nishiko's kitchen

2017年2月生まれの息子のこと、好きな料理の事、思いのままに綴ります

セリアのウェットティッシュケースがおしりふき入れにものすごく最適だった話。

一人でも多くのママに知ってほしい!

誰も見てないブログだけど、もうネット世界の僻地から全力で叫びます!

 

おむつ替えのときのあの悩み!

片手で赤子の足を押さえて、もう片手でおしりふきを取り出した時の

 

何枚出てくるんじゃー!1枚でいいのに!

でも片手塞がってるからどうしようもない!

イライラ!

 

何とかならないかと思いつつ仕方がないよねと諦めていました。

 

別の目的で買ったセリアのウェットティッシュケースにおしりふきを入れてみたら、、


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一枚でとれたーー!

 

もっと早く知っていれば...どんなに楽だったか。。

暴れる赤子を押さえつけて手がもう一本あればと願い続けて、長男はもう4歳。。

本当にもったいないことをしたー。

 

この情報が、

どこかで誰かの役に立てたら嬉しいです。

 

子供の前で感情的に泣いてしまった

やってしまった。。

今日はおしっこに失敗した長男に濡れたズボンを投げつけて、

「いいかげんにしてよ!もうお母さんヤダ!」と言って床を殴りながら大泣きしてしまった。

それを見た1歳次男はただただ号泣。

3歳長男はびっくりした顔をして、その後泣き出して、泣きながら何度も

「ママ、ごめんなさい」と言い続け、

「わざとじゃないよ」と言い続け、

「もう許してあげるから泣かないで」←言葉間違ってる

と私の頭をなでながら涙をふき続けてた。

私はほとんどやけくそになっていて

泣き止むもんかと意地になってきて

もう気持ちも落ち着いてきているのに半分泣き真似みたいになりながら泣き続けて。

長男が「ママ、ごめんね」と私にずっと抱きついていて、でも素直に「もう大丈夫だよ」と言ってあげられなくて、次男を抱っこして無言で長男から離れた。

私の背中で長男が動いた気配がしたけど、そっちを向きたくなくて、向けなくて、無視していた。

どうやら長男は無言で自分のタンスに向かい、自分で新しいパンツをはいて、歯磨きをして、1人で布団に入っていったようだった。

それも、いつも嫌がるスリーパーを1人でちゃんと着て。

 

甘えん坊で、服を着るときも歯磨きをするときも寝るときも「ママ、ママにやってほしい、ママにそばにいて欲しい」だったのに。

 

今日私は、長男を無理やり大人にしてしまったんだ。

ゆっくり育っている植物を、無理やり引っ張って伸ばしたようなものだ。

今日の成長と引き換えに彼の中できっと何かは壊れている。もちろん、時間とともにある程度は修復されるだろう。でも消えない傷跡はきっと残ってる。

1人でお行儀よく寝ていった寝顔を見て、

今更謝ったって無駄なのに。ごめんねが溢れて止まらない。

なぜあんなに怒ってしまったんだろう。

どうすればよかったんだろう。

わからないわからない。

 

 

 

梨泰院クラスが最高だった

遅ればせながら、梨泰院クラスを見終わった。結論から言って最高だった。

 

以下、ネタバレあります。

私は韓流ドラマが苦手だった。

あの独特の意地悪さ、恨み、妬み、ドロドロ、ねっとりめのラブストーリー、

愛の不時着はそのあたりでしんどくなってしまってだいぶ序盤にギブアップしてしまった。

でも梨泰院クラスは私の知ってる韓流ドラマではなかった。

とにかくイソが最高だ。

多分、よくあるラブストーリーならイソの役は男側が演じることが多い気がする。

守ってもらう、幸せにしてもらう、ではなく自分が相手を守る、幸せにする、そのために夢をかなえさせる、全力を出し続けるイソ。

本当にカッコよくてまぶしかった。

全力で愛して努力する、でもそれは自分をすり減らすことではない。イソは自分の気持ちにはどこまでも正直なのだ。愛に溺れているわけではなく、愛の中をしっかり泳いでいる。

