たかが視覚情報を強化しただけでVRとはこれいかに

早朝の鶯谷。3/1に気まぐれで早朝の電車に乗って、そこら辺を散歩したとき。

 

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このまま上野公園を突っ切って秋葉原まで歩いた。途中、御徒町あたりでかなり現地感のある中国粥のお店を見つけたが、先に富士そばで朝食を済ませてしまったことが悔やまれた。

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VRヘッドセットを買った。Oculus Rift S。

 

いくつかVRゲームをプレイして思い知ったのは、「所詮いまのVRバイスは視覚情報を強化するだけの代物で、これを仮想現実などと名乗るのは片腹痛いわ」ということだ。

言わずもがな人間には五感が備わっているが、VRはその五感のうちの一つ、視覚をシミュレートしているに過ぎない。具体的に言えば、頭の動きに視野を連動させ、立体視ができるようになるだけだ。

だから、当たり前だが、仮に盲者がVRヘッドセットを装着したら、なんの仮想現実も味わえない。所詮はその程度のリアリティしか手に入らないのだ。

 

(ここにコントローラーが加わったとしても、触覚のシミュレートにはならない。3次元的なポインティングデバイスに、既存のボタンやスティックをくっつけただけでしかなく、実在の物体を触ったり操作したりする感覚とは程遠い)

 

 

じゃあ、視覚情報を強化しているだけの既存のVRバイスは全然バーチャルなリアリティを提供してくれないのか、というと、そうでもない。むしろ、いかに自分が視覚情報に依存していたかと驚くくらいの没入感を得られた。

 

同時に、五感のうち、視覚の他の感覚がシミュレートされないことに対して、猛烈な違和感も感じた。言い換えれば、めちゃくちゃ酔った。移動に伴うGの変化がないことが、ものすごく不自然で不快なのだ。

 

例えば、戦闘機を操縦するなど一方向へ高速で移動し続けているものならまだ良い。が、スティック操作でプレイヤーキャラクターが前後左右に歩いたり、空飛ぶ自動車でホバリングして前後左右上下にゆらゆら漂ったりすると、みるみる辛くなってくる。

 

 

このGをシミュレートするのがVRの課題の一つになるだろう。確かに、G変化をシミュレートする装置は現存する。宇宙飛行士を養成する際に使われるような巨大なものがそうだ。

 

これを普及させるのは現実的ではないので、きっと三半規管のリンパ液の流れを直接コントロールするようなものになるか、さらに言えば、脳に直接電気信号を送り込むようなものになるか、いずれかだろう。

後者ができるような時代なら、もはや五感すべてを完璧にシミュレートできるはずだ。

本というメディア

2020-03-14

 

 

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Canon G9X。

コロナウイルスのせいか閑散としていた。朝から降り続く雨が、昼過ぎに雪に変わった寒い日だった。

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久しぶりにデカい本屋へ行った。東京駅丸の内北口丸善本店。

 

電子書籍へ以降して久しいものの、いまでも大きな書店を訪れるのはとても楽しい。良くも悪くも、自分の関心とは関係なくいろんな本が視界に入ってくることで、偶然的な出会いが生まれるから、ということだと思う。

他方、Kindleストアでは自分の過去の買い物に基づいてレコメンドされるので、こういう本屋でぶらついているときのような予期せぬ発見はあまりない。これまでに買ったものに関連した、同じようなものが提案されるだけだ。

 

やがてビッグデータの統計処理や、AIによる学習で、こういう偶然もきっと再現されるようになるのだろう。あまりこういうものはお読みでないですが、もしかしたら気にいるかもしれません、と。

 

 

物理書店をさまよい歩いて見つけたときの達成感も、書店そのものをVRで再現したならば、もはや差はない。紙の本だってVRで再現してしまえば、電子書籍の物足りなさに文句をいう人はいなくなるだろう。

ただ、それができるならば、そもそも活字や図を紙に印刷して綴じたメディアにこだわる必要がなくなる。

というか、活字や図だって一つのメディアでしかない。いずれ観念を観念のまま、文字にコンバートせずに他者へ伝えることができるようになるだろう。文字なしで観念を抱くことができるのかどうか、自分には想像もつかないが。