著作権のこと、いろいろ。

著作権のこと、もっと多くの人に、もっと正確に伝えたい。

『AIによって生成される作品は著作権によって保護されるか~わが国の考え方~』

『AIによって生成される作品は著作権によって保護されるか~わが国の考え方~』

 

以前、私は、『AIによって生成される作品は著作権によって保護されるか』という記事を書きました。この記事は、「2023年(令和5年)4月27日現在の情報」をもとに執筆したものですが、この記事の中で、私は、アメリカ連邦著作権局が示した実務上の運用(法解釈)を紹介しながら、当該問題に関する私見を述べました。その後、わが国においても、令和5年6月にまとめられた『令和5年度著作権セミナー AIと著作権』(以下、「本セミナー」といいます。)の中で、“AI生成物は「著作物」に当たるか・著作者は誰か”という論点について、わが国の考え方(指針)が示されましたので、今回は、その要点を解説します。

 

結論からいいます:

 

『AIが自律的に生成したものは、 「思想又は感情を創作的に表現したもの」ではなく、著作物に該当しないと考えられます。これに対して、人が思想感情を創作的に表現するための「道具」としてAIを使用したものと認められれば、著作物に該当し、AI利用者が著作者となると考えられます。』

そして、

『人がAIを「道具」として使用したといえるか否かは、人の「創作意図」があるか、及び、人が「創作的寄与」と認められる行為を行ったか、によって判断されます。』

 

以上が、“AI生成物は「著作物」に当たるか・著作者は誰か”という問題に対してわが国が示した指針です。

この考え方は、著作権法の専門家であれば、ある程度想定された指針(解釈)だったと思います**。

**(注) 私も以前の記事で、次のように書いています:

『問題の核心は、人間がAIを含めて技術的な道具(ツール)を使って生み出した素材やコンテンツを、どのような場合に「人間が創作的に表現したもの」として保護するべきか、という点なのです。ここからは私見ですが、AIがそこでアウトプットされる最終生成物の「創作的な素材(要素)」(ここで、「創作的な素材(要素)」とは、人間が作成したならば、「著作物」の範疇に入る程度の創作性のある表現物を意味します。)を決定(制御)している場合には、そのような素材(要素)は人間の創作にかかるものではありません。したがって、そのような素材(要素)を著作権によって保護することはできないでしょう。一方、AIによってアウトプットされる最終生成物に人間が創作的に関与(介在)した、又は、その最終生成物の生成過程の全体を人間が創作的に制御(コントロール)できたというような事情があれば、そのような最終生成物は「人間の創作にかかる」ものとして著作権によって保護されてよいと思います。』

 

もう少し、具体的に見ていきましょう。

 

『AIが自律的に生成したものは、 「思想又は感情を創作的に表現したもの」ではなく、著作物に該当しな

いと考えられます。』

例えば、「人が何ら指示(プロンプト等)を与えず(又は簡単な指示を与えるにとどまり)「生成」のボタンを押すだけでAIが生成したもの」は、「著作物」に当たりません。

 

一方、

 

『人が思想感情を創作的に表現するための「道具」としてAIを使用したものと認められれば、著作物に該当し、AI利用者が著作者となると考えられます。』『人がAIを「道具」として使用したといえるか否かは、人の「創作意図」があるか、及び、人が「創作的寄与」と認められる行為を行ったか、によって判断されます。』

ここで、「創作意図」とは、「思想又は感情を、ある結果物として表現しようとする意図」を指します。この点、『創作意図は、生成のためにAIを使用する事実行為から通常推認しうるものであり、また、具体的な結果物の態様についてあらかじめ確定的な意図を有することまでは要求されず、当初の段階では、「AIを使用して自らの個性の表れとみられる何らかの表現を有する結果物を作る」という程度の意図があれば足りると考えられます。』と解説されています。

 

実際どのような行為が「創作的寄与」と認められるかについては、今後、裁判例等を通じて個々の事例に応じて判断することが必要になるものと考えられますが、「生成のためにAIを使用する一連の過程を総合的に評価」する必要があると考えられています。

AI生成物の著作物性と創作的寄与の関係については、AI技術の進展に注視しながら、具体的な事例に即して引き続き検討していくことになるでしょう。本セミナーは、『今後、この「創作的寄与」についても、文化庁として考え方を整理し、周知を進めていきます。』と締めくくっています。

AK

著作権法第1条(目的)

著作権法第1条(目的):

 

「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」

 

