Global Healthの世界で働く経営コンサルタント

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国際機関職員になってからの振り返り

やっと念願の国際機関職員になったので、少しこの1ヶ月を振り返っておきたい。(注:日本政府の支援に基づいているので、正式な職員かと言われると少しまだひよってしまう)

  • コンサルタントの時と同じ職場・チームにも関わらず、任される仕事の質が変わった。今までは仕事の一部を任されていたが、纏めて任せてもらえるようになった。(仕事の能力は変わってないけどね)
  • 劇的に忙しくなった。上と近いのだが、とにかく任される仕事の量が激増して、完全にあっぷあっぷしている。回ってない。
  • 上司もアドバイザーも、より真剣にキャリアを考えてくれるようになった。
  • 能力開発に投資をしてくれるようになった。例えば、当たり前のように研修にいか施てくれたり、出張に連れて行ってくれたり。

以上を簡単にまとめると、雇用形態が変わった事によって、仕事の一部のアウトプットを任される外部の専門家から、成長が期待される内部の人材になったということだと思う。僕自身の能力が変わっていなくても、雇用形態が変わることの影響は甚大であった。だからこそ、今まで相談した人たちが、できるだけ早く職員になるべきだと言っていたのだ。(こんくらい言語化して教えてくれよと思うが)

コンサルタント時代もこっちは真剣に組織のために働いていた気持ちだったけど、雇う側(というか使う側か)には何のコミットメントもなかったんだとわかる。雇用側が僕をX年間雇うことをコミットして始めて、僕はHuman Resourceになることができたんだ。大きな発見だった。恥ずかしながら全く意識していなかった。

そしてまた、コンサルをやるなら、なんでも仕事を引き受けることが悪手だと心から理解できた。職員になってからも同じで、X年ごとに契約を更新 / 破棄されるという立場で働いているので、仕事を選んで価値を高め続ける必要がある。この人と働くと長期的に得(経験が豊富で学びがある、人脈がある、PJTをいっぱい持ってる等)や、その仕事を通して得られる物が豊富(Technical capabilityが上がる、publicationが出せる、新たな分野の専門性を磨ける等)がある仕事を引き受け、自身の価値向上、ひいては顧客へのインパクト向上を目指す。

  • 給料はバカにしちゃいけない。圧倒的に給料が上がって、気づいた。コンサル時代も、どこかで給料に応じた仕事(これくらいの給料だから、この程度やればいい)という仕事をしてしまっていた。恥ずかしい。逆に今は、こんなにもらっているのだから、もっともっと成果を出さなければと思っている。自分はなんて単純だったのだろう。
  • 逆に、仕事しすぎてワーカホリック気味になりそうなのが少し怖い。家族を大事にしつつ、仕事も頑張りたいが、つい仕事に重心を引っ張られている自分を感じる。
  • 最初の100日の印象が全てなので、ひたすら仕事をしている。同じ職場なのに、全く慣れないことだらけで、会社のシステムも謎だし、誰に何を聞くかもわからないから、とにかくわからないことは聞き続けるしかない。無理しすぎて倒れるのはダメだけど、前のめりで働いて自分を認めさせたい。
  • 国を跨いでの移動は思ってたよりもストレスフル。甘く見ていた。複数の国に住んだ経験から、今回も余裕だと予想していたが勘違いであった。仕事と両立し、新しい国で家を探し、銀行口座を開設し、携帯番号を入手し、洗濯し、お買い物し、日々の生活を回すだけでも大変。なめてたと言わざるを得ない。楽しいけどね。
  • 食生活・運動習慣が乱れがち。
  • 仕事に関しては、早朝・夜間のミーティングが慣れない。夜遅くミーティングがある日はさっさと帰ろう。会社に長くいることにはマジで意味なし。

以上を簡単にまとめると、自分は内発的動機に重きを置きすぎいた。当然だが外発的動機もハイジーンファクター(マイナスじゃなければいい)ではなく、給与が上がるとやる気が出る。新しい職場・国で高ストレス状態が続いているが、もう少ししたら落ち着いて自分のペースができて、もっといい仕事ができるようになると思う。そら、会社のシステムに順応しないと色々進まない。

