こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

育てると育つ 似て非なる言葉

最近、うちの子が、近所の子とハマっている

虫の幼虫を育てること

 

虫かごにいれた虫の赤ちゃん

必要な環境を整えて、エサも忘れずに

 

生き物を育てたい!と言い張って

今は本当に育てる意志があるのか試験中

 

そして私は思った**********

 

育てるってどういうことなのか

育つってどういうことなのか

 

考えてみたら…

 

育てるって箱に入っている状態

育つって解放されている状態

 

育てるって守る必要があるとき

育つって見守ればいいとき

 

「子育て」や「子育ち」という言葉がある

 

子育てに疲れて・・・

っていうけれど、これって親が一人で疲れてる気がする

子供は育ててもらってる意識はない

 

「子供は親の背中を見て育つ」

この言葉が「子育ち」ではないか!

 

親が懸命に子を育てなくても、親の言動を子は観察し

そして子は、その親の言動を真似て育っていく

 

似てほしくないところも似ちゃう、子の忠実な親の真似

 

口うるさく躾と称して子に言うと

親の設けた檻から出なくなる子

馬の耳に念仏状態の子

すぐに親の範疇から走って逃げる子

子の気質によって反応は様々だが

結局は子を操ることなんてできないのだ

 

私の場合、家という箱の中では子を育て

一歩家を出たら、子には育ってもらう

 

子供に育ってほしけりゃ、自分がお手本になるしかない

なので子の前では、真似してほしくないことは出さないように努力している

真似をしてほしいことをどんどんやる

家事においては中々真似しないけどね

でも観察されているなっていう視線はときどき感じるよ

 

あとは完璧すぎないようにしている

失敗も包み隠さず子に見てもらう

 

そうしないと、失敗=悪いこと になってしまうから

 

失敗があっての成功だし、失敗があるからこそ喜びもある

そのことを子が周知するだけで、好奇心や挑戦の心を持てるだろう

 

挑戦と失敗を繰り返すことで、よりよく生活できるのだから

 

 

 

冒頭の子供の試験の内容は…

三年前の夏まつりで子供がもらってきたメダカ

今は最後の一匹に

その一匹のお世話を子供が一人でできるか

それを試験にしているのだ

 

今のところは続いているが、まだ一ヵ月も経っていない

 

この最後の一匹も寿命がそろそろではないかと見ている

 

最期までお世話できるのか

ただただひたすら子供の行動を見守り続ける

 

育つんだ!子よ!

 

私はいつでも応援しているよ☆

私もだいぶ育ったよ、30歳代後半からね。

大人になってもまだまだ育つ

 

育っていこうどこまでも

 

 

 

 

話し合うことと、理解し合うことは別物

価値観も思考回路も言動も、ことごとく別世界にいる私たち夫婦。

(嗜好は似ているので、ココで惹かれ合ったのだと思う)

 

一文のセリフにおいても、表現の仕方が全く違う。

夫の言葉には、「これ」「それ」「あれ」「ここ」「そこ」「あそこ」

という言葉が多く、私にはどれを指しているのかいつも不明だ。

具体的に言ってほしいと願うが、進展なし。

 

夫の思う距離感と私の距離感も違い、いつも会話にならない言葉の掛け合いなのだ。

おかげでそのひと悶着があるために、事柄が停滞することもしばしば。

 

同じ日本語なはずなのに、なぜにこうも通じ合わぬのか。

 

私が夫と同じような文言で言葉を発すると、やはり夫自身理解できないようだ。

夫の母親からは夫が幼少期から口下手であるとは聞いたが、

ただそれだけなのだろうか?

夫は大学生の時に10か月程のアメリカ留学を経験している。

私は、この留学により彼の何かがとてつもなく変化したのではないかと考えている。

 

アメリカ文化に英語の文脈、英語による思考の癖…など。

彼の言葉は聞いていると、英語的な発言が多いのだ。

日本語だと感覚を現す事細かな表現を自ずとしてしまうと思うのだが、

私に対して、普段の彼にはそれがない。

相手が私でない場合は、話していることもあるが。

 

私が事細かく話をしても彼は聞いちゃいない。

自分に直接関わることでないと彼は聞く耳を持たない。

いわば、彼は、小さな男の子と同じような振る舞いなのだ。

それはある意味、私に心を許しているという態度なのかもしれない。

嬉しくない。。。

 

しかし、最近は子供が大きくなって、私の夫との嚙み合わない会話のジレンマを共感してくれるので、私にとってはそれがせめてもの救いだ。

今まで、独りで、ずっと悶々としていたから。

夫からは、”私がおかしい”と言われ続けていたから。

 

