ザリガニを釣る夢をみる

セピア猫の日記。日常のこと、家族のこと、感覚的なこと。

遠足の日に熱を出す

こんにちは、セピア猫です。

今日は娘が熱を出したので、午後からお休みをいただいて、一緒にのんびり過ごしています。

外は雨。春の静かな雨はしとしと庭に降ってます。

庭の一角。小花が集まると可愛い。キュンとさせてくれます。

子供が熱を出した時、休ませてもらえる職場でありがたいです。

午前中は夫が休んでみていてくれたので、そちらにも感謝です。

今日は子供は遠足の予定でした。

昨日は「明日お弁当作ってね!」とニコニコで、人形相手に遠足ごっこをして、とっても楽しみにしていたのです。

今朝少し早起きしてお弁当を作っていたら、夫が子供を抱っこして降りてきて、「身体熱いから熱測ろう」って。

37.5度。

子供の「いやだ〜今日遠足行くの〜」が切ない。そして可愛い。(親バカです)

おうちでお弁当を食べて気持ちは落ち着いたようです。

楽しみすぎて遠足の日に熱を出すの、子供あるあるなんでしょうか。

来年は行けるといいね。

喜嶋先生の静かな世界と、気になる女の子

こんにちは、セピア猫です。

突然ですが、私、森博嗣さんの本が大好きです。学生の頃からファンです。

久しぶりに、「喜嶋先生の静かな世界」を読みました。

なんだろう、じーん、ざわざわ、胸がぐーっとなる……そんな気持ちになりました。

 

この装丁もすごく素敵ですね。

 

僕の視点で読んでいくと、喜嶋先生がすごくかっこいい、理想の人に見える。

純粋に学問に打ち込むってこんなにかっこいいことなんだなって、憧れる。

最初に読んだ時はそういう感想を持ったのだけれど、今回読んでみて、私はそこよりも、一人の女性に目が行きました。

 

女性は3人(スピカさん、櫻居さん、沢村さん)登場するのですが、一番気になったのは、櫻居さん。なんだろう、ほっとけない系女子だからか。

超優秀なんだけど、どこかメンヘラちっくというか、弱さのある女の子。そういうところに、この感じわかるーって思う。こういう女の子いるよね、自分にもこういう部分あったよねって。

主人公やその周囲の理系男性たちからしたら解読不能でめんどくさいだろうし、そのように扱われるんだけど(悲しい)、でも同じ女性として、そうだよね、苦しいよねって隣で話したくなる感じ。

橋場くんもなんとなく察しているけど、この子、すごく不安定なんです。大学院の入試はトップで通るくらい優秀で、美人なんですけど(そういう描写があったはず)、自由に振る舞えていないというか、男性社会の中でとにかくもがいている。

院生8人の部屋に一人だけ女性で、それまで女性がいなかったから彼女のために掃除がなされたというエピソードもありました。そんな環境で、一生懸命居場所を作ろうともがいている。年上の男性に惹かれるって言うのも、拠り所が欲しかったんだろうなって思う。

でもガッツリ甘えることはできなくて、中途半端に過去を出して、橋場くんに引かれる。しっかりしないとって強がって生きている女性あるあるじゃないですか?

ジェンダーへの不満で表現しないで、自分が悲しい、辛い、と言えたら、少なくとも自分でその感情を感じられたら違ったんじゃないかなって思います。乗り越えてぶつかった上で寄り添える人と出会えればよかったのにね。

スピカちゃんと対照的です。

僕=橋場くんは、素直で健気なスピカちゃんだけでも恋愛キャパシティはいっぱいいっぱいだから、そんなの無理な話なんだけど。

櫻居さんが数年で離婚したのは、勝手な想像だけど、本心でぶつかれない人と結婚してしまったのかなって思ったり。

その後で橋場くんと会って、かつて同じ環境にいた、(一方的だけど)ライバルだった、自分よりもっと浮世離れしていた橋場くんが、今では結婚して子供もいて、ちゃんと家庭人をしているのをみて、少なからずショックだったんじゃないかなって思います。

だから、それ以降連絡が取れなくなったんじゃないかな。

 

