冷めたスープで晩餐を

~ 冷めたスープのような人生経験を吐露するだけのブログ ~

常識を主張する人

 

常識について他人との認識の違いを埋めるのは容易でない。

だから近しい人間とは喧嘩もするし、国単位では戦争も起こる。

どちらが正しいかは問題でない。人の数だけ常識は存在するからだ。

 

 

ある日の午後、外出をしていた。

別に目的があったわけではない。室内にいるのがもったいないくらいの快晴だったし、知り尽くした街中では目新しいものは何もなかったが、気分転換をしたかった。

 

日が傾き始めたのでそろそろ撤収をしようと思った矢先、友人から電話が入る。

付き合っている彼女が転んでしまい、外傷はひどくないが頭を打っているようで病院に来ているとのこと。

相当動揺しているのが分かった。なぜなら、その友人とは普段連絡を取り合うような親しい間柄ではなかったからだ。混乱して電話をかけてきたのだろう。

 

聞けば、病院の場所は今の場所から数駅のところだった。彼女とは面識もあったし、友人もさぞかし不安だろうと思い、道中、女性が好きそうな小さな洋菓子を購入して病院に向かった。

 

病院が近づくにつれて怪我の具合はどうなのかこちらまで不安になってきたが、それは一瞬で安堵に変わった。ロビーで、車椅子に乗り談笑している彼女や友人、自分と同様に駆けつけた共通の友人の何人かをすぐに見つけることができた。

車椅子は検査室への移動に使用しているだけで、怪我自体はかすり傷程度で済んだらしい。

やはり友人は気が動転して、片っ端から電話を掛けたようだった。

 

そんな笑い話がひと段落した頃に、持ってきた手土産を彼女に渡した。

「甘いものが好きかは分からないが、あとで二人でゆっくり食べて」と言葉を添えて。

 

ところが、話を遮るように友人の一人が急に怒鳴ってきたのだ。

 

「怪我をして検査で食べられないのに、なぜ食べ物なんか持ってくるんだ!非常識だ!」と。

 

検査があることも、検査内容によっては食られないことも分かっていた。

だから「あとで」と付け足したつもりだが、彼の主張では、そもそも今食べられないと分かっていて食べ物を持っていくことが非常識なのだそうだ。配慮が足りないと言われた。

 

冒頭でも書いたが、彼と自分のどちらが「正しいか」は問題ではなかった。

自分が間違っていたのなら勉強にはなるし、これから生活していく上でマナーに磨きをかけることは大切なことだ。是非教えてもらいたい。

 

ただ、突然「非常識だ」と怒鳴りつける行為はいかがなものだろう。

こちらの常識で言わせてもらえば、手ぶらでやってきた彼の方が非常識である。

しかしやはりどちらが正しいかは問題ではないのだ。

 

雷のごとく自分の主張だけを落としてくる人間は、彼に限ったわけではない。

多少気分が悪くなったが、友人たちの手前、その場はぐっと堪えた。

 

場の雰囲気が悪くなる中、彼女は「せっかく頂いたし、皆で分けて食べようよ」と声をかけてくれた。たくさん買っておいて正解だった。

 

が、先ほど怒鳴ってきた彼も、どさくさに紛れて洋菓子を選ぼうとしていたのだ。

 

「俺も腹へってるし、食べてもいい?」と律儀に聞いてきた。

こうも鮮やかな自家撞着は初めて見た。ものの10秒で彼の常識は変わったのである。

 

 

数年後、彼は趣味のスポーツで大怪我をし入院した。

 

以前の経験で自分も学習している。彼の常識では「食べ物は持っていかない」のが正解なのだ。

 

手ぶらで病室に入った自分に、彼は開口一番に言った。

 

「お前、手ぶらでくるなんていい根性してるな。非常識だぞ!」

 

  

戦争がなくならない理由を垣間見た気がした。