一日一善と三膳

一日一善と三膳を通して世界とおれを幸せにする

コロナ禍での夫婦関係

2020年6月26日金曜日。曇り時々晴れ。
昨晩23時過ぎの帰宅となり、予約していたオンライン英会話レッスンをキャンセルした。眠りについたのが1時を回っていたので、今朝は6:30まで寝てしまった。昨日今日とランニングをしていない。

妻がコロナ退職をした。
娘は2歳で保育園に通っているのだが、横浜市からの登園自粛要請で、4月半ばから先週までの2ヶ月間は毎日登園を自粛していた。妻も在宅勤務が命じられたので、ちょうど良かったのだが、結果それがコロナ退職のきっかけとなった。
要約するとマネジメント能力のない上司から到底処理不可能な仕事量を振られ、それに対して文句を言えなかった妻が、さらに元々苦手だった古株のおばさんから、進捗具合でちくちく言われて、追い込まれ、仕事を辞めた。

もし登園自粛要請ではなく、横浜市が登園禁止の措置を取ってくれていれば、妻は在宅勤務ではなく、自宅待機、つまり仕事をせずにただ自宅にいれば良いだけだったそうだ。
もちろんどうしても休めない仕事をしている保護者もいることは理解しているし、登園禁止にならなかったことに対して不満を言いたいわけじゃないが、登園禁止にしてくれていれば、離婚と言う言葉が頭をかすめることはなかっただろうと思う。
(待機児童の保護者から、保育園に預けられている時点で我がまま言うな。と言われればその通りなのだけれど)

妻が在宅勤務を開始して2週間ほどが過ぎた頃、家庭保育をしているということで、上司から1日2、3時間の作業さえすれば良いという話があったらしい。
だが妻は少なくとも5時間は毎日仕事をしていた。晩ご飯の時間になっても仕事をやめないし、分担している家事もないがしろにし始めたので、おれも何度か注意をしたが、仕事が終わらないから仕方ないじゃない!と怒鳴られるだけだった。

おれと妻は仕事に対する姿勢が全然違う。
おれも妻も雇われている身だが、おれは会社から搾取されている身だと常に意識をしながら、一方で自分が会社から様々なことを搾取してやろうと考えながら仕事に勤しんでいる。
妻はいつも会社に迷惑かけないようにと考えながら仕事に勤しんでいる。こういう2人が会話をするとどうなるか。

おれ「もう仕事切り上げなよ。ごはんも準備できたから一緒に食べようよ」
妻「まだ終わんないから先に食べてて!」
おれ「3時間やれば良いんでしょ?もう5時間やってるよ」
妻「終わらないから仕方ないでしょ!」
おれ「終わらなくても良いじゃん」
妻「良くないよ。みんなに迷惑がかかる」
おれ「3時間で良い仕事が5時間かかってるのは仕事の配分されてる量がおかしいんだよ。上司のマネジメントがクソなんだよ」
妻「とにかくやんなきゃいけないの!」

これを書いていてとても腹が立つことを思い出した。この上司の話だ。

妻は契約社員で仕事をしていた。2月から3月中旬くらいが繁忙期と言うことで、年末に事前に妻から相談があり、おれが定時退社して娘を保育園に迎えに行くことになったのだけれど、結局4月に入って妻の在宅勤務が始まるまでおれが娘を迎えに行き続けた。(ちなみにおれは9時-18時が定時で、妻は10時-17時が定時だ。朝娘を起こして、保育園に連れて行くのはそれ以前からおれがやっていたことなので、そのままやり続けていた。妻に残業で定時に上がれないのはわかったけど、どうせおれが娘を保育園に連れて行っているのだから、1時間早く出社してその分早く帰ったら?と誘ってみたのだが「朝は苦手だから無理」と一蹴された。読者の皆様ここは笑うところです)
3月の終わり頃に「そろそろ繁忙期抜けたかな?お迎え交代できる?」と妻に聞いたのだけれど、翌日に仕事から帰ってきた妻が「娘を迎えに行くために定時に帰らせてくださいってお願いしたら、上司が旦那さんもう少しなら大丈夫じゃないの?だって」と言われた。こういうことで嘘をつく妻ではないので、その上司は本当にそう言ったのだと思う。自分のマネジメント能力の低さを棚に上げて一度も会ったことのない人間のスケジュールにまで口を出してくるとんでもない人間だった。今思い出してもとても腹が立つ。当時は妻のスマホを借りて、一つ二つ罵詈雑言を浴びせてやろうかと思ったくらいだ。

