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【仏陀】『スッタニパータ』 解説 〜蛇の章〜 ”蛇” <3選>

 

🌀この記事を読んで学べること🌀

・「脱皮」の如く「生存」を超えろ というブッダの思想。
 
・「この世」と「かの世」を捨て去る。
その時あなたは”生きてる”というブッダの思想。

 

「蛇の章」とは

『スッタニパータ』という「経集」の第1章が「蛇の章」です。

※ちなみに『スッタニパータ』は”ブッダの言葉”と和訳で題されています。

 

ブッダの教えが収録されていて、それらの言葉の最後には

「(それはまるで)蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と綴られています。

 

例えば、以下のような形で

 

無花果の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。ー

蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

ブッダのことば 中村 元訳 岩波文庫 引用)

 

つまり、【動物的存在】に留まっていては、悟りには至れない。

脱皮の如く、生存に執着せず、哺乳類脳を超えなさい。

ニーチェの言葉を借りるならば、いわばブッダ「超人」の教えである。

 

〜蛇の章〜 【3選】

①「怒り」について

「怒り」を制しなさい。

蛇の毒が全身に回るのを薬で制するように。

 

ブッダは「怒り」に支配されるなと説いています。

 

私も同意です。

 

この後も出てきますが、もちろん「怒り」に限った話ではなく、

「感情」に支配されるなという話でした。

 

”支配されるな”と聞くと、「感情を支配しよう」と頑張ります。

その通りなんですが、ワンポイントとして私がしっくりしているニュアンスは

「感情に寄り添い過ぎない」もしくは「感情にあんまり構わない」

 

最近至った見解なんですが、「感情」って世俗では”人間味”の代名詞というか、

「機械じゃないんだよ。感情を持った1人の人間なんだよっ!」みたいな?笑

※なんとなくおばさんでイメージしていますがw

 

しかし、「感情」はその例えで言えば実に「機械側」です。

 

「感情」は一種の”反応”に過ぎず、いわば”信号”です。

 

しかしだからこそ誤認識しがちなことが一点。

 

これは「”理性”を司る脳よりも深層部の脳にプログラムされた根付いたもの」ということです。

 

これが前述した「支配≒寄り添い過ぎない」に繋がってきます。

 

つまり、「怒り」や「不安・恐怖」「嬉しい」「悲しい」諸々の感情を消したり抑圧したり捻じ曲げたり(≒改竄したり)は出来ないということ。

 

でも出来ることがたった一つあります。

それは、【飲み込まれないこと】

 

【感情】は本当に一つの命を宿し生きているが如く、世界(=自身の頭の中)を歩き回っていますよね?

 

しかし、そうではありません。

 

根拠を一つ提示します。

【感情】単体で存在しているのを見たことがありますか?

 

【感情】は自立して存続できません。だから必ず着地点を探し当てます。

 

【イライラ】している時はセットでその原因の言葉、出来事、人物が想念として浮かんでいます。

 

しかし、逆に言えば、それらの言葉や出来事、人物といった「想念」から離れれば

感情じゃ「風の前の塵に同じ」です。

 

「瞑想」はペラペラと捲し立てて話した百聞を一見できる体験でした。

「瞑想」について気になった方はこちらに詳しくまとめてます。

dadera.hatenablog.com

 

②「愛欲」について (≒性欲)

「池に生える蓮華を、水にもぐって折りとるように。」

 

コチラも感情という濁流に飲み込まれないようにというジャンルです。

 

※「愛欲」ついて諸々は”性について”カテゴリーを設けてます。

性について カテゴリーの記事一覧 - 哲学ブログ「人間は考える葦である」

 

文言から窺い知れることは、根本からポッキリいけよっ ってブッダのニュアンスを感じますね笑

 

こういう所が対話のおもしろい所ですよ。

 

ちなみにブッダの「愛欲」に関してのエピソードがあって、

引用がどうとかめんどいから細かいのは調べてみて欲しいんだけど、、

 

ブッダはそもそも”釈迦族”っていう王族、いわば王子。ベジータだ。

俗に考えてそんな王族が出家して身分を捨てて出家するってのはクレイジーで、

当然お父さんも”なーにしてんっ!!”ってなったんでしょう。笑

 

なんとしても息子の出家を思い留まらせたくて、房にブッダを閉じ込めて、そこに絶世の美女(裸)を3人一緒に入れてハーレム状態にしました。

 

要は「ほら見てみろ、出家なんかしなけりゃ王子のお前はこんな美しい女といくらでも戯れることだって出来る。出家しちゃなんもかんも失うんだぞっ!ブッダ!メ!」

※多分もっとずっと深刻。

 

しかしブッダは頑なに相手にしなかった所か、

「あっちいきやがれバカやろーこの野郎」みたいな感じで払った為、

お父さんは諦めました。

 

ブッダホモセクシャルでなかった限り、絶世の美女に無反応だったとは思えません。

しかし、その反応というものは「至って機械的。嗚呼、あまりに機械的と理解していていたのではないかと想像します。  

 

③「驕慢」について

驕り高ぶるな人間風情が。

 

「傲慢」もまた俗世に縛りつける糸のひとつのようだ。

 

「傲慢」と「恥」は明暗ですから、「恥」を消すには「驕慢」から離れましょう。

 

ここも一緒です。「消す」んじゃない✖︎   「離れるんです」⭕️

別に”中庸”を取ろうって話ではないです。

「消せないんです」

 

そこで不毛な不甲斐なさに陥らなくて大丈夫だと思います。

 

私は、とにかく如何に「気づく」か。

 

観察してください。それは”血の通った理性から生まれたもの”ではありません。

機械的にプログラムされた信号」に過ぎないことを気づいてみて。

 

以上。

 

参考文献

 

ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫 青 301-1)

 

 

 

 

 

マインドフルネス(瞑想)とは

 

今回の記事


今回はこちらの記事を読んでのanswerとなります。
感じたこと、思ったことのまとめです。

gendai.media

 

 

「マインドフルネス」とは

「マインドフルネス」とは、本来、いまこの瞬間に起こっている感覚や感情、思考に気づき、そのままに受け入れること。

そのような状態になるための瞑想が、マインドフルネス瞑想です。

思考にただ気づくだけで、よい考えとも悪い考えとも判断しません。

判断しないで、またいまこの瞬間に気づきを向けます。

それをくり返すと、感覚や感情、思考が瞬間に変化すること、すべては一瞬に消え去ることがわかってきます。

そうしてマインドフルになり、一つひとつの雑念に振り回されなくなるのです。

※上記サイト引用

「そのまま受け入れること」となってますが、細かい感じ出すと、「そのような状態のこと」になると思います。

最近自分も初めてやっているのですが、おもしろいです。

結論、「普段いかに様々な想念が脳内を飛び交っているか」

「尚且つそういった想念(≒考え、思考)が感情を支配しているか」を肌で感じられる点がおもしろいです。

 

ちなみに、赤字にしている所についての展開だが、

例えば「エロい」

篠崎愛のグラビアを見て「サンマ」は興奮して精子をかけるだろうか?

「カマキリ」や「タカ」がそうするだろうか?

少なからず初見で篠崎愛が裸で近づいてきたら、全力で逃げるだろう。

 

例えがポップで話が入ってこない場合はそっちでうまいことやってください。

つまり、篠崎愛に限らず、グラビアが成立するのは、「グラビアアイドルがエロいのではなく」、「グラビアアイドルをエロいと認識する生物がいるから」ということです。

 

瞑想をしていると、下記に記載しているのだが、「エロい女」という「イメージ」と

【エロい】という【感情】は相互的かつ反射的に連鎖反応を生み出していることに気づきました。

簡単にいうと、「エロい(≒感情)」は「エロい女」とかまぁなんでもいいんだけど

とにかく「なんらかの想念(≒イメージ、考え、思考)」がないと成立し得ない、単独で存在はできないのではないかという気づきに辿り着きました。

 

だから「瞑想」をしています。

「呼吸」に意識を向けて座っています。

その際に篠崎愛が思い浮かんできたとして、

その想念を確認し、再度呼吸に意識を向けると、当然その想念はまたフッと去ります。

そうすると、エロい感情もセットで去ります。

 

文字じゃ伝えにくいが、赤字の通り、

「感覚や感情、思考というものは瞬間に変化すること、

すべては一瞬に消え去ることがわかってきます。」

 

さらに言うならば、ここでいう変化というのは、「瞑想をすれば、今までエロいと思っていた女がエロくなくなる」とかじゃなくて、

「さっきまでのエロい感情は一体どこへやら?」といった風に、マインドが瞬時に切り替わるという意です。

 

認識の切り替わりだけを切り取れば「蛙化現象」もそう。

「あんなにエロかったあの子はいずこへ?」

「あんなに素敵な彼はなんだったの?」

 

貴方の見ている世界、抱いている感情は、本当にあなたのものですか?

いつも分からなくなった時に、「0地点」を確認できる。

キャリブレーション」として「瞑想」は有効だと今時分は実感しています。

詳細メモ✏︎

 

🔼「感情」と「想念」はいつもセットで相互的作用を及ぼす。

感情→想念(頭の中の映像やスクリーンショット)↔感情 とか 

想念→感情↔想念 

 

だから、逆にいうと、なんらかの想念(妄想、イメージ、記憶など)を無感情に観ることは出来ないし、

「感情」を着地させるなんらかの「対象無し」に存在させることも出来ない。

 

人は「なぜ悩む?」

人はなぜ悩むのでしょうか。

それは、あれこれと欲しがってしまうからです。

生きていれば、仕事や人間関係がうまくいかないときもあります

そこで「こうだったらいいのに」と理想を追い求めると、その思いが叶わず、悩みはじめるのです。

 

欲求にとらわれ、悩みを深めていく人は、つねになにかを考え続けています。

ひとつのものごとに直面したとき、「こうあってほしい」という思いを抱え、

そのために「どうしよう」と考えはじめて、止まらなくなるのです。

※サイト引用

「超人」を念頭にしていれば特になのだが、「本能的欲求」と「理性的欲求」の考えがどれがどうなってんだが釣り糸が絡まるみたいに分からなくなることがある。

 

※「超人」について知らない方はぜひコチラのページの「超人」説明部分だけでも見てみたらおもしろいかもしれない。

dadera.hatenablog.com

 

そういう時は当たり前だが、

本能的悩み(または動物的悩み)と

理性的悩みの境界線を再度感じよう。

 

上記引用文の内容に関しては、粗方本能的悩みに該当します。

そして、これは「死ぬまで終わらない」。

なので、理性的悩み(自分ルール)を再確認し、それのみ出来てるor出来てないに注力し、

その他は二の次、三の次のものなんだということを理解しよう。

※それらの悩みや不安(いわゆるストレス)の発生理由とそれを発して目指したいゴールを見据えること。(メタ認知が重要。)

 

全ての欲望(≒貪欲)ないし本能的欲求の発生機序というのは、

○生存において優位に立ちたい。

○子孫を残したい

○なるべく死なない

 

大体この3つ。

 

これに該当してる諸々の派生要素は大した構わないでいいです。

例)人間関係において、うまく馴染めない。または、いじめられている。など。

 

自分の絶対的価値に遵守したルール(つまり自分ルール、自分の世界の法律)を守り生きる。

 

いつだってこの狭間に陥り、考えすぎてわからなくなった時の合言葉があります

 

「不安か不満で迷ったら不安を選べ」

不満足を選べばその一時は落着と思いますが、

毒のように、ゆっくり体中に浸透し、

死ぬまで、影響してきます。

 

 

・詳細メモ

なぜ「不満」と「不安」の対比になるのか?

