cognuts’s blog

一个日本人自己做正宗中国菜的博客。在餐厅一定要点炒饭和锅贴的人不要看。

杨洲早茶

江蘇州、楊州。

先進地帯江南でも特に栄えた商都

隋の煬帝が最晩年を過ごした歴史の舞台でもあり、また李白が詩の中で詠み込んだことで知られるように、多くの文人が遊んだ景勝地でもある。

 

経済的に栄えた都市は、食文化も発達する。

美食の都としても知られ、豪商たちの舌をうならせる数多くの名菜が生まれた。

超絶技巧的な包丁技を使った料理が名高いが、忘れてはならないのは”早茶”。広東省の広州同様、朝から点心を摘まみながらお茶を楽しむ習慣が存在するのだ。

今回は、その揚州で親しまれる代表的な点心三種に挑戦した。

一番手前の饅頭は”三丁包子”。右手の野菜の入ったのは、”翡翠焼売”。一番奥は、甘い点心”千層油糕”。

楊州の点心の特徴は、”包子”、つまり饅頭が大きなウエイトを占める事。”三丁包子”はその中でも代表選手。香港の飲茶で言うと、”エビ蒸し餃子”か”叉焼包”といったポジションか。

”三丁”の”丁”はさいの目切りのこと。さいの目切りにした具材が三種入っていることでその名がある。写真の中身は、豚肉、鶏肉と筍。鶏肉の替わりに椎茸を使うこともあるようだ。

”千層油糕”。

生地を広げては畳みを繰り返し、層にした”糕”、カステラのような点心。中国版ミルフィーユと言ったところか。アップで撮ると、

層になっているのがおわかりだろうか。上手な人は一枚一枚の層をもっと薄くする。その見た目はまるでシルクの薄布を重ねたようで、ちょっとした芸術品。それだけ薄ければ口当たりもさぞよいに違いない。

本当は表面に細切りにした緑と赤のドライフルーツを散らすのだが、残念ながら手に入らなかった。

 

翡翠焼売”の写真は割愛。アップに堪えるものが作れなかった。

中身についてだけ触れると、使ったのは青梗菜とホウレン草。現地では青梗菜オンリーなのだが、私はホウレン草のコクが好きなのでブレンドした。

西湖龍井と一緒に。

 

楊州は私にとって眷恋の地。

初めて知ったのは、郭長聚氏のご著書による。

自ら経営する店で腕をふるわれた郭氏。高倉健を始め、その味に魅了された著名人も少なくなかった。

その郭氏が著された『食在揚州』。一般家庭向けの料理の指南書で、特に揚州の料理を紹介していたわけではなかったが、今思えばいずれも氏のご出身の地の料理の特色をまざまざと伝えていた。

シンプルすぎる程シンプルで、一見すると野暮ったいとも思えるそれら。しかし、子細に眺めれば、全て素材の持ち味を活かすため、敢えて技法を絞り込む別の意味での洗練があった。それを見て、今まで私が中華料理に持っていた「やたらに油っこくて、調味料まみれ」という概念は一変した。

今や「素材の本来の味を大切にする江南地方の料理こそが中国料理の真髄」という信念を抱くに至ったが、そのきっかけを与えてくれたのは郭氏の著書だったように思う。

いつか揚州を訪れ、自分の舌でその味を確かめたい、というのがここ数年来の私の秘かな念願であるが、今日なおそれを果たせないままでいる。機会を得るその日まで、せめてこのように拙い料理を自作して彼の地に思いを馳せることとしよう。

香酥鱼

今回はちょっと趣向を変え、ごくありきたりな食材で、ごく普通の一品作ってみた。

鯵の唐揚げ。

しかし、これを中国料理と呼んでいいものか。要するに、ただの揚げ物に過ぎないから。変わったことと言えば、下処理として酢に漬け込んでいることくらいか。これをすることによって、骨までサクサクになるのだ。もっとも、気の利いた人は日本人でも普通にやってそうだが。まあ、揚げ物をつまみながら、冷たいビールで一杯やりたかったんですわ。キューとね。