どうして離婚が頭をかすめたかというと、5月になっても妻が5時間くらい仕事をしている状況は相変わらずで、ある日妻がパソコン前にしたまま仰向けに大の字になって天井を見つめていた。30分ほど放置したが一向に動かないので、声をかけると「もう無理!」と泣き始めた。

おれ「お茶入れるからこっちにおいでよ」
妻「もう辞める!」
ここで不用意に、辞めたら良いよ。と言うと、家計のこともろくに考えてないくせに!と怒鳴られるので
おれ「どうしたの?」と聞くに留める。
妻「こんなの3時間で終わるわけないじゃん!」
そこから10分、全てこれまでちょくちょく言っていた文句を総まとめにして、発表してくれた。
「辞めたら良いよ」の一言を分厚いオブラートに包む努力をした。
おれ「それはもう仕事がどうとかじゃなくて、健康を損なってると思う。精神的にも肉体的にも。これからも続けていくのはかわいそうで見てられないよ」
妻「うん」
オブラートに包んだ中身がもはや別のものになってしまっている気もしなくはないが、とにかく妻はおれのその言葉を飲み込んでくれた。
妻「もう辞める!」
おれ「うん。健康に勝るものはないからね」
と謎の相槌を打った。

それからすぐに退職のメールを書くと言ったので全力で手伝い、10分で書き上げてあげた。

送る前に妻と約束したことが2つあった。
1つは、残っている有休を全て使い切ること。
もう1つは、少なくとも6月の間は求職活動をしないこと。(これは忘れてもらっては困るので、カレンダーの下に紙に「1か月間は求職活動をしない」と書いて貼っておいた)

1つ目の約束は、妻の普段の会社に対する姿勢を見ていると、有休を全く使わずに退職するんじゃないかと思い、約束をした。まっとうに働いていたのだから、有休の権利くらい行使するのは当たり前だと思う。そしてこの約束は果たされた。
問題は2つ目の約束だ。これは結果守ってもらうことはできなかった。なぜこのような約束をしたかと言うと、今回もそうだが、妻はおれや家族以外の人に対してのかかわり方が絶望的に下手なのだ。基本的に言われたことは何でもやる。それが自分の処理能力を上回っていようが関係なく。
そんなかかわり方だと仮に次の会社に就職しても、今回のような無能なマネージャーしかいない会社だったらまた同じことになってしまうだけだから、まずは人とのかかわり方を見直すか、もう少し自分の適性を見直して、どんな仕事が向いているか、とりあえず1か月は求職活動をせずに考えてみよう。と伝えた。
だが、退職してから6日目に「この会社どう思う?」とスマホに求人アプリの画面を映して、言ってきたのだ。

おれはきれてしまった。こいつ何もわかっちゃいねえ。と。
それでつい「もう好きにしたら良いよ。おれが話したこと何も届いてないみたいだし」と言ってしまった。

そこから妻の怒涛の攻めが開始された。「そもそもあなたの給与が低いから私が仕事しなきゃやってられないんだから!」だと。おれは心底悲しくなってしまった。読者の皆様、ここ笑うとこです。
おれ「前から言っているけど、今おれに言っているみたいに、会社の人とかにも言えるようになれば良いんだよ。そうすればもっとスムーズに仕事できるようになるからさ!」
妻「こんな風に言えるわけないじゃん!」
それはあなたの匙加減以外の何物でもないんだけどな。と思ったが、おれはもう静かにすることにした。そして、頭の中に「コロナ離婚」という言葉が右から左に流れていったのだけれど、寝室で眠る娘が目に入り、その言葉をかき消した。