 

そもそも「不安」ってなんでしたっけ?

そんななもん人それぞれだと思いますか?

確かに、その「姿カタチ」は「それぞれ」です。

 

しかし、それを生み出す「お母さん」は全て同じです。

つまり「不安」の母は「死」です。

 

新しい事に挑戦、初めての環境で働く、新学期が始まる。

これって大なり小なり「不安」を感じる人、少なくないと思います。

これはなぜか?

 

結論。「死」に近づくからです。

言い換えるならば「死ぬ可能性を少なからず高めることに成り得るかもしれない」ことと認識しているからです。

 

つまり、脳としては、「今のままで生存出来ているのだから、現状維持でいいじゃないか。」と言いたいのである。

 

確かに、現状のままでいることが結果的に死に至るパターンも往々にしてある。

しかし、慣れた環境の方が、いつもそうしてきたわけだからその環境においての安全な場所、危険な場所、敵はあいつでetc...といった情報がある。

柔軟な対応を知らない場所より格段にしやすいだろう。

 

大袈裟なと思うかもしれないが、現にクラス替えでガラッと環境が変わり、いじめを克服できた子、またその逆の子。耐えられなくて自殺した子。

部署移動して、うつ病になった者。逆に寛解した者。

親が離婚して救われた者。再婚して地獄を感じている者。

例えば女の子なら、母の再婚相手に性的虐待やその他暴力を振るわれ、その結果辛くて家に居たくなくてトー横キッズと呼ばれる未成年。etc..

 

当たり前の話、環境が変わって救われもするし、その逆もある。

 

しかし、脳は言う。「困るんです!!ワタシが管理している命は1個しかないんです!その逆は困るんです!”乗り越えられない”または”逃げられなかった”際に死ぬのは困るんですっ!それなら充実なんてしてなくても構いません!!哲学や道徳?理想や夢?何をおっしゃいますのん!!この命あっての”夢”でしょ?!

”道徳でしょ?!!”死にたくないもんっっ!!!」と。笑

 

これは無視で大丈夫です。

頭で理解しても消えやしないし、解放もされません。

どんなに、「頭で俺は(私は)尊敬できるかつ異性としても魅力的な相手と結婚して、子どもを授かって素敵な関係性な、そんな家庭を築きたい」と願っていても

尊敬にかすりもしない相手に「オスは勃起するし、メスは濡れます。」

※ちなみに、当たり前の話ですが、哺乳類のメスも繁殖期になると濡れます。

しかし、だからなにを描いても無駄だという話では全くありません。

 

いいか同志。「なにが無駄」で「なにが無駄じゃない」のかを見極めろ。

「ムラムラする」ことを葬りさろうとすること。

これは無駄だ。なぜか?意思の問題ではアクセスできないからだ。(本能)

 

しかし、それを受けて「さぁ、どうする?」ここは意思を持ってしてアクセスできる。

ハンドルを握っているのは本能ではなく「理性」だ。

 

「ムラムラする」のは感情であるから、「怒り」「不安」「恐怖」etc...に取って代わる。

 

これを、その他諸々のケースに当て嵌めいつだって考えて欲しい。

※性的な例ばかりですまん。わかりやすいだろ?

 

「あるがまま」を観察する

つねになにかをしているドゥーイング・モードに対して、考えに反応せず、あるがままでいるのが「ビーイング・モード」です。

 

人はビーイング・モードのときには、いま、ここで生きているということに気づき、過去や将来について、よけいなことを考えたりしません。シンプルに、目の前のことに集中できます。

 

いつもそのようにしていることはできませんが、意識的にこのモードの時間をつくることで、考えが整理され、悩みが解消されやすくなります。

※サイト引用

超人思想事態が稀有で、1%にも満たないレベル

 

だからまず、もう基本的に同じビジョンの生物はいないものとして生きましょう。

(勿論いないことはないが、もうそう思った方が楽な程ほぼいません) 

 

今から自分が2年間動物園に通うとして、

過ごしやすく、動くのも考えるのも

何一つ動物たちに要求するだろうか?

ふざけんなよと怒るだろうか?

 

コチラがどう動こうか、どう考えようか

どう扱おうか と常に ワタシがどう

だろう。

 

相手はシルバニアファミリーです。

今にも動き出しそうですが、1ミリも動きません。

しかし、コチラが動かせば動きます

こちらの見る角度を変えれば景色も変えられます。

おわりに

知らず知らず人は世界を脚色して見ています。

「それをするな」なんてのは本能の話と同様、無理であろう。

そして大体その脚色は”不本意”に着地しがちなはず。

 

何故ならば、人は「なぜ悩む?」のメモで触れた通り、脳はとにかく「ライフ残機が1」なことに全てを注ぎ込んでいるからです。

ドラクエでいう作戦は固定で「いのちだいじに」です。

決して、”哲学”や”夢”、”理想”をクリアするという、いわゆる「縛りプレイ」を敢行する気など微塵もございません。

ガンガン回復して、ガンガン宿泊まって、ガンガン強い武器買って、”クリアのみ”が目的です。

そこに、”道徳”も”真理”はありません。

 

しかし、人間は機械ではありません。

「理性」という余白があります。

「いのちだいじに」を違う作戦に変更することはできませんが、

「理性」により、命令を加えることができます。

 

「人は考える葦である。」

 

 

以上。

【フリードリヒ・ニーチェ】 ニーチェ哲学の「考察と展開」 ②ー思想および主な概念ー(超人・永劫回帰・ルサンチマン)

⚠️注意⚠️

ニーチェの思想」は安易に覗くと場合によっては精神に支障をきたしかねません。

意外にこれはどの媒体でも触れてない感ありますが、ニーチェは特に身構えておいて損は無いと思う。

現に、事実としてニーチェの思想はナチス・ドイツの優生思想に悪用された過去があります。(ニーチェの思想が幾分捻じ曲げられて利用されてはいるのだが。)
(※「優生思想」とは、ある価値基準において”劣っている”または”害悪”とみなした場合はそのものを排除してよい。処分することは改良の尊い犠牲上、止むを得ないとする思想。)

しかし、それだけエネルギーを有している事に変わりはありません。

ちなみに、本人ニーチェもこのような言葉を残しています。

「多くのことを中途半端に知るよりは、何も知らない方がいい。
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者である方がマシだ。」

じゃあ自分はどういうつもりで臨んでいるんだと言えば、
聖書を通して、随分たくさんの教えに触れ、その上で起爆剤として(盲信や迷妄しない為)捉えています。

もう1つ個人的な理由としては、自分の尊敬している友達の思想が「二ーチェ」に被る所が見受けられるので本人と話すよりもひょっとしたら会話になるのではないかなんてこともあります。

いずれにせよ、「劇薬」と評される「ニーチェ哲学」真摯に向き合う人(もしくはごくテキトーに流せる人)に推奨です。

 

 

押さえてきたい「ニーチェの思想」ポイント
⑴「清く正しく美しく」というキリスト教的な価値観を徹底的に批判した。
 
⑵全人類に共通する唯一無二の「真理」なんてものは存在しない。
 
⑶生きる上での新しい価値(自身固有の絶対的価値)を見出せ、
さもなくば、待ち受けるのは絶望(末人になる)のみだ。

(※一時は誤魔化し避けても、晩年になり後悔が募りどうしようもなくなるぞ)

 

それでは、いってみましょう🚗💨

 

「超人」と「永劫回帰」について

※「超人」と「永劫回帰」はセットで捉えられている(しやすい)思想の為、分けずに扱います。

 

ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、ー生活の保証、平安、快適、安楽ーという「幸福を求める現代の一般大衆」を「畜群」と罵った。

その上で、永劫回帰無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた

 

永劫回帰の下線部についての考察

人間は「何か目的を持って生まれてきた訳ではない」

だから、「”自分自身にとっての”人生の意味を、価値を自分で模索して作りなさい」

ということだと解釈している。

それを見出し、自らのその”絶対的価値”において”永劫回帰という無意味な人生の中”を邁進する者を「超人」

対照的に、それができずに、ルサンチマンに陥り”高慢と嫉妬”を行き来し死の前に(またはそれまでのタイミングで)”絶望”にエンカウントし(いや、直視していなかっただけで本当はずっと分かっていたのだろうか。)人生bad endとなる者を「末人」

と私は解釈している。

※「末人」とは

憧れを持たず、「傲慢」と「ルサンチマン」に身を委ねて生きる人間のこと。

 

永劫回帰」の例

有名なループ映画「恋はデジャブ」では、いつも周りを見下し偉そうにしてた天気キャスターの男が、田舎町で、永遠にくり返される一日に閉じ込められてしまいます。

始めは、美人を口説いたり、店の飯を好き勝手に食べたり、あらゆることを試す。が全て、次の日にはまた最初から。飽きます。

会話はいつも同じだから、人は居るようで居ない。孤独。だんだん気が狂い始めます。

そして最後、彼は、ピアノをただただ毎日弾くようになります。

誰に聞かせるわけでもなくただただ純粋に、何千回と

その時には、他人を見下して自分の存在意義を確かめるようなことはしなくなっています

ピアノを自分の為だけ、自分の純粋な楽しさだけで弾き続け(←これが超人化)素晴らしく美しい音色とともに、ループの世界から抜け出すんです。

(恋愛ものなので、恋愛的エピソードがありますが、ここはニーチェ哲学の視点だけで書かせてもらいました。面白いので未見でしたら是非)

つまり「超人の生き方」とは、世界がどうであろうと他人がどうであろうと「自分にとって絶対的に揺るがない価値観、幸せを見つけ、それに基づいて生きること」だと思います。

 

ニーチェの「破壊力」と「真意」

ニーチェに言わせると「近代哲学もキリスト教的な人間の理想像を基礎にしている。」

だから近代哲学にも容赦なく批判を浴びせる。

かつては「キリスト教的価値観」が「世間の善悪の一般的基準」だった。

ニーチェは、私たちが当たり前に受け入れている道徳の枠組みがなぜ作られ、どこに落とし穴があるかということを鋭く指摘する。

 