作中ではもちろんそんなことないが、例えばもしセロイが悪い男でイソの気持ちを利用するような人物だったら、イソはそれに気づいた瞬間に自分の気持ちと行動にケリをつけてさっさと離れていくに違いない。

このドラマの恋愛の描かれ方は新しいと思う。

セロイとイソの関係は男女が入れ替わっても、同性同士でも成り立つ、そんな恋愛だからだ。

自分の青春時代にこんなドラマが見たかった。

私の青春時代には、なんだかんだ強くてカッコいい男が、可愛くて優しい女と幸せになる、みたいのが多くて、

それって

男は強くてかっこよくあれ

女は可愛く優しくあれ

っていうメッセージを無意識に受け取っていて、そういう女の子像にやっぱり憧れたし、自分の行動もだいぶ寄せてた。

男らしさ、女らしさ、って言う概念を作り上げていく過程にはドラマやマンガやメディアの役割って大きいよね。

イソみたいな子に憧れてみたかったな。

このドラマが人気ってことは、こういう価値観で子供たちは育ってるってことだ。未来かすごく楽しみになる。

 

後悔しないように生きるということ

友達のお母さんがケーキ工房を始めたそうだ。

年齢はよく知らないが、同世代の友達の親だから70は超えているだろう。

後悔しないように生きたいと言って始めたそうだ。素直に素敵だと思う。

 

エネルギー、好奇心に溢れた人すごいなあと思う。自分が納得いくまで追求していないと後悔するってことなのかな。

対して私は、そこまでエネルギーは強くない。

今の現状に満足するのは得意なほう。

このまま大した成長がなくダラダラと一生を終えたとしても、いい人生だったなと思える気がする。

だらだらと一生終えるっていうのも簡単なことじゃないけどね。

でももし今死ぬようなことがあれば、それは絶対に後悔する。まだまだ子供と離れたくない。子供の成長をそばで見守りたい。

病気の早期発見と、事故を避ける。

私が後悔しないためにすることはこの二つぐらいかな。

キラキラした夢ではないけど。

言葉にする勇気

朝からモヤモヤしてしまったのでブログに吐き出す。

息子を幼稚園に送り、着いたところで顔は2箇所蚊に刺されているのを発見。

いつもの受け入れの先生なら、「薬塗っておきますよ」と言ってくれる。

でも今日の受け入れの先生は、ちょっとぼーっとしていて気がつかない先生(この言い方もどうかと思うけど)で、「〇〇くんは柔らかくて美味しそうだからねー」としか言わない。

私が「この子肌が弱いのですぐ薬を塗らないと大きく荒れちゃうです。。でも今私薬持ってなくて、どうしよう、、」みたいなことを言っても「そうなんですかー」としか言わない。

ここで私が、申し訳ないですけど薬を塗ってもらえますか?とまではいかなくても、ちょっとお薬お借りしてもいいですか?くらい言えばよかったんだと思う。

でもなんとなく面倒に感じてしまって、なんとかなるか、諦めてしまった。

帰ってきてから無性に息子のことを気になって仕方ない。

痒いだろうなぁ、引っ掻いちゃってるかなあ、帰ってきてから薬行ってもなかなか治らないんだよな、強めのステロイドになっちゃうな、刺されてすぐならステロイドの入ってないムヒでもイケたのに。。

こんなにモヤモヤするくらいなら、その場で勇気を出して言えばよかった。

私の人生においてこういうことがとっても多い。

小さなことを面倒がって後で大きな後悔をする。本当に小さなことなんだけど、空気の流れを断ち切って自分の要望を言葉にするのは、私にとっては勇気がいることで。勇気を出すことが面倒だと感じてしまう。