  • 単身赴任は本当に辛い。子供がいない時はそうでもなかったが、小さい子供と離れて暮らすのは切なくて心が折れそうになる。子供が人生の喜びの8割くらいを占めるようになっていることを実感。
  • キャリア夫婦の人生に正解はない。妻のキャリアも、自分のキャリアと同じくらい重要だし、出産・子育てでキャリア的には中断期間というビハインドがあることも理解している。そして僕はゴリゴリのフェミニストだ。空元気かもしれないが、せめて同じ国で住めるように生きていこう。
  • 親と離れて暮らすのもつらいけど、帰れる時に適宜帰国することで、なんとか実家にも顔をだしつづよう。

以上、思いつくままに備忘録までに書き綴ってみた。夢の職場で働いて数週間、とても充実しています。改めて、この職場で働けることに感謝しつつ、まずはX年間の契約を思いっきり満喫しよう。思考停止して、頑張るのではなく、毎日・毎週・毎四半期に振り返りをして、また頼まれごとは熟慮してから返事をして、自身の能力を開発し、最大限にアウトプットを出していこう。楽しく働くのが一番である。

国際機関就活についてーやりたい分野は明確に絞って、自分のブランディングを覚えてもらうー

留学を開始する前に、自分は国際保健に関する国際機関で働きたいと強く願っていた。途中、留学を中断し、ドナーで働かせてもらい、今、もう少しで手が届きそうな地点まで来ることができた。(この文は2年前のもの)

daisgreatadventure.hatenablog.com

 

結果的には、自分のマトリクスの中では、最も行きたかった国際開発金融機関の本社でコンサルタントとして働くことが出来そうである。そして、1年以内にスタッフポジションをゲットできそうな根拠なき自信もある。なぜそれが可能だったのかという分析と将来受ける人のためのtipsも書き残したいが、とりあえず、まず自分の感想をば。(結局2年かかった)

 

国際機関で働いている人のセミナーとかに出ると、3回に2回は言われることとして、「xxで働くことを目標にしてはいけない」がある。

これは間違っていると思う。話している本人たちは、既にその国際機関での仕事をゲットしているので、こういう風に行ってしまうんだけど、正しくは、

「自分の強みや業界の動向を確認せずに、どのポジションでもいいからxxで働く、ことを目標にすると入ってから辛くなる」

だと思う。

国際機関はそれなりに狭き門で、本当に運とタイミング命みたいなところがあると感じている。募集した時に、たまたまジュネーヴ・DCにいたから採用された、みたいな話は何度も聞いた。そして、僕にも同じことが起きた。ただ、大事なのは自分のブランディング(どの分野 x 地域の専門家で、どんな仕事を探しているのか)と目指すべき仕事(xxで仕事がしたい。。。ではなくって、xx領域の仕事をxxな組織でしたい)を明確に伝えきることだと思う。大学院に入って初めてのセミナーで大学のProgram Coordinatorが、

 

'more narrower your interest is, more opporutnities comes.'

 

と言っていた。これは、直感に反しているように聞こえるんだけど、極めて正しいアドバイスだったと今になってわかる。具体的にやりたいことと、それを保証する能力を証明できる人には、そのopportunityが現れた時に、声がかかる。なぜなら思い出してもらえるから。しかし、なんとなくxxで働きたい、思い出してもらえる確率が低いし、xxがやりたいという明確な意思と能力が欠けている(と思われると)チャンスは回ってこない。30代後半にしてやっとそのことが分かった。

自分の経験が増えてくると、遠くから尊敬していた人をそうでもないと思うようになった、という話。

少なくとも自分は、人の属性を見た上でしか、冷静に中身を精査できないのだと思った話。目を瞑って次のふたつの言葉を聞いてほしい。イチローさんに言われたほうが、何か特別な言葉を言われたような気になるでしょう。僕らはコンテクスト・文脈なしに、言葉の中身を受け取ることはできないんだと思う。

 

「努力なんてみんなしているんで、やって当たり前なんですよ」(イチロー

「努力なんて誰だってやってるんだから、やって当たり前」(大学受験生)

 

自分が国連経験もなく、海外大学院留学をしたこともなかった時には、xxさん(海外大博士卒、世銀経験あり)や、NGO界隈で有名なxxさん(同左)といった方々の言葉を、多少違和感を感じるところがありながらも、一定程度尊敬して話を聞いていた。

 

今思うと、僕は彼らの話の中身ではなく外側(つまり学歴・職歴)をみて話を聞いていたように思う。

 

