持つべきものは妙なこだわり

執着はいずれ愛着に変わるのである

『客観性の落とし穴』:個人ストーリー重要性の見直しと、落とし穴の落とし穴

『客観性の落とし穴』著:村上靖彦 を読んだ。
ちくまプリマー文書は平易な言葉で読みやすく入門書として適している。書店で平積みされていたので手に取った。

病に伴って、自分は「ほんとう」に感じている痛みを医師が一般的な症状でないからという理由だけで蔑ろにするたとえは、客観性あるいは一般化された知識体系「のみ」を重視することの恐ろしさを感じるのに十分だった。統計学偶然を「飼いならす」ための学問だという引用も心に残った。統計分析の結果、マジョリティが「正常」、マイノリティが「異常」だというラベリングが生まれがちだが、本来多寡と正常異常は直接的に関係はない。政治的な意思 (恣意といってもよい) が紛れ込んでいるのだ。

著者の専門分野であることにより、後半はケアに関する事例紹介が多い。他の視点での例も提示してもらいたかった。

ところでこの本と著者が主張しているのは、客観的評価や統計を用いることの否定ではなく、これらによって個人のストーリーや偶然が無視されてしまうことである。客観性を必要以上に否定し個人の主張を押し通す道具としてこの本が用いられることを、少しながら危惧するのであった。

『エッセンシャル思考』とその先の実践

『エッセンシャル思考』(グレッグ・マキューン) を読んだ。長らく「読みたい本リスト」に入っていたところ、『シンプルで合理的な人生設計』(橘玲)でも言及されていたためついに読み始めた。

原題 "The disciplined pursuit of less" 「より少なく行うことの徹底」が内容とテーマをよく表している。本の帯などでは「方法」が書いてあるような宣伝がされているが、あくまで姿勢や考え方の提言であって方法は読者次第だろう。

仕事が大量にあふれて本当に大事なことをやれていない、でも目の前のことをやらないわけにいかない。そもそも今の仕事はやりたいことから変貌してしまっている気がする。仕事と家族、特に子供の将来とそのための準備をどうしたら良いかを考える時間がない。そんな状態から抜け出すヒントを得たいと読んだのだと思う。

クローゼットを常に整理整頓された状態にしておくには「そもそも散らからない仕組みづくりが不可欠」というたとえは分かり易かったのだが、ここで自分はたとえを超えて自分のクローゼットの仕組み改善を行った*1
自己啓発本は、自分固有の人生や課題に対して実行に移して自分にとっての体験をしないと身にならない。とても小さなことだがクローゼットの仕組み化を読書と同時に行えたことで「あ、そういえばエッセンシャル思考の本を読んでこうなったんだな。他にどういう内容があっただろう」と振り返るトリガーを自宅に作れて一石二鳥だ。

「選ぶことを選ぶ」その裏返しとして「トレードオフから目をそむけても、トレードオフから逃れることはできない」。人は、選択を迫られるだけで大変なストレスを感じるので*2選択する場面は減らしつつも、重要な選択場面には目を背けずに向き合うということなのだと理解した。そして「長期的に見れば、好印象よりも敬意のほうが大切」なので、自分の長所が最大限活かせる選択をする。

次は『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)に読書を繋げる。

関連記事

『シンプルで合理的な人生設計』(橘玲)はメタ自己啓発本の性格が強く、本記事の『エッセンシャル思考』や『習慣の力』を引用している。
covacova.hatenablog.com

*1:今の季節に使う服を一つの引き出しにまとめ、さらにその引き出しの天板を無くす (上から見えて上から服を出し入れ出来るようにする)という仕組みを導入した。一覧性が抜群に上がり、出し入れ動作を削除したというのは我ながら良い工夫だと思う

*2:『シンプルで合理的な人生設計』(橘玲)より。当ブログの過去記事も参照

多ジャンルノンフィクション指南書としての『シンプルで合理的な人生設計』橘玲

『シンプルで合理的な人生設計』(橘玲)は、多ジャンルのノンフィクション指南書として良い。

メタ自己啓発本つまり様々なジャンルのnon-fictionを搔い摘まんで紹介し繋げている本であるとウェブ記事で読んだので、「次に読む本」のヒントを得るために手にとった。