私と夫は別世界(頭の中)を生きているので、”理解はし合えない”。

このことに気づいたのもここ1,2年のことだ。

理解し合えないのだから、そりゃ会話も成り立たないわ。

私の発言を夫は彼なりの言葉にすぐ変換してしまうので、

寝耳に水なことも言ってくるのだ。

しかし彼は本気だ。

そこがまた厄介なのだ。

 

それだけ人と人とは、見えているもの、聞こえているもの、感じているものが、似ても似つかないのだろう。

なので誤解を生むなんてことは日常茶飯事だ。

 

今日も会話にならい会話を夫とするのだろう。

 

理解し合えないからこその会話である。

 

そんな不思議な会話を今日も楽しんでいこう♪

 

 

 

 

モラハラ夫が隠れた!!消えた!?

ここ数か月、モラハラ夫度が激減している。

今月なんかは、「モラハラ夫が消えた!?」

というぐらいに、”配慮のある穏やかな夫”なのである。

 

仕事の電話でも、今までに聞いたことがない相手を思いやる言葉が夫から出ていた。

なので最近はめっきり夫婦喧嘩をしなくなった。

 

言い合いではなく、”自然な雑談というコミュニケーション”に変わったのだ。

 

そして、交際当初や結婚当初のことを思い出すようになった。

夫とは元々こんな感じだったなあと。

 

夫の変化は昨年の秋ごろから始まっていた。

夫は、以前ほど怒ることが減り、あるがままを受け入れることも増え、

”僕に非があったかも”と思う言動も少しずつ増えていた。

 

モラハラモードでは、自分の非なんぞ絶対に認めない夫だったのに、

今では「あ、ごめん」と夫の口から自然と出てくるのだ。

 

おかげで私自身の恐怖心やそわそわ感や緊張感が、日常でかなり減り、

睡眠の質が上がったように感じる。

 

夫とは仕事でも家でも一心同体状態なので、以前は疲弊の毎日だった。

今は、モラハラパワハラ的な言動で仕事のことを言われなくなったので、

私も仕事を自ら率先して作業できることも増えた。

 

態度の改善で行動の改善が起こり、生活そのものが改善される。

 

しかし、まだ”半信半疑”である。

 

一時的にモラハラ夫が隠れているだけで、いずれまた出てくる可能性もありうる。

 

喜怒哀楽が誰にでもあるように、どの部分がその時に一番色濃く出ているかの違いなだけなので、今は今の夫の姿をそのまま素直に認識して、ありがたい日々を過ごしたいと思う。

 

人が生きているということは、水が流れていることと同じで、

常に同じ場所に突っ立っている訳ではなく、常に変化しながら生きているので、

昨日の自分と今日の自分と明日の自分はすべて違うのだ。

 

モラハラ夫がいる日もあって、平穏な日々もあって、色んな日があるということだ。

それらが、長い時間や短い時間となって現れる。

 

いかにしてそれらの時間を過ごすか。

 

耐え忍ぶ時間なのか幸せに満ち溢れた時間なのか。

 

永遠などないからこそ、命がある限り生き続けることができるのだと思う。

 

今は感謝を感じる毎日を送ることができている。

 

私の中の愚痴と憎悪に満ちた感情も、モラハラ夫と共に消えた。

 

山を越えたのだ。

今は平地を楽しく歩いている。

 

ただただ歩く。

また山がきたらその時考えよう。

 

今あることを感謝し大切に前へ歩いていこう。

 

 

 

 

 

 

病は”食”から

「病は”気”から」

ともいうが、

「病は”食”から」

というのが現代ではないだろうか。

 

食べ物により体調が変わるのは常日頃体感している。

私の場合、小麦製品が幼少期から苦手だった。

焼きそば、うどん、パン、小麦粉のスナック菓子など。

 

保育園での給食で、焼きそば・うどんを食す苦痛。

居残り食べをしていたよ。

 

小学校での給食のパン、これは食べずに家へ持ち帰り。

持ち帰るための袋をお道具箱に常備。

 

19歳の頃にパン屋に社員で勤務し、残ったパンを好きなだけ持ち帰り。

ほぼ菓子パンで、それを大量に持ち帰り、大量に食べてしまっていた。

 

小学生の頃にはおしりのおできに悩まされ、

19歳の頃は顎ラインの大人ニキビに悩んでいた。

 