今は子供が二人いて、これによって不利益を被るのは私だけじゃないのだから、そういうところも直していかないとな。

話の流れをぶった切って発言する人を見ると、不快感よりも、羨ましいと思っていた。

今となっては、それを意識にやってしまっているわけだから、その人もそれによって苦しんでいるのだろうということはわかるけど。

まとまらないけどなんかそんな感じ。

伝わる言葉のチョイスできる人って素敵だなぁ

自分という人間を表現できるようになりたい。ブログ Twitter で様々に表現をしている人を見ると本当に羨ましくなる。

ブログを書こうとしても言葉が全然出てこない。本を読むのも好きだし、小難しい動画を見るのも好き。でも何かを書こうと思った時に、白紙の画面の前でフリーズしてしまう。

言葉が出てこない。

きっと書くということも筋トレなんだろうなと思う。読んだり、聞いて理解するということとはまた別の筋肉。書くに限らず表現するということそのものがそうなんだろうけども。

自分自身を言葉で表現する、ということは本当に必要だと心底思う。

今まで出会ってきた人の中でもキレやすい人って一定の割合でいたけれど、つまりは自分の気持ちを言葉にできなくて、それを怒りという感情表現で投げつけてきているだけなんだ。

気持ちを言葉にできなくて、泣くことでしか不快感を表現できない子供と一緒。

そんな大人恥ずかしいし、感情的になる事って実は苦しい。

毎日少しだけでも文章を書いていこう。

難しいことは考えずに、たわいもないことを少しだけ。

 

ところで今の私の課題は夫との関係だ。

夫のことをどうしても好きになれない。好きになれないと言うと語弊があって、本当のことは普通に好きだ人間として。でも夫が求めているほど私は夫のことを好きになれない。

先日の一件があって以来、また同じように問い詰められるのが嫌で、がっつり距離をとって暮らしている。

具体的には

家事育児は一切手伝わせない。

挨拶はきちんとする。お礼はきちんと言う。

それなりの世間話はする。

多分、普通に周りから見たら、何の波風もない平和な家庭。

でもそれは私からしたら、相手に付け入る隙を与えたくないから、相手に不満を持たせないように心を殺して淡々とやっているだけ。

そこには感情も何もない。心を無にして暮らしている。

だから夫がいる土日がとても疲れる。

ボロが出ないように私は神経を張り詰めている。

どんなに騒がれてもわがままを言われても子供達だけといる方がとても気が楽だ。

多分、私にとって一人でいる時が一番楽で、次は子供達といる時だ。どんなにわがままを言われても泣かれても子供たちのことが好きだから大丈夫なんだとおもう。

 

他人と暮らし続けることの難しさ。

心の距離を物理的に言うと、私は10 M は離れていたい、それ以上入って来られるのはただただ不快。

でも相手は5 M で暮らしたいと思っている場合、どうしたらいいんだろう。

お互いが我慢せずに暮らしていける方法を探りたい。

夫との関係について思うこと

先日の一件があって以来、家事を夫に頼むことがすごく嫌になったので、夫が帰ってくる前までに全ての家事を終わらせて寝かしつけをして顔を合わせずに私も寝てしまうという毎日だ。

シンクを磨くとやればやるだけ綺麗になって頭の中もクリアになっていく。

そうだ。私は夫の弱みにつけ込んでいたのかもしれない。

今思えば結婚を決めた理由も、夫が私のことをとてもとても好きだったから。これほどまでに盲目に好きになってもらえるなら、この先どんなことがあっても何とかやっていけるのかなと思ったから。

年齢的にも焦っていたし、早く子供も欲しかったから、自分が夫のことを好きかどうかという気持ちには一旦蓋をしたのだと思う。

子供ができるまでは、なんとなくきいていたごまかしもだんだん綻びが出てくる。

子供ができる前は、好きかと聞かれたら、少し面倒だと感じても好きと答えられた。

でも今私が本当に好きなのは子供たち。子供達に本心からの好きを伝えれば伝えるほど、夫に嘘の好きを言うのがしんどくなる。

夫は友人としては最高だった。

夫の気持ちが冷めてフラットな関係に戻れば私たちは良い関係になるのだろうか。

それとも、夫のテンションに私が表面上だけでも合わせる努力をした方が良い関係になるのだろうか。