ヨーロッパの近代的な世界観をチャラにした

近代哲学では、いろんな哲学者がそれぞれの世界像を立て、これこそが真の世界と論じてきました。ところがニーチェは「世界の真理なんてものは一切ない」ことを喝破し、近代哲学の大前提を全て間違っていると言った。これは哲学的にはとてつもなく大きな転回であった。

ニーチェに触れる

※以下、対話形式で大変読解しやすかった為そのまま引用しています。
社会学者の”古市”憲寿さん 哲学者”竹田”青嗣さん

古市 真理がないとすると、人それぞれ勝手に生きればいいことになりませんか。
竹田 たしかにニーチェの哲学は、現代では、かなり相対主義的な考え方として受け入れられました。でも、本当に革命的なところはそこではなくて、ニーチェは、近代哲学が作れなかった真善美に関する「価値の哲学」を作ろうとしたんです。
古市 ニーチェの作ろうとした価値の哲学とは、どのようなものだったんですか。
竹田 私の考えでは、自分を不遇だと思って生きている人に自分のルサンチマン(反感)に負けるなと言い、それを乗り越えてどう生きるかという考え方を提出したのが価値の哲学です。生きる上での新しい価値を作り出せ、

 

ニーチェが言いたいのは、人間は人生が上手くいかないと、普通はほとんど末人になってしまうということです。

 

末人の反対がニーチェの「超人」です。超人とは、世間的な道徳のルールや反感の中で生きる末人から抜け出て生きること。末人やルサンチマンの人間はうまくいけば傲慢になり、うまくいかないと世の中や他人、自分にも反感を抱えて生きる。ルサンチマンも一つのエロスなので、これから出るのは難しい。しかし、ルサンチマンに囚われたままだと自分の生をスポイルし、肯定できない。それを自覚して、自分の生きる価値を作ろうとする人が超人です。

 

ええ。さらにいうと超人の思想は「永遠回帰」という考え方とセットになっている。
古市 永遠回帰というのは、どういうことですか?
竹田 人間は、同じ人生を永遠にグルグル繰り返すだけということです。私がよく使う喩えでいえば、キリスト教的な世界像というのは、我々はバスに乗っていて、到着したらそこで楽しいピクニックになる。つまりバスの中で良いことをしていた人は、天国でピクニックができる。ところが、ニーチェ永遠回帰の世界像は、バスは途中で崖から落っこちる!(笑)。それを反復しているだけ。つまり、人生に「そのあと」の目的はない、ということです。だからこそ、バスの中で生きる意味を見つけるしかない。挫折の人生を経験したニーチェがそこまで言いきったことは、なかなかすごいと思います。

 

古市 でも、落ちるだけのバスの中で末人にならずに生きるのは大変ですね。
竹田 そうですね。ニーチェの考えでは、天国のため、神様のためもまやかしだけど、社会のために生きるというのもあやしい。
古市 自分の外に生きる目的を持たないほうがいいわけですか。
竹田 現代のような競争社会では、だいたい6分の1ぐらいの人はそこそこ成功して自分の生を肯定できる。でも多くの人はむしろ失敗感や挫折の感覚を持つ。あるいは、成功も失敗もなく、「まあ、世の中こんなものだろう」という感覚で生きる。社会のためにと考えて行動し、失敗するとよけいに自分を許容できなくなります。そういう人たちは、自分や世界に対して、どこかで唾を吐きかけている。『高慢と偏見』という小説がありましたが、末人は、高慢か反感のなかを生きているわけです。どういう生き方をすると一回きりの自分の生を肯定できるか、自分でよく考えよう、というのがニーチェの教えです。
古市 もし現代にニーチェがいたとしたら、仕事も上手くいってなくて、自分が負け組だと思っている人に対して、どういう言葉をかけるんですかね?
竹田 「末人の道は楽じゃないよ」だと思います。その時は、ルサンチマンのエロスがあっていいんですが、一回限りの自分の生が終わりに近づくにつれて、末人は救いようがなくなってくる。だんだんそれが見えてくる。ルサンチマンであがいているうちに、もうバスは崖から落ちて終わりになる。どうやってそんな自分の生を肯定できるか、考える道はあるよ、と言うでしょうね。

 

 

ルサンチマン」について

ルサンチマンは、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情

そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと

※「価値の転倒」≒都合の良いように解釈を作り出すということ

 

ニーチェキリスト教の起源をユダヤ人の支配者ローマ人に対するルサンチマンであるとし、①キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ価値評価にあるとした

②「貧しき者こそ幸いなり」「現世では苦しめられている弱者こそ来世では天国に行き、現世での強者は地獄に落ちる」といった弱いことを肯定・欲望否定・現実の生を楽しまないことを「善い」とするキリスト教の原罪の価値観・考え方、禁欲主義、現世否定主義につながっていったキリスト教的道徳はルサンチマンの産物と主張した

ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは③「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。  

「自己」と「その自己が住むこの世界」を肯定できない人間は、この世界に④ルサンチマンを抱き、この世界を否定し、別の世界に救いを求める

ルサンチマンを抱く人間の行為は、⑤抑圧や虐げへの反動として受動的であり、抑圧してくる外の世界の否定が先にくる

ニーチェは、⑥ルサンチマンを抱く人間を自発的に行為する力を無くしたという意で、「弱者」、「奴隷」と呼んだ

乱暴な言い方かもしれないが、

ルサンチマン」で伝えたかったことは、

「逆算的にくだらない自分都合の理論や屁理屈をこねくり回して現実逃避したって仕方ねぇんだぞ」ってニュアンスだったのではないか、

少なくとも自分はそ受け取った。

 

ここで問題とされる由来や成り立ちとは、歴史の教科書で「キリスト教の成立」として説明されるようなものではなく、むしろその影で隠蔽されているもの。すなわち「ルサンチマンRessentiment)」、つまり傷つけられた自意識、怨恨、復讐心に他なりません。自分たちを虐げる者(例えば当時のローマ人)に対し力で立ち向かうのではなく、「想像による復讐(eine imaginäre Rache)」で報復する弱者の知恵、それこそキリスト教という道徳上の「奴隷蜂起(Sklavenaufstand)」を生み出し、育んで来た根本要因なのだ、と。ニーチェは系譜学という手法によって、キリスト教会が説く「汝の敵を愛せ」や「貧しき者は幸いである」といった福音の上っ面を剥ぎ、その底にうごめく暗い情念をその教えの「正体」として引きずり出すのです。

 

ではその「武士道」とは本来どのようにして成立したのでしょうか? その社会規範としての成立期は、実は実際に武士が活躍していた戦国の世ではなく、江戸時代のこととされています。江戸時代といえば基本的に天下泰平、平和の時代、鎖国により外敵もありません。つまりもはや「武士」が必要でなかった時代のはず。ならば彼らの大半は刀を捨て、鍬や算盤を手に生涯を過ごしても良かったのではないのでしょうか?

ところがそうはなりませんでした。彼らは「武士」という職業に固執し、かつ「士農工商」という用語に示されているように社会の最上階級に留まることを欲します。戦乱の時代ならともかく、平和な時代に「軍人」が一番デカイつらをしているというのは、考えてみればおかしな話ではないでしょうか。それを可能にするために、必要とされたのがこの武士「道」というイデオロギーなのです。つまり武士道とは、実際の「戦士」としての武士が消滅した後に、その身分を道徳ないし美徳という姿でなお確保し、サムライを一種の「司祭」として生き延びさせるために練り上げられた教義というわけです。

キリスト教であれ武士道であれ、「道徳」が世に広める教えは耳に心地よく響きます。まさに今日、「サムライ」という言葉が我らが国民を熱狂させているように。しかし実際にその仮面の背後に込められているのは、特定の者たちに都合の良く作られた利害や権力関係。ニーチェのいう系譜学はそうした道徳の実体を暴き出すことで、「あらゆる価値の転換Umwertung aller Werte/ウムヴェーアトゥング アラー ヴェーアテ)」を可能とするのです。

 

引用の始めに、「魂だって肉体と同じく死すべきもの(Die Seelen sind so sterblich wie die Leiber.)」とありますが、これはプラトンなどの古代ギリシア哲学、およびそれを引き継ぐキリスト教神学の考えに真っ向から反するものといえるでしょう。肉体は消え去る、されど魂は死後も滅びず、永遠に生き続ける、というのが、多くの宗教が前提とする霊魂不滅説なわけですから。

この霊魂不滅説が人々を古来魅了する理由、それはまさしく人間の本性に備わる「永遠」への憧れに他なりません。この目に見える肉体は老い、朽ちていく。だが目に見えぬ魂はその後も永遠に生き延びるのではないか? その先がたとえあの世であれ転生の先であれ、死と虚無の不安から解放してくれるこの教えが人々の心をつかむことに不思議はありません。

 

しかし「見えないもの」に価値を置くことは、他方で「見えるもの」をおとしめることにもつながっていきます。来世こそが全て、とする思いは、この目の前にある生、今という瞬間をその派生物に過ぎないものにしてしまう。そして同じことは、過去の神聖化にも該当します。その代表例は先に述べた「道徳」の成立です。系譜学では、道徳の底に秘められた暗い情念により呪縛される生が問題とされました。それはまさに、この今の生が過去によっておとしめられているという状況の診断書でもあるのです。

 

系譜学が過去の呪縛を暴くことで「この今」を解き放ち、永遠回帰が変わりなく繰り返す「この瞬間」の永遠を告知する。ニーチェが「この今」、「この瞬間」として取り戻そうとしているのは、言葉の真の意味での「自然」な生、つまり「ありのままのこの今を生きる」(自(おの)ずから然(しか)り!)という「今を肯定する生」なのです。来世や別のより良い生、過去や未来といった離れた視点からこの今を肯定しようとすれば、他者によって自己を「然り!」とするありかた、すなわち「他然」に陥ってしまう。だがそんな他者などもはや存在しない、すなわち「神は死んだGott ist tot./ゴット イスト トート)」のだ、と。

生のあらゆる瞬間を「自ずから然り!」と生きる者、そうした者をニーチェは「超人Übermensch/ユーバーメンシュ)」と呼び讃えます。それはその表現に反し神や魂といった「超越」を求める人ではなく、そうした超越に依存せぬありのままのこの生にこそ永遠を認める者をいうのです。

 

ニーチェルサンチマンを「弱者側の道徳観」と捉えた弱者強者対す憤り行動移せない。そのため弱者は、想像の中で復讐心を膨らませて心を慰めるのだいう。

 

ニーチェは、当時西欧文化において絶対的な価値基準であったキリスト教道徳観に対して懐疑的であったキリスト教起源は、ユダヤ人の、かつて虐げてきたローマ人対すルサンチマン根底にあるという。強者たるローマ人により虐げられ貧しく不幸な生活をしている自分ユダヤ人は、貧しく不幸であり、だからこそ幸いなのだ、貧しい人にこそ神の国開かれているのだ、という考え方キリスト教根底にあるとニーチェ捉えた