著作権法第1条は、著作権法の目的を明示するだけでなく、わが国著作権法の解釈や制度運用の基本的な指針を示しています。

ここで、「著作者の権利」とは、「著作者人格権」と「著作権」(いわゆる著作財産権)を意味します(17条1項参照)。「これに隣接する権利」とは、実演家、レコード製作者、放送事業者及び有線放送事業者の権利(主として実演家人格権や著作隣接権)を意味します(89条参照)。

一方、「公正な利用」とは、著作者の権利等は無制限でないこと、つまり、著作権等は一定の範囲で合理的な制限が加えられていること(その保護期間内であっても一定の社会的自由利用が認められていること)(30条~50条)、文化庁長官の裁定によって著作物を利用する道が開かれていること(67条~70条)、著作権等には保護期間(存続期間)が定められ、著作権等が「有限」な権利であること(保護期間の経過後は、著作物等は社会の共有財産となること)(51条~58条)などを念頭に置いたものです。

 

著作権法の目的は、第一に、著作者、著作権者、実演家、著作隣接権者の経済的又は人格的利益を保護することにあります。つまり、著作権法は、著作者等の利益を経済的な又は人格的な側面から保護することで、その労力に報い、彼らの創作活動に対するインセンティブを高め、もってより有用な「文化的所産」が世の中に提示・提供されることを促し、わが国の社会全体が文化的に豊かになることを期待します。

しかし、その一方で、著作物等の文化的所産の公衆による「公正な利用」も確保されなければなりません。創作者(権利者)のみを保護し、著作物等の利用を欲する者(利用者である一般大衆)の利益が全く考慮されないのであれば、社会が全体として文化的に豊かになることは難しいでしょう。

あらゆる創作の場面を想定しても、おそらくクリエーターやアーティストが「全くの無から有を生み出す」ことは稀で、程度の違いはあっても、また、意識しているか否かにかかわらず、彼らは、大なり小なり、先人たちの「表現物(文化的所産)」に影響を受け、そこからインスピレーションを与えられて、自らの創作活動を営みます。そして、今度は、その彼らの創作した表現物が何年か、何十年か先のクリエーターやアーティストたちにとっての素晴らしいお手本となっているかもしれません。つまり、創作者(権利者)も一面では常に他人の著作物等の利用者であり、”創作者(権利者)vs利用者”といった概念は決して絶対的なものではなく、相対的なものにすぎないということです。「公正な利用」を確保することは、少し見方を変えれば、創作者(権利者)がよりよい創作活動を営む土台を形成することにもつながるのです。

 

著作者等の権利(利益)の保護と公衆による著作物等の公正な利用(自由利用)とのバランスを図りながら、わが国の「文化の発展」を促進していくことが、わが国の著作権法の究極的な目的なのです。

WIPO著作権条約の前文には、「著作権による保護が、文学的及び美術的著作物の創作に対するインセンティブとして、特に重要であることを強調し、…著作者の権利と、とりわけ教育、研究そして情報へのアクセスのような、広範な公共の利益との間の均衡を維持する必要性のあることを認めて」とあり、著作権等による保護は社会公共の利益との「均衡」(バランス)の上に成り立っているということが国際的な理解にもなっていることを窺わせます。

 

なお、著作権と同じく「知的財産権」の分野に属する特許権等の「産業財産権」は、その名が示すように、究極的には「産業の発達」を目的としています(特許法1条等参照)。標語風に言えば、〝文化促進のための著作権、産業促進のための特許権〟というわけです。

 

【参考】

著作権法は,著作物の利用について,一定の範囲の者に対し,一定の要件の下に独占的な権利を認めるとともに,その独占的な権利と国民の文化的生活の自由との調和を図る趣旨で,著作権の発生原因,内容,範囲,消滅原因等を定め,独占的な権利の及ぶ範囲,限界を明らかにしている。

<平成23年12月8日最高裁判所第一小法廷[平成21(受)602]>

{Q} 「作風」「画風」というのは著作物に当たりますか?

{Q} 「作風」「画風」というのは著作物に当たりますか?

