紅茶文庫

ややななめの視点から、やさしい語り口で元引きこもり・元早大文構生が語ります。要するに読者をかなり意識した雑記です。

長距離走を短距離走のペースで走らないと置いてかれる感

 

社会人になりました。やっぱり忙しめです。(タイトル回収終了)ブログ分けるとか言って、分けてなくてごめんなさい。

思ったより記事が書けてないのでブログは分けません。タイトルも''紅茶文庫''に戻しておきました。

書きたいことは山ほどありますので、またいずれお会いしましょう。

あ、宅浪の話、終えてませんね。連載みたいな感じだったのに。それもいずれ書きたいなと。

 

僕が以前のようなブログを書くタイミングは、感情の波がある程度ある時です。

ありすぎると憂鬱すぎて書けませんし、

なさすぎると幸せすぎて書けません。

以前のようなブログが更新されたらそういうことだと思ってください。

ブログを更新していた時期との性格や調子の違いを考えると、もしかしたらもう少しさわやかなブログになってるかもしれませんが、それはそれで紅茶文庫っぽくないですね。その時はブログ名をレモンティー文庫にでもします。

上手いことが言えないので終わりにします。

 

 

ルイボスティーとブラックティー

紅茶文庫の作者が、紅茶を飲まなくなった。

 
このブログで紅茶のことを書くのは初めてだ。かつて、紅茶は僕のアイデンティティーだった。水筒に紅茶を入れ中学校・高校に持っていっていたし、KIRINは僕に感謝状を送ってもビジネス的にwin-winの関係*1になるくらい、午後の紅茶ストレートティー(カロリーゼロじゃないやつ。ー砂糖水?それがいいんだよ!カフェインと砂糖が両方同時に、大量に取れる、本物の合法ドラッグにして知的な飲み物だ!)を飲んでいた。中学の時、メアドがdai-blackteaうんたら@かんたら だったときもあった気がする。紅茶は英訳(=blacktea)すると厨二病をくすぐる名前になる。
 
飲まなくなった理由は単純かつ明解で、カフェイン(とタンニン)を摂れないし摂らないからだ。
不眠症の僕は、カフェインの作用時間が半日を超えることを知った。出典はブログだから略す。カフェインを取らない日にめっちゃ寝れたから、僕は紅茶を午後から飲むのをやめた。朝は起きていないから、午後禁止だと実質飲めない。そんな思い込みが習慣を変えた。寝る前、身体を温めるための一杯をルイボスティーにするようになって、そのうち水筒にもルイボスティーを入れるようになって……そんな風に、身の回りの紅茶がどんどんルイボスティーに代わっていった。
 
この2年間でいくらか、このブログに対して下書きを書いた。つまり、記事にならなかった未公開記事がいくらかあるのだ。その中に「ミルクティー」という記事があった。僕が紅茶を飲みまくっていた頃の記事だ。
--- 以下、2年前の未公開記事=下書き、「ミルクティー」より抜粋---

今僕はこの記事を打ちながら、甘くて熱いミルクティーを飲んでいる。よかったらあなたも淹れてみてはいかが。寝れなくなっても知らないけどね。(だいたいこんなブログ読んでる人って不眠症でしょ?読者は筆者に似るのだ。)

先に言っておく。今日はミルクティーの話しかしない。だがそれで十分だ。

紅茶文庫のくせに紅茶の話をいままで全然していなかったけど、僕は紅茶が好きだ。市販の紅茶をすごく飲む。別にお高いやつじゃなくてもいい。紅茶飲料が好きなだけであり、オシャレでもなんでもない。と、いうのも、甘味料が入っていなくて甘ければいいのだ。甘味料は滅べ。何が糖分0だ。カロリーゼロだ。自分で自分のいいところを潰しおって。お前はなんだ、高校を卒業してすぐ再会した女子か?頼んでもないのに濃い化粧をして自分を台無しにしている女子か?そのままでいいって言っているのになんでそれがわからないんだ?いますぐ黒染めして、その下手な化粧を落としてこい。お前はまだ化粧しなくても数年戦える。数年経ったら知らん。2年保証。