 

例えば、有名人ゴシップ醜聞スキャンダルの類に(直接的に無関係なはずの)人々過剰なまでに反応して大騒ぎするのも、ルサンチマン感情根底にあるためと考えれば腑に落ちる自分より恵まれている有名人対す嫉妬心憎悪復讐心。これが自分と同じ境遇の、自分と同じルサンチマン抱いた人々と、ひそかに一致団結した場合大きな炎上騒ぎとなることも少なくない

こうした感情機微を、ニーチェ人間本質であるとし、批判せずむしろ肯定的にとらえている。

 

ルサンチマン」とは

ニーチェルサンチマンについて再定義した後も、著名な哲学者歴史家批評家などがルサンチマン概念独自に論じている。フランス現代哲学代表するジル・ドゥルーズは、著書においてルサンチマン概念再生述べたフランス文芸批評家ルネ・ジラールは、ルサンチマン誰もが持ち得る嫉妬心に過ぎない論じている。

つまり、ルサンチマンのような感情自分制することが難しく誰でも自然と抱いてしまう感情だというのだ。ルネ・ジラール考え方からすると貧しく虐げられた者のみが強者に対して抱くのではなく強者ですらルサンチマン抱き得ることになる。

 

ルサンチマン」とは、「社会的な弱者強者に対して抱く負の感情」を意味する語である。単なる負の感情「」ではなく弱者自分を「善」と位置づけ強者は「悪」であると捉える、「価値転倒」を伴う感情であるという点を特徴とする概念である。

 

ルサンチマンressentiment)」という概念最初に言及した哲学者は、19世紀デンマーク実存哲学セーレン・キェルケゴールS. Kierkegaard)であるとされるキェルケゴールは「妬み定着する化現象(目立つ存在自分と同じ立ち位置引き下げようとする動き)を引き起こす」と考え、これをルサンチマン名付けた

キェルケゴールとほぼ同時代ドイツ人思想家フリードリヒ・ニーチェF. Nietzsche)は、「行動による反応禁じられた状態になると、人は想像上復讐によって行動埋め合わせをするようになる」とし、ルサンチマンを再定義した。このニーチェによるルサンチマン考察分析現代にも大きく影響を遺している。

 

ニーチェが指摘するルサンチマンの具体例

貧困の例

貧困にあえいでいる者が、自らの力で脱却できない状態が続くと、富裕層への嫉妬妬みなどを起因価値転換が行われる。お金を得るために悪いことをしているに違いない、だから富裕層お金を得るために心がギスギスしている悪である。他方自分は、富を持たないが心は豊かな善の状態である。こうした考え方により、貧困者は富裕層に対して哀れみを抱くようになっていく。

身体能力の例

肉体的に優れていない者が、体格では敵わない相手に対して鬱屈した感情を抱くようになると、それを起因価値転換起きる。優れた肉体による腕力奔放に振る舞う者は悪であるから肉体的に優れた者もそのように振る舞う違いない優れた肉体でない自分は善であると捉えるようになり、やがて内面では自分の方が優れている考えるようになる

 

なお、ニーチェすべての生物が力の増大目指すように、人間社会いかなる問題でも、自分の力を増大させようとすることは良いことであると考え超人思想生み出した。これは、ルサンチマンから脱却できぬ「末人」の対極的概念といえる同時にルサンチマン侵され弱者が、自己正当化のために道徳作る考えたニーチェによれば相手引きずり降ろし権力側に立ちたい十分な力を持たないため、弱者道徳持ち出すのである。そして、道徳により弱者正しいと評価し強者非難するとした。これは権力渇望する自分たちの意思欺く行為であると、ニーチェ痛烈に批判した

 

元々はデンマークの思想家セーレン・オービュ・キルケゴールがこの感情を「強者の足手まといになる道徳観」として強者の立場から提唱したが、後にニーチェが弱者の立場から再定義し、「弱者の道徳観」とした。

 

 一般的にこの弱者による「恨み」や「嫉妬心」など負の感情は悪しきものと捉えられがちだが、ニーチェはこれも人の本質の一つであるとし、そこから生まれる反骨心や向上心が人類を押し上げるものとして、肯定的に捉えている

 

 ただ、強者側への嫉妬・嫌悪が高じ過ぎてしまった結果、弱者側に対し理非曲直を正そうとしないまま同情・肩入れしてしまったりする危険な要素が含まれているのも事実である。

 

ニーチェは、自分にとって「おもしろくない」事象や事柄を、自らが都合よく腑に落とせるようにと世界を歪めて捉えるなと、自分自身を誤魔化すなと人の子の弱さに警鐘を鳴らしていたんじゃないかと感じました。

 

下線部に記載の通り、ニーチェはこの「恨み」や「嫉妬心」自体を批判していたわけではないことから、

それらの感情や思いを当てがう「ベクトル」を見誤るなと主張しているように思った。

 

 

ニーチェは『善悪の彼岸箴言としてこのような言葉を記している。
 
「どうだって?偉人だと?
私が見るのは常にただ自分自身の理想を演じる俳優ばかりだ。」
 

しかし、ニーチェよ。私は言いたい。

その通り。確かにその通り。

 

automaticに浮かんでくる感情や思考はやけに獣じみていて、イヤになる。

比較的ロクなことがない「怒り」は分かっていても中々コントロールできなかったり、

理論的にも理性的にも望んでいないのに、無性に性欲は込み上げてくるし、

虚栄心などくだらないと思っていても未だに瞬発的につまらない嘘をついてしまったりするしetc...

 

どんなにご立派なことを掲げていてもこれでは嘘つきと言われても仕方がないかもしれない。

しかし、それは本当にそう言い捨てていいだろうか?

 

私はアプリケーションなどでいう所の、人間の「今のバージョン」に満足していない。

が、それと同時に最近ここまでの知能に至ったのは紛れもなく今までの脳が選択した優先順位あってのことなんだと素直に敬意を抱いている。

その上で、現在の「脳のバージョン」および優先されている諸機能は果たして現代に適応しているのだろうか。

別に現代の表面的なもの(※医学、科学、電子機器とかなんか色々)が過去に比べて発展したとはいえ如何程のもんかとは思っている。(全く過大評価はしていない。)

 

しかしもって、ゲームのステータス振りで言う所の、もう少し「理性的」にステ振りして良いのでは?と感じてならない。

 

確かに、「性」一つとっても、これだけ強烈な(SEXのオーガズムと覚醒剤は似ていると言われている)快楽を設定されているにも関わらず、昨今は”晩婚化”しているし、”少子化”してるは挙げ句の果てに「熟年離婚」や「仮面夫婦」なんて揶揄まで。

 

もしかしたら、今後も性欲は快楽設定上げていかないと絶滅に近づく恐れすら?あるかしれませんが。。笑

 

これまでの正規ルートを非正規に、つまり変革をもたらすにはそれなりのストレスコストがかかるのは必然です。(それが強固な慣習であれば尚)

俳優でもなんでも、そこに立ち向かっていかない事には突破口も見出せないし、進化は無いと自分は思っている。

そしてそれは寿命通りに生きれたとして、全く時間が足りないかもしれない笑

しかし、それでいいし、第一そんなことは二の次三の次だと思っている。

何故なら、私は「理性的に自分の絶対感に常になるだけ素直に生きること」に命を見出しているからです。

まだ書籍も読んでいないし、まぁ読んだところで、もっといえばタイムマシンに乗ってニーチェ本人と会って何時間語り合ったところで人のことなんて理解できませんからあれなんですが、

ニーチェが晩年になって発狂し、精神病を患う事になったのは、あまりにも純朴で、あまりにも真っ直ぐで素直な部分が、あまりにも「人間という無力さ」に

ピュアなニヒリズムがとどめをさしたのかなと思ってなりません。

そして、もしかしたら、かなりキリスト教思想に対しても固執して勝つ強烈に批判していたことから(※言わんとすることは確かに思える部分も少なくない。少なからず聖書を読みイエスを信頼している自分も

ニーチェも意地で全部が全部を否定して、自分を喜ばしくない形で追い込む事になってしまっていた側面もあったのかもしれないと思ったり思わなかったりした。

 

だからこそ変わる時なんだと。

 

 

 

参考

ルサンチマン - Wikipedia

ルサンチマンとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

ルサンチマン (るさんちまん)とは【ピクシブ百科事典】

ニーチェのいう「超人の生き方」とは?わかりやすく教えてほしいです。 引用:'永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。' - Quora

https://filt.jp/lite/issue99/s07.html

 

 

 

【フリードリヒ・ニーチェ】 ニーチェ哲学の「考察と展開」 ①ー概要と背景ー

まえがき

今回「聖書」を主軸にしたブログだからこその意義も見えると思い、

ニーチェの思想」に触れてみようと思う。

自分の思考をまとめる為のノートを作るにあたり、第三者が見ても分かるようにを意識すればまとめやすいのではということ、

そしてまた、まとめサイトや解説ブログなど既に分かりやすいサイトはたくさんあるとは思うが、自分の意見の展開をしているものは見当たらなかったので、自分でも記事のネタがてらまとめノートなるものを作成してみようかと思い始めてみます。

※こういうのがあれば分かりやすいなど思う所があればコメントもぜひ。

 

また、「ニーチェ 解説」とGoogleで検索すると上位表示される「入門」とか「早わかり」、「ざっくり解説」「名言集」のような形ではなく、

ニーチェの思想や考え」私の「考察と意見」

この2つの軸で”ゆっくり”連載記事のごとく書いていこう思っている。

なので、”効率良く時短で本を読まなくてもニーチェの主要箇所が分かるっ!!”みたいなとは真逆を進めます。

そもそもがあくまでもこの記事限らずこのブログ自体、「自分のまとめノート」というのが主軸なので「気長に」こそ楽しめるように綴っていこうと思う。

なにより、第三者に読んでもらうことを第一義的に書かれていないからこその趣きが自分は好きです。

本は難しいし、読みにくくてチャレンジ出来てないとか、

読んでみたけど、文面が読みにくく断念したけど興味はある人とか

その他色々、どんな人でも、少しでも「ニーチェ 哲学」について有意義になるブログができたら幸い。

(以下、wikipediaの構成参考および引用)

 

人物

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ1844年10月15日 - 1900年8月25日

享年55歳

同じ日に49回目の誕生日を迎えた当時のプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世にちなんで、「フリードリヒ・ヴィルヘルム」と名付けられた。

 

プロイセン王国(現ドイツ)出身

古典文献学者

 

現代では※ 実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。

 

実存主義」とは?

