ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

山上の赤トンボ

 近所の大学で学祭が始まったようである。実際に行って確かめたわけではないが、町がなんとなくそんな雰囲気となっているのを感じる。

 

 健全な大学生にとって学祭期間というのは数日間の秋休みであり、山に行く絶好のチャンスであると言える。

 私のいた某部では、私が一回生の時に七回生の先輩が「俺は一度も学祭に行ったことが無い」と豪語しており、無論うら若き純情な後輩達もそれに従い、学祭期間は沢で水と戯れたり藪を漕いで緑との一体感を感じたり緑の卓で時空の流れを学んだりするわけである。

 

 結局私は学生時代に、他の部の友人に誘われて一回だけ学祭を見に行った。某部においては学祭に積極的に参加しない者ばかりだった気がするが、これは山を優先したという理由の他に、人が多い場所にあえて背を向けて鄙びた気分を味わい、侘び寂びを感じたいという思いがあったからだろう(学祭期間中、山に行ってなくても学祭にも行かないのである)。

  また、実際、行ったところであの雰囲気(※)を好きにならなければ気まずいだけであり、捻くれた我々が行っても更に捻くれるだけの結果になる恐れがあったので、行かなくて良かったとも思われる(とは言えこれはろくに学祭に参加しておらず実情を全然理解していない者の戯事であり、的外れな意見である可能性が高いことは言うまでもない)。

 

※あの雰囲気・・・卒業式でコスプレをする、学祭のテーマをインターネットで流行りの文言にする、新入生の前で奇声を出して劇をする、自分を変人だと称す、この大学は変人ばかりだからな〜wと嬉しそうに話す、変人を積極的に称することがまず平凡であることに気付いていない、教授のくせに変人とか名乗る、教授のくせに授業であえて関西弁で喋る、日常会話にインターネット用語を盛り込む、森見登美彦の小説の登場人物みたいな喋り方をする、自分を森見登美彦の小説の登場人物だと考える、等(森見登美彦さんに恨みはなく、むしろ数冊の単行本を所有していることを付言しておきます)

二つの雪

 前回の更新から随分と間が空いてしまった。

 前回の記事は6月中旬に書かれており、中身を見ると5月が最も忙しいとでも思っているような雰囲気があるが、実はその後に6月末にもう一つ繁忙期があった。なんならその後の8月に最もえげつない繁忙期があり、平日とか休日の概念も無く目覚めている限りひたすら仕事をする有様であった。法律的に微妙な点があるので詳細は割愛する。

 今日の沢の核心部は序盤の滝の大巻きだと思っていたところ、そこは割とあっさり終わり、実は8mくらいのしょぼい滝の地味な泥斜面の巻きが異常に難しかった、というような経験を人は誰しもするものであるが、そのことがすっかり頭から抜け落ちていた。沢から離れた弊害だと言える。

 

 この間それなりに色々あったような気がするが、残念ながら意識の大半を占めているのは仕事である。前述の通り8月が最も忙しかった。8月31日深夜、重すぎた案件が終了した。数日ぶりに家の外に出ると、秋の虫が鳴いていた。やや涼しくなった空気が気持ちよかった。暗い夜道を、東一条のコンビニまでつまみを買いに歩いていると、深夜に同じ道のりを歩いて酒を買いに行っていた学生時代と全く同じだなと思った。まあ当時の行き先はもっぱら、今は亡き100円ローソンだったわけだが。当時からメンタリティ自体は大して変わっていないような気もする。

 

 11月某日、部の友人の墓参りで、大学の知人達と湖西線沿いの某霊園に行ってきた。比良山系沿いの気持ちの良い場所である。比良は琵琶湖側である東側が圧倒的に明るくて景色も良く、沢が無くても来たいエリアだ。一方で安曇川沿いとなる西側は際限なく暗く陰鬱で、沢が無ければなるべく近寄りたくないエリアである(もっとも明王院なんかは新緑の時期に行くとなかなか良い場所だし、いつも入山地点としてしか認識していない麓の集落もまじめに歩いたら色々ある気もするが)。ただし、比良山系で沢が多いのは西側であり結局来ざるを得ないので、西側から沢を登り明るい東側に向けて降りていくのが最良のルートだと言える。2014年8月、奴と二人で奥ノ深谷を遡行し、東側の温泉に向けて降りていったなぁなどと昔を懐かしんでおいた。

