それからは母も考えを変えて私のしたいようにすればいいと、あなたの人生だからと言ってくれました。それからは勉強のことで悩むことはあっても、意見の対立で悩むことはなくなり、浪人の危機もありましたがなんとか現役で行きたい大学から合格を頂くことができました。

余談ではありますが、父も私の受験の時は大変心配したようで、こんな言葉を頂きました。

「今まで頑張ってきたのは知っているから。あとはどう転んでもしょうがないって、だから緊張するなっていうのは無理な話だけれど、明日(受験日)は思いっきりやってきなさい。」

大学に入ってからは父の機嫌が極端に悪くなることは少なくなり、またこの言葉もあったことで恐怖の対象ではなくなりました。まぁ、それでも相談はできないんですけどね。

 

非常に長くなりましたが。

私は、自分でどうしようもなくなった時にしか親に相談できない人間です。自分のSOSを人に伝える能力が極端に低い人間です。

そういう方、他にもいらっしゃるんじゃないでしょうか?親の機嫌や顔色をうかがい生きている方。でもそうやって生きてきた期間が長いのならば尚更、変えることは中々難しいです。だってそういう風に何十年も生きてきたんですもん。途端に明日から変われるかと言われればそれは無謀な話です。

だからこそ大事なのはきっと「ありのままの自分を誇ること」だと思います。

今まで生きてこれたのは奇跡です。私の場合悩みや不安で病んでいましたし、うつ病の気すらあったと思います。実際、私は適応障害なのではないかと思ったことがありますから。こんな自分でも生きてこれたのです。それは何より素晴らしいことでその事実をもっと受け止めて自信にすればいいのではないでしょうか。ええ、口で言うのは簡単です。事実私は未だ自分を誇れません。自己肯定心が極端に低いように思います。でもそれが私なんですよね。

だからまずは自分と向き合って、その事実を受け入れせんか?その姿がどんなに情けなくたって、まずはその姿で今日の今日まで生きてきた自分を褒めてあげませんか?

私も頑張ります。生き方や情けなさは分かったけれどなるべく悲観しないように、今できる範囲で頑張ろうって思います。