 

個人の存在、自由、選択の重要性に焦点を当てる哲学です。

19世紀〜20世紀にかけて主にヨーロッパで発展。

 

従来の哲学では、まず「人間とは何か」「人間は何をすべきか」という本質的な問いがあり、そのうえで個人の存在があった。

例えば、

ハイデガー」は、人間は他の動物や物体とは異なり、決断によって自分の存在の在り方を自由に選択できる唯一の存在(=現存在)であると主張しました。

 

キルケゴール」は、誰から見ても正しい客観的な事実ではなく、自分にとっての主体的真理を追究することが重要であると主張し、実存主義の先駆けとなりました。

 

この世界を至って主観的に捉える思想体系。

※詳しくはリンク先で読めます。

 

少年時代

小さな村レッツェン・バイ・リュッケンに生まれた。

ニーチェの故郷と幼少期の生家(wikipedia引用)

ニーチェの父親はここの牧師でした。彼が生まれた家は今も残っています。ニーチェもこの町に埋葬されている。

父は、ルター派(キリスト教)の裕福な牧師で元教師であった。

2歳下には妹エリザベトが、4歳下には弟ルートヴィヒ・ヨーゼフが生まれている。

 

ニーチェが4歳の時、父カール・ルートヴィヒは近眼が原因で足元にいた小犬に気付かず、つまづき玄関先の石段を転げ落ちて頭を強く打ち付けた。

翌年この時の怪我が原因で死去した。また、それを追うように、まもなく2歳の弟ヨーゼフが、歯が原因とされる痙攣によって病死。

 

男手を失い、家計を保つ必要性があったことから、父方の祖母とその兄クラウゼ牧師(叔父も牧師だ。)を頼って故郷レッケンを去りナウムブルクに移住。また、二人の伯母も家事や食事などに協力した。計6人での生活が始まった。

 

ニーチェは、父が死ぬ前の幼い時代が幸せだったこと、その後父や弟が死んだ時の悲しみを、ギムナジウム時代(高校時代)に書いた自伝集で綴っている。また伯母や祖母の死もあったこと、そして、その他のいろんな困難を自分が乗り越えてきたことを語る。そして、それには神の導きのお陰があったと信じていた神に関しては、この時代はまだ信仰していた事がわかる。

 

「神は死んだ」とは?(以下wikipedia引用)
 

神は死んだ」)とは、宗教批判虚無主義ニヒリズム)を意味するニーチェの言葉。

一種の科学的精神(啓蒙的・実証的・合理的精神)であると言われる。

 

近代化産業化・科学化の中で、ニーチェは宗教的・哲学的観念の滅亡を宣言した。

 

ニーチェの批判は、医療科学自然科学生物から大きく影響を受けたと考えられる。

 

ニーチェによれば、といった虚構によって、栄養健康住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。

神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上からだを冒涜することである。

ここでニーチェは、「超人」とは地上的・身体的な人間であると述べている。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘だとしている

 

※最後の「超人」はニーチェの主要用語の為、後に取り扱う。

 

※「ニーチェによれば」からの内容がものすごく「ニーチェっぽい」

本人だから”ぽい”も何もないんだが。

 

ある雨の日の話

市立小学校時代のニーチェの性格をうかがわせるものとして、多くの解説書で語られる有名なエピソードがある。

まだニーチェが市立小学校に通っていた頃、下校時にわか雨が降ってきた。他の子供たちは傘がなく走って帰って来た。にも拘わらずニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰って来たという。

心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と聞いたところ、ニーチェは「校則に”帰りは走らず静かに帰れ”と書いてあるから」と、述べたという。

このエピソードは、よくニーチェという人物の”生真面目さ”と結び付けられて語られている。

 

エリーザベトの兄(ニーチェ)への思い

エリーザベトが残した文からエリーザベトが兄への尊敬の念を持っていたことも分かっている。その理由は、兄の人格が誠実で嘘を憎むからであり、さらには活発で抑えのきかない自分に自制の心を教えてくれたからだという。

さらに、エリーザベトは6歳の頃から、兄の書いた文を集めていたことがわかっている。エリーザベトは、ニーチェ文庫を創設しており、彼女が集めた文書は兄の研究に大きく貢献した。

一方で彼女は、兄の遺稿をめちゃくちゃに編集したり、ナチスに宣伝したりした。その理由は、自身の名誉のためという説が強いが、こうしたエリーザベトの兄への思いも考慮して、兄への尊敬の念が行き過ぎてしまっただけなのだという見方をする者もいる。

 

ナチズムへの利用

ニーチェの思想は妹のエリーザベトがニーチェのメモをナチスに売り渡した事でナチスイデオロギーに利用された。

※前述の通り”売り渡した”のか”盲目的暴走”だったのかは不明瞭だ。

 

青年時代

ニーチェは、1854年からナウムブルクのギムナジウムへ通った。

ギムナジウムでは音楽と国語の優れた才能を認められていた。プフォルター学院に移る少し前、一人の伯母の死とそれに相次ぐ、祖母の死をきっかけにニーチェの母は移住することを決める。ニーチェの母は友達の牧師に家を借りる。ニーチェは勉強やスポーツに励み、友人であるピンデル(ピンダー)やクルークとの交流のおかげもあって芸術や作曲に長けていた。

高校生のニーチェ

その噂を聞いたドイツ屈指の名門校プフォルタ学院の校長から特待生としての転学の誘いが届く。ニーチェは、母や妹とのしばしの別れを惜しみながらも入学する事を決心。このとき、生まれて初めて、田舎の保守的なキリスト教精神から離れて暮らすこととなる。

またニーチェは、プフォルター学院時代に、詩や音楽を自作し互いに評価しあうグループ「ゲルマニア」を結成し、その中心人物として活動した。

(青年時代は、とても後年に発狂して廃人のようになる影は見受けられない)

大学時代

1864年にプフォルター学院を卒業すると、ニーチェは大学へ進んで、神学部哲学部に籍を置く。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になる事を願っていたための配慮だったと指摘される。しかし、ニーチェは徐々に哲学部での古典文献学の研究に強い興味を持っていく。

 

そして、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている(当時のドイツの田舎で、牧師の息子が信仰を放棄するというのは、大変珍しい事で、ましてや、夫を亡くした母にとっては、一家の一大事と考えた事も予測できる)。

ニーチェのこの決断に大きな影響を及ぼしたのは、ダーヴィト・シュトラウスの著書『イエスの生涯』である。

 

また、ボン大学では、古典文献学の研究で実証的・批判的なすぐれた研究を行ったリッチュルと出会い、師事する。リッチュルは、当時大学1年生であったニーチェの類い稀な知性をいち早く見抜き、ただニーチェに受賞させるためだけに、懸賞論文の公募を行なうよう大学当局へもちかけている。

ニーチェは、このリッチュルのもとで文献学を修得している。そして、リッチュルがボン大学からライプツィヒ大学へ転属となったのに合わせて、自分もライプツィヒ大学へ転学する。このライプツィヒ大学では、ギリシア宗教史家エルヴィン・ローデと知り合い親友となる。

彼は、後にイェーナ大学ハイデルベルク大学などで教鞭を執ることになる。また、1867年には、一年志願兵として砲兵師団へ入隊するが、1868年3月に落馬事故で大怪我をしたため除隊する。それから、再び学問へ没頭することになる。

 

ライプツィヒ大学在学中、ニーチェの思想を形成する上で大きな影響があったと指摘される出会いが、2つあった。ひとつは、21歳の時に古本屋の離れに下宿していたニーチェが、その店でショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』を偶然購入し、この書の虜となったことである。

もうひとつは、24歳の時、リッチュルの紹介で、当時ライプツィヒに滞在していたリヒャルト・ヴァーグナーと面識を得られたことである。

ローデ宛ての手紙の中で、ショーペンハウエルについてヴァーグナーと論じ合ったことや「音楽と哲学について語り合おう」と自宅へ招待されたことなどを興奮気味に伝えている。

バーゼル大学教授時代

1871年、右からニーチェ、カール・フォン・ゲルスドルフ、エルヴィン・ローデ

ニーチェは1869年(24歳)で、博士号も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、バーゼル大学から古典文献学教授として招聘された。

(※若くても30代後半でなければ教授にはなれないことがほとんどの中、24歳というのは、異例の抜擢であったらしい。

バーゼルへ赴任するにあたり、ニーチェはスイス国籍の取得を考え、プロイセン国籍を放棄する(実際にスイス国籍を取得してはいない。これ以後、ニーチェは終生無国籍者として生きることとなる。

本人は哲学の担当を希望したが受け入れられず、古代ギリシアに関する古典文献学を専門とすることとなる。

自分にも学生にも厳しい講義のスタイルは当時話題となった。終生の友人となる神学教授フランツ・オーヴァーベックと出会ったほか、古代ギリシアルネサンス時代の文化史を講じていたヤーコプ・ブルクハルトとの親交が始まり、その講義に出席するなどして深い影響を受けたのもバーゼル大学でのことである。

ニーチェ(27歳)は第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『悲劇の誕生』と改題)を出版した。『未来の文献学』という論文も出した。

しかし様々な理由からどちらも多数から悪評。

こうした悪評が響いたため同年冬学期のニーチェの講義からは古典文献学専攻の学生がすべて姿を消し、聴講者はわずかに2名となってしまう。大学の学科内で完全に孤立したニーチェは哲学科への異動を希望するが認められなかった。

ワーグナーへの心酔と決別

生涯を通じて音楽に強い関心をもっていたニーチェは学生時代から熱烈なワーグナーのファンであり、大学時代にはすでにライプツィヒワーグナーとの対面を果たしている。

やがての妻コジマとも知遇を得て夫妻への賛美の念を深めたニーチェは、ワーグナーの邸宅へ何度も足を運んだ。

 

ヴァーグナーは31歳も年の離れたニーチェを親しい友人たちの集まりへ誘い入れ、ニーチェはコジマの誕生日に『悲劇の誕生』の原型となった論文の手稿をプレゼントするなど、二人は年齢差を越えて親交を深めた。

近代ドイツの美学思想には、古代ギリシアを「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想するという伝統があった

 

『芸術と革命』をはじめとする彼(ワーグナー)の論文では、この滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけギリシア悲劇)を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、とのロマン主義的思想が述べられている。

そしてニーチェにとって(またワーグナー本人にとっても)、この革命を成し遂げる偉大な革命家こそワーグナーその人に他ならなかった。

 

ヴァーグナーに対するニーチェの心酔ぶりは、第一作『悲劇の誕生』(1872年)において古典文献学的手法をあえて踏み外しながらもヴァーグナーを(同業者から全否定されるまでに)きわめて好意的に取りあげ、ヴァーグナー自身を狂喜させるほどであったが、その後はヴァーグナー訪問も次第に形式的なものになっていった。