「考える」という行為は必ずしも”正解”に近づくとは限らない。下手をすれば悪い結果を招くことさえある。とおれは思う。妻と言い争いになる度に、考えてしまうのだけれど、同時にあまり考えないようにしようとも思う。


Amazonでストレッチ用のマットを買った。
縦185cm、横80cm、厚さ1.5cm。これでランニング前後にストレッチをして、あわよくば、時々筋トレをして、叶うことならこの上で妻を抱きたいと思う。「心技体」部活動で大きな大会に出場すると絶対に1枚はあった垂れ幕だ。それほどにこの言葉は大切なのだろう。「心技体」35歳になってもやはり大切なのだ。どれ一つ欠かすことなく精進しよう。ところで今のおれにとっての「技」ってなんだ?夫婦生活における技とは、結婚して約10年が経つが、今のところそれは、最近廃れ始めている言葉ではあるが「スルースキル」ではないかと思う。妻の言動をスルーすると言う意味では無く、妻の言動に対する自分の考えをスルーする。と言うものではないのかと。悪く言えば思考停止。だが夫婦生活にとってこの手の思考停止は非常に大切なのだと思う。技に留まらず、同時に心にも通ずる部分でもある。

残すは体。これに欠かせないのは適度な運動と性生活だと思う。性生活については次回時間をかけて書きたいと思う。
読者の皆様、これは全然笑うところではありません。大真面目です。

 

4月30日に発熱してからの顛末

6月24日水曜日。曇りのち雨。

新型コロナウィルスの影響により、4月から始まった在宅勤務(輪番制)も6月で終了する。娘が保育園に行くのを再開できたのが6月15日月曜日からだった。娘が家にいた間の在宅勤務はあまり仕事にならなかった。と思っていたが、実際娘が保育園に行っている日の在宅勤務もそれほど仕事に集中できなかったおれ。娘のせいにしていてごめんなさい。

 

このブログを書くのが約8ヶ月ぶりだ。

世の中は新型コロナウィルスの影響によりこれまでの日常が日常ではなくなった。

嫁はこの期間に就職し退職した。週末の家族での買い物はなくなった。散髪も最近になってやっと行くことができた。

 

おれは4月30日の午後に会社で発熱してしまい、急遽帰宅した。武蔵小杉の駅で降りてホテルに泊まるのが良いのか考えたが、電話口の義父の「ホテルに行くのも迷惑がかかるかもしれないから」と言う言葉に納得して、家の近くの病院に電話して症状を伝えた。病院に行くことが許され診断してもらった。先生が言うには「2割から3割可能性はある」とのことだった。「先生、家に帰ってもいいのでしょうか?ホテルに泊まった方がいいのでしょうか?」と聞くと「ホテルに泊まるって言ったって2週間3週間だよ。お金もバカにならないし、家族とは食事とお風呂と寝る部屋を分けて、帰った方が良いよ」とのことだった。

 

親指にセンサーのようなものを当てて肺の状態を見てくれた。「レントゲンなんかよりも確実に肺の状態がわかるんだ」「そうなんですね」「肺は大丈夫。あと血液検査しておこう」「はい」「PCR検査はね今のあなたの状態だと受けることすらできないんだ。1ヶ月後にはもしかしたら検査できる機会が増えて受けられるかもしれないけど、今は咳も出てないし肺の状態も良いから全然受け付けてくれないんだ。もし今日出す薬が効かなくて症状が悪くなれば、すぐに大きな病院にかけあうから安心してね」おれはこの病院に来たのは2年ほど前に急性扁桃炎にかかった時以来2回目だったが、先生に惚れてしまった。

 

血液検査をしてしばらく隔離された部屋で結果を待った。おれは自分の身も心配だったが、それよりも同居する娘と嫁が心配だった。また遠くに住む両親にどう報告すれば良いのかわからなかった。

 