もっとも、サクサクになったのはいいが、ちょっと焦げ臭かったな。骨まで食べられるようにするには、たとえ酢で柔らかくしてあるとはいえ、かなりの時間油で揚げなくてはならず、どうしてもこうなるのだ。それとも、油の温度が高すぎたか。十分低温にしたつもりだったんだけどなあ。或は、鯵は所謂”豆アジ”でも結構骨太いから、そのせいか。中国人がこの料理を作る時は、いかにも骨の細そうな川魚の小振りな奴を使うのだ。それなら揚げ時間ももっと短く済みそうだ。日本で手に入るもので鯵より骨の細そうな魚と言えば、ハタハタか。今度試してみるか。

荷包鳝

シンガポールのオーチャード・ロードに、”ニーアンシティー”という名の巨大ショッピングモールがある。そこに入っている潮州料理のレストランで食べた料理。

シンガポールは、潮州人の移民が多くて(私の友人のご両親もそう)、そのせいか潮州料理のレストランが多い。ところが、同じく出身者が中華系の人口の何割かを占めるというのに、福建料理の店はあまり見当たらない。恐らく、それは単純に料理として福建より潮州料理の方が人気が高いからであろう。ただ、シンガポールの中国料理全体に何となく福建料理の影響を感じるのは気のせいだろうか。

料理名を和訳すると”鰻の蓮の葉包み”。と言っても、見立てているだけで本当に蓮の葉を使っているわけではなく、鰻を包んでいるのは菜っ葉の漬物。現地の物は手に入らないので、高菜漬けで代用してある。でも、たぶん高菜でOKなんじゃないか。動画で見る限り高菜そっくりだったから。

あるシェフのお話によれば、90年代から作られるようになった料理とのこと。だから、伝統的な潮州料理というわけではない。ただ、シンガポールで食べた時の味が忘れられず、前々から一度家で作ってやろうと考えていた。

作り方は、至ってシンプル。鰻を高菜で包み、鶏から取ったスープとスペアリブで蒸すだけ。勿論、ベースのスープやスペアリブの下処理に多少の時間はかかるが。

味は悪くない。鶏の出汁、スペアリブと鰻のエキス、そして高菜の旨味が混然一体となってる。レストランの味そのままという程ではないが、まあ食えるレベルだろう。

シンガポールのレストランは、この料理を始め大変スープ料理のメニューが充実しているが、そこに福建料理の影響を感じる。福建料理は、中国料理の中でも特にスープを重視するのが特徴なのだ。同じ潮州料理でも、香港だとさほどスープが充実していなかったような…。

使った鰻は宮城県から取り寄せた。本当は、アナゴで代用しようと思ったのだが、最近なぜかスーパーで見かけない。以前は時々置いてあったのに。あまり獲れなくなったのか。最近そんな話ばっかりだ。新鮮な海産物が手軽に手に入るのが、日本に住むメリットのはずなのに。

もう一つのメニューは、”鶏と金針菜の蓮の葉蒸し”。以前このブログでも紹介した私の大好物。こちらは本当に蓮の葉を使用してある。蓮の香が清々しい一品だ。

麒麟鲈鱼

スズキの重ね蒸し。スズキの身と金華ハム、干しシイタケなどを重ねて蒸した料理。ただし、金華ハムは手に入らなかったので、生ハムで代用してある。

こうやって見ると迫力が足りないな。頭と尾っぽを見てもらえればわかるように、使ったスズキはかなり大振りの物。だから、たっぷり身がついていたのだが、家にある皿が小さくて半分も盛り切れなかった。頭と尾っぽを除けばもうちょっと載ったと思うが、そうなるとなんの料理かわからなくなる。今はこれで満足しておこう。

言うまでもなく、麒麟は新しい天子の誕生を告げる瑞兆。そういう吉祥紋を象った料理だと思っていたのだが、それだけではなかった。ある中国人シェフの語るところによると、具材を重ねて行くところに、"一歩一歩前進する"という意味があるのだとか。なるほど、ポジティブな現実主義者である彼らがこの料理の盛りつけにそういう意味を込めたとしても不思議はない。しかし、こうも考えられないか。中国には、一つ一つ積み重ねて行くことで出来上がった文物が多い。万里の長城兵馬俑のような建造物然り、章回小説や史書のような文芸作品然り。彼らは、一つ一つ積み上げることで、最終的に気宇壮大な物を作り出す。積み重ねるという行為そのものがとりもなおさず"達成"や"繁栄"のメタファーになり、だからこそその行為を皿の上でも再現して見せるのだ、と。

