本郷、東大周辺散歩のつづきです。
このあたりは文京区弥生。弥生という地名は全国にいくつかありますが、
ここの弥生は
「弥生時代」の由来となった日本で一番有名な弥生だったりします。
1884年、こちらの貝塚から出土した土器が装飾が簡素で焼き上げの温度も高温だったと今までの縄文式土器と大きく異なる特徴を有していたことから弥生式土器と呼ばれるようになった。その後、その特徴がこの地域や民族特有なものではなく、時代による差異だということが分かり、弥生時代が誕生したわけです。
弥生門前の道路は暗闇坂と呼ばれています。今は住宅地に面した普通の坂ですが昔は木々が生い茂った薄暗く、淋しい坂だったんでしょうね。
この門のすぐそばにあるのが弥生美術館と竹久夢二美術館。
こじんまりとした美術館で建物は別々なのですが中で繋がっています。手前は夢二が開いた小物ショップ「港屋絵草紙店」から店名をとったカフェは港やです。
弥生美術館には常設で明治終わりから昭和の初めに活躍した高畠華宵の絵画というかイラストを展示。
名前はあまり知られていないが昔の広告とかで見たことある人は多いのでは? 1930年頃のバスクリンの広告でも有名ですがこれは戦争中だと破廉恥だと言われそうなギリギリまで攻めた構図になってますね。
また、この特別企画展は漫画家の槇村さとる氏。個人的には中山美穂主演のドラマで当時住んでた国立がロケ地だったのもあり「おいしい関係」を読んでましたね。
そして竹久夢二。個人的感想だが平成前半、夢二やアルフォンス・ミュシャ等、20世紀初頭に活躍した一人女性のイラストが大ヒットではないですが地味に注目されていました。
当時、今で言うと人気絵師という感じですかね。この写真の雰囲気からわかるようにかなりモテモテだったんでしょうね。その女性遍歴映画になるくらい有名ですし。この容姿で「君の絵を描いてあげようか」の一言だけでもイケそうですが、その絵が当時の先端画風で綺麗に描かれたらもうダメでしょうね。
再び北方向へ。すると看板だけですがサトウハチロー旧居跡に。サトウハチローって聞いたことあるなと思い調べたら「うれしいひなまつり」とか「ちいさい秋みつけた」などの童謡の作詞者だったんですね。童謡以外にも戦後復興の代表曲とも言える「リンゴの唄」、CMソングの森永製菓の「エンゼルはいつでも」や「ケロリン」なんかも。
その裏手には作曲家引田龍太郎の住居で登録有形文化財になっている旧弘田家住宅主屋。こちらも個人的には名前を知らなかったが「鯉のぼり」「雀の学校」「春よ来い」等の童謡の作曲者。すごく狭いエリアに超有名な童謡関係者が住んでいたとはさすが東京ですね。
それにしても、こちら今も一般住宅として人が住んでいるようです。
見学の際はご注意を。
この傍にある異人坂。かなり急ですね。こちらは近所に東京大学の外国人教師の官舎があり、それが坂の名前の由来とか。
その脇道を抜けると、
おばけ階段と呼ばれる階段があります。ここも暗闇坂同様、今は明るいですが昔は薄暗かったかもしれません。途中曲がっていて見通しが悪いのがより一層不気味だったんでしょうね。
さらに北へ進むと日本医科大学付属病院があります。
そして、この裏側にある坂は「解剖坂」という物騒な名前がついています。どうやら、この坂を挟んで大学図書館があり、そこを行き来する白衣の学生を見た近所の人たちがそう呼ぶようになったとか。確かに白衣の人が外をうろちょろしているのはちょっと不気味かも。
(つづく)