自殺についての自分が思ったこと
自分の考えだが、
人は、なかなか死ねない。
死ぬ為の確固たる信念が必要だと思うから。
違う言い方なら、確信だ。
死ぬという怖さや不安もあるし、身体がそういった反射を止めるだろう。
死ぬと確信するまでのプロセスは、想像を絶することだと思う。
そのプロセスに至る原因は、自分に対する悩み、自分が関与する自分以外の悩み。
このあたりだと考える。
そして、それを可能にするのが、自己説得という繰り返し行う意図の刷り込み。
何度も、原因に対して想うネガティブな言葉を刷り込めば、その言葉どおりに思い込み、行動してしまう可能性がある。
もう一度言うが、
本来人は、なかなか死ねない。
否、死ぬことができない。
それは、産まれた瞬間から、長い短いがあるが寿命という、死に向かって生きていくから。
自殺も、その人の寿命と言えば、それまでだが…
自らを殺めることを寿命とは、考え難いのは、俺だけだろうか!?
死ぬと確信するまでの、プロセスが必ずあるはず。
当人が、何を悩み、考え、想い…
それが、どれだけの時間を苛まれ
結果として、死ぬしかないと決断したのか。
決断しても、死ぬまで恐怖や不安があったはず、また、自殺を決行し、実践しても、死ぬまで意識はあるはずだから、壮絶に苦しいはずだ。
それされも、ある意味乗り越えた先に自ら殺める死が訪れる。
人は、もともと自己中心的な存在だと思っている。
それを踏まえたうえで、他己に関われるように思える。
人の心は、誰にも分からない。
これを書いてる俺も分からない。
もしかしたら、俺自身の心もわかっていない…かもしれない。
今の世界は、殺伐とした世界だと感じる。
自殺する人は、この世界で、
何を見て、何を感じ、何に触れて、どんな匂いを嗅ぎ、どんな音を聴いているのだろうか?
この世界は、観る人によって、観え方がまるで変わる。
だから、自殺を自然淘汰とは思いたくないし、自殺は、少なくなれば良いと思う。
映画で知ったノンゼロサムゲーム(非ゼロ和)
ノンゼロサムゲームについて、この映画で知ったねん。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画、哲学SFというジャンルなんやけどね、インターステラーに次ぐ観てよかった映画。
ほんで、ノンゼロサムゲームについて考えてみてんけど、
お金を稼ぐという目的にしたとき、2極的な思惑が生まれる。
利益をえること と 損をしたくない ということ。
その前に、お金を稼ぐという目的を外して、
やりたいことをやる。
(根底には、お金はいつでもどこても幾らでもかせげるという意図をもつ)
お金と時間は使うが、やりたいことができる。
なぜ、それができないか?
利益で損をしたくない(時間、お金、存在)
お客さんがいない不安
自分本意の恥ずかしさ
そんな考えが出てきたよ。
みえる対価を得ることは、ゼロサムゲームなんだと思う。
過去に、win-win という言葉もあったけどね(確か、7つの習慣やったかな!?)
双方勝たせるという思考は、かなり悩まされたね。
ノンゼロサムゲームは、お互いが得るものがあったり、極論、双方得るものがなくても誰も困らない。
知識なんかは、双方得られるものは、ちがうだろうし、共有できれば、サイコーのノンゼロサムゲームなんだと思う。
ノンゼロサムゲームについて、主観で書いてみた。
思い返してたのだよ。備忘録的に。 (フェイスブックから)
ふと、思い返してた。
何で、親父はソフトボールクラブの監督になったのか?
どう考えても、オレの為としか考えられない。
もし、そうならおれの進む道は、
相手を受け入れること
相手が受け入れられていると分かる場を創ること
相手が向上できるように、自己の経験を伝える、教えること。
これが自分の本質なのかはわからない。
でも、そんな氣がする。
おれはお節介が好きみたい٩(๑´3`๑)۶
以下は、以前、フェイスブックにあげた内容。
−−−−−−−−−−−−−
最近、よく考えます。
産まれて43年。
自分は、色んな経験をしてきた。
自分の人生、どう生きたいのか!?
