歳をとりたくない期

なんと歳をとりたくないと思う時がついに来てしまった、
これは恐らくピンチな気がする。

感受性が鈍っているのか?
それともものすごい速度で忘れていってるのか?
映画とか漫画とか小説とか音楽への興味が薄くなっている。
でも涙もろくなってる。
あと、とにかく刺さりづらくなっている。

なんだか意識が過去に向かっている気がする

なんとなく周りからの見られ方も年齢に応じて変わってきている気がする。
人間関係と年齢の変化から解放されたい、年齢不詳の謎の存在で仕事した方がスムーズじゃないのか?

やばいやばい。脱出しなくては。
それとも受け入れるべきものなのか?

手癖・気がついたこと

手癖について、手癖は悪いものか?良いものか?という議論

作家性なのか?怠惰なだけなのか?

僕は手癖は情報のショートカットだと思います。
自分の経験から考えなくても作業できるところ、オート化、バーサーカー状態。
そうすると、別の事を考えながら・俯瞰しながら作業することができる。


僕はデザインが行き詰まったり、おなじようなものばかりになってしまいがちになったとき、
道具を変えます、ソフトを変えたり道具を変えたり。
そうするとデザインが変わります。

これでもいいのですが、外的要因(道具)ではなく本当は自分でコントロールできるできる方が良いかと思っています。だから自分の癖を把握することが大切、そのためには何が必要なのか?

癖は自分では気が付かないうちに、経験から構築されているものです。
なので、恐らく客観的な視点を入れない限り気がつかないと思います。

なんでも言ってくれるメンターを持ち、自分の癖を把握することが大切だと思います。
良い箇所も悪い箇所も把握しておき、何か変化をつけたいときに「ココを変えてみよう」と思えることが大切なのだと思います。

課題2018年7月

案件への理解と思い入れが理解できないとデザインが作れない。
理解が遅いから、自分で考えて自分の気づきで思い入れをもって企画をを立てる。

イメージの共有が苦手で伝わるか不安だから、自分でイラスト書いたりコーディングをする。

苦手なことのおかげで、できるようになったことも多いが、
ここからもう一歩先に行くためには苦手なことを克服して、他の人にやってもらう事が必要だと思う。

・本を読む
・聞き上手になる
・伝えるための苦労を面倒くさがらない

地面を探していったりきたり

昔からサブカルチャーっぽいものが好きだった(昔ほどではないにしろ今でも好き。)
人と違った楽しみ方、ヒトと違った目線が欲しかった。とにかく人と違いたかった。
それを人と共有したい欲求もあった。でもオリジナルは難しく。結果マイノリティーをなぞっているだけだった。それでも多くの発見を感じ楽しかった。

ある年齢になり、人と違いたいのに違えない違いたくない。みたいな感覚が「痛い人」だと思った。人と違うなんて思い上がりでみんなと同じなんだと思うようになった。「共通の事」「共通の真理」を探すようになった。それはそれで楽しいのだが、みんなができるだろう事を自分ができないことにどんどん気が付いていった、というか気になってきた。つらくなってきて、自分は人と違うという事を受け入れていった。そうしたらずいぶん楽になった。

こんな感じで自分の好きなものを肯定したり否定してみたり、振り子みたいにしながら、いろいろなことで、重心を探っている。結果今は、35にもなって人と違いたい自分を受け入れながら、どう社会とかかわっていくか考えている。

まだ少しふわふわしている、いつになったらどっしり安定して地面に立つことが出来るのか。