それ以外のこだわりはない。だが本当によく飲む。体内の水分の半分くらい紅茶なんじゃないだろうか。

偶然、ほんとに3年ぶりくらいにだが、紅茶を一切取らない日があった。愕然としたんだが、死ぬほどよく寝られた。別に疲れていたわけでもなんでもないが、日付が変わるぐらいにすーっと寝付くことができた。

でも眠れない僕はまた懲りずにミルクティーを飲んでいる。それは無意識だった。紅茶は僕の生活に侵入してきており、知らず知らずのうちに僕は紅茶に支配されている。

書いていることが割と被っているのはさっき気がついた。ほとんどの人間の本質は、あまり変わらない。 

しかし、僕はここ1年、ノンカフェインかつ、紅茶に味が最も近いという理由でルイボスティーを毎日飲んでいる。紅茶文庫はタイトル詐欺だ。(最初から紅茶のことなんて話すつもりはなかったし、今もないが)
 
ところで、僕はルイボスティーを飲まされているのではないのか。っていうか最近、「侵略、ルイボスティー」的なことばかり身の回りに起こっているのではないか。
 
紅茶は、「自分から」飲んでいた。そして確かに、紅茶(というか、あのカフェインの入った砂糖水)が自分のアイデンティティの一部になっている時期があった。紅茶を誰よりも愛している(そんな合理的∧知的な飲み物を飲んでいる自分を愛している)ことが自分の特徴の一つだった。
 
ルイボスティーは、紅茶の代わりとして僕の生活の中にじわりじわりと入っていった。確か最初は、母親の友人のお土産の美味しいやつを飲んだんだと思う。缶入りの少しおしゃれなやつ。それからティーバッグ、業務用の茶葉と家に用意されていき、いつしか水筒の中身も毎日ルイボスティーになった。それは自分の意志というより、自分が使うから補充されるという感じ。ルイボスティーの方が道具として有効だからなくなって、それが補充されるだ。(僕はルイボスティーの味もけっこう好きだが。)
 
 
この記事を書く前に、自分の過去のブログとTwitterを見られるだけ見返した。すると、記事の裏に隠された自分の考え方が見えてきた。
 
……こいつ、後先考えず、自分の好きなように行動してやがる。(あと、女好きがところどころに見えて気持ち悪い。)不眠症の人に無責任にミルクティーを勧めるなよ、と今となっては思う。
 
2年前の行動のせいで、今の自分は身動きが取れなくなりつつある。(という考えに縛られながら生きている。)
好きな仕事が「選べない」、ルイボスティーしか「飲めない」、自由が「ない」。
そう考えるとさらに身動きが取れなくなってくるから、身動きが取れない、と考えることをやめる練習をしている最中なのだが、そのフォームの矯正の様はなんかボールをきちんと投げられなくなった投手のリハビリのようである。スポーツやボールの弾道と違って外からは見えないが、自分で自分を見てて痛々しい。
 
そもそも、紅茶が飲めないのはかつて愛していたカフェインの不眠症に対する「毒」によるものだった。朝起きることができれば、毒も役に立つものになり、僕も紅茶を飲むことができる。
 
ここから、僕は本当のところ、紅茶を愛していないことがわかった。紅茶のために朝早く起きるということができなかったのだから。薬を毒と決めつけていたのは僕なのだ。

*1:書いてて吐き気がする

彼女が留学することになった

僕、科目「政治・経済」が好きなんです。需要供給曲線を見るだけで興奮するくらい好きで、

経済学科の女子にひかれたことがあるんですけど、

 

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▲興奮する

 

そんな僕が、最近なぜか世界史の勉強をやってるんですよね。

 
んで、世界史もまた面白い。もしかしたら政経より好きになるんじゃないかと思ったりもして。
 
僕は、バイトで受験生の質問対応をする仕事をしているんですよ。実は、政経っていうのはマイナー科目で、本当にたまーーに対応する感じで。英語とか古典とかはバンバンくるのに。古典とか正直もう忘れたんでやめて欲しいんですが、
政経に至っては、2週間くらい質問がこない時期だってあるわけです。
 
