zunda zunda

音楽とか、本とか、毎日とか。

欲望の音楽 〜「趣味」の産業化プロセス〜

音楽を好きな人は多いのでそのお金の流れに興味を持ってほしいと思い3年ほど前に書いたレポートをそのまま載せます。

 

・ 産業と文化の出会い

  音楽産業とは聴覚でしか判断し得ない知的創造物を市場に複製頒布することが主体となっている産業であり、感性が全ての意思決定の鍵になることが特徴である。問題として、日本の音楽コンテンツ産業は現在世界第2位の市場を形成しているが、販売額の90%強が東京に本社を置く企業によって占められており東京一極集中の状況は先進国の中できわめて特殊な状況ということである。

・ 産業システムとその本質

  文化の二重性という概念があり、一次市場における実演等のオリジナルな 芸術が編集されて、情報技術に媒介された複製芸術の市場である二次市場のコンテンツとなることは文化産業に置いてきわめて重要であり、産業発展を 支えてきた。クラシック音楽が音楽芸術として非営利の側面をもち、そこから産業的な展開に至るのに対して、ポピュラー音楽は当初から二次市場に重点をおいた資本主義のシステムのなかで営利的な活動をおこなってきた。

・縮小する国内市場

  1998年をピークにして、国内に置ける音楽コンテンツ産業のパッケージ市場は縮小に向かっている。本来的には音楽コンテンツは嗜好品であるので、多品種少量販売の性格を持っているのだが、1990 年代になりミリオンヒットが多発した頃から、メジャー音楽コンテンツ産業は大量生産、大量消費のシステムを確立させ、少品種多量販売へとシフトした。それがアーティストと楽曲のライフサイクルを短くさせ、音楽コンテンツ産業は消費材の生産に追 われることとなった。90 年代の好況の裏付けとして各企業も企業規模を拡大した反動が現在の市場に影響を与えている。

・東京  「産業的ダイナミズムの創出」

アメリカやイギリスが当初から音楽産業が地域に分散化したのに比べ、日本では東京に集中することで形成されてきた。この傾向は音楽産業全般の経営資源であるアーティストの東京への集積を招き、同時に地域での産業化を阻んできたという側面を持つ。産業集中という視点では一極集中は効率的で あったに違いないが、音楽コンテンツ産業でパッケージが主体ではなくなり配信によるビジネスモデルの転換は少なくとも何らかの影響を与えるに違いない。消費者の多様化を考えると、単なるメディアとの相互依存に踊らされ ることなく、消費材から文化的材への本質的な読み替えが今後は必要になる。

京阪神 「産業の衰退と再生」

  戦前において京阪神には音楽コンテンツ企業がいくつも存在していたが、ほとんどの企業は戦前で歴史に終止符をうった。この傾向は決して音楽コンテンツ産業のみのものではなく、日本の産業構造全体に適応できるものであ り、特に戦後は工業において地方分散政策がとられるものの、意思決定権を持つ企業の本社は東京に集中していく。宝塚少女歌劇団松竹少女歌劇団等は地元のファンに支えられて戦後の独自の地域文化形成に大きく寄与するものの、東京からの情報発信を享受する方向に向かいはじめる。

・福岡 「民間と行政のコラボレーション」

  福岡では毎年天神地区で行われる音楽イベントに福岡市が会場提供、運営 協力するなどしている。この福岡市の行政支援で注目されるのは、文化行政というよりも産業支援の色合いが強い点である。この事例のように、地域の 競争力のある産業シーズとしての音楽文化に注目し、その育成を支援する行政の取り組みが今後増えていくことも予想される。

・沖縄 「独自の産業基盤形成」

  音楽の産業化において、東京以外では沖縄がもっとも実績をあげている。 民謡やエイサーが幼少期から身近な存在になっており、音楽が生活レベルのものになっていると言える。戦後は民謡を軸にした独自文化を保持しながらも、新しい音楽へのアプローチも積極的におこなってきた。その独自性はヒットチャートにおいて顕著であり、他地域では東京のチャートとほとんど同じになるが、沖縄だけは違ったものになる。それは地元のインディーズレー ベルの音楽コンテンツが消費者から一定の支持を集めているということであり、国内では唯一と言っていいほど市場の独自性を保持しているのである。

 

・地方分散の行方

コンテンツ産業にとっては人材が最大の経営資源であり、創造性のある都 市空間がやはり創造性のある人材を輩出していくという論理は普遍のもので ある。ようやく地方都市でも具体的な動きが出てきた現在、音楽コンテンツ産業は地方都市への分散から新たな価値を創出していくというアプローチで議論することが、今後の産業自体の再生にも有効に思われる。