巨大な物から、料理のような身近な物まで、行動原理の貫徹する中国人に、親近感と無限の敬慕の念を抱く。

 

 

咖喱鱼头

私はカレーという食い物はあまり好きではないのだが、これは大好きな(だった?)シンガポールの名物なので時々作ることにしている。ただそうだとしても、熱帯の食い物なので夏に作るのが適当だと思うのだが、それをなぜ今頃なのかというと、近所のスーパーでアオハタのアラが手に入ったから。

私はこの料理に使う魚はずっと鯛(red snapper)だとばかり思っていたのだが、youtubeの動画を見て、現地の人たちはもちろん鯛も使うのだが、それと同じくらいハタのアラを利用していることを知った。(スーパーの魚売り場でずらりと並べられた光景は圧巻!)元々鯛という魚が好きでないということもあり、いつかまたこの料理を作るとしたら現地の人を見倣ってきっとハタを使ってやろうと考えていたのだが、惜しいかな、ハタという魚は日本ではなかなかアラだけ売ってはくれない。ところが、たまたま近所のお店に立ち寄ると、適当な大きさのものが売っているではないか。早速、購入して調理することに。

 

 

 

 

 

 

琵琶鸭 北京烤鸭

マレーシア産の家鴨が手に入ったので、早速琵琶鴨を焼くことに。また、前回ちょっと書いたが、胸肉の部分だけ別に切り分け、北京ダック風(あくまでも”風”)にしてみた。

餅(ピン)も自家製。ちょっと小ぶりで薄すぎたが、初めて作った割りにはまあ食べられるレベル。ただ、端っこが固いのが気になる。これは大きめに作っておいて、最後に端っこを切り取るのがよいと思った。

北京ダックと言っても、こんな風に皮と肉とを一緒にスライスするのは、広東風。香港の超有名店”鹿鳴春”もこの切り方。一方、”全聚徳”のように、北京のレストランでは肉と皮を別々に切り分ける。また、貴人は一番良い所だけを食べるという価値観があるそうで、店によって皮しかサーブしないのはそのためなのだとか。(ただ、日本で多くの店が肉を出さないのは、価値観云々というより、使っている家鴨が冷凍ものの質のよくないもので肉自体があまりおいしくないからだろう)私は、皮だけ食うのは食べ物として意味がないと思っており、ましてや貴人でも何でないので、誰に憚ることなく、肉と皮を一緒に頂くことにしている。ごちそう様。(うめえ!ビールとよく合う!)

残りは、酸梅醤をつけて豪快にかぶりつく。全く臭みはない。マレーシア産が手に入ってよかった。

家鴨の肉で一番美味しいのは、鶏と違い腿ではなく、胸か背中の部分だろう(写真の中央の部分。)シャキシャキして抜群の噛み応え。噛むほどに、家鴨独特のコクが口に溢れる。

私が家鴨を食べるときに思い起こすのがゾラの「居酒屋」。主人公ジェルヴェーズが自ら開いた豪華な誕生祝いの席で、メインディッシュとして確か大きな家鴨か鴨の料理が出されていたはず。ひそかに思いを寄せるクーポの目を気にしながらも、あまりの美味しさに思わずがっつくジェルヴェーズ。後に悲惨な末路を辿ることになる主人公の最後の栄華。悲しくもおかしい庶民の実態をとらえる作者の筆は実にあざやかだ。

 