小さいとき、人見知りだったこともあり、同年代の子達にイジられることあった。
小学3年で、町内のソフトボールチームに入れられ、万年補欠状態。
しかし、あるキッカケで、親父がそのチームの監督に。
今ならわかる。
おれが小学校卒業までやりきれるように、親父が手を差し伸べてくれたんやと。
親父の愛やね。
親父とは、早くに他界したから、17年間しか過ごせなかったけど、
おれは、親父の背中を今でも追っかけてるみたいや。
それを支え続けた母親の愛も今ならわかる。当時、おれは母親が好きではなかったんやけどね。
そして、今のおれは、おそらく関わった人には、お節介な人と思うのかもしれん。
特に仕事ではね、周りがなんと言おうと楽しく、相手にも良い気持ちで従事してもらいたいと思ってる。
もっと言えば、お客さんにも、良い気持ちでいてほしいと思ってる。
そのためには、厳しいことも言える。
それについて来れない、来ない人もいるだろう。
ヒトは、自分の観点でしか世界を観ることができないからね。
しかし、共感が相まれば、共有はできる。
最初の、人生どういきたいか?という部分。
もしかしたら、
お節介という愛を、やりつ続けたいのかも。
それに、共感するヒト、共感しないヒトもいるだろうけどね。
お節介という愛。
やっぱり、ここには、親父の言葉では語らないお節介という愛が密接に関係してる。
何時だったか、昔のおっちゃん、おばちゃんは他人のこどもを自分のこどもと同じように叱り、育ててると言ったことがある。
温故知新ってことばもあるように、
古き良きものは、今でも通用するし、皆が知って学ばなあかんよなって思うよ。
でも教育、躾の体裁でやる暴力はあかんがね。
あ、話が脱線したけど、お金も必要やし、勿論、稼ぎ方、使い方も勉強せなあかん。
でも、夢、目標ばかりに目がいってさ、どう生きたいっていう哲学的な在り方も必要やんなという話。
そして、おれは、人と関わってお節介という愛をバトンタッチして、伝えて行けたらと思います。
児童福祉施設に子供が入所しているという体験をしたからこそ、わかったこと
児童福祉施設に子供が入所しているという体験をして、わかったこと。
以前から、長男は施設にいるとブログや電子書籍で打ち明けてるけども、最初は打ち明けるなんてとんでもない!!
と思っていた。
それはね、
- 施設に入ってる子供のこと
- 施設とはどんなところなのか?
- そこに関係している親の氣持ちは?
その辺の状態、状況をしる情報が圧倒的に少ない。
あるのは、施設に保護された子供の親たちの悲痛な叫び。
その殆どが、みんな、ネットからの情報だった。
講演会もない。なのでそれらの体験を話す親もいない。
みんな、国を怨み、子供を奪われた悲痛な叫びを隠し、極端な言い方だと、
子供自体居なかったことにする。
そんなこともネットには書いてあった。
おれも、最初は、そちらの世界観の人間だった。
だってさ、情報が無いんやもん。
全てが手探り状態。
そこから硬直状態だった自治体とのやり取り、最初からやり直し
きちんとした状態を仕入れ
あと数年で、引き取れる状態まで作り上げてきた。
ここで、ひとつわかったことは
現実に目を背けない
ということ。
しっかりと見据え、施設とは、どんなところなのかを知り関係を作っていく。
それが大切なんやということ。
これは、今施設に子供がいる親御さん、施設関係者の方に伝えたい。
何かの理由で、施設に入ることになってしまったけども、
あなたの子供は、しっかりと生きてる。
あなたにひと目でも逢いたいといつも思っています。
空白になった時間は取り戻せないから、悩みまくるかもしれないけど
あなたの子供は、あなた方を愛していることを覚えていてください。
おれで良ければ、いつでもおれの知ってきたことをお話します。
いつでもご連絡ください
📩kikiya.shidou@gmail.com
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世界の中心に存在を刻む: 自分は人の世界を見ることができるし人も自分以外の世界を見ることができる
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意外なところから、心の澱が取れたんだ。
ふとした会話から、心の澱が一つ取れた話
仕事終わりに仲間の彼と飲みに行きました。
この彼は、仕事もできるし、人間的にも大きい。
仕事のやり方や考え方で合うところもあり、また、同じ役を持ってることから、会えば飲みに行くことが多いねん。
今回も仕事の話を色々喋ってると、プライベートの話になった。
お酒のせいもあって、彼に長男は施設にいること。
三男を初めておんぶしたことなど話した。
そこでね、自然と涙が出てきてしまった。
三男をおんぶできたこと、三男が喜んでる雰囲気が感じられたこと。
