蚊帳の外か、鳥籠の中か。
テンポの速い会話が苦手だ
大人数でじゃれあうようなやりとり、流れを乱さない言葉の羅列に感心しながら聞いているといつのまにか自分に話題が振られていて、焦りながらなんとか返す言葉が恐ろしく間抜けで。
人に気を遣わせた挙句に場の空気を悪くして、情けない。あとは曖昧な相槌と愛想笑いが私の武器、いや、武器にもなってない。
三人組は難しいとよく聞くが、その理由は概ね二人と一人に分かれがちだからだろう。私は必ずといっていいほど一人の側になる。しかし私の場合のこれは一緒にいる人が悪いわけではない。私に原因があるのだ、と思う。
一対一での会話なら(ここでいう会話というのは世間話のこと)私とて出来るのだが、これが三人以上のグループになると急に難易度が増す。見えないのだ、会話のボールが。どこ向けて投げられたものなのかが分からずただ他人同士のキャッチボールを呆然と眺めている。眺めつつも目の前で繰り広げられる話について考えることもある。あー自分なら○○かも、とか、でもそれって××じゃない?とか。
学生の頃から集団行動が苦手だった。輪の中に入れば常に浮いている気がして怖かった。人に嫌われたくなくて、人に嫌われるようなことを沢山してしまった。もうあの頃のようなことは繰り返さないように慎重に言葉を選ぶようにしているのに、それでも間違えるから時々何もかもを投げ出したくなる。
LINE、返せないままもう三日くらい経つ
このまま上手くフェードアウトできれば楽になれるかな。
愛の対価
先行きの長そうな人生の中で、誰かに必要とされることが一度でもあるんだろうか。
愛されない体質の私は対価を払わなければ愛を受け取れないのかもしれない。果たして愛の対価とは何なのか。
寂しいのです 今とても
いや、意識していなかっただけでもしかしたらずっと寂しかったのかもしれない。今まで同年代くらいの男女カップルや研修バッジをつけている新人アルバイトさん、放課後友達とマックで課題をやっている高校生を見て、眩しくて尊い、なんて考えながらメソメソすることがしょっちゅうある。
寂しいな。私には何も無いから、私に無いものを持っている人はみんな眩しく見えるんだ。ほんとはずっと人から愛される人が羨ましいと思ってるよ。
月の影
酒、タバコ、ギャンブル、借金、女癖、暴力。想像したくはないが、もしかしたら推しにもそんな一面があるのかな....なんて考えていたら落ち込んでしまった。*1
某事務所のタレント達の素行の悪さが次々暴かれていったり某銭湯アイドルのDV問題が騒がれたりする中で、もし彼が当事者になったらどうしたらいいんだろう、とうっすら想像してみた。きっとそんな本性が露見した時点で応援できなくなる。推すことをやめる以外考えつかない。毎日推しのことばかり考えて生きている私にとっては恐怖でしかない。
まるでお殿様のような父親*2の元で育ったからなのか、モラハラや、虐待の事件に異様なほど過敏になる。バラエティ番組から男尊女卑的な空気を感じると見ているのがつらくて消してしまう。もしもこの先ご縁があって男女交際、或いは結婚する機会があったなら、慎重に相手を見極めなきゃなと思う。*3
心の平穏を保つ為に嫌いな芸能人をリストアップしてその人が出ている番組を避けるようにしているんだけど、嫌いな男性芸能人の多さに笑えてくるんだよ。8割は男。
そのリストに大好きな推しの名前を書く日が来ませんように、と願うばかり。
ねぇ聞いて ステキな恋をしてるの
メールやLINE、SNSなど、様々な便利ツールが発展していく中で、私は未だに手紙というアナログツールが好きである。
とりわけファンレターというものは、遠くで輝く愛しい存在の推しを想定してしたためる大切な手紙。恋文とは似て異なる、しかし書く側にとってはかなりの労力を要する行為。それこそ、ラブレターを書いているような気分になる。
応援する気持ちを伝える手段としてはTwitterのリプライやインスタのコメント欄なんかもあるけれど、手書きの文章の温度感は手紙ならではのものだし、何より自分の想いはきちんと一対一で伝えたい。
しかし、ファンレターを出すときは決まって「読まれたいけど読まれたくない」「読まれていないと考えていた方が心が楽」など、とても複雑で矛盾だらけな気持ちを抱える。
もちろん書いている間は、ちゃんと相手に読まれる前提で心を込めて文を綴る。決して失礼のないよう丁寧な文字で、便箋はなるべく2〜3枚におさめ、だらだら書かないよう心掛ける。そして、ファンとしてのありったけの愛を込めるよう努めているつもりだ。
ただ、私の推しは忙しい人である。手紙なんていくら書いても彼には読んでもらえないだろう。それ以前に未開封のまま捨てられている可能性すらあるが、その方がかえって好都合かもしれない。もし読まれたら恥ずかしいし、向こうだって全く見ず知らずの人間からの手紙なんて、貰っても困るだけなんじゃないか?