小笼包

これも今まで何回か作っているのだが、出来に納得していなかったので再挑戦。

以前書いたかもしれないが、小籠包の生地は温水で練るのが特徴。小麦は、冷水で練るとグルテンを形成し、熱湯で練るとグルテンの形成が抑えられ逆に糊化するのだが、温水で練ると両方の性質を兼ね備えるのだという。小籠包を温水で作るのは、皮にグルテンのコシと糊の粘りの両方がないと、中に閉じ込められたスープを蓄えておくことが出来ないからだろう。ただ、私は熱湯で練った生地と冷水で練った生地を別々に作り、それを最後に合わせるというやり方を取っている。それは温水の温度をいちいち計るのが面倒ということもあるが、熱湯は熱湯で、冷水は冷水で練った方が上記のコシと粘りを最大限に得られるような気がするからだ。そして、今回は特に念入りに生地を作ってみた。さて、その出来栄えは。

おおっ!見よ、このタプタプ感。今まで私が自作に感じていた最大の不満は、小籠包一つ一つのスープの量が少なくて、小籠包を食べたぞという気がしなかったこと。一度皮を破るとふんだんに流れ出るあのスープこそ小籠包の最大の魅力ではないか! それで今回は、スープの素となるゼリーを多めに包んだのだが、ただ多めにした分生地がスープを留めきれずに外に流れ出してしまうのではないか内心不安だった。でも、生地作りがうまくいったのか、これだけ中にスープが溜まっていても一滴たりともこぼれ出たりしない。今まで作った中では、最もうまく行ったと思う。

皮を箸で破ると、ジュワッとスープが溢れ出る。レンゲごと口に運ぶと、小籠包を食べたという満足感が広がる。鼎泰豊に勝った、と言うと自画自賛が過ぎるか。

本当言うと、襞の取り方をもっと綺麗にしたかったのだが、それは次回の課題ということで。

桃花酥

”酥 ”と呼ばれるパイ生地は、私の大好物。以前、”荷花酥”を作ったが、今回は別のメニューに挑戦。

思ったほどの出来栄えではない。

パイ生地自体は何度も作っているのでさほどでもなかったが、問題は中の餡。ねちゃねちゃして上手く丸められない。そのせいで、生地でくるんでも全体に行き渡らず、綺麗な形にならなかった (だから、本当はもう一つ別の種類の菊花酥というパイを作りたかったのだが、叶わなかった。)缶詰めのあんこをフライパンで炒めたのだが、その炒め方が足りず、水気が残ったのが原因か。しかし、あの妙なネバネバ感を思うと、市販ものに入っている甘味料のせいだったような気もする。出来合いのものはやたらに甘いし、一から小豆を煮るなり、中の餡はもうちょっと工夫が必要だと思った。

あと、花びらの成形がうまく行っていない。はっきりした層にするため一工程ごとに生地を冷蔵庫に戻していたのだが、それが失敗の元。冷えたままだと生地が硬く、形にしようと指で摘まむと簡単に割れてしまう。最終段階だけは生地を室温に戻すべきだった。

 

琵琶鴨

数ある食材の中で何が一番好きかと問われたなら、私は水鳥がそうだと答えよう。家鴨、鵞鳥と聞いただけで胸がときめく。ドナルド・ダックを見ても涎がでるくらいだ。淡白な味わいの鶏とは別の、肉にぎっしり血の詰まったような、独特のコク。私が日本の中華料理屋にさっぱり行く気がしないのは、大抵の店がこれを用意していないから。北京の北京ダックはもちろんのこと、広東の焼味、滷水しかり、江南の八宝鴨しかり、中国人にとっても水鳥の類いは最高の御馳走の一つだろう。仮にも中国料理の看板を上げながらそれを客に提供しないなんて、何と言う手抜き!まるで原節子の出ない小津映画、三船敏郎の出ない黒澤映画、高峰秀子の出ない成瀬巳喜男田中絹代の出ない溝口健二みたいなものではないか。つまり、「てんで物足りない!まるで観た気が、いや食った気がしねえや!」ってこってすわ!

