名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

セザンヌ 「赤いチョッキの少年」 手が長く見えるのはそれが切れているから

セザンヌの絵の解説を読むと、多角的な視点から見た形を一つの絵に同時に描き込まれているとか、キュービズムの父として物を丸・三角・四角とかの単純な形で捉えているとか、分かった様な分からない様な事が書かれている。僕はそんな風には思わない。

セザンヌは単純に絵が下手で、デッサンがまるで出来てない。だから空間がゆがんだような絵しか描けないのだ。出来の悪い画家が、悪魔に魂を売ってかろうじて他人に受ける絵になっているが、根底には悪魔による人間の生贄の様子を描いているにすぎない。

ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」 1888年~89年 ビュールレ・コレクション(スイス・チューリッヒ)

この絵の少年は手が異様に長い。その理由を評論家は推測するが、どれも当たってない。結論から言ってしまえば、少年の手は肩から切られて外れている。下にずれているので長く見えるだけの話だ。「神」(悪魔)への生贄の肉として存在しているので、既に少年の身体はと殺場の豚のように解体されている。

肩で切断されているので、下にずれた分筋肉の筋や血がうっすらと見えている。

この手が机に見える他の生贄を押さえ付けている。それらの人間の身体は足の途中とかで切られている。

腕の周り、机の人体の周りには血の色が見える。

左手も切られていて、もう形がおかしくなっている。手指はどうなっているのか。目は既に瞳孔が開いている様子で、恐らく首も切られていて、手で押さえていないと落ちてしまうだろう。首の下に小さな人間がいる。頬にもみ上げのような形で黒い物が見えるが、小さい人間の血か、少年の首から出た血だろう。

全体図。右上から爬虫類型の「神」が降りて来ている。

少年の首を鼻先に乗せて、少年に手・足・胴体は「神」の口の中に半分入っている。少年の下半身・机の上の別の人間たちはこれから喰われるところ。

分かり易くなるかもと、色等を変えてみた。

ドミニク・アングル 「ドーソンヴィル伯爵夫人」(部分) 1845年 ニューヨーク フリックコレクション

手が肩から切断されていると言っても信じない人が多いだろうから、こんな例を挙げてみる。伯爵夫人の肖像画の部分図だ(上図左)。この夫人の腕は明らかに下にずれている事が分かるだろう。特に右手はおかしな所から生えているような感じになっている。この腕の部分を切り取って上にずらして張り付けてみた。縦方向に縮めてもみた。これで少しは自然に見えるようになったと思う。

腕が下にずれるのは作者の作為ではない。作品全体の為の変形でもない。ただ「神」の為に家畜が解体されている事を示したいだけの事だ。

他の作品にも手が異様に長い物が無数にある。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナ・リザ」 1503~1507年 ルーブル美術館

例えばこの「モナリザ」においてさえ、腕が下にずれている事に気付かないだろうか。この絵では肩にショールを掛けたりして巧みにごまかしているが、夫人の身体の輪郭線が微かに辿れる。すると上図右のような形になって、肩の所で腕が落ちている。「モナリザ」は首が長い夫人だとか、なで肩だとか言われるが、本当の所は腕が切られて下に落ちていると言う事なのだ。

これだけ事実を突きつけてもあえて信じない人も多いだろう。それは生まれてこの方洗脳されて来ているからでそれもある程度仕方がない。自分たちが「神」の餌として存在するなどと、荒唐無稽に思えて、また恐ろしすぎて信じることが出来ない。しかし自分の目を信じて自分自身の判断で現実を受け入れるしかない。

 

モネ 「印象・日の出」 地上の人間を繁殖させて食糧にする

モネの絵は細かい部分は描かれて無いのでよく分からない。ただ全体的に感覚的に捉えれば感じ取れる部分が多くある。人が目から脳を経由して物を把握すると言う事はこういう事かもしれない。人は写真機と違って自分にとって最も関心のある事象しか把握しないから。

クロード・モネ 「印象・日の出」 1872年 マルモッタン・モネ美術館 

この絵などは港らしき景色と船らしき物が何となくそこにあるように描かれているだけなので、一般受けしないだろう。しかし長い時間向き合っていると次第に朝焼けの中の港が認識でき始める。港湾施設のクレーンとか、工場の煙突とかも見えて来る。

今までの絵画では物の形がはっきりと誰でも把握できるように、写真のように描く事が求められていたのが、恐らく写真機の発明のせいで具体的描写に価値が見出せなくなったのだろう。より人間の感覚を中心にした絵画が描かれるようになった。