A いいえ、著作物に当たりません。

「著作物」というのは、思想又は感情を具体的に表現したものでなければなりません(2条1項1号)。「作風」や「画風」というのは、それ自体では抽象的な「アイディア」にとどまり、具体的な表現ではありません。したがって、「著作物」に当たらず、誰かの「作風」や「画風」を真似て作品を創作しても、そのこと自体は、著作権の侵害にはなりません(注)。

(注) 昨今話題になっている「生成AI」との関係で、この点が問題になっています。「〇〇(作家の名前)の作風に似せた△△(イラストやキャラクターなど)を作成せよ」と生成AIに命じると、AIが簡単に、その指示に応じた作品を作り上げてしまうからです。

『コンテンツビジネスを成功に導くために』

『コンテンツビジネスを成功に導くために』

 

コンテンツとはなにか

 

「コンテンツビジネス」とは、文字どおり、「コンテンツに関わるビジネス」のことですが、それでは、「コンテンツ」とはなんでしょうか。「コンテンツ」とは、要するに、「著作物」のことをさしているのでしょうか。

“コンテンツ=著作物” という等式は必ずしも正しくありません。”コンテンツ≧著作物” とイメージした方は実態に近いと思います。

平成16年に「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」(以下、「コンテンツ促進法」といいます。)という法律がつくられたのですが、この中に「コンテンツ」とはなにか、その定義規定が置かれています(同法2条1項)。その規定によれば、「コンテンツ」を、次のように定義しています:

『映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラムであって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するもの』

 

さらに、昨今では、「コンテンツ」は、より広義に、「ファッション」や「食(文化)」、「地域ブランド」等を含む概念としても使われているようです。つまり、「コンテンツ」は、そのほとんどが著作権法によって保護される「著作物」の射程範囲に入りますが、著作権法上の「著作物」に該当しないような人間の知的創造物も「コンテンツ」として扱われる場合がある、ということです。そのため、「コンテンツ」に対する権利保護の中心は著作権法であるといって差し支えありませんが、「コンテンツ」の具体的な中身によっては、著作権法以外の法律、特に、特許法や意匠法、商標法などの知財法(知的財産権法)が、単独で、または著作権法と重畳的に、当該「コンテンツ」の保護にかかわる場面も出てきます。

 

コンテンツビジネスにかかわる法律

 

コンテンツビジネスの遂行には、さまざまな法律がかかわってきます。

「コンテンツビジネス」と言っても、およそ「ビジネス」である以上、車の売買や不動産取引とった一般的な「ビジネス」に関わる「民法」や「商法」の知識は欠かせません。「ビジネス」には、通例、株式会社等の会社がかかわりますから、「会社法」の知識も必要になります。「税務」や「会計」に関する知識も外せません。「労務」にかかわる知識が問われる場面も出てくるでしょう。「コンプライアンス」(法令遵守)の視点を強調すれば、不公正な取引方法を規制する「独占禁止法」や「刑法」(例えば、名誉棄損罪)、さらには表現の自由、プライバシー侵害にかかわる「日本国憲法」の規定さえ関係してきます。スキームの選択に「LLP法」(有限責任事業組合契約に関する法律)や「LPS法」(投資事業有限責任組合契約に関する法律)がかかわってくることもあれば、事情によっては「破産法」をチェックしなければならない場面も出てきます。コンテンツの「海外戦略」「国際展開」ということになると、いわゆる「国際私法」や「準拠法」、相手国の関係法にも気を配らなければなりません。

上記で挙げただけでも、とても一人ですべての法律(知識)を押さえることは、法律の専門家にとっても容易なことではありません。ましてや、表現者(クリエーター、アーティスト)やプロデューサーにとってはなおさら困難な作業です。

 

コンテンツビジネスの根幹は、それが「権利(処理)ビジネス」であるということです。かかる「権利(処理)」の中で最も重要なのが「著作権(処理)」(広義)です。したがって、「コンテンツ」―上記で指摘したように、最近ではこの用語をかなり広い意味合いで用いる傾向にありますが、ここではコンテンツ産業の中心的な分野である「劇場用映画」「アニメ」「ゲームソフト」「テレビ番組」「音楽」「マンガ」「キャラクター」「出版」を特に念頭に入れています―に特有な法分野として「著作権法」がとりわけ重要です。ネーミングに関わる「商標法」も重要です。ビジネス上の不正競争を規制する「不正競争防止法」や下請取引を規制する「下請法」も知っておかなければなりません。「契約法」の一般法である民法の諸規定の知識も必須です。

 

表現者やプロデューサーを含めてコンテンツビジネスに携わる者にとって大切なことは、コンテンツビジネスの遂行に関わる法律のすべての知識を持つことではありません。コンテンツビジネスの特性を把握した上で、「どの場面にどのような法律問題(ビジネスの円滑な遂行を阻害するような法律問題)がかかわってくるのか」ということを把握すること(予測すること)が大切なのです。「この場面にはあの法律が関係しそうだ」、「この問題に対処するには〇〇の専門家と話をすればよさそうだ」といった具合です。

 

上述したように、コンテンツビジネスには実にさまざまな法律が関係してきますが、その中心はやはり「著作権法」です。ですので、コンテンツビジネスに携わる方は、まず、著作権法の基本的な知識を身に付けておきましょう。

