アラサーエアコンに感じる危うさ
アラサーの私からするとドキッとするような、恐ろしいエアコンが発売された。
その名も「アラサーエアコン」。
電車のCMを見る限り、どうやら「アラサーエアコン」は、
アラサー世帯(夫婦+子供)向けのエアコンということらしい。
仕事に家事に子育てにと、人生の忙しい時期まっ只中にいるような、
そんな人たち向けのエアコンらしい。
このエアコンがいくらで販売されているのかも知らないし、
実機を触ったこともない中での批判はフェアではないかもしれないけれど、
この「アラサーはこうあるべきだ的な価値観」をネーミングにまで落とす商品という
のはいったいなんなんだろう。
たしかに私は結婚していないし、
世間的に見れば「お気の毒」な部類なのかもしれない。
そういう存在だから「アラサーエアコン」の良さがわからない、と
言われればそれまでだ。
確かに、このCMを見たとき、「私、消費者として相手にされてないな。
気分悪いな。」と思ったのは事実である。
けれど、この「アラサーエアコン」の気持ち悪さは、そういう次元では無くて、
もっと別の意味を孕んでいるものだと思う。
というのも、このネーミングとそのCMを堂々とメディアで垂れ流すことで、
見えてくるのは、このメーカーの危うさだ。
仮にもエアコンという大衆的な消費財を売るメーカーが、購買意欲が旺盛と
言われているアラサー独身女性の気分を悪くさせてしまうのは戦略の失敗だと
思う。
メーカーとしては、そんなことは百も承知だというかもしれないけれど、
一応、HPを見る限り、「除菌」「スマートフォンでの遠隔操作」「節電」と、
いかにも独身女性が好みそうな感じなのだ。それが、なぜアラサー世帯なのだ
ろうか。
エアコンに「アラサー」の文字をつけなければ、いやアラサーはまだしもあん
なCMを垂れ流さなければ、きっと独身女性(アラサー、アラフォー問わず)、
そしてDINKS世帯まで取り込めたんではなかろうか。
このメーカー、業績不振のニュースが流れるたびに応援していたところなのだが、
このようなCMを打つとなると、気分とかそういう次元ではなく、
本当に戦略は大丈夫だろうか?と心配になってしまう。
ほんとに大丈夫かな。
精神的充足と散財の関係
最近の私は、ひたすら浪費しており、
占いに1万円とかホテルのバーでひたすら飲むとか、旅行で使えない食器を買ってしまうとか、そんなどうしようもない1週間を過ごしてしまった。
そんな消費行動に走ってしまう理由は分かっている。
仕事、プライベートで思い描く自分になっていないのだ。ぶっちぎりでなっていなくて、ただただ出てくるのは劣等感しかない。
特に仕事からの劣等感は強くて、自分に対してというのもあるし、上司、同僚、後輩に対しても感じている。もう、感じまくって、酸欠で死にそうだと思うときもある。
本当は会社に疑問を感じているのに、辞めたいのに、転職できるスキルはない。
疑問を感じている会社の社員にすら負けているこの状況が最大の矛盾であり、辛くて仕方ない。
そしてまた、プライベートでも、なんだか自分の追い求める幸せは私には降りてこず、なぜかいつも貧乏くじを引いてしまっている。
そんな精神的充足が欠如している状況で、私はただただ楽になりたい、優越感を持ちたいという感情を押し殺すことができず、物欲で満たそうとするのだが、満たされるのはせいぜい持って2日程度で、そのあとは強烈な虚無感、劣等感に襲われる。
自分の外観ばかりが飾られてしまい、でも中身は薄っぺらのぺらぺらで、そのギャップにさらに苦しまされるというわけだ。
それなのに、さらに間違いを犯し、またまた物欲で満たそうとする。
いたちごっこをつづけるうちに、気づいたら散財しているわけである。
今日、いろいろな人と話す中で、やっと気づいた。
精神的な充足の欠如は、精神的に満足するファクターでしか満たされないのだ。
物欲やお金といった物質的なもので埋めようとしてもそれは満たされない。
結局、本質を改善しない限り、私はいつまでも精神的充足は得られず、幸せになれないのだ。だとすると、やはり私を悩ましている仕事のスキル欠如を徹底的に改善するしかないのだ。生半可な気持ち対処しても持続性はなく、死ぬほど本気で取り組まなければ、おそらく改善されないのだけれど。
結論としては、散財をやめたければ、本質を見極めて、それを改善するために死ぬ気で努力してみようってことかしら。
できなそうだけど。