仕事で「時間が無い」強迫観念に追われるなか、学会参加でひとときの「非日常」を味わい、少しだけ意識が外・新しいことに向き、読書の意欲が湧いたタイミングと合致した。学会の行き帰りの電車のなかでほとんどを読んだ。

得られた知識、納得した点で TOP 3 を挙げるとしたら以下だ。

  • 人は、何かを選択することに非常に大きなエネルギーを用いる。常に選択を迫られているだけで、脳は疲弊してしまう。
  • 人間関係の維持には大きなコストがかかる (親密な関係の維持には、自分の時間を多くかける必要がある)。それ故に、最も親密な関係を維持できるのは家族も含めて5人である。
  • 精神的な不調は、自分にとって重要な価値をおいていた領域が毀損したときに発生する。たいして価値をおいていない領域が損傷しても影響しない。

「旅(次に読む本)のしおり」として期待していた内容は満足した。しかし、広い範囲の内容を取り扱っているのでまとまりがない・話題が散逸しがちだとも感じた。「合理的な人生設計」というタイトルから想起される内容にはあまり期待しないほうが良いと思う。

この本を読み、なるべく「選択を迫られる状況」を減らすことを始めている。
たとえば、仕事のカレンダー(予定表)だ。しょっちゅうダブルブッキングが起きるわけだが、「どういう会議が行われているか知っておく」ために予定を削除していないでいると、予定表を見るために「自分はどちらに出席すべきか」と脳が反射的に考え始めてしまう。決断して捨てたものは目に入らないようにする (カレンダーから削除する) と、選択から一度は解放される。効果も感じている。

次は、参照されていた書籍で興味を引いたものを読んでいく。読み始めているのは例えば次の本だ。

  • 『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』(ムッライナタン、シャフィール)
  • 『ネットワーク科学が解明した成功者の法則』

『魚にも自分がわかる』定説を覆す研究者ストーリーが面白い

『魚にも自分がわかる――動物認知研究の最先端』著者:幸田正典、ちくま新書

認知、認知神経、生物学に興味がある人や、研究者とはどのような方法で新たな学説を唱えていくかに興味がある人に勧められる本である。

人類が他の動物と不連続的に異なるわけはないだろうと思っていたこと、そして哺乳類ではなく「魚」にも自分が分かるというテーマに惹かれてこの本を読んだ。

まず、脳の構造や働きは、魚類と霊長類でそう大きく変わらないことが現在の新たな定説である(なりつつある)ことを知った。そして「鏡で自分を認識できる」「他人(他魚)を顔で認識する」など、自分が分かるすなわち他人と自分を区別できることの指標が人間・霊長類と同じであることに意外さを感じつつも、立ち止まって考えると当然であるなと腑に落ちた。

サイドストーリーではあるが、研究者がその分野での定説を覆すことの難しさ、大家とされる研究者との反対意見を主張し続けることの難しさを著者のエピソードから感じ、その生々しさがこの本を読んでいて最も面白かった。その観点が面白かったが故に、著者チームの説を根拠づける・反対意見に対処するための追加実験の紹介は少し多めに感じ、読み飛ばした。専門家を対象とした論文にはとても重要な要素だろうが、新書としては too much / too deep であると感じた。

『昆虫はすごい』(丸山宗利、既読)から始まり、このようなタイトルが濫用されているので玉石混淆のなかから「玉」を選ぶ目利きが要求されるが、生物学・認知神経科学に対する興味は尽きないので引き続き読書していこうと思う。積ん読して久しい『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』(フランス・ドゥ・ヴァール、未読) にも手を出したい。

三島由紀夫『命売ります』を読んだ

三島由紀夫の『命売ります』を読んだ。

金閣寺潮騒とは違う三島が読めると聞いて、読んだ。エンタメ的な雰囲気でスリリングな場面はあるものの、全体及び畳み方は今ひとつだと感じた。

終盤、命の危機に対しふてぶてしい振る舞いから怯え慌てふためく変化があるが、最後までハードボイルドで行って欲しかった気もするし、やっぱり人間死ぬのは怖いよねと立ち戻った安心感のようなものもある。

三島の死生観が実はこのようなエンタメ小説に現れているという解説がついているが、そんなに小難しいものだろうか。疑問だ。