歯車

からからぐるぐる

夢で見た事。

 住宅街の近くを流れるドブ川に沿って歩いている。少し前を中年の男が歩いている。そのまま歩き続けると、いつしか俺は男のすぐ横を並んで歩いていた。

 不意に男が「なあ。」と話しかけてきた。

 「あれはいっつもどれくらい飛ぶん?」

男の指す方を見ると、曇天の下、パラシュートのような物に摑まった人々が舞い上がっていくのが見えた。

 思わず、「あれは、たまに飛んでますね。」と俺は答えた。

 すると男は、「俺はどれくらいって訊いたねんで」と声を荒げた。

 俺は慌てて、「あ、あれは10人ぐらいですね。土日はもっと増えますけれど。」と言った。

 男は「行ってみようや。」というと神社の方へと向かい始めた。

 

神社に着くころには夕方になっていた。

神社の脇の車道が一車線だけ貸切られており、運動会なんかで校庭に立っているようなテントが1つ、そのテントの下に2メートルほどの長机が置かれていた。道路にはいくつも荷釼大明神と書かれた旗が立てられていた。

俺たちが近づくと、お爺さんが「あんたらもやろ。はよ並ばな終わるで。」と声を掛けてきた。

俺たちは子供たちがワイワイ騒いでいる列に並んだ。

テントからお婆さんが出てきて、長机の上にあるヒラヒラした物を手に取ると俺たちに手渡した。

「しっかり持つねんで。」

ヒラヒラしたものの正体は、レジ袋をハサミで切ったような、何の変哲もない細長い1.5メートルほどのビニール片だった。

「こんなんで飛べるんですか。」と俺は尋ねた。

お婆さんは「子供らだって飛んでますよ。」と答えた。

前を見ると、確かに子供たちは次々と舞い上がっている。

「飛べるから飛べるんですよ。」

「でも、」

「離したらあきまへんで。」

そう言うとお婆さんはテントに戻って行った。

前を見ると中年の男がビニール片の両端を握り、正面から吹く風で何とか舞い上がろうとしていた。お爺さん達が、男の体を両脇から支え、何とか飛ばそうとしている。

「もう少しや。」

「あとちょっとで、」

と、男の体が宙に浮きあがった。そのまま地上50センチをフラフラと数メートル漂うと、突然、男は落ちた。

「あかん。切れてしもた。」と男が言った。

手には数センチのビニール片がしっかりと握られていた。

 いよいよ俺の番だ。ビニール片の両端を握り締めると道路の真ん中に立ち、風を待った。片方の車線を車が走っているせいか、思ったより風はある。いける。飛べる。と思ったが、同時に、俺の貧弱な腕に全体重をかけても支えられるだろうか、とも思っていた。

突然、何の前触れもなく俺の体は前にズルズルと引きずられた。

 もう少しだ。あとは体を浮かせれば、と、腕に力を込めた瞬間、あっけなく風が止み、俺は道路に崩れ落ちた。

すっかり夜になっていた。

 

俺と中年の男は小さな木の小屋に居た。その小屋には窓がなく、小さな星がいくつも見えた。気が付くと、小屋の隅でお爺さん達が酒を飲んでいた。俺たちに気付くと、一斉に真面目な顔になって、そのうちの1人が「残念やったな。」と言った。

「そこに置いてある段ボール、中は子供たちへの参加賞やけど、余ってるから好きなだけ持ってってええで。」

すると、中年の男が「袋菓子もええねんけどな、俺は他のもんが欲しいねん。」

「これやねんけど。」と千切れたビニール片をヒラヒラさせながら、お爺さん達に見せると、酔っぱらったようにフラフラしながら小屋を出ていった。

後に残された俺は、後を追おうとしたけれど、追う事が出来なかった。追って行けば二度と会えないような気がしたからだ。

 

 

 

ああ疲れた。夢で見た事って忘れがちなのですが、なぜか1日経っても覚えていたので、ここで成仏させました。

就活の一幕

ちょっと微妙な会社に応募した話。


私は今就活中で、関東周辺での仕事を探している。今は関西に住んでいるので交通費などを考えると、チャンスは2、3回。焦っていた。


そこで、なるべく簡単に内定を得られそうな企業ばかりを求人サイトで探していた。


その中の1つが目にとまった。


社員数ギリギリ二桁名、会社の楽しさが強調され、「やりがい」「頑張り次第で」「楽しい」「独立支援」「海外研修」、Tシャツ姿でピースサインの社員の写真、リンクが機能していないホームページ……怪しさ満点だった。