新型コロナウィルスは進行のスピードが早く、重症化する場合は2、3日だという話が頭の中から離れなかった。本当に死ぬかもしれないと思った。死ぬと言うことがこれほど身近に感じたことはこれまでに一度しかなかったが、今回もその時と同じことを思った。死というのは普段は遠い場所に感じるものだけど、意外と、すぐそこにあるものなんだなと。

 

4月30日木曜日の午後16時頃に帰宅した。熱は39度だった。ふらふらする感じはなかったが悪寒が凄かったのと、喉に痛みがあった。家に帰って妻に先生に言われたことを説明し風呂に入って、風呂を洗った。食事は食べる気にならなかったので夜が来るのを待って(夜になるまでの間も家の外に居ようかとも思ったが、今更、と言う気もして家の中にいた)ベッドで眠らせてもらった。嫁はいつも娘が1人で寝ている布団に娘と一緒に寝た。

 

病院でもらった薬をしっかりと飲み、体温を広告の裏に記録した。熱は薬(解熱剤含む)を飲んで1時間後くらいから下がって5時間が過ぎる頃から再び上昇することがわかった。喉の痛みも相変わらずだった。

 

そして先生に指定された通り土曜日の朝に再び病院に行き、広告の裏に記録した体温表を提出した。看護師のおばさんは「あら、真面目ね」と言った。妙な気分だったが、はははと謎の笑みを浮かべてやり過ごした。もし陽性だったら妻と娘に申し訳ないと思った。

 

先生に再び血液検査をするよう言われ、採血が終わり先生を待った。

 

「熱は下がってないみたいだけど、状態は良くなってるよ」と言われたが、安心はしなかった。「可能性は1割くらいに下がったと思うよ」と言いながら先生はまた肺の状態を測ってくれた。「肺の状態も大丈夫だね。喉は痛みはあると思うけど、腫れが治ってきてるから大丈夫。お薬変えてみるからまた木曜日に来てね。実際似たような症状で来た人も20人くらいいるんだけど、みんな快方してるから、まあ大丈夫だと思うよ。それに前に扁桃炎で来てもらった時よりも血液の状態も良いしね」と言われてやっとほんの少しだけ安心した。

 

日曜から水曜の午前までは熱は上がったり下がったりを繰り返していたけど、水曜の午後から翌日病院に行くまでの間は1度も熱は上がらなかった。何度も熱を計って、その度に下がってくれ、下がってくれと祈った。自分が辛いからではなく、新型コロナウィルスを否定したかったからだ。

 

5月7日木曜日に病院に行った時にも広告の裏に追記した体温表を出した。

 

「大丈夫だね。薬は2週間分出しておくけど、もし具合が悪くなったらすぐ電話してね」と言われて、また先生のことが好きになった。「診断は急性扁桃炎です。でも会社には2週間は行かないようにね」と言われた。

 

そして我が家のゴールデンウィークは終わればよかったのだが、実は、5月4日月曜日に嫁が喉に違和感があると言い出した。だが翌日、違和感は痛みになったと嫁が言った。ゆっくり休んでもらおうと、おれは娘を連れて徒歩20分ほどの公園に出かけていた。公園に着いて嫁に何か買って帰るものがあるかと聞こうと電話をすると、嫁は息切れを起こしていた。喋ることはできていたが、少し苦しいとも言っていた。突然苦しくなったのかと聞くと、少し掃除機をかけた後から苦しくなったと言った。公園に着いたばかりだったが、すぐに娘をベビーカーに乗せて、全速力の早歩きで家に戻った。家に戻ると嫁の息切れはおさまっていて、スマホでゲームをしていた。けろっとしていた。おれは腹が立ったが、ゆっくりいら立ちを見せないように気をつけながら「もう苦しくないの?」と聞いた。「大丈夫」とこちらに視線もくれずに嫁は答えた。コロナ離婚という言葉が頭の中をよぎった。

 

よく考えてみたら、おれが発熱してからも嫁はGWだからというのもあったとは思うが、夜更かしをしていたし、多分体力が落ちていたのだと思う。結局5月7日、自分が再び病院に行く日に無理やり病院に行かせた。嫁にはかかりつけの病院があったのでそちらに行くと、すぐに、急性扁桃炎だと診断されて帰ってきた。