さて、この料理。家鴨を"開き”にして焼いたその形が楽器の琵琶に似ているのでその名がある。(写真は胴だけだが、首がついているとちょうど棹のようで琵琶そのもの。)ただ、どうしてわざわざ”開き”にするのかよくわからない。広東省の珠海という所の名物料理らしいが、料理誕生の経緯など結局調べられずじまいだった。全体が平べったくなった分、焼き時間が短縮できて効率的か。いずれにせよ、日本の一般家庭にある食材を寝かせて焼く式のオーブンだと、そのままよりも開きにした方が圧倒的に焼きやすいのは確か。だからこそ私もそのやり方で家鴨を焼いたのだが、見事失敗したのは前々回記した通り。好物の家鴨料理をこのままで終わらせる訳に行かない。よって再チャレンジ。しかも今回は、料理にかける意気込みが違う。普段はあまりやらないのだが、特別に出来上がるまでのプロセスを紹介したいと思う。〈閲覧注意!生肉に近い物を掲載しているので、ここからはそういうのが苦手な人はご覧にならないように!〉

まず、開いた家鴨をこんな風に扇風機を当てて皮を乾かすのが、第一段階。これは、家鴨に限らず鶏もそうなのだが、皮を乾燥させないことには、広東ロースト特有の飴色の焼き目が付かないのだ。ただ、私もそうだったが、この生肉を常温の室内に晒すというプロセスに多くの日本人は抵抗を感じるかもしれない。「そんなことして、腐っちゃわない?」大丈夫。実際にやってみると、真夏の暑い盛りだといざ知らず、室温状態でも存外生肉は傷んだりしないものだ。逆に乾かすことで適当に水気が抜け、味が締まる。クリスマスにローストチキンを焼いたものの、「何だか水っぽくていまいちね」と感じた経験のある方には、是非一度試されることをお勧めしたい。それはともかく、今回はいつも以上に念入りに乾かすことにする。前回失敗したのは、この乾燥の工程が不十分だったせいのような気がしたからだ。何回かに分け皮水(酢と麦芽糖を混ぜたもの)を塗りながら風に当てる事三時間、その後冷蔵庫に入れ二十四時間放置する。そして、冷蔵庫から取り出した後、室温に戻すのと兼ねながらさらに二時間扇風機の風に晒す。するとどうだろう。おお、家鴨の皮がカサカサ(あまりいい表現ではないが、まさにそう)になっているではないか。いかにも焼けば皮がパリパリなりそうな感じ。そうか、youtubeの動画で最低でも四、五時間扇風機に当てろと言っていたのは、こういう状態にしろという意味だったか。フムフム。そう勝手に納得した後、いよいよ焼きの作業に入る。焦げ付き防止のために家鴨の全体に油を塗った後、二百十度に熱したオーブンに投入。五分焼いた後、百五十度に温度を下げる。これは、鶏を焼くのと逆。鶏の場合、低温で焼き始め、後から徐々に温度を上げて行くのだ。なぜ家鴨の場合逆にするのかは、よくわからん。皮に糖分が載っているので、下手に焼くとすぐに焦げてしまうからか。確かに最初に高温でもう一度全体的に乾燥させた後、低温でじっくり焼く焼き方だと、焦げ付きのリスクは低いような気がするわな…。まあ、いいや。ごちゃごちゃ言ってる暇があったら、取り合えず焼いてみるか。私は理屈であれこれ考えることは苦手。理論よりも実地の経験を貴ぶ実践派なのだ。焼きムラが出来ないように十五分毎に天板を回転させながら四十五分間。下の写真は十五分毎の焼き加減。

最初の十五分経過。まだ生焼け状態。

三十分経過。徐々に焼き目が付き始めた。そして、さらに十五分経過。まだ焼きが足りない感じがしたので、百七十度に温度を上げあと三分だけ焼くことに。三分後に取り出すと。

うん、いい感じではないか。香港のロースト専門店そのまま、と言ったらちょっと言いすぎだが、十分綺麗ではなかろうか。多少焦げ目がついてももうちょっと焼いて焼き目を濃くした方がいいような気もするが、却って台無しになっては元も子もない、今回はこのくらいに留めておこう。