今日までまさにその時期で、全然質問がこなかった。それでね、今日久々の政経の対応をして、確信したわけです。
 
「やっぱ俺、政経のことが忘れられないな」って。
 
この気持ちは、彼女が留学している男の気持ちと一緒です。
 
 
 
これが国際化か。
 
彼女が留学することになった。頭の悪い俺にはよくわからない理由を並べて、彼女は日本を去っていった。
きっと、一生懸命勉強して、外国でいい経験をして、充実した時を過ごすんだろうな、と喜ばしい出来事にため息をつく矛盾に情けなさを感じる。
 
一方、残された俺には大してやることもなく、「俺もおっかけて留学しようかな〜」なんて思うのは思うだけで、自分にはそんな精神力も語学力も行動力もない。
同じ三回生のはずなのに、どうしてこうも違うんだろう。
そうやって自分と彼女の釣り合わなさを再確認している。
 
発つ時、彼女は言った。
「寂しくなったら別の彼女作ってもいいからね」
 
圧倒的サバサバ感。留学女子にありがちだな。たしかにそうだよな……留学する女子と貧乳はサバサバしてるって相場で決まってるんだ。彼女どっちにも属してるしな、でも割とそんなところが好きだったんだけどな、まぁたまに胸はもう少し欲しくなるけど、と回想するのもそこそこに、自分の目の前に突き出された言葉に締め付けられる。俺、必要ないのかな、って。
 
でもそんなことを思ったのももう4ヶ月前の話。男ってやつはやっぱりバカなものだ。バイト先の、クラスで5番目くらいに可愛くて、少しアホの子だけど彼女より胸が大きくて愛想のいい子に惹かれちゃっている自分がいる。なお、なんで少しアホな子に限って胸が大きいんだろう、という謎に答えは出ていない。
 
バイトが楽しくて楽しくて、シフト無理に入れて12連勤とかしたりして、でもその子はうち1日しかシフト入れてなかったりして、まさに砂漠を彷徨うようなバイトヘル、でもその例の1日であの子の笑顔が見れたときには疲れもふっとぶぜ、ってな感じでなんだかんだ楽しくやっている。
 
でも、ふと、モヤモヤを感じていたりして。理由は分かっているんだけど、
 
「彼女作っていいんだよ」
 
という言葉を免罪符にして、脳内お花畑を満喫している。別にバイト先の子となんかあったわけではなく、今までで最も密なコミュニケーションといえば偶然クローズ作業を一緒にやって、その後の帰り道、途中の道で別れた彼女が笑顔で手を振ってくれたというエピソードなんだけれども。
 
 
ある日、久しぶりに男友達で集まることになって、たまり場になっているいつもの友達の家へ。当然、高校の時の卒アルを眺めることに。4年前の風景をおじさんのように懐かしい、懐かしいと嘆きながら見るイベントが始まったわけだ。
 
そして、そのイベントにつきものなのが、留学した、同じクラスだった彼女の写真。当時は付き合ってたって誰にも言ってなかったけど、今となってはバレバレだから精一杯からかわれるわけで。偶然同じ写真に収まっているショットが1枚だけあって、それが残っていることが当時は何より嬉しかったなって思っていた。
 
そう、思っていただけなんだ。この写真をみても、少し体温が上がり、顔をそむけたくなるんだけど、でもずっと見ていたいようなあの感覚が戻ってこない。
この写真で、からかいの総攻撃を迎えるわけだが、自分の頭の中にはモヤモヤしか残らない。
 
「このやろー」なんて口では言うけど、そんなことを言う資格がないのは、自分が一番よく分かっている。
 
こんなモヤモヤ、酒を飲んで忘れようと、その後向かったの居酒屋ではいつもよりお酒を多めに飲んだ。就活の話、女の話。真面目だかゲスだかわかんない話をした後、また友達の家に戻りしこたま寝た。そして次の日の夕方に帰ってきた。
 
よせばいいのに、家に帰ると寂しくて、帰ってからアルバムをもう一回引っ張り出してしまった。
 
手が止まってしまったのは集合写真でもあのページでもなく、最初の寄せ書きだった。誰かに見られるのが恥ずかしいからと、お互い学校では交換しなかったが、卒業してから僕の家に遊びに来る時にお互い書いたものが、少し薄くなりながらも残っていた。短い言葉だった。
 