 

コンテンツビジネスの要は「権利処理」である

 

前述したように、コンテンツビジネスとは、これを一言で称すると、「権利(処理)ビジネス」です。そこでは著作権を中心としたさまざまな権利―著作権(この中にさまざまな種類の権利(支分権)があります。)や著作者人格権のほかに、著作隣接権や実演家人格権、商標権や商品化権、パブリシティ権など―をついて「ライセシング(利用許諾)」が行われ、ときには、これらの権利自体が「譲渡」(無償譲渡や売買)されることもあります。つまり、コンテンツビジネスの円滑な遂行はもちろん、当該ビジネス自体の成否も、このような「権利処理」の出来不出来にかかっていると言っても過言ではありません。コンテンツ自体がどんなに素晴らしいものでも、その事業展開における権利処理がまずかったためビジネスとしては頓挫してしまった例が非常に多く見られます。

 

コンテンツの製作(制作)とその事業展開には、さまざまなプレーヤーが関与します。そのプレーヤーの種類や関与の程度は、コンテンツの内容により、また、事業展開の具体的な規模などにより、ケースバイケースですが、特に映画やアニメの製作には多数の関係者(プレーヤー)が登場します。原作者に脚本家、プロデューサーに監督、美術やカメラ等のスタッフ陣、出演者(実演家)―主役からエキストラまで―、主題曲やBGMの作曲者・作詞者・レコード製作者・演奏家、さらには、コンテンツ完成に至る過程でさまざまな作業を担う下請に孫請、フリーの個人スタッフなど、挙げていけば切りがありません。このような、その立場やかかわり方の程度もさまざまな者と、それぞれその間に生じる権利関係を契約上適切に処理できているかが、当該ビジネス全体の成否を左右することになるのです。

 

コンテンツの製作(制作)過程からその事業展開において、その時々のビジネスシーンを把握した上で、「どの段階でいかなる権利が誰に発生し帰属するのか」を正確に見極め、当該コンテンツの将来における事業展開(利用態様)を考慮した上で、権利処理を適切に行う(関係する権利者から利用の許諾を得たり、場合によっては当該権利自体の譲渡を受けたり、権利行使をしない旨等の契約を、理想的にはすべて書面で事前に取り交わす)ことが、決定的に重要な作業になります。コンテンツビジネスにおいては、「権利処理」こそ、完成したコンテンツを安全かつ円滑に、マルチ(多方面)に利用・展開し、収益の最大化を図っていく上で最も重要な作業なのです。

 

コンテンツビジネスを成功に導くための「秘訣」はなにか

 

優れたコンテンツが「売れるコンテンツ」とは限りません。「コンテンツは水もの」ともよく言われるところです。確実に売れる(儲かる)コンテンツとはなにか、また、コンテンツで確実に儲ける手段はあるか、これらは、非常に難しい質問です。しかし、コンテンツビジネスを成功に導くための「秘訣」はなにかと尋ねられれば、私は、「それは、無用な失敗をしないことだ」と答えます。それでは、「無用な失敗」とはなにか。それは、「避けることができたはずのリスクにやられること」です。事前にひと手間かけておけば回避できたのに、その「ひと手間」を惜しんだばかりに、後にリスクが顕在化して、ビジネス全体が頓挫してしまう…とりわけコンテンツビジネスでは、こんなことは日常茶飯事です。コンテンツ自体が粗悪過ぎて放っておいてもコケるようなビジネスはさておき、コンテンツ自体はなかなか優れたもので、その展開次第では「売れる(儲かる)」可能性があったにもかかわらず、「リスク回避のひと手間」を惜しんで、これを事前に十分に検討しなかったために、(それをしなかった当事者にとっては)予想外の段階で予想外のところから「クレーム」が入り、もめることになります。この「クレーム」=「リスク」は、コンテンツビジネスの場合、そのほとんどがある種の「権利主張」だと思って差し支えありません。なぜなら、コンテンツビジネスは「権利ビジネス」であり、その「クリアランス」(権利処理)がリスク管理の主要な位置を占めているからです。法廷闘争にでもなれば最悪の事態です。円滑なビジネスの遂行という観点から言えば、「裁判沙汰」になることは、たとえそこで最終的に勝訴判決を得たとしても、なにもいいことはありません。そこにつぎ込まなければいけない費用、時間、労力を想像してみてください。その意味が容易にわかるでしょう。

 

避けられるリスクは極力事前に排除しておく―これこそが、コンテンツビジネスにおいて「無用な失敗」をしないための極意なのです。

AK