 

ということで、おれと嫁は同日に急性扁桃炎だと診断されることになったのだ。今思い出しながら書いていても、気分が悪くなるが、過ぎたことだ。再び忘れることにしよう。あれからもう2ヶ月が過ぎようとしている。

 

いまだに新型コロナウィルスは世界各地で猛威をふるっている。油断はできない。自分が発熱をして実際に病院に行き今思うことは、恐らく実際に感染している人は、毎日発表されているが、その数倍はいてもおかしく無いと思う。

 

単純な話、今はまだ検査を受けることができる人の数が限られているからだ。実際に自分がお世話になった病院の先生も、20人発熱した人が来たものの、検査を受けることができた人は0人だったと言っていたし。これから検査を受けることができる人の数が増えれば、その数に比例して感染が判明する人も増えると思う。

 

だからと言って今以上に気をつけようも無いのだけれど。

よく食べよく寝て、しっかり手洗いうがいをし、マスクを着用することだけはやっていこうと思う。

 

遠くに住む両親には、発熱してから1ヶ月が経った6月初旬にできるだけさらりと聞こえるように「そう言えば4月の終わりに発熱してさ」と伝えた。母親には「そうだろうと思ったのよ」と言われた。娘の写真や動画を共有しているのだが、その頻度があからさまに減ったからおかしいなと思っていたらしい。

 

 

5:30起床。4.4kmジョギング。6:30娘と妻を起こして朝食。娘はアンパンマンのスティックパンに苺ジャムを挟んであげた。2本に苺ジャムを挟んであげたけど、袋に入っている苺ジャムを挟んでいない分から食べた。次に苺ジャムを挟んだ分を食べて、最後の1本は苺ジャムを挟んだ分を食べたが、残り一口のところで「もうやめとく」と言って、蜂蜜きな粉ヨーグルトも残したまま朝食終了。おれはロールパン2つに苺ジャムを塗って食べ、コーヒーを少し飲んだ。嫁もロールパンを食べていた。

娘の爪が気になっている今日

10月1日。晴れ。

 

またも久しぶりの投稿である。

娘の左足の親指の爪が割れてしまっている。時々「いたい」と言っているのがかわいそうだ。小児科に行けばいいのだろうか?皮膚科か?

 

今日も妻は眠っている。おれもぼちぼち眠るとしよう。

 

妻が3年間勤めた会社を契約期間満了と言うことになり、先月からまた別の会社に行き始めた(運良く就職できたこと非常に良かった)のだが、朝の登園をおれが連れて行くことになった。

 

これまでよりも10分だけ早く家を出ればいいだけなので問題はない。しかし時々妻から「娘の世話を何もしてくれない」と言われることに対しては、そろそろ疑問を感じてきた。が、おれはこの疑問を口にしてしまうほど、愚かではない。そう信じたい。

いつも機嫌の良い女の子は、それだけで天使

81日木曜日。晴れ。蒸し暑い。暑いだけならまだしも、蒸している。東京の夏だ。久しぶりの投稿だ。前回の投稿が5月下旬だったので、2ヶ月以上ブログを留守にした。いつの間に、ブログを書かない生活が体に染み付いてしまった。習慣とは恐ろしいものである。8月にも入ったことだし、またブログを書く習慣を身に付けたいものだ。今日は基本情報技術者試験のリベンジ申し込みと、東京マラソン2020の申し込みと、ダブル申し込みを行った。

 

嫁は契約していた会社の雇用期間が満了し、今日からまた別の職場で働き始めた。機嫌が悪くなっているので、近くのをやめようと思う。嫁に近づかず、娘の世話をするのはなかなか難しいが、楽しみながらこの困難を乗り切りたいと思う。

 

嫁が娘のことを「わがまま娘」だと言っていた。「お前に似たんだ」と、心の中で2回繰り返して言った。口から出てこなくて良かったと思う。

 