私が書いた自己満足のファンレターは、誰にも読まれずにそっと処分されるのがお似合いだろう。
最近の、とあるインタビュー記事にて。
会いに来てくれた方からのお手紙には「幸せをいっぱいありがとうございました」という感想が沢山ありましたが、
え?
え!?うそ!!!読んでる!? 手紙ってちゃんと読むんだ...読まれてるんだ....
あの日、プレゼントBOXには沢山の手紙が入っていた。当たり前だが私の手紙はそのうちの一通でしかなくて、肝心の内容も当たり障りのないことばかり。年間を通してひっきりなしにファンレターが届くであろう彼の記憶には、例え読まれていたとしても私の想いなんてこれっぽっちも残るはずがない。
でも、読まれた可能性があるということは素直に嬉しくて、やっぱりめちゃくちゃ恥ずかしくて、いっそ死んでしまいたいくらいだ......。
レターセット、もう少し可愛い柄にしておけばよかった。ハンズのレターセットコーナーで一時間近くひたすら悩んで選んだのに。
切手も、はらぺこあおむしは正直ちょっと微妙だったかなぁ。
彼は、推しは、私が綴った一方的な愛の手紙を読んで、どう思ったんだろう。
刹那的にでも嬉しいと感じてくれていたら私も嬉しい。
けれど、でも、うーん......
今後の為にユーキャンのボールペン字講座でも始めようかな...。
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クッッッソーーーー死にてぇなーーーーーと思いながら生きる為に求人サイトを眺めている矛盾。
昔言われた言葉を時々思い出してはまた傷付き、お風呂や布団の中でひたすらしくしく泣いて、年明けてからもそんなことばっかり。2019年、何も変わらない。
夢ってなんだよ希望ってなんだよ。自尊心ボコボコにされてどん底の底の底まで突き落とされてんのにそれでも尚夢を見ろと?どんな無茶だよ。将来に希望もクソもないんで!!絶望の日々なんで!!!!!!
「年1くらいで推しに会うのが夢」なんて言ったらどんな顔したんだろうな。ドン引きだろうな。でも八割くらい本当の話だよ、これ。
さて、今年の目標は親をミュージカルの観劇へ連れていくことです。
てっきり私の母はミュージカルとか嫌いな人なんだと思ってたので「行ってみたい」と言われたときは正直驚きました。
私もミュージカルに興味を持ち始めたのはほんの数年前のことで、まだまだ知識も乏しいし、「観劇が趣味」と言うのはおこがましいくらいだけど、一生に一度は舞台へ足を運んでみてほしいと思っている。興味があるならば尚更。
やっぱり一緒にいられるうちに何かしておきたいよ。
その為に、その為に、レッツ職探し!!!
悲しみのプログラム 2018
「悲しみというものは、生き残るための本能なんだよ。だから辛い時にじっとして、なんにも手につかなくなるのは、決して君のせいではない。」
好きな言葉。今年図書館で借りて読んだ本に出てきた。
夢とか希望を歌うJ-POPよりこういう小説の中に出てくる言葉の方がスッと心に入ってくる。何も出来ないと落ち込んでばかりの自分に寄り添ってくれるみたいで、嬉しくてあったかい。
最近はアルバイトの面接でも将来の夢や目標を聞くんだね。「生活の為にお金が必要だから」って理由だけで働こうとした私はきっと不採用だね。
私の日記、一体誰が見てんの?怖い あとすごく恥ずかしい 読んでいて楽しいですか?と聞きたい気持ちでこれを書いている。います。楽しいですか?
今回は年内最後の記事になる予定なのでなるべく明るい内容にしたいと思っていましたが無理そうです。これじゃいつも通りだね。2019年も多分ずっとこんな調子でいくと思いますがよろしくお願いします。