「卒業おめでとう、これからもよろしく。」
 
小さいけど綺麗な字。黒色のボールペンで書かれたなんともない記述が、なぜか他のどんな派手な落書きより目に留まるのだ。それを見た瞬間、バイト先の子の明るい話し方も、くしゃっとした笑顔も、すごくちょうどいいサイズの胸でさえ、確かに、確かに好ましいけどそうじゃないんだよな、と思う。バイト先の子の全てが、留学した彼女の魅力を説明するための踏み台に成り下がる。
 
無愛想で、無表情で、料理が下手で、でも毎年バレンタインには得体の知れないお菓子を作ってくれる彼女が、やっぱり僕にはしっくりくる。
 
そうだ。今日は彼女に電話をかけてみよう。さりげなく好意が伝わってくれればそれでいいんだ。
 
国際電話とかよくわからないが、頑張ってかけてみよう。
 
 
あとは連絡先がわかればな。
 
 
 
 
僕の政経に対する気持ちがよくわかっていただけたかなと思います。
バイト先の女の子が彼女の魅力を相対化して表現する手段にすぎなくなる箇所は、
世界史の面白さがかえって政経の面白さを際立たせる構図の表現として
これ以上ないわかりやすさだっただと思います。
 
ターニングポイントの寄せ書きはもちろん需要供給曲線を表していますね。
 
 
でもこれだと僕は政経と結ばれません。それはどうかなと。
 
実際は、僕はいつでも政治経済の参考書を抱いて寝れるし、需要供給曲線をみても相変わらず興奮しています。もうアツアツです。
 
世界史とたまに遊ぶことはありますが、本命として真剣にお付き合いさせていただいています。
 
 
そしてなにより、政治経済は貧乳だったんですね。そこも政経らしくていいと思います。
 
 

【ちょっと宅浪してみた】第二話 ごろごろ、ごろごろ、にこにこ、ごろごろ。

 

前回までのあらすじ

d-rimshot.hateblo.jp

大学をやめてニートになったけど、有村架純と結婚できる気がしている。

 

ちょっと優雅すぎちゃった生活

僕は、何かをはじめるのが人よりおっそい。それも普通の遅さではない。人が何かをし終えて、一服終えるのを見て、やっと僕は重い腰をあげる。時に腰が重すぎて、そのままころんと転がることもある。

暖かくなってきて、考えも前向きになっていたので、以前通っていた以外の大学に入り直すつもりはあった。(金銭面から、漠然と国公立を志望していた。)ある程度の学力はあるとはいえ、1年以上もろくに勉強していないから、普通はあせり始める。でも、ここであせる正常な感覚を持っている人が、こうなるはずはないということにお気付きだろう。教育テレビをみてごろごろ。ニコニコ動画をみてにこにこ。自分が小学生のころやっていた番組に食いつき、そうでない番組のときはごろごろのギアをあげる。このトップギアのごろごろは、逆にどこか美しくすらあるわけがない。

 

2~3日に1回は散歩しよう

んでも、やっぱり引きこもるのは健康によくない。天気が良くて、気が向いて、お腹がすいていないという、とっても厳しい条件をクリアしたらお散歩に出かけよう。ご飯を食べに行くこともあるが、行先はもっぱら本屋である。

だいすけ氏の家から20分歩くと小さめの本屋が2つ、45分歩くと中くらいの本屋が1つ。新古書店の二つはいずれも20分歩くとある。自転車はないし、買うのはめんどくさいので歩く。散歩はけっこう楽しい。猫背になって、下ばかり向いて歩いていた気がするが、そうすると植物や猫によく会える。歩くのは別にめんどくさくない。そんなことをめんどくさいとか言う人は将来が心配だ。

本屋に行くと言っても、向学心があるわけではないので、真面目な本は読まない。このころの僕は小説も読めないので、必然的に漫画を読むことになる。途中でそれに気づいたので、僕は新古書店にしか赴かなくなった。漫画を新刊で揃えてたら金銭的に死ぬ。社会的にはもう死んでいる。平日お昼のブックオフは、前向きなオーラがほんのりも感じられない素敵な場所だ。

