ぱりぱりぴんぽろぺろぺろぷん

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2019/7/1

雨。晴れ間も見えたりする。

このところ鼻の調子が悪く悪臭がする。詰まってる感じもなく鼻水が大量にでるわけでもないのだが、ただただ妙な臭いがする。母親が副鼻腔炎からの鼻咽頭ガンで亡くなったので、いきなりガンではないにせよ副鼻腔炎になりやすい副鼻腔である可能性はある。母と顔は似てないのだが副鼻腔は似ている可能性がある。早めに耳鼻科に行こうと思うが、悪臭だけだと受診しづらい。こうやって発見が遅れるんだろう。医者の不養生はやく受診しろ。

朝から打合せや事務仕事をひたすらこなして気がつけば17時でここから自分の仕事に移る。先週は幸福だった。しばらくこんな生活が続くだろう。

笛の話を少し。平岩流のことを何も知らないなと思い、ちょっと資料をオーダーしてみた。明日明後日には届くはず。少し調べた限りでは平岩流はやむなく一噌流の名義借りをしている時期などあり興味深い。行政の入札に単体では入札資格がないので大企業と組むベンチャーぽい。

はてなブログにこだわりもなく広告の入り方もなんだか気に入らないのでしばらくnoteと並行して運用してみる。自分に関連して出てくる記事がどんなものか興味がある。

2019/6/30

雨。湿度も高くまさに梅雨。

修理を頼んでいた笛を受け取りに行ってきた。頭が無くて中までひびが入っていた笛を完璧に修理していただいた。一四が若干鳴らしにくいがまず使わない指だしヒシギも問題なく鳴るので嬉しい。ヒシギといえば昔は鳴らなかった。自分に問題があって鳴らないと思いこんでいたが色々な笛を吹いてきて、鳴る笛は簡単に鳴ることがわかってきた。結局は吹込みと歌口の相性なんだと思う。ヒシギが鳴らないと悩んでいる方は一度他の笛も試して欲しい。ちなみにプラスチックの笛はよくできていてあれが鳴らない場合は単に息が弱い可能性があるので注意。

帰りにエドグランでやっていた和楽器即売会をのぞいてみる。能管を試奏させてもらったけど干の音が出しづらい。さすがに新管で調律できていない笛を出すとは思えないので相性の問題なんだろう。とするとうちにある異常に干を出しづらい笛もこの工房の人だったら出しやすいのかもしれない。

さて、銘管について今日は調査のプロセスについて思うところを書く。調査をやっていると公的な身分の必要性に気づく。博物館・美術館であれば国民・市民ということで様々な背景の人と会うことも多いのでそうそう警戒はされない。が、銘管の多くは一般の家に眠っている。まだ直接訪問したことはないがこれからはそのような機会も増えそうだ。そうなった時わかりやすい公的な身分があるといいなと思う。名刺一枚でなぜこの人はこの笛を調査しているのかという問いに答えたい。「なぜこの笛に興味を?」「趣味です」で一部の人は面白がってくれるだろうが、大半は警戒するだろうし、門前払いを食らいかねない。昨日「残穢」というホラー映画を見ていたのだが、この映画はひとことでいうと家にまつわる因縁を調査していくものだ。この調査の過程で郷土史家やかつてその家の周りに住んでいた人など多くの人に話を聞いていくのだが、今自分がもっとも欲しい技術はこれなんだよなとぼんやり思っていた。小説家が主人公なので、おそらく出版社側にリサーチのノウハウがあるんだろうと思う(村上春樹アンダーグラウンドでもそんな感じの取材体制について言及があった)。面識のない一般個人とアポを取り、話を聞き、笛を吹かせてもらう、この一連のプロセスを確立するのが目下の課題だ。

そういえば最近調査を進める上での基礎力の無さを痛感している。具体的にいうと基礎文献に対する無知だ。おそらく能楽研究に携わっている人であれば誰もが思いつくであろう基礎文献から出発していないことによる機会損失がある気がする。法政の修士とか行ったらいいのだろうか。

 

2019/6/29

曇り。雨も降ったりやんだりで涼しい。

国会図書館に行き、能管関連の資料を入手する。今回は豊作で小夜嵐、玄笛、落葉の三管の行方を把握できた。こんなに収穫が得られるのはそうそう無いのでテンションだだ上がりだ。