そして、自信が似たようなバックグラウンドになってくると、そのような方々の経歴を見た時にも、「世銀〇〇年といっても、xxのポストか」とか、「結局国際機関ではP3レベルの仕事までしかしたことがないんだな」とか、思うようになった。つまり、外側に対してはビビらなくなったのだ。

 

その状態で初めてしっかりと中身を見ることができるようになった。彼らの書いた文章を読み直したときに、論理展開のつたなさ(アメリカの大学で博士まで、出ていても、逆・裏・対偶の真偽すら理解していないんだな)とか、あまりにもナイーブな世界観(民間企業出身の自分だと、エリートが同じ言語を持っていることや英語話者以外を認めない事)に違和感を感じるようになってしまった。

 

このことからの結論は?仕事で多くの人に影響を与えたいなら、外側を強化し続けよう。常にその世界で一流の外側を身につけよう。同時に、中身のレベルを上げるための努力を続けよう。どちらかだけでは十分ではないと思うようになった。具体的には、海外の一流大学の博士課程を修了しようと思う。

コンサルとして働いている機関の最終面接を受けて結果待ち中

MBA受けた時もだが、いくつになっても面接を受けるというのは緊張するし、不安になるし、本当に疲れるものである。内部推薦で、ただ仕事を頑張っていればそれを評価してくれている人に次の機会を自動的に与えてももらえる、そんな組織だったらどんなに楽だっただろう。でも、そういう組織のパターナリスティックなところや、個人の意思・自由を無視するところが我慢できないので、僕は今の組織のような場所で働くことを選んだんだよなと、同時に思い出す。

 

今回の面接と同じランクの仕事の面接に呼ばれるのが、3回目である。1回目は何が何だかよくわからないままに、とにかく思ったことをしゃべった。事前準備としてMock Interviewも一度もしなかった。2回目は呼ばれると思っておらず、またアメリカに行きたくもなく、そして夜中3時の面接で、トラウマレベルの大惨事だった。

さて、3回目の正直である。事前準備として部署の人や組織のシニアに話を聞き、Mock Interviewを複数の方にしてもらい、事前に面接する部屋のライティングや映り方まで整えた。中身に関しては言わずもがなだ。ここまでやったのだ。

実際の面接では、いいところもあったしわるいところもあった。良いところとしては、自分のキャラクター(誠実さ、パッション、分野・組織の理解)が完全に伝えられたことだと思う。一方悪いところとしては、もっと自分の頭の良さ、話の伝わりやすさを構造的に話すことで見せるべきだったと感じている。

いつ結果が来るかはわからないが、受かっていてほしい。切実に。この面接に受かるかどうかで、向こう何年間かのキャリアが大きく変わる。そしてまた、ここまで準備して、かつ内部候補者でほかの人に取られるなら、正直心が折れそうである。待つしかないのはつらいところである。

 

※後日受かりました。

小沢健二 東大900番講堂講義 オンラインアーカイヴを観て(聞いて?)

小沢健二の東大講義を聞きました。なんせ生まれて初めて買ったCDが小沢健二の『カローラIIに乗って』であり、初めて買ったアルバムが『LIFE』なんで生粋の小沢健二ファンなんです。ライブに関して。思いの外、というかほとんど曲の演奏はなくって、ほとんどが、彼の思想というか彼がこの20年間ほど考えていたことを、比較的学術的な内容に立脚して語っていた。僕自身は彼の紹介している論文が業界でどう位置付けられているものかは分らないというDisclaimerを書いておく。僕自身の専門とする公衆衛生・栄養学に関しては少しは読んでいるので、彼の説明していたNutritionalismへの批判、つまり栄養素を摂取することと、生の食材をWhole thingsとして食べることの、人体への影響の違いは確かだと思う。一方で、プラシーボに対する彼の見解は率直に、ん?と思った。30%程度の体調の良さを自己申告することに医療的な意味は内容な気がしたので。Anyway, 僕が彼のLive講義から受け取った物を書いておく。

・アナログとデジタルの情報量の差、リアルな体験の価値は無くならない(というか増しているように僕は感じる)

・西洋的な考え方“Devide and Conqure" と東洋的(非西洋的)な"Wholeness/ Oneness"の違い。娘を西洋的な環境で育てたとしたら、彼女に東洋的な考え方は身につくのだろうか。