 その後、せっかくなので部室に移動して打つ。ちょうちんを買い、ちょうちん杯を開催した。昔は9回まで表裏、合計18半荘打つのが習わしだったようだが、忠実に再現しようとするとありえない日程になるのでただの徹麻となった。なかなか楽しかった。みんな手積みで打つのは久しぶりで、牌を開けずに点数申告する、上家の手牌からツモり相手を少牌にする等の危険な高等戦術が繰り広げられていた。これもまた戦いの一部だと言える。

 湖西線からの車窓でも載せておく。

 

 他にもそれなりに出かけたりしたようにも思うが、仕事によって脳細胞が破壊されており思い出せないのでここらへんでやめておこうと思う。

 そもそも旅行のようなイベントについては写真を見たりすれば概要を思い出せるわけで、それよりも日常で浮かんだ些細な思考等を記録した方が良いような気がしている。もっと気軽にしょうもないことを記録していきたい。

田村麻呂の絵灯籠

 今年も正月が訪れた。おみくじ代わりに大学の者と打っておいた。結果は2→3→3→2で計-31だった。それなりに自信を持って打ったリーチが上がれず、悲惨な結果になることが多かった記憶がある。つまり、良かれと思ってがんばってみてもろくな結果にならないという今年の運勢が示唆されているようである。かと言って、どうせ上がれないからと適当に国士無双を狙ってみたりしてみると当然それ以上にろくな結果にならないことは経験上明らかである。ろくでもない中での選択が求められている。

×××

 1月にここまで書いて気力が尽きたようで、下書きが残っていた。実際のところどうかと言うと、今年も半荘で言うと東4といったところだが、そもそもがんばってリーチをかけるような場面も訪れず、なんとなく3着をキープしているような状況である。悪くはないと言える。

 そんなわけで2023年になった。前回の更新からだいぶ時間が経過しているが、6月中旬ということで、まだ2023年も前半なのでセーフである。

×××

 今年から新たな職場となり、それなりにまじめに働いている。4月後半から5月は予想通りそれなりの忙しさだった。基本的に7勤か6勤であり、GWも日曜日のみ休みであった。まあ自分が新入りで比較的ストレスの少ない場所を任されているという事情もあるだろうが、時間単位当たりのストレス量は前の職場に比べると遥かに少ない。突発的なレクとかで呼び出されたり、給料の出ない謎のパーティーとかに時間を費やしたりすることがまずなく、ただ黙々とPCに向かっている時間が長いためである。在宅もそれなりに可能なので、疲れが溜まってくるとその場で奇声に変換することができるのも便利である。

×××

 時系列が無茶苦茶だが、去年まで時を遡ると、12月に浅間温泉に行ってきた。何度も訪れている場所だが、やはり良いところである。以前行って感動的に良かった〇の湯旅館はなんか予約できなかったので別のところにしておいた。

 近いと言えば近いので、穂高駅を訪れた。昔一人で北アルプスの縦走に行ったときに下山後に訪れ、コスモスが咲く中でふらふら歩いた記憶のある町だ。今回は寒々とした空気の中をふらふらしたわけだが、張り詰めた空気が心地よかった。周辺を適当に散歩し、夕暮れ時に大王わさび農園とかいうところにも初めて訪れてみて、詳しくは覚えていないが普通のきれいな公園だったような記憶がある。どちらかと言うとそこを出た後の、普通の道端の水路がやけにきれいだったのが印象的だ。穂高駅の近くで適当な蕎麦屋に入ったが、ここで食べた蕎麦は人生で最もおいしかった。

 あと、松本駅の近くで適当に入ったビアバーが割と良かった。旅行支援?でもらった券で払ったので実質無料である。他には宿で天鳳をしたり宿のそばを徘徊したりしたくらいで特に述べるべきようなアクティビティーも無いので、記念の写真を適当に貼るくらいにとどめておく。

