どんぐりキャンドル。
どんぐりの実みたいに
鞘(さや)の中に
まん丸なキャンドルが
すっぽりと納まっています。
鞘(さや)の色は三色。
赤色と
緑色と
黄色。
この三つのキャンドルを並べて置くと
三色の楽しい色彩のハーモニーが
生まれます。
この三つを
もっとくっつけて置くと
こんな感じになります。
写真で見るよりも
ほんとうの色は
もっと落ち着いたアースカラーで
できています。
色の元は
シュタイナー系の
自然植物からつくられた
水彩絵の具。
それを
蜜ろう粘土に練りこんで
この色彩を出しました。
ほかでは味わえない
自然な安心感がある
色彩です。
アトリエえんどうまめのHPはこちらです。
ふたつの虹の色。
虹やプリズムのグラデーションは、ふたつあることが気になっています。今まではこちらのグラデーションばかり造っていたのですが。
最近は、こちらのグラデーションもつくって、両方をながめています。
お食事キャンドル。 2010.09/08
写真はわたしの
お食事キャンドルです。
食事をする時に
火をともしています。
鳥のおはなし。 2010.09/04
ちょうど
ネイタルの太陽に
いよいよ
トランシットの冥王星が
スクエアーをかけ始めた
そんな気配が
忍び寄り始めた
数年前のある日
このブログにも
書いたことあったと
思ったけど
信じられない
突風が吹いた
日があって
その時に
目の前に
温かい
黒い小さな
球体が
ずっと
停止していたことが
ありました。
通常
あり得無い
ことなので
脳が
理解するまで
それは
わたしには
謎の物体に
見えていました。
だけと少しして
だんだんと
それは「雀」に
見えてきました。
あまりの強風で
飛ぶ力と
風の力が
ちょうど
プラスマイナス
ゼロになって
目の前の
空中の一点で
ずっと
停止していたの
です。
そのあと
その雀は大地に
緊急着陸して
いました。
北海道では
ワシの柱が
立つ日が
あるのだ
そうです。
急激な
上昇気流に乗って
たくさんの
オジロワシが
舞いながら
上昇する
ワシの柱。
オジロワシたちは
その柱のなかで
上昇し
そして
カムチャッカ半島に
舞い降りるのだそうです。
☆
写真の鳥は
セラピーキャンドルの
良き知らせをもたらす
ノアの箱舟の
白い鳥です。
貝殻みたいな。2009.10/12
貝殻とかも
自然の造形の
無作為の美しさを持っていて
それに近づきたいという
あこがれで
創作をしてみます。
無心になる。
これが
なかなか
難しかったり
します。
少し ぼおっとしてみる。(2005.05/05)
さっき
以前に
野口整体の先生に
何かの不調の原因を
尋ねた時
「それは
ぼおっとする時間が
足りないから
ですよ。」
と言われて
はっとしたことが
あったことを
思い出して
いました。
そういえば
確かわたしは
体癖的にも
ぼおっとする時間を
たくさん必要とする
タイプだったように
記憶しています。
うまく
ぼおっとする時間をもてると
何かが内側に満ち足りてきます。
何かとは
光とか
愛とか
神さまとか
エネルギーとか
そんな言葉で
表されるもののように
思ったりします。
絵を描いたり
物をつくったりする時間は
このぼおっとする時間に
とても似ています。
これは
新作の
セラピーキャンドル。
何も考えずに
作りたいように
作ったもののなかには
さきほどの
「なにか」が
たっぷりと流れ込み
それが
わたしを
元気にしてくれます。
半年とか
経ってしまうと
もうすでに
エネルギー状態が
違っていて
ぴんと
来ないことも
多いです。
今つくったものは
今の私にとっては
とってもとっても
おいしいおいしい
エネルギーの塊で
自分がつくったものが
自分を元気に
してくれるように
思います。
牡牛座の新月に。( 2009.04/26 )
きのう、
牡牛座の新月の日に
もくもくと
やっていたのは
これ。
カラフルな
キャンドルたちと
遊んでいました。
色とりどりの世界は
やっぱり楽しいですね。
わたしは
ときどき
瞑想する時間を
と言っても
それは
物をつくったり
絵を描いたりの
時間なのですが
とるようにしています。
こういう時間があると
無意識の世界の
浄化になります。
思っても無かったことが
ぽこぽこあふれ出て行きます。
そういう時
必ず
キャンドルの
火をともすことに
しています。
光を運ぶもの。(2008.10/18)
けさ
同時進行的に
つまり
シンクロして
たくさんのことが
見えたりしました。
それは
わたしのことでもあるし
人間という存在のことでも
あります。
たとえばそれは
この二つのろうそくの
違いにも
あらわれています。
このふたつの
ろうそくの違いは
単に
光がついているものと