ウィリアム・ターナー 「海岸に近づくヨット」 1840~45年 テート・ギャラリー

この絵の30年ほど前、モネはイギリスに渡ってターナーの絵を観て影響を受けている。ターナーのこの絵は港のヨットを描いた物だが、モネの絵と非常に良く似ている。同じように空の中に明るい陽の光が霞んで見えている。ただヨットも海岸もはっきりとは捉えられない。

ターナーの絵を全体的に、巨視的に見れば、まるで頭蓋骨がそこにあるような形が見えて来る。目の窪みの暗い部分と額の明るい部分が、それと思えばそれにしか見えないほどはっきりと見えて来る。

そして同時にこの絵には別のテーマも含まれている。空の部分には巨大な「神」の顔。その口の下には人間の形をした物が隠れている。すなわち「神」が人間を食い物にしている図である。

モネの絵に戻る。コントラストを強めるとこんなに赤色が浮かび上がってくる。単に朝焼けの赤色と言うのではない。人の身体から噴き出る新鮮な血のような色である。

時間を掛けて良く観て、イラスト化しながらさらに良く観る。イラストも何回も描き直す。するとこんな隠し絵が見えて来た。

ターナーの絵と同じように空に巨大な「神」の顔、水平線下に生贄の人間の姿が複数組見える。こちらの人間たちは、皆性行為をしながら喰われているようだ。尻から子供を産んでいる。

上図左。モネの絵を遠目に見た図。ターナーの絵と同じように骸骨のようだ。

上図右。後背位で性行為をしている人間たちが三組ほど見える。そこを強調してみた。

上図右。巨大な「神」が、性行為をして繁殖している人間たちを口に入れている図。

地上で知らずに繁殖行為に励んでいる人間たちを、空からやって来て食糧としているのが「神」である事が描かれている。

 

人間は地上を這いずりまわる家畜である。他の星では生きていけない。

最近は政府の増税策がひどすぎて年金だけでは生きて行けないほど国民が苦しめられている。死ぬまで働かなければならない。しかもその年金さえもなんだかんだと理由を付けて減らされる。日本だけではない。世界中で同じようなことが起きているようだ。一部特権階級による搾取が年々露骨に見え始めている。「神」=「悪魔」の協力者だけが助かろうとしている。悪魔の滅ぶ前の最期のあがきかもしれない。

 

ジェリコー 「メデュース号の筏」 飢餓による人肉食 生命を維持する為には必要だった

この世に起こる事件・事故。その全てが「神」の差し金によって起きているのではないか。

この絵は、1816年モーリタニア沖で座礁し、147人ほどの人が筏で漂流するフランス巡洋艦メデュース号の人々の事故を題材にしている。早世の画家ジェリコーの27歳の時の作品である。食糧も無く、他の船に発見されるまで13日間筏の上で過ごし、苦しい生活をしていたの15人の人々が、遠くに船を発見した瞬間を絵に描いている。

テオドール・ジェリコー 「メデューズ号の筏」 1818~19年 ルーブル美術館  

491cm×716cm

大きい有名な絵だが高画質の物は見つからなかった。画面はほとんど黄土色一色と言っても良いほど無彩色に近く、しかも暗い。陰になった部分を画像処理ソフトで明るくしようとしても形が少しも見えて来ない。Wikipediaで2073×1403ピクセルの画像があったがそれ以上の物が無い(部分図にもう少し高画質な物もあったのでそれを合わせて使った)。

明るくしてみる。ルーブルの大広間で幅7メートルのこの絵をベンチに腰掛けて見られるようになっているが、真ん中のテントの中の暗い部分は見えるのだろうか。

筏が菱形に描かれ、人物がピラミッド型に構成され、最上部の服を脱いで振っている黒人に目が行く。その下には、手を上げている人、倒れたままの人、あきらめの表情の人等、様々な人間模様が劇的に描かれている。