 

空きっぱらに酒を注ぐがごとく

まず、中学生の頃から読んでいたが、途中で読むのをやめた漫画を買いあさる。(『ハヤテのごとく!』が筆頭)。あとちっちゃい頃から好きだった『みどりのマキバオー』なんかも買ったが、一番のヒットは、なんといっても『バクマン。』だ。

先ほども言ったように、この時期の僕は社会に役立つような能動的なことを何もせず、教育テレビを見ては、世界トップクラスのごろごろをしながら過ごしていた。でも、たまにそのごろごろが功を奏することもある。その一番大きなものが、『バクマン。』を知れたことである。このアニメが、教育テレビで再放送していたのだった。

すっげぇ面白そうだし、20巻までしかない模様。とりあえず5巻までごそっと買う。

ちなみに、3日後には20巻が僕の寝床の横に積まれていた模様。(この漫画は読むのにとても時間がかかる[1冊30分はかかるだろう]ので、これでも早い方だ。)

 

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)

バクマン。 1 (ジャンプコミックス)

 

 ここで覚えておいて欲しい公式がある。

何も持っていない奴であればあるほど、他のものに影響されやすい。

僕も例外ではなく、漫画家ってかっけー!どうしたらなれるのかな?などと漠然と考えていた。(ハヤテを読んだ後は執事に、マキバオーを見た後には騎手になってみたいと思った。『アイシールド21』を見た後にアメフト選手になろうとは思わなかった)

なお、僕は中学の美術の成績が2である。国語は3。得意の家庭科は4だ。

 

僕は漫画家になれるのか。そして、初めての漫画の題材とは……?

今回はここまで。

 

 

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終わらない物語

はじめて、裁判傍聴に行ってきた。
こんなブログ、エッセイなんてふわふわしたテーマで書いてないで、裁判傍聴ブログにしてやろうかしらと思うくらい、ハマった。

どっと疲れた。母による3歳の一人娘殺人未遂の事件が、とても重かった。(夫であり父が泣きながら証言するのを聞いていた)
中途半端に内容を語りたくはないのであえて何も言わない。……こういうのに興味がある人は近くの地裁に赴くことをおすすめします。(裁判員裁判を見たのだが、これなら僕のような素人にもわかりやすいと感じた)

そして、僕にとって裁判の内容と同じくらい衝撃的だったのは、同行した先輩に言われた、この言葉だ。

「フィクションと違って、この人たちの人生は裁判が終わればおしまい、じゃない。」

僕は執筆のネタとして、キャラ作りの参考になればいっかなー、などと思っていた。しかし、その構えが原因で最も重要なことを見落としていた。
目の前にいるこの人たちは、小説の登場人物とは違うのだ。背負う未来の頁数が。

そうだ。母に刺された娘の人生も、刺した母の人生も、父の人生も、お互いの両親のそれも、全員が死ぬまで続くんだ。やめたいからといって、やめられない。(やめたきゃ自殺するしかない。しかしそれはこの物語においては一つの登場人物が死んだという記述に過ぎず、さらに別の物語を生む結果になるが。)

それに、もし将来娘が子供を授かったら、負の連鎖が生まれないといえるだろうか?(こんなことを言ってはいけないと思うが……

事件の影響がまた事件や心の揺れを生み、何かまた別の出来事を引き起こす可能性が大いにあるだろう。(その心の揺れに比べれば、僕が今日得た気持ちなどちっぽけなものだろう)

感情も、出来事も、連鎖する。
バタフライエフェクトなんて、些細で間接的すぎるものではない。もっと濃く、より直接的で、リアルな連鎖がもうはじまっている。

それは人間の手によって矯正できるものなのだろうか?ーそんな重い問いを、繰り返えさざるをえない。

自分と自分が起こしたことの影響って、どんなんで、どれくらいなんだろうね。



夏はいつからか、僕なりの答えを

花火大会のカレンダーがスーパーに貼られていた。毎年、わりと大きな花火大会が、家から自転車で行ける場所で行われる。

僕は基本的に、(人混みを除いて)そういうのは好きなんだけど、年によって行けたり行けなかったり、行ったんだけど楽しめなかったり、行って死ぬほど楽しんだりする。その夏の充実度が測れるイベントになっている。