何故ならば、こんな出来事があったからだ。

1876年(ニーチェ31歳)、ついに落成した※バイロイト祝祭劇場での第1回バイロイト音楽祭および主演目『ニーベルングの指環』初演を観に行くが、パトロンバイエルンルートヴィヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世といった各国の国王や貴族に囲まれて得意の絶頂にあるヴァーグナーその人と自身とのあいだに著しい隔たりをニーチェは感じた。

そこにいるのが市民社会道徳や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとするかつての革命家ヴァーグナーでないこと、そこにあるのは古代ギリシア精神の高貴さではなくブルジョア社会の卑俗さにすぎないことなどを確信する。

バイロイト祝祭劇場

ワーグナーが自身の作品の上演を目的として計画、設計した自前のオペラハウス。

バイロイト祝祭劇場wikipediaより)
 
 この一件と前後して書かれた『バイロイトにおけるヴァーグナー』ではまだ抑えられているが、ヴァーグナーへの懐疑や失望の念は深まってゆき、二人が顔を合わせるのはこの年が最後のこととなった。
1878年ニーチェ33歳)、ニーチェヴァーグナーから『パルジファル』の台本を贈られるが、ニーチェからみれば通俗的なおとぎ話にすぎない『聖杯伝説』を題材としたこの作品の構想を得意げに語るヴァーグナーへの反感はいよいよ募り、この年に書かれた『人間的な、あまりにも人間的な』でついに決別の意を明らかにし、公然とヴァーグナー批判を始めることとなる。
 
ヴァーグナーからも反論を受けたこの書をもって両者は決別し、再会することはなかった。
 
しかし晩年、ニーチェは、ワーグナーとの話を好んでし、最後に必ず「私はワーグナーを愛していた」と付け加えていたという。
 
また同じく発狂後、ワーグナー夫人コジマに宛てて「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と謎めいた愛の手紙を送っていることから、コジマへの横恋慕がヴァーグナーとの決裂に関係していたと見る向きもある。(※どれがという話ではないと思う)
 
一方の夫人は、ニーチェを夫を侮辱した男と見ており、マイゼンブーグ充ての書簡では「あれほど惨めな男は見たことがありません。初めて会った時から、ニーチェは病に苦しむ病人でした」と書いている。
 
1878年、『人間的な、あまりにも人間的な』出版。形而上学から道徳まで、あるいは宗教からまでの多彩な主題を含むこのアフォリズム集において、ついにヴァーグナーおよびショーペンハウエルからの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。
 
また、初期ニーチェのよき理解者であったドイッセンやローデとの交友もこのころから途絶えがちになっている。(思想の変化が影響しているのかもしれない)
 
1879年ニーチェ34歳)、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の近眼で発作的に何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛に苦しめられるなど、子供のころからさまざまな健康上の問題を抱えており、その上1868年の落馬事故や1870年に患ったジフテリアなどの悪影響もこれに加わっていたのである。
 
バーゼル大学での勤務中もこれらの症状は治まることがなく、仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職せざるをえず、以後は執筆活動に専念することとなった。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。
 

在野の思想家として

ニーチェは、病気の療養のために気候のよい土地を求めて、1889年(44歳)までさまざまな都市を旅しながら、在野の哲学者として生活した。(スイス、イタリア、フランス)

時折、ナウムブルクの家族のもとへも顔を出したが、エリーザベトとの間で衝突を繰り返すことが多かった。ニーチェは、バーゼル大学からの年金で生活していたが、友人から財政支援を受けることがあった。かつての生徒である音楽家ペーター・ガストはニーチェの秘書として勤めるようになっていた。ガストとオーヴァーベックは、ニーチェの生涯を通じて、誠実な友人であり続けた。

 
また、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークも、ニーチェヴァーグナーのサークルを抜け出た後もニーチェに対して、母性的なパトロンでありつづけた。その他にも、音楽評論家のカール・フックスとも連絡を取り合うようになり、それなりの交友関係がまだニーチェには残されていた。そして、このころからニーチェの最も生産的な時期がはじまる。
 

ルー・ザロメとの交友

ニーチェは(しばしば付き添いとしてエリーザベトを伴いながら)5月にはスイスルツェルンで、夏にはテューリンゲン州のタウテンブルクでザロメやレーとともに夏を過ごした。

 

ルツェルンではレーとニーチェが馬車を牽き、ザロメが鞭を振り回すという悪趣味な写真をニーチェの発案で撮影している。

 

左からルー・ザロメパウル・レー、ニーチェ。1882年ルツェルンにて(wikipediaより)

ニーチェにとってザロメは対等なパートナーというよりは、自分の思想を語り聞かせ、理解しあえるかもしれない聡明な生徒であった。

彼はザロメと恋に落ち、共通の友人であるレーをさしおいてザロメの後を追い回した。そしてついにはザロメに求婚するが、返ってきた返事はつれないものだった。

レーも同じころザロメに結婚を申し入れて同様に振られている。その後も続いたニーチェとレーとザロメの三角関係は1882年(37歳)から翌年にかけての冬をもって破綻するが、これにはザロメに嫉妬してニーチェ・レー・ザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベトが、ニーチェザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買っている。

後年、自分に都合のよい虚偽に満ちたニーチェの伝記を執筆するエリーザベトは、この件に関しても兄の書簡を破棄あるいは偽造したりザロメのことを中傷したりなどして、均衡していた三角関係をかき乱したのである。

結果として、ザロメとレーの二人はニーチェを置いてベルリンへ去り、同棲生活を始めることとなった。

 

失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐって母や妹と不和になったための孤独、自殺願望にとりつかれた苦悩などの一切から解放されるため、ニーチェはイタリアへ逃れ、そこでわずか10日間のうちに『ツァラトゥストラはかく語りき』の第1部を書き上げる。

 

ショーペンハウアーとの哲学的つながりもヴァーグナーとの社会的つながりも断ち切ったあとでは、ニーチェにはごくわずかな友人しか残っていなかった。

ニーチェはこの事態を甘受し、みずからの孤高の立場を堅持した。一時は詩人になろうかとも考えたがすぐにあきらめ、自分の著作がまったくといってよいほど売れないという悩みに煩わされることとなった。

1885年(40歳)には『ツァラトゥストラ』の第4部を上梓するが、これはわずか40部を印刷して、その内7冊を親しい友人へ献本するだけにとどめた。

 

1886年(41歳)にニーチェは『善悪の彼岸』を自費出版した。この本と、1886年から1887年にかけて再刊したそれまでの著作(『悲劇の誕生』『人間的な、あまりに人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』)の第2版が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。

事実、ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたものではあったが)高まりはじめていた。

 

1886年、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者と結婚し、パラグアイに「ドイツ的」コロニーを設立するのだという(ニーチェにとっては噴飯物の)計画を立てて旅立った。

書簡の往来を通じて兄妹の関係は対立と和解のあいだを揺れ動いたが、ニーチェの精神が崩壊するまで2人が顔を合わせることはなかった。

 

病気の発作が激しさと頻度を増したため、ニーチェは長い時間をかけて仕事をすることが不可能になったが、1887年には『道徳の系譜』を一息に書き上げた。

同じ年、ニーチェドストエフスキーの著作(『悪霊』『死の家の記録』など)を読み、その思想に共鳴している。

 

ニーチェ1888年(43歳)に5冊の著作を書き上げた。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。

この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、自分の著書(なかんずく『ヴァーグナーの場合』)に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。

wikipediaでは特に触れられていないが、なんとなく雰囲気から察するに”躁状態”だったのかもしれないなと感じた。

 

狂気と死

1889年1月3日ニーチェは騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。

数日後、ニーチェコジマ・ヴァーグナー夫人ブルクハルトほか何人かの友人に以下のような手紙を送っている。ブルクハルト宛の手紙では

「私はカイアファを拘束させてしまいました。昨年には私自身もドイツの医師たちによって延々とにされました。ヴィルヘルムビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」

と書き、またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では、

「愛しのアリアドネ姫へ。/私が人間であるというのは偏見です。しかし私はすでにしばしば人間の下で生きて、人間の体験できる最低のものから最高のものまで、すべてを知っています。私はインド人の下では仏陀であったし、ギリシアではディオニュソスでした、――アレクサンダーシーザーは私の化身であり、同じものではシェイクスピアの作者ベーコン卿に。しまいには私はさらにヴォルテールナポレオンでしたし、もしかしたらヴァーグナーでも……しかし今度は勝利に輝くディオニュソスとしてやってきて、地を祝祭日となすでしょう……私に多くの時間は無い……天は私がここいることを歓喜します……私は十字架にもかけられてしまった……」

というものであった。(狂気を感じる。)

 

1月6日、ブルクハルトはニーチェから届いた手紙をオーヴァーベックに見せたが、翌日にはオーヴァーベックのもとにも同様の手紙が届いた。

友人の手でニーチェバーゼルへ連れ戻す必要があると確信したオーヴァーベックはトリノへ駆けつけ、ニーチェバーゼルの精神病院へ入院させた。

ニーチェの母フランツィスカはイェーナの病院で精神科医に診てもらうことに決めた。

 

1889年11月から1890年2月まで、医者のやり方では治療効果がないと主張したユリウスが治療に当たった。彼はニーチェの扱いについて大きな影響力をもったが、やがてその秘密主義によって信頼を失った。

フランツィスカは1890年3月にニーチェを退院させて5月にはナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。

 

1893年、エリーザベト(ニーチェ妹)が帰国した。夫がパラグアイで「ドイツ的」コロニー経営に失敗し自殺したためであった。

彼女は兄の著作を読み、かつ研究して徐々に原稿そのものや出版に関して支配力を揮うようになった。その結果オーヴァーベックは追い払われ、ガストはエリーザベトに従うことを選んだ。

1897年に母フランツィスカが亡くなったのち、兄妹はヴァイマールへ移り住み、エリーザベトは兄の面倒をみながら、訪ねてくる人々に、もはや意思の疎通ができない兄と面会する許可を与えていた。

1900年8月25日ニーチェは肺炎を患って55歳で亡くなった。エリーザベトの希望で、遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬された。

ニーチェは「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との遺言を残していたが、エリーザベトは兄の友人に参列を許さず、葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれた。

 

エリーザベトは兄の死後、遺稿を編纂して『力への意志』を刊行した。エリーザベトの恣意的な編集はのちに「ニーチェの思想はナチズムに通じるものだ」との誤解を生む原因となった。

 

以上

【詩篇】読解① (詩篇1〜15)

 

ポイント

・2000〜3000年前から人間という生き物の本質はなんら変わっていないということ

・「寝覚めのいい生」がどれだけ尊いものかと気付ける

 

 

詩篇』内容 (詩篇1〜15)

詩篇

1.いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
 
2.主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
 
3.その人は流れのほとりに植えられた木。
ーときが巡り来れば実を結びー
 
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
 
4.神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
 
5.神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
 
6.神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。

詩篇

1.なにゆえ、国々は騒ぎ立ち
人々はむなしく声をあげるのか。
 
2.なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して
主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか
 