森博嗣さんも、大学生の指導をしながら、理系社会にいる不器用女子をたくさんみてきたのでしょうか。ああ、こういう子いる!私にもそういうところある!ちょっとあまり直視したくないけど!という感じでした。

私は女の子の味方でいたいなあ。なるべく素直に生きられるよう、もっと楽に生きられるように、自分もなりたいし、苦しい思いをしている女の子が減るといいなと思います。

正しいって好きじゃない

こんにちは、セピア猫です。

春の風はどうしてか大学生の頃を思い出させる気がします。

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冬に仕込んで放置していた花壇が、意外といい感じ♡

高校生までは精神的にほぼ死んでいたので、私が自分で生きているなと実感し出したのは大学に入ってからなのです。

生きるようになってから失敗もたくさんし、失ったものもたくさんありましたが、得たものもたくさんあります。何かを得るときは何かを失うものです。多分、そういうものです。10年経って、やっとそう思えるというか、自分を宥められるようになりました。

だから今、霧の中で必死に生きている人がいるのなら、自分を信じて自分で選んでほしいなと思います。それが人にどう思われるとしても。

 

あのときした選択はどれも、正しくはなかったかも知れませんが、私にとっては必要でその時できる最善でした。他の人を傷つける結果になることが多かったのは否めませんが。

 

正しい人って、正しいんだと思いますけど、好きじゃないです。

「それは正しくない、間違っている」って怒る人たちは、正しさの鎧の中に、自分の気持ちを隠している気がするんです。

気持ちを見せてくれた上で怒られるなら、ああ、この人は悲しいんだなとか、悔しいんだな、そう感じさせてしまったなと思えるんですけど。

「間違っている!」「改めろ!」では、知ってるよ、その上でこうするしかなかったんだよって思う。言わないけど。そう言う人たちはわかってくれそうにないって思ってしまうから、言うのを諦める。

共通の規範を破ったことに対して、社会的な制裁が下るのは理解できる。社会で気持ちよく過ごすための共通認識があって、それを守ることで得られる利得があるから。

そうでなくて、明らかに個人的な感情が渦巻いているのに、それをぶつけたいという動機で正義の仮面をかぶるのがカッコ悪いし、好きじゃない。

 

正しくなくても、私は私の感じたことを大事にしたい。

全身でいっぱい感じてきたことが、私の今を作っています。

10年前の私に言ってあげたい。大丈夫だから自分の選択をしなさいって。

感情を整えることは難しい、伝えることも難しい。

こんにちは、セピア猫です。

旦那さんが仕事用の端末を持たされて帰ってきました。

家で過ごす時間くらい、のんびりしたいだろうになあ。

ちなみに私も同じ職場なのに持たされていません。

そんなリモート用機器が導入されつつあることも知らなかった。笑

 

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桂の木の下のスズラン。清楚で美しいお花ですね♡

私はもともと感情の波が激しいタイプです。

調子が悪い時はよく、普段は気にしないような些細なことで落ち込んだり、旦那さんのちょっとした言動にイライラしたりしてしまいます。落ち着いてからは、気にしすぎだったな、と思うんですけど。

そのくせに、何故か対人援助職に就いてしまったため、自分と同じような、もしくはもっと不安定な方に、アドバイスしたり、励ましたり、見守るようなことを仕事としてやっています。

私にアドバイスされたくないだろうと思いつつも、仕事なので、最低限やれることをやっているのですが…

いかんせん、言うことに説得力がない。と私自身は感じている。

 

昨日も気分が優れず、子供がぐずって寝落ちしたあと、いろんなものに八つ当たりしました。洗濯物を床に投げつけたり、壁を蹴っ飛ばしてみたり、声を上げて泣いたり。

まあそういう発散は、一人だからできるんですけど。

 

普段もっともなことを言っていても、言うだけでできないことなんていっぱいあるなあ。

それを知っているだけでもいいのか。

こんな風なので、困って相談しに来られた人たちにアドバイスしながらも、できなくなっていいんだよ、ってつい思ってしまうのでした。

 

それにしても、自分の日本語能力の貧弱さにびっくりしてしまう。感じていることの何%を書けているだろうか。こう感じるのは、普段言葉で自分の気持ちを伝える努力をしてこなかったからなのだろうか。