 

あれほどその人の状況によって楽しみ方が変わったり、楽しめるかどうかが決まるイベントも珍しいものだと思った。……いや、しかし、そうでもないかもしれない。夏祭りも同じだし、合宿なんかも見方によれば、か。―友達がどのくらい参加するかとか、特に新しい環境に居る人には大事だよね。この前僕は終えちゃったけど、バーベキューもだな。(だいすけ氏[21歳]は、肉をかっこみ終わると水鉄砲を構え、一年生よりも、そう誰よりも濡れていた。たぶん来年もそうなる。[※下級生のために肉を焼け] )

 

夏のイベントを楽しめるかどうかは、その前の日までに大方決まっているのかもしれない。ドラムとして、自分が出演するライブみたいだな。当日の状態はほとんど関係なくて、練習でちゃんといろいろな部分がつめられているかが当日の出来を左右する。というかむしろ、当日の精神的コンディションすらそこまでの練習の具合に左右されると思う。

 

ドラムと違って、まだどうすればいいかは分からないが、夏のイベントを楽しめるよう、準備でもしておくか。うん、まずは引きこもり生活で失った体力をつけよう。うあとはやはり各イベントに協力的になることか。貢献感って大事。チームワークは得意な方ではないが、得意かどうかと好きかどうかは違うと思う。

 

夏のにおいが強めのクーラーをかけた部屋から出たときに感じるあのにおいだとしたら、今日はもう夏だね。

【ちょっと宅浪してみた】 第一話「ニートよ、大志を抱け」

大学の退学届を見たことがあるだろうか。

大学によって違うだろうが、僕の見たことのあるものは、

高校生までで見た、「保護者会参加表明」のプリントとそっくりだ。

生徒氏名、保護者氏名、印鑑。

その3点さえ揃えれば、「居なくなる権利」が得られる。

 

そういうシステムになっている。

面談は、希望しなければ、行われない。

そして僕もしていない。

 

紙っぺら一枚を事務所の人に出して、一見気まずく、ぎこちないように聞こえるが、場数を踏んだ感じの、「では、いただきます」という声を聞いて、母親も、僕も、静かに事務所棟を後にする。この大学は狭いから、使った教室のある棟はすべてこの校門から見渡せる。

母親は元来明るい人だから、「記念に写真を撮ったら?」なんて言っていた。

もしこの親までもが逆の性格だったら、僕はここまで生きていただろうか?

写真は撮らなかった。大学生がニートになった瞬間を切り取る必要はなかろう。

 

ニートには二種類あるだろう。前向きすぎるニートと、後ろ向き過ぎるニート。楽観的過ぎて、世間を舐めてるタイプか、悲観的過ぎて、世間の壁を感じすぎているタイプか。

僕においては、そのとき「は」前向きな方だった。厳密に、定義にあてはめればニートだが、別に何も心配することはないと、そのときは思っていた。

 

しかし、いま、僕はどこにも属していない。属しているとしたら、自分で設立した草野球チームだ。(ニートがリーダーの草野球チームがあるらしい。ちなみに回りは大学生だから、劣等感がすごい。)

予備校にも行っていない。アルバイトも、もうしていない。いま大学生をやめた。

世の中にある名簿というものから僕の名前を見つけるのは、今年中に僕が有村架純と結婚することより難しい。つまり、不可能だ。(ここで大事なことだが、結婚のほうは不可能ではない。)

誰かと連絡を自分から取ろうとしなければ、この携帯も使わない。

偶然誰かと遊びに行けたとしても、彼らの一言は「大丈夫?なにしてんの?」から始まる。

 

そんな状況だが、なぜか僕は、すがすがしい気持ちで歩道橋を渡っていた。

天気は、周りの人の気持ちよりも、僕の気持ちを投影していたに違いない。

晴れていた。

 

 

 

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