言葉に出来なかったが、そのことで涙が溢れた。
彼は、笑いながら泣くなと諭してくれたけどね。
彼のおかげで、心の澱が取れた。
やはり、彼は凄い人。
そんな人物と、同じ仕事をすることに感謝してるし、尊敬している。
不安なこと怖いこと、きちんと話をすれば解消されていく。
たぶん、これがコミュニケーションの真骨頂なんだと思う。
今日は、こんなお話でした。
ありがとう
人生で得られる人脈って、そう多くないんだと思う
いつも、お世話になってる社長がいる。
いつも氣にかけてくれ、自分の足りないところ、氣付かないところを、それとなく伝えてくれる。
社長とは、数年前に、とある交流会で知り合った。
そこで、声をかけてもらい交流が今も続けてもらってる。
社長は、自分に厳格な方で、勉強家。
そして、自分にとっては、兄貴のようであり
人生の先輩以上の方。まるで師匠のよう。
おれ自身、20歳から部下を持ち、人間関係に悩み、店舗など運営し、自営もやり、水商売も経験し
ほぼ誰にも師事せず(下積みも少ない)、自分の問題は自分で解決(逃げたこともあるけど😰)してきた。
たぶん社長は、自分(おれね)の過去も知ったうえでやと思う(ブログに、書いてるしね)
だから、ホンマに氣にかけてくれる社長には、感謝しきれない。
それから、自分の知らないことを解りやすく伝えてくれる。
本来なら、自分ほどのニンゲンとは、釣り合わないだろうと感じるけど、
社長は、笑いながら交流を続けてくれる。
今日も、人生の目的から経済のことの話をしてくれた。
沢山あったので、すべてを理解できたかと言うと嘘になるけど、
時間、責任、役割
この3つのキーワードが1番記憶に残った。
ビジネスは、自分の基準を持つことも大事なんだと改めて痛感した。
すべて、満点の結果を求めるのではなく、
一勝九敗の考え方も、心が楽になった。
自分が仕事してるとき、近しいこと、周りに言ってるのに、自分では、氣付いてなかったのもよかった。
そして、社長は、今
社長量産プロジェクトを立ち上げ、
自分も参加した。
このプロジェクトもビジネスをロジカルに捉え、3年で社長を量産するというもの。
これは、面白いし、未来の自分をイメージしたとき、笑った顔が観えたので参加した。
頑張れば、一流になれるとも背中を押してくれたことに感謝です。
最後に、
社長、ありがとうございます。
本来なら、世界観のレベル違うのに、自分に合わせてもらって感謝してます。
世界中で通用する人間関係10のルール
色々と整理していたら
こんなの見つけたわ。
1:真剣に「他人」に関心を持て。そして他国の歴史、文化などにも関心を持つこと
Be sincerely interested in other people, as well as ther history and culture of other countries.
2:他人の視点に立って物事を見ること
See things from the other person's point of view.
3:他人の利益または興味にそって話をすすめること
Talk in terms of the other person's interest and / or hobby.
4:話し上手より聞き上手
Be a good listerner, rather than agood speaker.
5:ほんの小さな親切でも、心を込めて感謝しましょう
Give sincere thanks to other even for small kindnesses.
6:他人の長所を見いだして「ヤル気」を起こさせること
Find ther strength of others, and arouse an "earger want" in them.
7:相手をほめて重要感を与えましょう。ただし、心にもないことをいってはいけません。
Praise and make other feel important. But do it sincerely.
8:自分が間違っているとわかったときは、はっきりとその場で「非」を認めること
Whern you find that you are wrong, admint it promptly and openly.
9:他人の名前を頑張って覚えること
Try hard to remember ther names ot others.
10:自分に授かったもの(健康、家族、能力、仕事など)を数えて感謝すること(幸福の方程式)
I am happy, because ....
これは、近藤藤太氏が提唱していた「世界中で通用する人間関係10のルール」
近藤藤太氏
といえば、神田昌典さんが著した
この本に出てくる老賢人が、確か、近藤藤太氏だったと思う。
このルールは、今でも通用するとおもうよ。
ホンマに参考になります。