3.「我らは、枷をはずし
縄を切って投げ捨てよう」と。
 
4.天を王座とする方は笑い
主は彼らを嘲り
 
5.憤って、恐怖に落とし
怒って、彼らに宣言される。
ーーー
11.畏れ敬って、主に仕え
おののきつつ、喜び躍れ。
 
12.子に口づけせよ
主の憤りを招き、道を失うことのないように。
主の怒りはまたたくまに燃え上がる。
 
いかに幸いなことか
主を避けどころとする人はすべて。
 
 

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詩篇

6.私は身を横たえて眠り、目覚めます。

主が私を支えておられるから。

 

7.だから私は決して恐れません

詩篇

3.人の子らよ、わが栄光の主をいつまで辱めるのか。

空しいものを愛し、偽りを求めて。

 

4.主の慈しみに生きる人を主は見分けて
呼び求める声を聞いてくださると知れ。
 
5.おののいて罪を離れよ。
横たわるときも自らの心と語り
そして沈黙に入れ。
 

6.義の生贄を捧げて主に信頼せよ 

 

9.平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かに
わたしを安らかに住まわせてくださるのです。

詩篇

6.驕る者は、あなたの前に立つことは出来ません。

あなたは、悪事を働く者全てを憎み、

7.偽りを語る者を滅ぼします。

血を流す者と欺く者を主は忌み嫌います。

 

8.しかし私は豊かな慈しみによってあなたの家に入り、

あなたを畏れ敬いつつ、聖なる者にひれ伏します。

ーーー

12.あなたの下に逃れる全ての者が喜び、

ずっと喜びうたいますように。

詩篇

9.主よ、私の義と潔白にふさわしく私を裁いてください。

10.悪き者の悪を絶ち、正しき者を堅く立たせてください。

 

11.神こそ正しき方。

心と思いを試す方。

 

12.神はわが盾。

心のまっすぐな方を救う方。

 

13.もし人が立ち帰らず、剣を研ぎ
弓を引き絞って構えても
 
14.自らに死の武器を備え
火矢をつがえることになる。
 
15.見よ、その人は悪事を宿し
害毒をはらみ、偽りを生む。
 
16.落とし穴を掘り、深くしています
仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
 
17.災いが頭上に帰り
不法な業が自分の頭にふりかかりますように。

詩篇

4.あなたの指の業である天を

あなたが据えた月と星を仰ぎ見て。思う。

 

5.人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。

人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう
 
6.神に僅かに劣るものとして人を造り
なお、栄光と威光を冠としていただかせ
 
7.御手によって造られたものをすべて治めるように
その足もとに置かれました。
 
8.羊も牛も、野の獣も
 
9.空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。

詩篇

10.主は虐げられた人の砦

苦難の時の砦。

 

11.御名を知る者はあなたに信頼する。

主よ、あなたは尋ね求める人を見捨てなかった。

ーーー

19.苦しむ人の希望が滅びることは決してない。

詩篇10

3.悪き者は自らの野望を誇り

貪欲な者は主をたたえながらも侮っている。

 

4.悪き者は鼻高々で神を尋ね求めず

「神などいない」とあらゆる謀(はかりごと)をたくらむ。

 

5.あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い。
彼の道はどのようなときにも力をもち
自分に反対する者に自分を誇示し
 
6.「わたしは揺らぐことなく、代々に幸せで
災いに遭うことはない」と心に思う。
 
7.口に呪い、詐欺、搾取を満たし
舌に災いと悪を隠す。
 
8.村はずれの物陰に待ち伏せ
不運な人に目を付け、罪もない人をひそかに殺す。
 
9.茂みの陰の獅子のように隠れ、待ち伏せ
貧しい人を捕えようと待ち伏せ
貧しい人を網に捕えて引いて行く。
 
10.不運な人はその手に陥り
倒れ、うずくまり
 
11.心に思う
「神は忘れているのだ
顔を隠し、永久に見るまい」と。
 
12.立ち上がってください、主よ。
神よ、御手を上げてください。
苦しむ人を忘れないでください。
 
13.なぜ、悪しき者は神を侮り
「神は咎めなどしない」と心に思うのでしょう。
 
14.あなたは苦しみと悩みを御覧になって
御手によって救おうと顧みてくださいます。
 
不運な人はあなたに身を委ね
あなたはみなしごの助け手となられた。
 
15.逆らう者、悪事を働く者の腕を挫き
彼の反逆を余すところなく罰してください。
 
16.主は世々限りなく王。
主の地から異邦の民は消え去るでしょう。
 
18.この地の人が二度と脅かされることがありませんように。
 

「悪しき者」や「逆らう者」、「貪欲な者」様々いますが、

これは自分自身の中にもよく見かける者達です。

純度100の真な心、全き心で主を信頼する、「愛」を体現するというのはほぼ不可能と思っていいのではないかと思います。

 

それに少なからず自覚の上で「可能」だと評価するのはまた違う気もします。

 

なので、ある程度はテキトーでいいやという訳じゃなく、

ベストを尽くすことを心がける。

「イエス」ならどうするだろう。どう考えるだろうと。

そんなことを1つ1つと向き合っていけば、気づいたら死が訪れる。

自分との約束くらいは守れたら気持ちがいい朝が迎えられる気がします。

 

詩篇11

3.礎(いしずえ)が崩れてしまっては

正しい人に何ができよう。

ーーー

5.主は正しき者を調べる。

ーーー

7.主は正しき方。

心のまっすぐな人は御顔を仰ぎ見る。

詩篇12

2.主よ、お救いください。
 
忠実な人が消え
真実な人は、人の子らの中から消え去りました。
 
3.人々は互いに空しいことを語り
滑らかな唇で二心をもって語ります。
 
4.主よ、すべて滅ぼしてください
滑らかな唇と威張って語る舌を。
 
5.彼らは言います。
「舌によって力を振るおう。
自分の唇は自分のためだ。
わたしたちに主人などはない。」
 
6.主は言われます。「虐げに苦しむ者と呻いている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
 
7.主の仰せは清い。
土の炉で7度練り清めた銀。
 
8.主よ、あなたはその仰せを守り
この代からとこしえに至るまで
わたしたちを見守ってくださいます。
 
9.悪しき者が、わが物顔で歩き回り
人の子らの間で卑しむべきことがもてはやされています。
 

詩篇の書かれた時代の情報については、

古代イスラエル史の前王国期(前11世紀以前)のものから,王国期,捕囚期,捕囚後(前6~前3世紀?) までの1000年余にわたる各時代に作られた

詩篇(しへん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

とのことなので、少なくとも2000年以上前と言えますが、

聖書の書かれた時代から見て今の人間に思うこと。

「ほんとお前、昔っから変わんねーよなぁ」

少女漫画のセリフみたいなのが浮かんできます。(少女漫画まともに読んだことないけど)

変わったのは目に映るものだけだと感じます。

 

詩篇13

2.いつまでですか、主よ。
わたしをとこしえにお忘れになるのですか。
いつまで、御顔を隠されるのか。
 
3.いつまでわたしは魂に思い煩いを
心に悲しみを抱き続けるのですか。
いつまで、敵はわたしに対して高ぶるのですか。
 
4.わが神、主よ、私を顧み答えてください。
私の目を光り輝かせてください。
死の眠りに就くことのないように。
 
5.私が揺らぐのを見て
敵が勝ったと言わず
私を苦しめる者が喜ぶことのないように。
 
6.あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います
「主はわたしに報いてくださった」と。

詩篇14

1.愚か者は心の中で言う。

「神などいない」と

詩篇15

1.主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り
聖なる山に住むことができるのでしょうか。
 
2.それは、全き道を歩み、義を行い
心の中で真実を語る者。
 
3.舌で人を傷つけず
友に災いをもたらさず
隣人をそしることもない。
 
3.舌には中傷をもたない人。
友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
 
4.主の目にかなわないものは退け
主を畏れる人を尊び
悪事をしないとの誓いを守る人。
(不利益な誓いでも翻しはしない。)
 
5.金を貸しても利息を取らず
賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。
 
これらのことを守る人は
とこしえに揺らぐことがないでしょう。
 

「神様は100%いる」とまだ断言出来そうにない私は不敬虔であろうか。

しかしだからと言って「どうでもいいや」なんてスタイルはナンセンスだなと言う思いだ。

 

「神様が、主がいてくれたらいいな」と思い、また、

ニュアンスとして私個人は”神様”とかよりも「主≒愛」がしっくりくる。

※ゲームとか諸々のフィクションのせいでどうもね

 

まぁ、そんなことはしかしどうでもいいことだとも一方では思っている。

 

そもそも、主のこと、そして「愛」は「人の子」に理解できる領域にはないと思うからだ。

 

今の素直は思いは”盲信”したくないし、

目の前の課題を一歩、一歩と進めたい。

 

心から信頼したいからこそ、イタズラに「いるんだ」と信じようとは思っていない。

第一、それもまた我々の労苦(≒労苦、努力)で全てがどうにかなると言うのも立派な高慢じゃないだろうかと思ったりもする。

 

それもそうだ。

だって相変わらず「不安」により余裕が無くなってみたり、

「怒り」が沸き起こったり、「欲望」に支配されたり。

 

そんな”ワタシの世界”じゃ見れる神も見れないだろうに笑

 

高ぶらず、穏やかに、主の道を歩めるのこそ「愛」あっての

「主の言葉」導きあってのことなんであろうから、

 

気張らず、やれることを1つ、乗り越えたら次に見えたことを1つ

そうやっていけたらどうだろう。

 

 

真理の道を歩むことは簡単なことではない。

何が厄介かと言えば色々あるが、例えば3つ挙げる。

 

○セルフで「客観視」がしにくい(ほぼ不可能と言っていい)

○「理性」とは相反する欲望という大きな求心力が働く

○「真理」は先天的に備わっている諸機能とは異なる指針であることが多々ある。

などなど。

 

しかし、諸々含めそれらに”苦しみ歩む”ことが真理の姿であると自分は思っている。

別に私が脳筋ストイック派だからそう思うわけではない。

 

イタズラに痛めばいいというワケではなく、

それが相対的に見て高度な「知能」を手に入れた生物をあるべき姿なのではないかと考えるからだ。

 

他の動物からしたら人間などお笑い種だろう。

「将来が不安だの」「恐くて向き合ってない問題がある」だの。

今日食えるか食えないかの世界。

 

「今日生き残れるかどうかの世界」に暮らしていたならば

憂鬱になっている余白など当然ないわけで、

もし憂鬱であったならばそれは即「死」直結するだろう。

 

「過ぎたるは及ばざるが如し」

 

この場合、どこが「過ぎ」で「過ぎじゃないか」は一旦置いておいて欲しいが、

ともあれ、物事は表裏一体が世の常だと思われる。

 

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

少なくとも紀元前4世紀にはダモクレスの剣の引喩にあったとか。

 

誤魔化して、答えも出ないし分からない。

なら考えても仕方がないと無視するのが一般的と思うが、

それはどうなんだろうと思う。

 

そうして良い着地ができるのならいくらでも是非を問わずそのようにしたい。

 

 

以上

【サムエル記上】わかりやすく読解④

 

ポイント!