↓浅間

穂高

 

 最近は自分の感傷癖もだいぶましになってきた気がするが、それは京都に住んでいるおかげで自覚する機会が少なくなっただけで、根本的にはあまり変わっていない気もする。

 引っ越しはあまりしたくない。面倒くさいのもあるが、慣れ親しんだ部屋にその後もう入れなくなるのが悲しいためである。といったような情けないことを、引っ越し準備で段ボールで埋まった下宿で考えていた。

劇的なコメ

 この間様々なことがあった。

 まず、沢に行くという事件があった。久しぶりに沢に行きたいな~とか普段から言っといてなんだが、後輩から実際に誘われて山行が現実味を帯びてくると途端にやる気が無くなってしまう。申し訳ない話ではある。結局行く。

 後輩3人と南紀某所に行く。私にとっては久しぶりの沢ということで、かなり怖がって1級の沢にしてもらったが、実際登ってみるとさすがに簡単すぎて申し訳なかった。でもまあ所々きれいなところもあって良かった。私がよく沢を登っていた時代には、乾いた岩の登攀とルーファイ全般だけは人並みにできる一方、その他全般(ぬめった岩の登攀、草付き壁の登攀など)が苦手という感じだったが、今回登ってみた感触として、その他の方が衰えているなという感じだった。ボルダリングジムでは濡れた課題や泥まみれの課題が無いので仕方がないと言える。

 この沢は10年ほど前、真冬に同期二人と共に遡行した場所である。その時は中盤の見どころを過ぎたあたりで、

「寒すぎてこれ以上は危険かもなぁ(寒くてだるいしもうやめようぜ)」

「この先どうなるかわからないし、引き返した方がいいかもな(この上も大したことないだろうからさっさと降りよう)」

 といった深い作戦会議を経て沢を下降した記憶がある。

見どころとされている場所

顔が真っ黒なところが味があると思ったので載せておく

こんな銀色ではなかった気がする

 さて、南紀の冬の沢登りだが、本番は下山後であると言える。かつて沢登りの先輩であるHさんが、

「蓮川の沢を登りに来ると言うより、もはやスメール(温泉施設)に来るのが目的となっている」

 とおっしゃっていたが、冬の南紀では下山後に近くの温泉に入り、新宮に降りるのが目的と言っても過言ではない。新宮は閑散としているが暖かく平和で、好きな場所だ。暗くて狭い沢を終えて海沿いの開けた新宮の町まで来ると、平和って良いなぁと沢メンなら全員思うわけである。好きな場所の割に沢の帰りにしか行かないので、あまりちゃんと町を巡ったことがない。今回は念願の?熊野川河口に行けたので良かった。勝手に砂利が広がる河口を予想していたが、思ったより石っぽく、工事が進んでいた。

 昼食は徐福寿司に行ったがなかなか良かった。「徐福店」と書いてあったので和歌山で展開しているチェーン店か?と思って訪れたところ、徐福公園の近くに二店だけ展開しているらしい。ちなみに徐福というのは、秦の始皇帝に不老不死の薬を持ってきますとか言ってそのまま行方不明になったという謎の人物であり、なぜか和歌山にたどり着いたという伝説が残っているために公園があるのである。徐福公園には、人間は徐福のように立派な業績を残さなければならない云々という碑文があるが、徐福のどこらへんが高く評価されているのかは謎である。本当に秦から和歌山までたどり着いたならすごいことではあるけど。

この中に一つ、あけぼのが隠れています

熊野川

徐福様

かき氷を食す

 

 8月に受けた某試験の結果が発表され、合格していた。やはり良い席を引いたのが一番の勝因だと思われる。一次試験と違って得点がよくわからなかったので、さすがに安堵した。数年後の転職も視野に入れて就職先を決めたが、吉と出るか凶と出るかは謎である。まあ、これまでの経歴も大概行き当たりばったりだったので、あまり予想通りにいくことは期待しがたい。

 