水平線のかなたに点のように小さく見えるのが筏を発見する事になる船。

手を上げているのはまだ元気のある人。手も上げられず、もう起き上がれないほど衰弱している人もいる。

布でテントが組まれており、その中の暗い部分が絵の中心部に当たる。テントの中にいるのは皆に大事にされるような人物なのだろうか。

頭を抱えた男が見える。口に何かを咥えているのか。既に頭が狂ってしまったのか。

その奥にもう一人他人らしき影がある。誰だろう。まるで死神のようだ。

画面中央手前部分。顔や身体が全て逆光で黒くなっている男がいる。

その手前にうつ伏せた男。左肩に大きな傷口が見える。右肩は腕がもがれたように無くなっている。逆光の男はこいつを喰っているのか。

13日も食糧も水も無しに生き延びるには、死者の肉を喰うしか無いのかもしれない。

うつ伏せの男の右腕は肩から無くなっているし、左肩は肉がえぐり取られている。

下半身は既に存在しないのかもしれない。それとも下や右後ろにある足が逆光の男の物では無く、この男の足である可能性もある。

逆光の男の表情。他の船に発見され救助されたらこの人肉食がばれてしまう気まずさが表れていると思う。

この男の手先はどうなっているのか。右手で足を、左手で手を持っているのではないか。左肩に見える黒い物はうつ伏せの男の腕か。

肉は火も通さず生で喰らうしか無いのだろう。

画面左端の男。腹から下が無い。頭の後ろとか首に巻き付いているぐちゃぐちゃした物は内臓か。いずれにしてもこれは生存者たちの為の食用肉。

最終的に助かったのは15人とされるが、ここにはそれ以上の人物が描かれている。15人以外は死体だろう。右端で水に浸かった死体には首が無い。その他食糧としての死体が筏に乗せられている。

中央のテントの中の頭を抱えた人物は、自分たちの共食いが露見する事を恐れているとしか思えない。

 

そしてこれらの人々の悲惨な運命を現出させているのが、画面全体に大きく描かれた「神」と言う存在。絵を遠くで見た方が、またはネットでサムネイルのような小さい絵で見た方が発見しやすい。

この世の人間の運命はこの「神」の導きに拠っているらしい。人間同士が共食いをしようと何ら動じない。元々似たような事を人間にやらせているのだから。有機物で出来た生物が有機物を摂取するのは当たり前で、家畜の肉を何の疑問も無く人間は喰っている。「豚」はどうやら猪と人間の遺伝子を組み合わせた生き物だと思っている。「豚」を喰う事は人間の共食いと言えるのだろう。人間も喰われる存在である事を認める必要がある。

アングル 「グランド・オダリスク」 神の食卓テーブルの光景

人間にとって、この世はとてつもなく残酷なものなんだろう。人生何をやってもうまくできなくて、世界には悪い人ばかりがいるように感じるのは当然だ。それは世界の頂点に立つ存在が人間を食い物として創り出したからだ。国が増税して国民の生活を出来なくしているのも、ワクチンで人を無差別に殺しているのも、そういう観点から見れば当然。何をいまさら驚く事があろう。

この絵にもそんなおそろしい現実がありありと表されている。

ドミニク・アングル 「グランド・オダリスク」 1814年 ルーブル美術館

この背中の異様に長い女性の肖像画。誰でもが観ることが出来る有名な絵で、ルーヴル美術館に至宝のごとく飾られている。その実何故こんなに背中が長いのか、納得のゆく説明が出来る人はいないだろう。

尻から背中にかけて、こんなに長い人は実際にはいないはずだ。右手も長い。ベッドの上のシーツもくしゃくしゃだ。右隅にアヘンの吸引セットが煙を吐いている。こんなふしだらな、不道徳な、しかも形の変形させた女を描いたアングルと言う画家、そのネームバリューだけで美術館も認める所があり、名画としているのだろうか。

絵全体の統一感の為に一部を変形させると言う描き方はある。この絵の場合、異国の王に仕える女の身体の色つやを表す為に肌の露出部分を強調させようと長くしたのか。ハーレムに置かれたアヘンの煙による幻覚を女の身体の変形で表したのか。

いやいや目的は違うだろう。

オダリスクとはイスラムの王スルタンに仕えるハーレムの女の事。その女の顔を拡大してみた。

顔の半分が暗い所にあるが、口の向かって右側に何か飛び出ているものがある(上図下)。鼻から口、顎、首にかけて血が流れているようにも見える。

左目の黒目がおかしい(上図上)。黒目部分からダンゴムシが這い出て来ているように見える。何だろう。

首の後ろの筋肉が異様に盛り上がっている。その筋肉と頭部との境目が割とはっきり見える。胴体に首を上から突き刺したような不自然さだ。ちょうどひな人形に首を突き刺したような格好だ。

左手と胴体の境目も割とはっきりわかる。取って付けたような左手だ。

右手も胴体と色が違うので取って付けたようだが、ここは境目がはっきりしない。

光は背中側から当たっているはずだが、女の背中はやたら汚れて赤黒い。

右足の太ももの上に孔雀の羽で出来たうちわが置かれているが、その辺りどうも納得できない表現が多々ある。

団扇の左上にある赤い陰、光の方向からしてあり得ない。右足と重なる部分の陰も変に汚れている。これらは血が付いている表現ではないか。

右足の踵には光が当たってもう少し白くなりそうなものだ。

左足の膝裏には、うっ血があるのか。この部分には血が流れているとは思えない。

両足とも、切断されているのではないか。

尻から腰、背中にかけて。形もおかしい。尻えくぼは二つあるはずでは? 

