20240420

寝る支度をせずに寝てしまい、6時に起きる。ここ一週間くらいずっとこう。朝マックはやめて、でも行った時に食べるふわふわバンズのサンドの中身を意識してハムエッグにチーズをのせる。そしてこれをトーストにのせる。冷凍庫のパセリをふると、家で食べてよかったなと思える風味が出た。朝食後楽器を弾く。

 

11時半、DELI着。ダムタイプの展示を見に来たらそこはカレー屋だった。南インドプレートにはケールのサラダが!好物なのにどうもうまく調理できず、ロイヤルホストを拠り所としていた。思わぬケールのサラダチャンスの到来だ(似たチャンスに「とろろチャンス」がある)。笑顔でケールを頬張りながらやがて神妙な面持ちになっていく。野菜モリモリ、ナッツやオリーブの散らされたおしゃれなプレートも、トマトやチーズの入ったラーメンも大好きなのにそのことをあまり知られたくなかったり、認めたくないのは自分の中のミソジニーの現れではないか?

 

展示物はどれも興味深かった。チラシの隅の情報も読み応えがある。80年代のイベント、劇場、商業施設。大阪国際演劇祭、オレンジルーム、阪急ファイブ。内部文書は手書きかワープロ作成。公演されなかった作品の企画書の表紙はタイトルロゴ画像だった。パソコンほど気軽に作成できないだろうし、だいぶ企画が進んでいたのかもしれない。

 

DELIから歩いて難波神社近くのコロンボコーナーショップへ。久々だった。画集など大型の本を次々に手に取ったり、買ったりしている人が店内に詰まっているのはいい眺め。ヘッドドレスをつけてレースのタイツを履いた双子のような若い女性らが広辞苑のような洋書を抱えてレジに並ぶ。1000円だった。

 

その後地下鉄とニュートラムを乗り継いで南港へ移動。ATCの外の大階段に座っている人多し。その人らが特に何もしていなくてよかった。港から見える水平線には人々の手を止めさせる力がある。よく見ると海と空との間に帯状に黄色くなっている部分がある。黄砂は海の向こうからやってくるものなのだとわかった。セブンティーンアイスの自販機でチョコミントアイスを買って食べ、新聞を広げて読んだ。試し読み用に一斉投函されていたもの。愛媛の地震についての記事が中の方にあった。「やってはいけないフェイスブック」という平成の終わりに生きるコラムニストによる文章もあった。菊水産業という爪楊枝メーカーを取材した記事では、爪楊枝の溝は何のために彫られているのかが明かされていた。野中英次ドリーム職人」のネタで嬉しかった。20年くらい正解を目にすることなく、ネットで出くわすこともせず、南港の物陰でハトに囲まれて読んだ新聞の中で出会えた。誰かが置きざりにしたゴミの袋がカサカサと音をたてていた。サントリー角の空き瓶、氷のチャック袋、プラコップ。

 

17時、南港サンセットホールに入場。ティッシュの会「魂エンターテイメント説」開演まであと30分。夕日は雲に隠れていたがお客の何人かが窓辺に集まってオーシャンビューを楽しんでいた。三角形のステージの後ろが天井まで続く出窓になっている。変形ステージ。アコースティック専用。そして南港というアクセス。使い勝手の悪そうなところに惹かれてやってきてみるとロビーと客席の間はカーテンだし、フェリーさんふらわあが出港すると汽笛が響き渡った。何事かと役者が振り返るほどの音量だった。これはだらだら喋る作風(公式の表現)の劇団にしか使えないのではないか。舞台芸術の強度的に。クラシック音楽は脆すぎる。

 

映画や小説などのフィクションの中で、あまりにも意思疎通がスムーズにできすぎている傾向があるのではないか。実際にはもっと会話量が必要だったり、わかり合えないままのことのほうが多いのではないか。というツイートを見て、自分がドキュメンタリー映画ルポルタージュを好む理由がわかった気がした。そういうタイミングでこの会話劇を見られたのは幸運だった。例え話があって、ピンとこなくて自分の解釈を話してみせる人がいて、すぐにピンときて柱の陰で頷いている人がいる。別の例え話が繰り出され、またその解釈が語られてほんのちょっとだけ理解が進む。