○真実は「目」に映らず、「耳」で聴こえず

○「肉の判断」<「声」≒「理性」の判断

○「因果の結末」は人の理解の先に在る。
「腑に落とす」よりも大切なこと。

 

内容「わかりやすく読解」サムエル記上

サムエルの告別の辞(出エジプトからここまでのまとめ)

1サムエルは全イスラエルに向かって言った。「わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた。
 
 2今からは王が、あなたたちを率いて歩む。わたしは年老いて、髪も白くなった。そして、息子たちはあなたたちと共にいる。わたしは若いころから今日まであなたたちを率いて歩んできたが、 3今、主と主が油を注がれた方の前で、わたしを訴えなさい。
 
わたしが、だれかの牛を取り上げたことがあるか。だれかのろばを取り上げたことがあるか。だれかを抑えつけ、だれかを踏みにじったことがあるか。だれかの手から賄賂を取って何かを見逃してやったことがあるか。あるなら、償おう。」 
 
4彼らは答えた。「あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでした。だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」
 
 5サムエルは言った。「今日、あなたたちがわたしの手に何一つ訴えるべきことを見いださなかったことについては、主が証人であり、主が油を注がれた方が証人だ。」彼らは答えた。「確かに証人です。」
 
 
6サムエルは民に話した。「主は、モーセとアロンを用いて、あなたたちの先祖をエジプトから導き上った方だ。 7さあ、しっかり立ちなさい。主があなたたちとその先祖とに行われた救いの御業のすべてを、主の御前で説き聞かせよう。
 
 8ヤコブがエジプトに移り住み、その後、先祖が主に助けを求めて叫んだとき、主はモーセとアロンとをお遣わしになり、二人はあなたがたの先祖をエジプトから導き出してこの地に住まわせた。
 
 9しかし、あなたたちの先祖が自分たちの神、主を忘れたので、主がハツォルの軍の司令官シセラ、ペリシテ人、モアブの王の手に彼らを売り渡し、彼らと戦わせられた。 
 
10彼らが主に向かって叫び、『我々は罪を犯しました。主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えました。どうか今、敵の手から救い出してください。我々はあなたに仕えます』と言うと、 11主はエルバアル、ベダン、エフタ、サムエルを遣わし、あなたたちを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたたちは安全に住めるようになった。 
 
12ところが、アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した。 
 
13今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。主はあなたたちに王をお与えになる。 14だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。
 
 15しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る。 16さあ、しっかり立って、主があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい。 
 
17今は小麦の刈り入れの時期ではないか。しかし、わたしが主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。それを見てあなたたちは、自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい。」
 
18サムエルが主に呼び求めると、その日、主は雷と雨を下された。民は皆、主とサムエルを非常に恐れた。 
 
19民は皆、サムエルに願った。「僕たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました。」
 
20サムエルは民に言った。「恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。
 
 21むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。
 
 22主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。 
 
23わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。
 
 24主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。 25悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう。」
 

記載の通り、イスラエルの民は「理性」による「信仰」よりも、【肉】による【不安・恐怖】を選び取った。

その結果が王の誕生であった。

しかし、その神を畏れぬ信仰心の欠如を悔い改め今一度、主に心を尽くす生活に立ち返ってほしいという思いで語られた。

 

ペリシテ人との戦い(サウル王の大きな過ち)

1サウルは30歳で王位につき、12年間イスラエルを統治した。
ペリシテ人と大きな戦争をしていた)
 
 サウルも国中に角笛を吹き鳴らして言った。「ヘブライ人よ、聞け。」 4イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破ったこと、イスラエルペリシテ人の憎しみをかうことになったということを知った。民はギルガルのサウルのもとに呼び集められた。
 
5ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。
 
6イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。
 
しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた。
 
8サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。兵はサウルのもとから散り始めた。
 
 9サウルは、「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた。 
 
10焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した。サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。
 
 11サムエルは言った。「あなたは何をしたのか。」
サウルは答えた。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。 
 
12ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。」 
 
13サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。
 
 14しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」 15サムエルは立ち上がり、ギルガルからベニヤミンのギブアに上って行った。
 

サムエルの告別の辞から12年の時が過ぎ、サウルが「肉による不安」に駆られ、主の言葉よりも「目先の対処」を優先してしましました。

実はサウルは、初勝利をあげる前に、サムエルからこう言われていました。

わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。

 

それにより、サウルは主の御心には適わぬ者という判定が降ってしまいました。
(主に逆らい、さらに沢山の制約を飲み込んでまでも求めたせっかくの王だったのに。。。)

◆深掘り◆ 8節に、「サウルは、サムエルが命じたように、七日間待っていた」とあります。
ギルガルに踏みとどまっていたサウルは、言われた通りサムエルを待っていました。

しかし、サムエルは約束の7日間に現れなかった。
サウルとしては、そもそもーペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。ー

こんな状態で待ってる場合じゃない中、それでも主の言葉と思い7日間待っていたのでは無いかと思います。
※ちなみにその間にも、恐れて兵士達はどんどん逃げ出しています。

約束の期日になっても来なかった為、サウルは焼き尽くす生贄(主への呼びかけの儀式)を捧げて、救いを求めました。

すると、そのタイミングでサムエルが到着して「私がやるって言ったのになんてことを、、、」となりました。

その時のサムエルの言った言葉が、「あなたの神、主が命じられた戒めを守らなかった。主は御心に適う人を求められる。あなたの王権はもう立ち行かない。あなたが主の命じられたことを守ろうとしなかったからである。」

一見、約束の期日に来なかったサムエルが悪いわけで、それでこの扱いじゃ理不尽だと受け取れます。

しかし、”勝手に自分自身の判断で”ことを進めてしまったことには変わりないです。
サウルの気持ちは分かるが、”たかだかー人間の理解”という狭い視野で見える世界を主の言葉よりも優先してしまった。

そこに「人の愚かさ」が出ているのではないかと思います。
ましてサウルはこれまでにも主の加護が示されていた分、尚のことかも知れません。

真実はこの目に映せないし、真実はこの耳では聞けません。
余裕がある時は、冷静に理性的に判断できるかも知れません。
(現にサウルもそうでした。)

しかし、このような緊急時にその人の本性が現れます。
それが露呈した為に、サウルは失脚してしまいました。

他人事とはまったく思えない場面。
※ちなみに次に王位につくのは「ダビデ」ですが、哀しいことにサウルを主からこれ以降見放される所か悪い霊が降り、嫉妬心駆られ全力でダビデを殺しにかかる人生が始まります。(最期は自害します。)

 

 

①【ヨハネの手紙1】聖書読解


ーポイント!ー

・聖書は”簡単に”ではなく”真剣に”「綺麗事」と向き合っている
・聖書は「理性」を尊んでいる
・聖書は”信仰”をもってして”義”としているからこその「行動原理主義

※完璧遂行主義ではないということ※

 

ヨハネの手紙1】内容

命の言

 

1初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。ーー
 
2この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。―― 
 
3わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
 
 4わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。

 

神は光

5わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
 
 6わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。 
 
7しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
 
 8自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 
 
9自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
 
 10罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

 

弁護者キリスト

1わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
 
 2この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。 
 
3わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。 
 
4「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。 
 
5しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
 
 6神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

 

新しい掟

7愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
 
 8しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。 
 
9「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。
 
 10兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
 11しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。
12子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
エスの名によって
あなたがたの罪が赦されているからである。
 
13父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが、初めから存在なさる方を
知っているからである。
 
若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
 
14子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが御父を知っているからである。
 
父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが、初めから存在なさる方を知っているからである。
 
若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、
神の言葉があなたがたの内にいつもあり、
あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
15世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。 
16なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、御父から出ないで、世から出るからです。
17世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

【ここまでのまとめ】

 

「人間」の時点で”罪”のない者は誰一人いません。

それを弁えているならば、自分を偽らず、また驕ることのないよう主が見守ってくれる。

「Oh My God!!」とその時だけ言ったところで、主がその人を顧みることはない。

それは今も昔も変わらない話。

 

「神の掟」を蔑ろにしている以上、その者の内に真理は無い。

たとえ、どんなに真面目に生きていようが、頑張っていようが。

 

「俗世」と「主の愛」どちらにも仕える事はできない

 

法を犯していなければ正しいのでしょうか。
嘘をついて生きることは罪では無いのでしょうか。

人を殺めるのは罪なのに、戦争中に人を殺すことはどうして罪に問われないのでしょうか。
法律を手放しに批判するつもりはありません。
しかし、法律やルールというものの産みの親は誰か?
生まれた大義はなんであろうか?

産みの親は「人間」であり、大義は「社会を円滑に、滞りなく回す為」である。
大義の第一候補は「正義」でもなければ「愛」でもない。

警察は民事不介入なように、法律など「真理」には触れられない。
だから「ルール」というものを軸に考えるならば
「正しさ」よりも「親切さ」を優先したいというのは確かなことだと思う。

 

反キリスト

18子供たちよ、終わりの時が来ています。
反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。
 
これによって、終わりの時が来ていると分かります。 19彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。
仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。
 
しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。
 
 20しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
 
 21わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。
 
 22偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。
 
御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。 23御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。
 
御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。
 24初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。
 
初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。
 25これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。
 
26以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。 
27しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。
 
この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。

 
 

※著者ヨハネが、自分が携わっている共同体の思想に悪影響を及ぼす異端的な思想を危惧していることが垣間見える。

 

人から出た権謀術数など取るに足らないと思うところだが、宣教師の身としては決して無視できない状況下であったのかも知れない。

 

神の子たち

28さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。
 
そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。
 
 29あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。

 

おまけの話(菜根譚

※以下、『菜根譚』ー角川ソフィア文庫ーより引用

【遇と不遇】

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道徳に棲守(せいしゅ)する者は、一時に寂寞(せきばく)たり。

権勢に依阿する者は、万古に凄涼たり。

達人は物外の物を見、身後の身を思う。

寧ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取るなかれ。

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道徳を住みかとして守り抜く者は、一時的には、不遇で悲しい境地となる。

権勢におもねって生きている者は、一時的には栄えても、結局は、傷ましく寂しい境地となる。

達人は、俗世間の外の物を見て、死後にも続く永遠の生命を思う。

寧ろ一時的には不遇であっても、永遠に痛ましさが続くような道を選んではならない。

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