今思うと、小麦製品が身体に合わず、身体内部からの信号だったのだと。

あとは植物油脂や植物油、乳製品、砂糖と、何重にも身体に合わない材料でできた食べ物を、身体に負担をかけているとも気づかずに食べ続けていたのだ。

知らないよね、知らなかったのだよ。

無知だった。

 

ここ10年、社会毒に関する情報は得てきた。

だからこそ過去を振り返った時に気づくことも多々ある。

 

無知程危険なものはない。

 

食に関しては「知らぬが仏」では社会のカモになるだけだ。

 

私の子供を見ていても、外食すると体調不良になりやすかったり、学校の給食で小麦製品や牛乳をおかわりしすぎるとニキビが出たり、身体からサインが発信されている。

 

なので、その身体からのサインを見逃さずに、本人の実体験を通して「食育」をしっかりたたき込んでいる。

 

年末年始は恒例で夫の実家や私の実家へ行くのだか、実家滞在中は添加物や菓子類が増える。

食べさせてもらえるだけ有難いのだが、今年は5日も滞在したため、帰宅後は口臭に体臭に排泄物に、内部から悪臭が漂っていた、子供含む家族全員から。

 

特に臭いを発生させる食べ物は、ハム・ウィンナー系に練り天と菓子類。

ハム・ウィンナー系と練り天は添加物、菓子類は砂糖、これらが内臓に負荷をかけるのだろう。

 

そういえば、今年の冬は、ワキガがほぼ発生していない。

元々ワキガ持ちなため、冬でも脇汗はいつも出て臭かったのだ。

冷えのぼせ体質だったようで。

だが、変なものを食べないようにし、身体を冷やす食べ物は極力避け、インナーにリネンの半袖Tシャツを着用し、蒸れる服の着用を辞めたら、臭いも薄らいだ。

 

緊張したときはやっぱり臭い発生するけどね。

 

添加物と砂糖で体臭は臭くなる実感はある。

 

病んでなかったら悪臭はしないからね。

 

病は”食”から。

食べた物から細胞ができている。

 

そう考えると何を食べるべきかが一目瞭然。

 

今日も身体のサインに目を向けて。

さあ何を食べようかなあ☆

 

 

 

 

 

体質改善は成功した!?

昨年より、体質改善を試みるべく、食生活やマッサージやらで、身体を良くする努力を続けてきた。

そのかいあって、この秋冬は、例年よりも厚着せずに過ごせている。

これが一般の方たちの体感温度だったのか?と驚くぐらい、冷えに耐えている。

決して我慢しているのではなく、耐えることができているのだ。

 

手足の先端のしもやけも、少しできたが、すぐに治り、今はない。

来週からの気温低下でまたできるかもしれないが。

 

具体的に努力してきたことは、食の改善。

コーヒーの常飲と小麦粉・乳製品の常食を辞めた。

食しても年に数える程にまで抑え、徹底した。

 

それから、足のマッサージを毎晩して、リンパの流れを良くしていった。

 

あとは、水分の摂取量。

今まで身体に必要のないたくさんの量を飲んでいた。

それを、必要最低限、喉が渇いたときに一口飲む程度にしたのだ。

 

身体の声を聴くようにし、吹き出物バロメーター、かゆみバロメーター、乾燥バロメーター、口臭・体臭バロメーターを察知するようにした。

 

未だに改善されないのは、頭皮のフケだ。

第一子の妊娠を機にフケが出るようになってから、もう10年以上は経っている。

この課題はまだ解決できず、試行錯誤真っ最中。

なんせ、秋冬の乾燥時にとてつもなく発現してくるから。

 

最近は、植物油・植物油脂の摂取も極力避けるようにし始めた。

 

日本人に合わない食べ物をわざわざ買わない努力、必要だね。

不健康になるためにお金使って食べてって世話ないしね。

 

お金をどこに使うのか、どこに投資をするのかを今一度考えなおし、

ジャンキー投資を辞めたのだ。

 

身体が改善したおかげで、風邪の症状もすぐに治まり、

身体の違和感に気づきやすくなった。

 

ものもらいも出来やすいタイプなのだが、数日で消失した。

今までは1週間や10日は完治にかかっていたのに。

 

なんせ回復力がすさまじい。

今までの私とはちがい、バージョンアップしている。

 

このまま成長を続け、どんどんバージョンアップしていこうと思う。

 

進化する中年。楽しい老後を迎えよう!