小夜嵐は今年初めの国立能楽堂の展示でも出ていたが個人蔵とあるのみで詳細は不明だった。昭和27年の山形新聞の記事によると、上杉家由来ということで山形市の柴田勝男氏が入手したとされている。おそらく現在の所有者ではないとは思うが、小夜嵐は明治時点で所在不明となっていたので現在と過去をつなぐ一点が見つかっただけでも非常に嬉しい。

玄笛は1983年3月に発行された能楽研究8号「由良家蔵能楽関係文書目録(下)」に記載があった。銘の由来と思われる牛尾玄笛は笛方であり笛の作者でもあった。ちなみに牛尾という銘の笛は一噌家に伝わる十六管にも数えられ、牛王という銘で楽器考証にも記載があり、番町安藤家蔵とされていた。この玄笛は由良家に伝わる笛とある。牛尾と同様に法橋のように作者の名前で語られるようになった笛だろうか。箱、筒、袋ともに揃ってるようなので一度現物を見てみたい。

落葉は春日流長命家に伝わる笛として昭和45年の宝生に記載があった。「これを吹くときは庭前の木の葉が風なきにハラハラと梢を離れる」ことから落葉と名付けられたとのことである。長命家には蔵されておらず、会津若松の羽金与市氏方にあるらしいがほぼ50年前の話なので現在どうなってるかはわからない。これもどうにか現物を見たい。

図書館の後は日本一のサウナがあるという静岡に向かった。名前はサウナしきじ、天然水の水風呂の評価が高いらしい。とあるブログで見かけ、サウナは気になっていたのでせっかくなら日本一から始めようと行ってみた。非常に良かった。サウナで蒸されて冷水で一気に冷やされたあと、デッキチェアでぼんやりする。このぼんやりが非常に良かった。が、サウナ経験がほとんどないのでサウナしきじが良かったというよりサウナがそもそも性に合っていた可能性もある。都内のものもいくつか回ってみて相対的に評価してみたい。

サウナしきじの後は静岡おでんでも食べようかと駅近くをウロウロする。が、静岡おでんで有名な青葉横丁はこじんまりとした店ばかりで一人だとなんやかんや話しかけられそうだったので臆してしまう。結局近くの居酒屋に入ったがここが当たりで色々と食べてしまう。餃子とか海老とレタスのなんかおいしいやつとか担々麺とかなんでもおいしかった。住んでたら通うレベル。おすすめです。

http://www.at-s.com/sbsradio/program/dylan/detail/1076204.html

2019/6/28

晴れ。台風と聞いていたが夜の間に通り過ぎていたようだ。

この二日間は差し迫った予定もなく、エアポケットのような日々だった。まあエアポケットなので気をぬくと墜落するんだが。昔からこういう時間の過ごし方が苦手で、時間が空いたなら空いたなりにその先の予定を見越して仕込みをすべきなんだけど、ついついそれまで我慢していたことをまとめてやってしまう。

今回の場合は因果推論とケモインフォ周りの情報収集をやっていた。因果推論も、もともと興味あるのは因果探索で、介入効果検証周りのテクニックは「まあ傾向スコア使っておけばいいでしょ」くらいの認識だったのだが、今回色々調べて従来の機械学習を使ったアプローチが進んでいることがわかった。ケモインフォについては完全に素人なので用語とツール周りを一通り把握していた。意外とPython一択の世界だった。

毎月の原稿仕事、締切間際に資料収集から原稿作成まで一気にやっているのだが、そろそろ計画的に原稿を貯めておけるようにしたい。このままでは忙しい時期に当たると爆死する。と思っていたらちょうど良い制作フローの紹介があった。ネタ探し、文章作成、構成の吟味まで4時間くらいでいつもやっているが、毎回忸怩たる思いで提出していた。ここに書かれているやり方を少しずつ身につけていこうと思う。

https://note.mu/qantasmz/n/n62e2647496ab

さて、能管の話だ。今回は価格の話をしよう。能管はその材質で価格が変わってくる。材質はプラスチック、花梨(木)、竹の3つが代表的である。価格についてはざっくり1.5万、4万、10万(以上)と考えてほしい。

プラスチックと花梨に価格の幅はない。竹製の能管の価格を左右する要素は大きく3つある。年数、作者、銘(およびそれを裏付ける箱書)である。年数はざっくり明治以降か以前かで分けられる。前者が新管、後者が古管と呼ばれるが、明治も終わって100年経つので古管といっても良いのかもしれない。作者については新管でも古管でも有名な人ほど高くなる。新管だと亡くなった方でいえば林豊寿や天野玄竹あたりだろうか。林豊寿のものになると100万近い価格のものがあり新管でそんなにするのと驚いた覚えがある。