絵の中心部の表現だから、作者の意図がこの辺りに込められているはず。

長い時間を掛けて、何度も繰り返し見て、イラスト化しながらさらに注意深く凝視する。何年後かにまた見直す。そうこうしながらこの部分に隠されたものをイラスト化してみた。

背中から尻に掛けて、小さめの人間が二人ほどいた。一人は背中にいる。尻えくぼの上あたりが尻になる。もう一人は尻の所にいる。四つん這いのような姿勢で左足を曲げ、右足を後ろに伸ばしている。その伸ばした右足が途中で切断されている。孔雀のうちわは足の切断面を表している。

この女の身体は複数の人間の身体で組み立てられている。

首、右手、左手、右足、左足はまた別の人間のパーツであろう。

ベッドの上にも別の人間が転がっている。名画の中の人物は大抵こんな感じで、人肉の積み重ねとなっている。

上方から巨大な爬虫類「神」が降りて来て、これらの人肉を口に入れる。名画は人間のこんな悲しい現実を突き付ける。「神」にとっては何も残酷な光景ではなく、日常の食卓風景でしかないのだ。

 

ダヴィッド 「サン・ヴェルナール峠を越えるボナパルト」 悪魔に背中を押された英雄

この絵では隠し絵を見つけ難かった。

幅2730センチ×縦2710cmと、大きな作品であり、隠し絵が丁寧に隠されているように思えた。

 

ジャック・ルイ・ダヴィッド 「サン・ヴェルナール峠を越えるボナパルト」 19世紀 ヴェルサイユ宮殿 

ナポレオン・ボナパルトは、イギリス海軍にトラファルガーにおいて大敗を喫したが、陸軍は連戦連勝で、アルプス越えでイタリアにいる敵オーストリア軍に奇襲をかけて勝っていたりする。軍事的天才でフランスの英雄。後に皇帝にまでなっている。

同じテーマの絵が5枚ほど描かれている。

ナポレオンは小男だったと言われているが、英雄として描かれたこの肖像では実物よりかなり大きく描かれている。サラブレッドに乗った競馬の騎手の写真を並べてみたがどうだろう。実際のナポレオンはこんなに足が長くなく、馬の胴も絞められなかったのではないか。彼は馬を嫌い、普段は騾馬に乗っていたとも聞いている。

右は同じ作者の別のナポレオンの肖像画。比較になる物が近くに無いが、それとなく小男で足も短いのがよく分かる。

随分美化された顔。それは仕方ないが、この口がおかしい。真一文字に引き締められた凛々しい口元を拡大してみると、口から赤い物が出ているようだ。

例によって彼も人間を食い物にする巨人族の一人なのか。

馬の乗り方は良く知らないが、手綱がこんなに緩んでいて良いのだろうか。それにナポレオンは左手で手綱を絞ってないのにどうやって自身の姿勢を保っているのだろうか。たてがみを鷲掴みしている? または追い風に煽られてうまく姿勢を保っている?

背後の雲の中に巨大な爬虫類の頭が見える。同じくらいの大きさのそれがほぼ二重に重なっている。ナポレオンが肩に掛けた赤いマントは人間であり、ナポレオンが乗る馬自体も別の人間の身体で組み立てられている。それらがすべて空の「神」(爬虫類型生命体)に捧げられた生贄である。見れば峠の地面にも人間が敷き詰められている。やはりここも生贄の祭壇なのだろう。

全体図。右上の雲の中に何か別の物が見え出した。

右上に見えるのは恐らくUFO。「神」の乗り物らしく、その一機から大蛇が飛び出して人型の物を口に入れているようだ。

ナポレオンはこんなUFOに乗った「神」に押されてアルプス越えその他の行動をし、連戦連勝をしたに違いない。「神」への感謝の表現として人間の生肉を身に纏って捧げている。「神」は「悪魔」と違わない。「悪魔」との契約をして「英雄」になったと言う事である。