そうでは無いものなのですが。
人は誰もが
光がついている
ろうそくのように
光を運ぶ存在であること。
これはかつて
油彩画を描いていた時の
わたしのテーマでした。
惑星キャンドル 金星。(2008.10/03)
今日はわたしの
金星回帰の日。
惑星キャンドルの
金星をつくりました。
「地」の部分を先に作り
あとから他のものを加えてゆきます。
金星の持っている
楽しさ
華やかさ
非日常性などを意識して
配色を考えてみました。
夏至の日。(2008.06/21)
今日は、とっても
楽しい一日でした。
まるで、夢のような
一日でした。
不思議な不思議な
幸福感に
満ち満ちた、
一日でした。
古い古い
何度も何度も
転生している
魂の記憶が
雲の切れ間から
天啓が
訪れるように
降り注いだ
一日でした。
写真は
夏至の日の今日
つくってみた
自分用の
キャンドルです。
虹色のキャンドルをつくりました。
きのう、虹色のグラデーションのキャンドルをつくりました。
インスパイア吉祥寺さんの出窓のところに飾らせていただいている虹色グラデーションのキャンドルが、古くなったのと、サイズが小さく思えたので、新しいものを作りました。
こちらの写真に写っているのが、その、先代のキャンドルです。
きのうつくったキャンドルを、少し角度を変えて撮った写真です。
虹色のグラデーションは、プリズムを通してできる色彩です。
実際にプリズムの色彩を見てみると、生きているエネルギーをダイレクトに感じます。太陽の光は、生きているエネルギーなのだと、思います。
北東老人の度数に。(2007.07/02)
きのうから
もくもくと、ろうそくの
作業に、集中している。
内面の旅を
していると
思う。
ボイドの影響も
あるだろうし。
気がつけは、
わたしの
プログレスの月は
蟹座14度の
北東の老人の度数に。
心の奥深く、入り込んだ結果
そこに虚空を発見する、という
度数でもあるわけです。
もともと
わたしには
現世の向こうに
いつも
彼岸が見えているようなところ
おおにして、あるように
思いますが。
浄化
でも良いとおもうし
レクイエム
なのかも知れないとも
思う。
もくもくと
ろうそくの作業を
くり返す。
まるで
錬金術のようだ、と
思う。
火の浄化力の
エネルギーの力を
借りていると
思う。
もうひとつむこうを
再確認しようと
している。
魂のレベルで
人間存在を
捕らえなおそうと
している。
闇を光に
変えようと
している。
それが
わたしに
できること
だと思う。
わたしのなかで
これができるようになった時
「ありがとう」を言えるような
そんな気がしている。
そういう意味で
ともに生きる。
それしかないと
思ったりもする。
しかし、
そうか。
直視し続けることは
手放さないと、いうこと。
なので
笹の小舟に載せて
手から離す。
笹の小舟は
流れのままに。
「さようなら」の
水の浄化だ。
ホロスコープ風水。その2.(2007.06/10)
(な)さんに
「太陽を開発したい?
それとも木星?」と
尋ねられました。
「そうね~。
太陽は、今
冥王星スクエアーで
使い方難しいから
木星かな。」と
答えました。
そういえば
木星の開発って
今まで考えたこと
無かった。
金星は
考えたり
してるけど。
木星を開発する
サビアンシンボルは
私の場合
双子座10度の
落下する飛行機、など。
あ~それで
このあいだ
『紅の豚』の映画が
とっても気持ちよかったんだね。
ヒコーキ野郎のおはなし。
象徴として、飛行機。
それが忘れられずに、居ます。
テレビの位置も
部屋の中で、
木星を開発する位置に
おいてありました。
つくった開運ろうそくは
写真のように
ろうそくフォルダーとして
くり返し使うことが
可能です。
頑張り過ぎなくて
良いんだよ。
深い深い過去に遡って
そんな声が聞こえてきます。
そういえば
頑張れ~
頑張れ~という
環境の中で
育ってきました。
こないだ
横浜スピコンで
(ゆ)ちゃんに会って
とってもうれしくなって
ハイになって
おもわず
「(ゆ)ちゃん
頑張っているね」と
言ってしまった。
(ゆ)ちゃんは
あのネイティブな顔を
ほころばせて笑いながら
「べつに
がんばって無いよ」と
すこしぶっきらぼうに
言った、のです。
そうでした
そうでした。
(ゆ)ちゃんは
頑張らない
人でした。
木星効果は
すぐに表われます。
左腕が
緩み始めました。
かゆくなった
左腕をさすっていると
頑張り過ぎなくて
良いんだよ~。
頑張り過ぎなくて
良いんだよ~。
という声が
聴こえて来ます。
これは私自身の
インナーチャイルドにむけて
今のわたしが
歌いかけている
子守唄のようにも
聴こえてきます。