・“作成された古さ“iPhoneを定期的に買い直すこと、人為的な古さというマーケティング施策に踊らされてはいないか。

・少数のエリートによって、多数の愚か者を統治するという、これまた西洋哲学的な考え方について。現在の世の中が西洋思想によって統治されている以上、この考え方を理解することは極めて重要である。プラトン哲学など、本を読もう。

・デジタルアナログの話とかぶるが、画面で表示される色のあまりの少なさに衝撃を受けた。知らず知らずのうちに、5感を鈍らされていた。VRで目と耳だけをカバーしているという話も極めて示唆に富んでいると思った。僕らの五感、特に、匂い・食感・タッチによってもたらされる、雰囲気みたいなものってめちゃくちゃ重要である。改めて、家族で色々なところを訪れ、カメラで写真を撮りつつ、取らない時間を大事にしようと思った。

・また最近改めてデジタルデトックスの重要性を感じていたんだが、定期的に自然の中に携帯をオフにしていき、自身の野生的なというか自然的な感覚を研ぎ澄ます(というか鈍らさない)ことをしたいと思った。総じて、1万円近く払ってでも、オンラインで聞く価値のある

Project Hail Maryを読んで

めちゃくちゃ評判が良かったので読みました。英語の本は英語で読もうキャンペーンを実施しているので、とにかく物理用語・宇宙用語が厳しかった。。リーダビリティは高い本なので、日本語で読めば一気に読めたと思うのですが、英語では物凄く時間がかかってしまいました。日本語で読むことを推奨します。

 

内容を言うと何もかもがネタバレになってしまうのですが、友情の物語だし、District 9 - 第九地区を思い出した。負け犬の物語でありながら、ものすごく勇気をもらえる。最近読んでいる『レッドブルー』にも似たものを感じるんだけど、別に品行方正でPositiveな人だけがヒーローになるわけじゃないし、動機が不純でも、いや動機なんて存在しなくっても、誰もがヒーローになるチャンスはあるってこと。

先進国の人にとっての国際開発とは

この国際開発の世界での仕事も少しずつ慣れてきたが、いまだにいろいろと考えさせられる。

某国際機関で今自分は働いているのだが、低所得国の省庁において、優秀で、英語に堪能で、専門知識・経験を持つ人間を、国際開発機関のプロジェクトスタッフや国際機関にガンガン引っ張っていくのは、本当にその国をよくする事に繋がるのだろうか。彼ら彼女らが優秀であればあるだけ、中長期的に国際機関の他国事務所や本部に異動させる力も働く。もちろん、このような人々が、成長して自国の大臣になるケースも複数見聞きしているので、必ずしも批判をしているわけではないのだが。。。スタンスをとるなら、個人のキャリアとしては完全に賛成。国成長に対しては反対かな。僕にはBrain drainに思えるので。(余談だが、MPH同級生の医師たちが、卒業後は母国へ貢献する事を条件に日本の奨学金によりアメリカに留学し、石にしがみついてでもアメリカで医師・研究者としての仕事を獲得していたのも同じ話かと。)

同様に、低所得国では、弁護士や医師、科学分野のPh.Dの人たちが、最も稼げるからと高級取りの同時通訳として、日夜国際機関の通訳をしている姿を見ました。彼らに仕事を依頼する側の人間として、彼らの才能をスポイルしたり、より国にとって有益な活用方法もあるだろうになあという、まさに、余計なお世話だよという思いをいだいてしまいました。そして。そのことを、考えた自分に対しても自己嫌悪を持ちました。

みんな、個人としては、より良いキャリア・給与のために働いているだけなんですが。

 

翻って、日本やアメリカの人にとっては、国際開発の仕事は決して給与的にそこまで魅力的ではありません。実際に僕の友人や前職の同僚は僕よりもはるかに高いjob securityと、概して高い給与を得ています。一般化することは難しいですが、それでも、給与面での条件よりも面白い仕事や、中々見れない景色やできない経験、そして少なくとも、この世界でより生まれながらにチャンスに恵まれない人のために働いているという実感のためにこの仕事を続けているし、まだまだ続けていきたい、ビルゲイツのように多額の資金を個人としてこの業界に投下するやり方ではなく、この仕事を続ける中で身につけた能力や人脈で、個人としての影響力を増していきたい、貧困のない世の中のために