価格を左右する最後の要素として銘がある。七十種銘管録に記載のあるような銘のものだと200万を超えてくる。ある笛なんて2000万などという値段がついていた。聞くたびに500万単位で値段が変わっていたが今はどうなっているだろうか。

なぜこんなに高くなるかといえば一つは古美術品として扱われるようになるからだろう。笛は楽器なのでその価値は普通、音色にある。古い笛が重用されるのも、長い間使われて初めて出せる音色があるからである。しかし古美術商で音を出せる人はまずいないので、普通は手を出さない。しかし元の所有者がプロの能楽師であったり、箱に書かれた歴史で価値が担保できる時は古美術商も扱うことがある。そうなってくると価格は跳ね上がってくるわけだ。これまで私が回ってきた感覚でだいたいの目安はあるのだがここに書くと弊害がありそうなので控えておく。

以上が色々と痛い目にあいながら学んできた能管の価格に関する諸々である。おかげさまで笛を見せられてもだいたい自分の中で折合いのつく価格が頭に浮かぶようになってきた。

2019/6/27

この記事で言われていることはよくわかる。

https://note.mu/qantasmz/n/n869673f2c105

昔から手続き周りが非常に苦手で、院試受験時も試験の内容より申請でミスして門前払いになるのではという不安が拭えなかった。とりあえず出してみて問題があれば適宜直す、というスタンスで生きてきたので問題があれば一発アウトという手続きが非常に苦手である。臨床医にならなかった理由の一つでもある(もちろん他にも理由は多数ある)。

あと、みんなができることが自分だけできないというのも実感としてある。小学生の頃育てた朝顔はクラスで一人だけ白くて小さな花だったし、足は学年でトップレベルに遅かったし、蝶々結びができるまで半年かかった。身体感覚の問題だと思うが、朝顔の話はよくわからない。

https://note.mu/qantasmz/n/n7652f1b7f760

 

さて、今日も銘管について書く。銘管を探す楽しみとしてかつての保有者に想いを馳せるというものがある。たとえば江戸時代の文書に記録が残っていればその時代からその笛は存在していたわけで、少なく見積もっても200年は生き延びている。その間どのような人にどのような想いで使われてきたのか、手持ちの笛にそんなことを考えている。まあこれはアンティーク趣味の人全てにいえる話かもしれない。

そういえば常夏という銘管がある。七十種銘管録にも記載がある。銘は源氏物語由来だとは思う。人伝えでこの笛も現存すると聞いた。あまり銘に惹かれることはないのだが、この笛に限っていえば字面が良いので機会があれば手に入れたいと思っている。

今週末はいくつか銘管関係の史料を確認に国会図書館へ行き、修理に出していた笛を受け取る。能管について自分以外調べている人はいないという事実は寂しくもあるけど使命感もあり、まあ楽しい週末になりそうだ。

2019/6/26

晴れ。若干蒸してきたか。

昨日締めのオークションがあり一応参加していたのだが、うっかりしていたら終わっていた。自分が欲しいというより出品者のためにも妥当な金額まで価格を釣り上げることが目的だったのでまあ良かったとするか。

昨日に引き続き、能管の銘管について書く。今日は銘管の記載がある史料についてである。

能管においていわゆるオフィシャルな銘管とは明和に幕府に対して提出された七十種銘管録に記載されている銘管ということになるだろう。これは能管に関する資料であれば必ずといっていいほど参考資料に挙げているものだが、私が見てきた範囲では全て森田流奥義録の孫引きとなっており、原資料にあたった人がどのくらいいるのだろうと疑問である。

七十種銘管録以外となると、春日流、一噌流、森田流の家に伝わる銘管があり、これは戦前のインタビューや各流儀の家元の伝書に記載がある。そこに記載されている代表的なものとしては一文字(一噌)、翁(一噌)、瀧留(春日)、鈴虫(春日)青龍(森田)、駒止(森田)などがある。

その他、楽器考証という史料には雅楽器も含めて銘管が記載されており、これはウェブ上で確認できる。

http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kanzegazo/KmView/029/029026001/kmview.html

銘管はみんな知っているから銘管なのであり、先に挙げた史料に記載されている銘管の多くは重複している。また、美術館や博物館に保存されていたり、プロの能楽師保有していることを公表しているケースは限定されており、多くは失われたかその所在が不明となっている。