いつも機嫌の良い女の子は、それだけで天使。

冷静さを欠き、取り戻した日曜日

5月26日日曜日。晴れ。暑い。Tシャツ一枚でも暑い。娘においては外に出ると明らかに静かになるほど暑い。

 


今日は散髪に出かける。11:30に予約をした。家を10:30に出なければならない。

 


そんな中ほぼ毎週の定例であるスーパーへの買い出しに出た。家を出たのが9:10。余裕だ。財布とiPhoneは家に置いたまま出た。

 


スーパーに到着したのが9:20。レジに並んだのが9:30。レジで会計が終わったのが10:10。

 


おれは冷静さを失った。レジに40分も並んだのだ。誰が冷静さを維持できよう?今だってiPhoneに向かってこれを書いているのだが、正直指は憤りで震えているほどだ。

 


財布とiPhoneを持って家を出ればよかったのか?いや違う。それでは意味がない。重い荷物を運ぶために、おれは買い物に同行しているのだ。財布を持って出ていたとしても一度家に買い込んだ食材を運ぶ義務がある。

 


一体どこの誰がスーパーのレジに40分も並ぶという事を想像できるだろうか?一体どこの誰が10個あるレジのうち3つしか稼働していないということが想像できるだろうか?少なくともおれにはそんな豊かな想像力はない。なかった。

 


レジに並んでいる最中色々と考えた。なにせ40分もあったわけだから。

 


・もしかしたら今日はスーパーの店長が想像しているよりも遥かに多い数の客がたまたま殺到したのかもしれない

・もしかしたらレジ打ちのバイトが急遽5人病欠したのかもしれない

・たまたまレジ打ちに新人ばかりが入っているのかもしれない(そう言えば昨日並んだうどん屋さんのレジ打ちのおばちゃんは新人だった様でとても手間取っていた)

 


そこのスーパーには客の意見を回収しているボックスがある。来週そのボックスに投書したいと思う。

 


「先週5月26日の日曜日に買い物をした者です。朝の9:30から10:10まで並びました。なぜこのように時間がかかってしまったのでしょうか?一体先週の日曜日に何が起きたのでしょうか?

対策は求めません。正直に説明をして頂ければと思います。また来週も来ますので、是非それまでに回答をお願いします。説明は出来る限り詳細に願いします。例えばですが「レジの要員が不足してしまった」これは詳細な説明ではありません。「これまでの来客数とその利用時間帯のデータからレジ要員の予測をして人員を補填しているが、先週は来客数が想定以上に多くなり、その結果レジに大量に客が並ぶことになった」最低でもこれくらいの説明はお願いします。もう一度言いますが、対策は不要です。もし対策を考える時間があるなら、その時間を説明するために使ってください。もちろん内容に関係なく来週からも利用させて頂きます。私はただ真実が知りたいのです。何卒よろしくお願いします」

 


おれが店長であれば、こんな客がいたら「どうぞ来週以降のご来店はご遠慮ください」と願うところだ。だが幸か不幸か、今回はおれが客だったのだ。

 


家から駅まで炎天下の中を疾走し、ギリギリ予定していた電車には間に合ったものの、当然汗だくだくになってしまった。

 


ここまで書いても、気持ちが収まらないので、小説を書きたいと思う。スーパーのレジを5分で通過できると思っていた妻子持ちの男が、40分並ばされた挙句、それをきっかけに次々に不幸が訪れるというあらすじで。

 

 

 

 


髪も切り終わり夜になった。

上の文章を読み直してみたが実に狂気じみていて恐ろしい。投書はやめようと思うが、小説は書きたいと思う。

金曜日の夜。エアコンをつける。

5月24日金曜日。晴れ。

 

今日後輩に給与明細を見せて欲しいと言われたので見せた。隣に座る上司は少し驚いているようだった。何となく給与明細を誰かに見せることに抵抗感があるのはわかるけど、以前自分の中でじっくり考えてみて、誰かに見せることでメリットもデメリットも無いということに自分の中でまとまった。