 

 

 

 

大人の歯科矯正に悩んだ

大人の歯科矯正に興味が出て

 

40歳

 

突如、歯科矯正をしようと思い立った。

 

矯正するために歯周病を改善し、歯石除去のために歯科へ通うこと一ヵ月。

5年ほど溜め込んだ歯石は歯科衛生士の元、着々と除去されていった。

一番奥の歯の歯周病も改善しつつあった。

 

そして、いよいよ歯科矯正の無料カウンセリング。

無料カウンセリングでは当たり障りのない一般世間でまかり通っている話のみ。

具体的な話は検査・診断をせねば言えないらいしい。

 

5万5千円

 

この費用をかけて具体的な話を聞こうと決断し、検査・診断予約もした。

だがしかし、予約の日まで色々と自分なりに情報収集したら、

なんとも色んなご意見が…!!

 

大人の歯科矯正の一般的な話は、だいたい上下2本ずつ歯を抜いてワイヤー装着のよう。

しかし、まだ生きている歯を4本も抜くなんて…身体に打撃がすごそう。

 

実際、担当の歯科医師は、、

「下の前歯だけしたらどうですか」とか、

「これまで40年間この歯並びできてるので…」という発言や、

「歯を大切にされていますね」やら、

「矯正して嚙み合わせが悪くなることもあります」とも言い放ち、

私に対してあまり矯正を進めていないような雰囲気が医師から漂っているのを感じていたのだ。

 

そんなこんなで、歯科矯正の情報をもっと仕入れて、もっと時間をかけて結論を出すのが良さそうだと思ったので、検査・診断の予約はキャンセルした。

 

大人の歯科矯正は、美容面での矯正という認識が大多数のよう。

でも私は嚙み合わせの改善と、凸凹して並んでいる歯のメンテナンスのしやすさを求めて矯正を思い立ったのが始まり。

 

年を重ねるごとに嚙み合わせに変化があるのもよくある話らしい。

ならば、歯を直接どないかしようとするのではなく、顔の表情筋を鍛えたり、舌を鍛えたり、姿勢を整えたり、身体からのアプローチで噛み合わせも改善できるかもと思ってきたのだ。

結局のところ、「他人に委ねることはあかん」と改めて気づいた。

自分改善ってやっぱり自分にしかできない。

 

せっかく備わっている身体の一部をそう簡単に手放してはいけない。

自然にそこにあったのに、わざわざ取り除いちゃうなんて、安易な考えは捨てよう。

自分の身体の一部、嫌いな部分も好きな部分も、もっと見つめて、

どうしても不要にならない限りは、共存していくことを選ぶのが得策だ。

 

”後悔、先に立たず”

 

身体をいじる決断は、とてつもなく慎重に。

 

老いること~皮膚編~重力に委ねた結果

最近、鏡に映った自分の顔を下から眺めてみた。

 

ハッ!!

 

なんと、口まわりの肉が垂れているではありませんか!

(何度見ても布のように同じ動きで垂れているのだ。)

 

一時、ほうれい線が目立っており、朝晩の洗顔により改善していた。

正面からみたら、さほど気にならないので気づかなかったが、

鏡越しに下を向いた顔を見たら、重力に勝てないお肉たち。

 

おぉ、とうとう来たかこの時が。

 

そういえば、お尻のお肉も以前よりハリがない。

上半身のお肉たちの重力に引っ張られた様子は、前々から気づいていた。

 

下を向いた顔のお肉の状態を知ってから、身体全体をよくよく観察してみると…

皮膚のテロテロ感が増していることを発見!

 

思い返してみれば、私が小学生の頃、母もそんな感じだったなあ。

あの頃の母の面影が、今の自分と重なる。

 

老いること。

次のステージにステップアップすること。

 

老いているなりに、顔の垂れぐあいを改善させてみる努力、はじめてみた。

顔の筋肉を鍛えるのだ。

 

これをして気づいたことがまたあった。

 

就寝中の噛みしめによる歯や顎のだるさがマシになった気がするのだ。

筋肉はほぐすに限ると改めて感じた。

 

身体に起きた気になること、そのひとつの改善を試みると、別のところも改善する。

これぞ一石二鳥だ!

 

すべてはつながっている。

すべては連動している。

 

入口はどこであれ、行きつくところは自分自身。

 

自分の気づきは自分の発見に

自分の気づきは自分の改善に

自分の気づきは自分の進化に

 

老いることで新たな自分を発見。

そして重力というものに改めて気づく。

 

自分の親をみて、未来の自分を思い描く。

子供をみては、過去の自分を思い起こす。

 

老いることは衰えとは違い、

老いることは新たな私を見出してくれる。

老いることは新たな世界をも見せてくれる。

 

老いることでまた違う自分に出逢える。

 

老いるたびに新たな発見。

老いることを楽しんでいこう♪