リーダーシップについて

専門用語は知らないけれども文脈の中にあれば大方の意味は推測できる、そもそもそんなことは言われなくても分かっているし万一知らなくても現に自分は自分の人生を満喫し才能や可能性を活かせているので問題はない、この道を進むことだけを考えて絞られた、自分で絞ったテーマのみを研究すれば良いと考え新たな分野の学習をスキップすることは愚かだ。自分自身、あなた自身に対する敵、この場合において敵は自身に損害を与える存在だけには限らず自分という一人間の成長を妨げその結果として得られる利益を減少させるもの、それを正確に判別して適切な処置を与えることがその利益を最大にする、と書いてしまえばそれに当てはまる外的要因に注意を払い勝ちであるがそれも愚かだ。

 学習というものに限定して言えば、最大の敵は怠惰であるの一言に尽きる。

 

 

リーダーシップとは指揮権、統率力を用いて、集団の目標達成に向けて、集団内のある成員が他の行動(広くは集団の特性すべて)に対して積極的な影響力を及ぼす過程である。リーダーシップの効果は、集団目標の程度(生産性)、成員を満足させ、集団の結束を維持・強化させる程度(凝集性)によって「効果」を測定する。リーダーの「特性」とリーダーシップの「状況」が「効果」を決定する。リーダーに見られる特性は①能力(知能、判断力)②素養(体力、経験)③責任制(信頼性、忍耐力)④参加態度(活動性、社交性)⑤地位(人気、社会的威光)である。リーダーシップは、作業量が多いが創造性は少なくリーダーへの不満が多く不和もある専制的リーダーシップ、作業量は少ないができばえも悪い自由放任的リーダーシップ、作業量はあるが独創性が高く、合理的であり不和が少ない民主的リーダーシップの三種類に分類される。日本において、作業量の面や容易な課題の場面では民主的、質や難しい課題では専制的リーダーシップが重要視される。リーダーシップの機能的指標として、PM型は生産性を求めつつ集団の維持も行い理想的であり、Pm型は仕事に対して厳しいが集団の維持が苦手である短期型で、pM型は部下の面倒見は良いが仕事には甘い長期型であり、pm型は仕事に甘く部下の面倒見も悪い最悪のかたちである。

 

 

 

Ouroboros

がむしゃらになっている人、自分が正しいと思っている人をなぜ好きになれないのかというと周りが見えていないからで、そこから生まれる自信が脅威に近いものに感じられる、それは持病のようなもので、相手の意見を変えようと思ったらまずそれを肯定する格闘技で言うところのガードを下げさせる作業が大事なのですが自分を持ってると思い込んでいる人ほど肯定してくれる相手をすぐに味方だと思い込み易く、要するに頭が悪く、それは風邪と似ていて伝染するので予防が大事で、そういう人たちには近づかないのが一番だけどどうしてもコミュニケーションを取らないといけない場面があるときは頭の中のシャッターを一枚下ろしてマスク代わりにする、そして隙を見て相手の意見を少しでも変えようとするのが自分の為であり、何より相手の為ですがその際深入りしてしまうと共感が生まれ、伝染するので気をつけましょう。いくらでも替えが効くようなくだらない意見に固執して暇つぶしに徹している病人を減らすことが危機的状況に陥っているこの環境を変える唯一の手段で、信じられるのは自分だけです。

Acetaldehyde

お酒を飲みたい。いつも考えている。今お酒を飲んだらどんな気分になるんだろう、飲んでみたい。この人とハイボールが190円の居酒屋に行ったら、ジンライムが1200円のバーに行ったら、何を話すんだろう。飲みに行きたい。いつも考えている。

 

他人を楽しませることに疲れた時に行くような場所に飲みに行くたのしさを覚えた時、初めて感じた自由もあります。背伸びをして知らないお酒を知っている装いで飲みながら恋をしたこともあれば、失望をしたこともあります。

コアントローで飲み干した賑やかさもあれば、電気ブランで思い出す眩暈も。

あのバーに初めて行った時に飲んだお酒はなんだっただろう。どんなグラスで出てくるのだろう、この人はお酒を作りながらどんなことを話すのか、想像していました。

 

 

こんなことを考えながら仕事を終え、家に帰りスーパーに行きました。豚肉と野菜と卵、割りものの炭酸を友達と割り勘するとひとり440円。新宿での飲みの誘いを断ったことをとても後悔しながらそれを炒め、これだったら牛丼よりもまともな食事だ、と自分を納得させながら食べました。

 

食後に自分で作った酎ハイを少し急ぎ目に3杯飲み終わる頃にはその後悔を忘れていました。寂しさも少し忘れていました。

 

 

入らない

寝る前に歯磨きするのを忘れる時があって布団に入ってから気付くのもなかなか面倒くさいのでデンタルフロスを買えば歯磨きした後の楽しみになり歯磨きするのを忘れなくなるだろうと思ったが歯間が狭すぎて