 他にも東京に行ったり家族が京都に来たり色々とあったが、もう疲れたので適当な写真を貼っていったん終わる。

吉田山入口

吉田山は適当な感じに(失礼!)神社が配置されてるのがgood

適当なる配置の神社

紅葉の時期は珍しく真如堂に僧侶以外の人間が歩いている

冬の空が好きという話

 

翡翠の好み

 沢における好きな行動食について記しておく。

① 果汁グミ

 チャックがついているので少しずつ食べられるのが便利である。何より良いのが、軽い割には水分か油分かのおかげで、比較的スムーズに咀嚼できる点である。確か150キロカロリーくらいあり、最悪これ一袋あれば一日分の行動食とすることができるだろう。

 

② 柿の種

 チャックは無いが小分けした袋に入っており、まあザラザラと一袋食べることができる。塩味なのでおいしい。軽い割にそれなりのカロリーがある。

 

③ ベビースター

 柿の種と大体同じだが、柿の種より味も値段も高級である。

 

 私はそもそもあまり沢で行動食を食べない方であり、全く食べなくても問題無く動けるのだが、翌日の体の疲労・痛みの問題から食べた方が良いようだ。二回生くらいの時は最もイキリ無謀大学生だったので、軽量化のため日帰りの沢だとまったく行動食を持たないことが多かった。また、同期のMTもまったく行動食を持って行かなかったが、彼の場合は「金が無いから」という理由であり、私とはやや理由が違ったようだ。こんな二回生二人が率いていたため、無茶苦茶なPartyになるのも必然であったと言える。

 

 といったようなことを、先日謎の試験を受ける際に、会場で食べる行動食を準備しつつ考えていた。これは先日一次を通過した試験の二次試験であり、大阪某所にて三日間に渡って開催された。2~3時間の試験が6科目あり、それぞれの試験がそれなりにハードな上にやたらと長く、だいぶ疲労した。沢で例えると、屋久島の瀬切川のようにそれなりに疲れる巻きが延々と続くタイプと言えばわかりやすいだろうか。

 

 試験は記述式であり、自己採点が不可能なので合否は結果発表までよくわからないが、まあ運が良ければ受かっており、運が普通なら落ちると思われる。スピードが重視される一次試験とは違い、二次試験はどちらかと言うと押し引きが重要で、ベタオリしつつ要所で高打点を上がることが期待されていると言える。今回はなんとなく押した結果窮地に追い込まれることが多く、全く良くなかった。わかりやすく牌賊!オカルティで例えると、マンション麻雀で5pを残した時の夏月のような状況が続いた。

(牌賊!オカルティ 5巻より)

 試験結果がわからないままに、就活が開催されているのでそれなりにまじめに取り組んでいる。卒業できるかわからないのに就活している大学生と同じである。

 

 試験後には少し余裕ができ、海が見たい気分だったので館山及び三重に行った。館山は安房神社のそばに滞在し、バイタリティ溢れる海の迫力を感じつつ閑散とした寂しさがあり、不思議な雰囲気があってなかなか良かった。安房神社には適当に自転車で寄ったのだが、それなりに由緒ある場所だったらしい。三重に関しては普通に平和で良かった。観光地をいくつか適当に回っただけだが、まじめに回るならそれなりの時間が必要だろう(まあどこでも大抵そうだろうけど)。

館山①

館山②

三重①

三重②

 

 

 近所の神社でおみくじを引いたので、結果を載せておく。

見祿隔前渓 たからを見てとらんとおもへどもまへにたにがありて取にゆかれぬなり

一朝逢好渡 じせついたればよきわたりにあふて前なる谷をこえてたからのある所にいたるべし

 

〇悦事おそく後はよし 〇まち人来らず 〇訴訟事叶かたし心正しければ後叶ふことあり 〇生死十の内五つはいきたり

 

 つまり、沢登りをさぼっているようでは何事もうまくいかない運命が示唆されていることは明らかなようである。反省したい。また、死亡率50%の期間がわからないが、普通おみくじは年に一回引くことを考えれば、年間死亡率と捉えるのが自然であると思われる。全産業で最悪と言われる林業労働災害率が2%とかだということを考えれば、それなりに高い数字である。心してかかりたい。