しかし、逡巡したのは一瞬。応募した。


リク〇ートっぽい求人サイトに載っていたし、まあ、警戒するほどヤバい会社じゃないだろうと。載せる前にある程度調べるだろうと。


応募の翌日、いきなり電話が鳴った。
「株式会社〇〇です。応募受付ました。」
「はい。よろしくお願いします。」
「このまま電話面接始めてもいいですかね?」
「えっ。あっ。はい。大丈夫です」
「えー。では志望動機は?」


焦った。何にも考えてなかった。自己PRも志望動機も空っぽだった。まさか翌日に抜き打ちで面接が始まるなんて予想だにしなかった。

とにかく、やる気だけは誰にも負けません的な言説を振り回し、10分ほどで面接は終わった。


数日後に合格の電話があり、説明会と最終面接を受けるように言われた。


速やかに支度をし、選考前日に東京に着いた。


アルコールは控え、眠剤飲むのもやめておいた。最終面接の連絡がきた段階で、ブロンやイチョウ葉も使っていない。面接の少し前にロラゼパム(医者から面接前の服用を命じられている)を飲む。それだけ。体調には細心の注意を払った。


そして、夜中に5回、目を覚まし、6回目に目覚めた時、朝になっていた。


スーツにシワがつかないように、気をつけながら指定されたビルに向かった。そして、きっかり10分前(本当に秒単位でキッチリ10分前)に事務所に入った。


事務所というより、倉庫に偶然、机が置かれているように見えた。床屋の待合席のような椅子に通されて、数分後。


「じゃあこれから普段の仕事を見てもらいますんで」


説明会とはこれの事か。


ビルの外に、箱が縦に積まれていた。よく見ると下にタイヤが付いていた。


「これを運びます」


当たり障りのない会話をしながら駅に連れて行かれる。


駅に着くと「これから電車賃かかるけど、これは自腹になります」


もちろん、電車に乗る事は初耳である。


電車に数箱分のダンボールを乗せる。軽いものではないので、扉の前に陣取る形となり、見るからに迷惑。


しかし、心臓が強い方なのか、ちっとも気にしていないようである。


人々の視線が痛かった。


私はなるべく、無関係ですよ という顔をするように努めた。


某駅で降りた。

 

やれやれ、と村上春樹の小説みたいなことを口に出しそうになった。

 

今度はこのダンボールの山をガラガラと押して住宅街のど真ん中で突然止めて、""すぐに戻ります""と札をつけた。


「ではこれから、こちらの商品を売ります」


ん。えーと。この辺り、見た所家しかないけど、まさか…


おもむろに、ダンボールの一箱を抱えたその人は、私に「君はこれを持って」と一箱押し付けた。


そして、いきなり近くの家のチャイムを鳴らした。


ピーンポーン
「はい」
「おはよーございまーす」
「はい」
「はーーーい!」
「どなたですか?」
「はーーーーーーい!!」


日本語が分からないのか、扉開けるまで名乗らない主義なのか、どちらかは分からないが、もうその場に居たくなかった。


が、いきなり走って逃げるわけには行かないので、そのままズルズルと付いて回った。


私は、止むを得ず、ボランティアの一環として、仕方なくやっているんです という顔をしていたけど、さすがに誤魔化せなかったと思う。ずっと後ろに並んでいるのだから。ダンボール持って。


驚くべき事に、一軒だけ買っている人もいた。

「この野菜は〇〇って言って△△の珍しい××で〜」

と誉め殺されてる野菜、その銘柄は普段から私が家で食べているものだった。

「今日は特売で〜」

と言っている割には、滅茶苦茶高い。2倍ぐらいの値段だった。


詐欺をしている気分だった。


いくら関西と物価が違うとはいえ、さすがにこの値段はない。罪悪感で胸が一杯になった。


とにかく、売れたので、品物を補充しに、最初に放置したダンボールの山に戻った。


すると、「ちょっと電話してくるね。ここで待ってて。」とやたら遠くへ行き、角を曲がってどこかに行ってしまった。


何か聞こえたらマズイような会話をするのだろうか。


待っている間、私は考えた。これは無理だろうと。注視恐怖が酷すぎて精神薬を服用するような人間には不可能だと。それに、今時、こんな商売が続く訳がないと。


しばらくの後、電話を終えたのか、戻ってきた。


そして、

「どう?この仕事。出来そう?いや、ウチでもさ、イメージと違うって辞めたりする人がいたら可哀想だと思って見て貰ったんだけど。どう?」
「他の仕事などはなさったりしないのですか?」
「んー。ウチでは基本、これは全員やる仕事かなー。」