いっぱい、考えていることも伝えたいこともあるはずなんだけれど。

逆に、私は、他の人が伝えたいと思って伝えてくれていることを、どれくらい受け取れているだろうか。

わかってくれる、わかりたい、と思えていること、つまり、相手を信頼しているかどうかなのかなと思います。

神様に会った日

こんばんは、セピア猫です。

この週末、根尾谷の淡墨桜を見てきました。

行く道はめちゃくちゃ渋滞していました。駐車場のキャパシティの問題で。でもそれで入場制限がかかり、桜はゆったり見れました。

娘は、せっせとアイスクリームを食べていました。笑

そして芝生で転がったり、川に足を入れたり、元気に遊んでいました。

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淡墨桜 樹齢1500年らしい

初めて見たのは大学生の時。旦那さん(当時は彼)が連れて行ってくれました。

何故か、桜の季節じゃないときに。秋だったかな。

その時は、大きいなあ、くらいの感想だったけれど。

それから何かにつけてドライブがてら見にくるようになり、今年で何度目だろうか。

私がこの桜を初めて見てから、今日までせいぜい10年くらいの話なのだけれど、10年間変わらず立っていてくれる樹に、なんだか感謝したくなりました。

 

1500年前から生きていて、今も立派に花を咲かせる。

1500年の間、いろんな人が見にきて、いろんな人の人生が通り過ぎていって、その間にこの樹も大きくなったり、嵐が来たり、晴れた日があったり、だんだん弱ったりしたんだろうな。そして今、見事に咲いている。

1500年前の人が見た桜と同じ花を、今私たちが見ている。

とても不思議。

 

宗教は信じない派だけど、神様の存在を感じる時間でした。

人の生活や流れを超えた、全然違う流れの世界って、きっとあるよね。

植物も、空も、海も、星も。

31歳にして神様を感じた日。

まだ感じたことのない神様はいっぱい在るんだろうな。

これからたくさん出会えるといいなあ。

 

おばあちゃんになっても、またこの桜を見れたらいいなあ。

こんにちは、セピア猫です。

うちで飼っているこの子から名前をもらいました。

愛が重たいシンガプーラくん。

 

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猫って、かわいいでしょ?って顔してますね。

はい、かわいいです♡ってまんまと言わされる、私。

 

こんなかわいいのに、たまに叱られています。

理由は、人のご飯をこっそりとって行くから!!!

床に彼の戦利品が落っこちているのを見つけると、こらー!って。

その時は途端に憎らしくなる不思議。

食事から目を離した私の責任であり、この子は悪くないのだけれど。

びっくりして逃げ、こちらを窺う様をみて、くそうかわいいな怒ってごめんよという気持ちとともに、もっといじめてやりたいと思う気持ちが自分の中に出てくるのを、私は知っています。

 

かわいさが仇になるというか……かわいさって嗜虐性をそそるところもある気がする。

そんなことありませんか?

猫の虐待ってたまに耳にする。そういうことをしたくなるのは、やっぱり可愛らしい生き物だから、な気がします。ある意味で、選んでしまっているのかなって。

もちろん、虐待は絶対ダメなのですが。その上で。

いじめる側が支配しているようで、支配されているんだろうな、みたいな。

これって、DVとかにも当てはまるんじゃないか。

 

写真から連想したことを書いたらなんだか変な話になってしまった。

まとめてしまえば、愛と憎しみは紙一重っていう、よく言われていることですね。

自分の暴力性を自覚して、手綱を握り、大切なものを大事にしたいと思います。

小雨が降る春の庭

こんにちは、セピア猫です。

最初で最後の記事になりそうだった前回の記事。

久しぶりの更新です。

旦那さんがiPadを手に入れてくれたので再開することにしました。

 

最近庭いじりにハマっています。

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花壇に咲いた咲いた♡

趣味探しが趣味のようになっていましたが、花殻摘みとか草取りとかやってると、時間が経つのが早いですね。

なんとなく気分が晴れないなあというときには、なるべく庭に出ることにしています。

枯れていると思った植物の根元から新芽が出ているのを見つけると、生命って素晴らしいなと、感じます。

なーんて、旦那さんがお世話をしている庭なんですけど。笑

庭に、ありがとう♡

こんな素敵な庭を作ってくれて、旦那さんにも、ありがとう♡