ハンカチの柄を見せて欲しいと言われているのと、おれの中では変わらない。

 

見たいと言った後輩の明細も見せてもらいながら少し話した。その後後輩は「見せにくいところだと思うんですが、ありがとうございました」と言った。「見せにくくはないよ」と答えた。

ただ「なかなか図々しいやつだな」と思った。普段声が非常に小さい彼故に、余計にそう思ってしまった。

尾崎豊のforget-me-not

5月23日木曜日。晴れ。

 

おれは15歳で尾崎豊という存在を知った。だがその時尾崎はすでに伝説になっていた。この世にはいなかったのだ。forget-me-notはとても良い曲だと思う。お風呂で歌うにはもってこいだ。カラオケで歌うにはしんみりしすぎると思う。

 

はるこさん42歳が話してくれたことがある。

「それまで小中高とずっと皆勤賞だった友だちがね、尾崎の葬儀に参列するって言って、高校2年の時に一度だけ学校を休んだの。それくらい当時は凄かったのよ」

 

と、こんな記事を2年前に書いていて、ずっと下書きに保存されていた。これだからブログは楽しい。

podcastを配信している件

去年から友人のニックと二人でpodcastを配信している。

LA在住のニックとほぼ毎週話しているのを録音して、それを公開している。

 

8825kmというのは東京とLAの距離である。

 

日本とアメリカのニュースをピックアップして、おれとニックとでなんだかんだと話している。あまりに聴いてくれている人が少ないので、おれは考えた。

 

8825kmという番組タイトルになっているのだけれど、ぱっと見た感じ何のことかわからないので、この際、「ニックのティンダーな日々 from LA」というタイトルに変えようかと思う。

 

どうでしょうかニックさん?

 

8825km.com

火曜日の飲み会

5月21日火曜日。 朝は大雨、夕方から曇り。

 

朝の大雨は通勤時間からランチタイムまで続いた。いや多分おれが通勤のために家を出る前から降っていたんだろうけど。

 

今日は仕事でいつもと違う場所に出勤した。そしてなぜか朝からサンドイッチを2パックも買ってしまい、楽しみにしていた1人井之頭五郎ごっこができなかった。

 

環境と言うのは人の行動を変えてしまう力があるのだと実感する。そうだ、引っ越しをすれば妻が怒り狂う回数も減るかもしれない。

 

夜は飲み会だった。火曜日の飲み会というのは場合によっては月曜日の午前中の仕事よりも辛いものがある。どちらも嫌なら行かなければ良いだけの話なのだけれど、そうもいかない。

 

飲み会の中で「サブスク協会」なるものの存在を知った。明日仕事中に調査してみようと思う。

愛すべき「月曜日」

5月20日月曜日曇り。

 

1年間を52週間だとすると、おれはだいたいこれまでに1700回目くらいの月曜日を迎えたことになる。

 

1400回目くらいから1500回目くらいの月曜日はきつかったと記憶している。あの時からすれば、今日のような月曜日は本当にありがたいと思う。

 

こんな事を書いていたら「月曜日」がかわいそうになってきた。

 

でもね「月曜日」、君は関東近辺の美容師さんたちからはとても愛されていると思うんだ。だからそんなに卑屈にならなくてもいいんだよ。

連日のケーキ屋さん

519日日曜日。晴れ。

 

おれと妻は誕生日が二日違いである。昨日今日と連日ケーキ屋さんを訪れて、ケーキを買った。昨日は5個、今日は4つ。

 

しかしながら昨晩も今晩も娘を寝かしつけている際に、自分も眠ってしまい、妻とゆっくりケーキを食べることができなかった。妻はおれの分と言うことで、少しだけ残してくれていた。全てのケーキに少しずつ手をつけていたところが実に妻らしい。

 

甘いものを好きな女性が好きだ。時々、甘いものを全く食べない女性というのに、出会うことがあるが、あまり仲良くなれる気がしない。なんてことを言いながらも、甘いものが大好きな妻とも、あまり仲良くなれている気がしない。今日この頃である。