やっぱり日本語が苦手みたいだった。


「もし無理みたいだったら、ここで帰っていいよー」


その時、自分がひどく軽く扱われているように感じた。話し方や、その場の雰囲気、すべてが終わっていた。


イラつきに加え、日差しが強く、頭がぼんやりしていた。「太陽のせいだ」ムルソーなら確実に撃ってたと思う。

 

「ではこれで失礼します。ありがとうございました」


考える間もなく口を衝いて出た。


回れ右してネクタイを緩め、第1ボタンを外し、ツイッターにイライラを書いていた所、ハローワークの事を教えて頂いたので、すぐさま向かった。ようやく1日がスタートしたような気がした。

 

Restamin Od

 twitterで何度も書く書くと言ってい置きながら長らく書かずいたレスタミンODについて書きます。

 文章書くのが苦手でダラダラとした文になりそうなので結論だけ先に書きます。

 

 結論 : レスタミンODはお勧めできません。

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酷い絶望感に襲われていました。こんなにたくさんの苦しみのある世の中で生きていく意味があるのだろうか。生きるよりも死んだ方がマシではないのか。こんな事になったのも神様が死ぬきっかけを作っているからではないか。神様から死ねと言われてるのでは。etc....次から次へと死ぬ理由が思いつきます。

 死のう。と思いました。この時点で完全に冷静さを失っていました。

 引き出しをひっかき回すと一番最初にレスタミンを見つけました。twitterには40Tと書きましたが、実際はそれ以上あったと思います。まだ1回10T程度で2,3回使っただけだったので100Tか90T残っていたはずです。

 残りをすべてビールで流し込みました。冷静に考えて100T程度で死ねるわけないのです。でもその時は死ねると思っていました。冷静ではなかったのです。

 1時間は何の変化もありませんでした。 

 しかし、1時間を過ぎたあたりから、なんだか目に映るものが傾き始めました。それと同時に中途半端な眠気がやってきました。でも眠れないのです。どんな姿勢でいてもとても苦しいのです。苦しくて苦しくて、たまらないのです。呼吸をするだけでも体力が失われるのを感じます。視野が極端に狭くなり、それでいて、電灯がとても眩しく感じられます。耳鳴りが酷く、頭痛もします。........いつの間にか床で意識を失いました。

 1時間は経ったでしょうか。目を覚ましました。非常に苦しいものの、床に倒れていると少しはマシになったような気がします。どこかで話し声が聞こえます。聞いたことない人の声がさざ波のように大きくなったり小さくなったり、息が苦しい。。床に耳を付けているので階下の人の話し声も聞こえます。しかし、その声は異常なほどの大きさで聞こえ、頭の中で無限に反響します。

 しばらくすると、階下から私を呼ぶ声がします。私は祖父母の家に下宿しています。夕食の時間であることを知らせるために呼んだのです。

 ああ、苦しい。。でもODバレて騒がれたら面倒だ。最悪の場合、救急車が呼ばれかねない。バレるなら死んでからの方がいい。。。。

 素面を装って食事を摂りました。最後の精神力を振り絞りました。味覚もおかしくなっていました。何を食べても苦いのです。化学物質のような、なんとも形容しがたいケミカルな苦さでした。

 食事の席で祖母が私に話しかけました。霞んだ頭で理解し、返事をしようとしました。文章を最後まで話せませんでした。最初の一単語は普通の声量で話せるのですが、それに続く単語達をはっきりと話せず、どんどん声量が落ちていき、文章の最後には呟くような大きさになってしまいます。さらに、その呟くような声を聴きとって貰えたとしても、私には会話が続けられませんでした。直前の記憶が一瞬で消えてしまうので、会話の流れが全く分からないのです。.....食事中の記憶が途中で消滅します。

 気が付くと、シャワーを浴びていました。水温に対すろ感覚が鈍くなっているのか、シャワーを浴びても、とても寒く感じました。ひどく疲れていました。吐き気がだんだん強くなってきました。体に力が入らないので、ふらふらしながら自室に戻りました。

 もう、体力の限界でした。ベッドに倒れ込み、AM5時頃に目を覚ましました。熱があるような気持ち悪さを感じますが、大学に行かなければならないので、無理やり起き上がり、パンを焼きました。食欲はゼロでしたが、昼休みに昼食を摂る習慣がないので朝を抜けば10数時間断食することになります。学食などに行くのは人が多いので極度に苦手なのです。朝食には、やはり、ケミカルな苦みが。。。。コーヒーは本来の苦みとケミカルな苦みが重なり、非常に危険な飲み物になっていました。

 そんなこんなで、ふらつきながらも大学にたどり着き、1時間目の授業中、ブロンの入った頭で、今回のブログを書くことを思い付き、レスタミンODのメモの講義中に書きました。1か月以上前の事を鮮明に思い出せるのはそのためです。