どうです、このテリ。暫し見とれて、いつしか口元が綻ぶ。実を言うと私が家鴨を焼くのは前々回が初めてではない。それ以前から、それこそ十年以上前から焼いていたのだ。だが、一度として満足な焼き上がりになったためしがなかった。焼きムラができたり、均等に焼けてもても艶が出なかったり。こうして、一応むらなく全体に照りがついたのを見て感無量である。よく考えたら、全部中国の方が投稿した動画の通りにしただけで、何一つ私の創意工夫は入っていないのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。広東ローストの飴色の輝きに魅せられて、それ以来ん十年、叉焼、クリスピーポーク、クリスピーチキンと焼いてきたが、家鴨は見た目においても味の上でもその中の極致だと思っていたので、今回一応他人に見せて恥ずかしくないものが出来て、ある意味一つの到達点に達したような気がしている。(何を大袈裟な、と笑はば笑え。そういう奴はどうせ物の値打ちがわからんつまらん奴だ。)

よし、能書きはそのくらいにしてそろそろカットしてみよう。

ちょっと、皿が小さかったかな。もう一回り大きな皿で余裕を持たせた方が見栄えがよかったろう。また、切り方も工夫が足りなかった。これは、後知恵だが、胸肉にあたる一番右上左上の部分はもっと薄くスライスして別皿に盛ればよかった。そこだけ甜麺醤をつけ餅(ピン)で包み、それ以外の部分は酸梅醤をつけて食べれば、北京ダックと広東ロースト、二通りの味が楽しめたであろうに。まあ今更言っても、後の祭り。それは、次回の楽しみに取って置こう。

全景を撮影。本当はもう一品魚料理を用意したかったのだが、近所のスーパーに適当なのが入っていなかったのであきらめることに。まあ、これだけでも十分お腹いっぱいになるでしょう。

では、実食。肝心のお味は?

残念ながら、期待ほどではなかったというのが正直な感想。あまり食材のせいにするのは、気が引けるが冷凍ものよくない所がでてしまったという印象。同じ冷凍ものでも前回のマレーシア産は、臭みもなく、柔らかで十分美味しかったが、今回のタイ産はちょと固くて癖がある。悲しいかな、これが冷凍ものの限界か。いずれ国内の業者とコンタクトを取って、冷凍ものでない新鮮な家鴨を焼いてみるか。

ただ、パリパリのサクサクで皮は文句なく美味かった。それだけは念のため。

干烧斑魢

”斑魢”とはメジナ(グレ)のこと。

前からこの魚には”干烧”(煮汁を具材に煮含ませながら煮つめて行く調理法)に合うんじゃないかと考えていたのだが、近所のスーパーでちょうどいい大きさのものがあったので早速試してみることに。

予想以上に美味かった。

旬は冬で温かくなるにつれ磯臭くなると聞いていたので、ある程度は仕方ないかなと思っていたのだが、まったくクセはない。上品な白身魚。身は柔らかく適度に締まっている。何となく水っぽいチヌより美味しんじゃなかろうか。

また、調理法の”干烧”も上手く行った。写真の魚の上に載ってる赤いのは唐辛子なのだが、ピリ辛の味付けが淡白な魚に実によく合う。煮汁の染みた椎茸やザーサイまで美味しく、おかげでご飯が進みました。

それにつけても、日本の中華料理店はなぜこういう魚料理を出さないのか、とつくづく思う。日本人は魚なら割烹や居酒屋で食うという考えであまり中華に期待していないのかもしれないが、中国料理の魚料理の調理法は実に多彩である。それらをもってすれば、日本人が普段見向きもしないような魚でも、「これがあの魚か!」とびっくりするほど美味しく食べられることがあるのだ。それなら安く提供できるし、またお客も喜ぶから、双方得して損なしだと思うのだが。私がお店の経営者なら、そういう料理を必ず出す。いや、来日の予定がある中国人料理人の中で志のある者なら、きっと日本の豊富な海産物を使って料理を作ってやろうと考えることだろう。恐らくそれこそが本当の意味での"日本式中国料理"なのだ。一部のバカが勘違いしているが、豆板醤やトウチーのような調味料を使えば中国料理になるわけではない。どうです、日本の中華屋の皆さん、あなたがたの店でそういう料理を出してみては。中国人に先を越されて悔しがってもその時は後の祭りですよ。