変な形の石を投げろ

宮野真守が入籍した時の反応、みたいのを2ちゃんねるまとめサイトで見たら『お腹の赤ちゃんが死にますように』って書き込みがあった。あとかんなぎショック、まさかの長期休載、みたいなあれ。なんつーか、別にあいつらの呪詛でイケメン声優も作者も死ぬわけじゃないし、こう、右斜めニュートラル、みたいな、変な感情が沸くなー。届かないと分かっていながら石をピュンピュン投げる遊びに興じて、俺の方が遠くに飛んだぜーとか、俺の方が綺麗な放物線描いたぜーとか、まーそれはもちろん楽しいだろうなー。でもどうせやるんだったら、めちゃくちゃ女性器に似た形の石を面白いフォームで惜しげもなく投げれば、わりとみんな幸せになれるんじゃねーの? たとえ話が重なりすぎてもうニュアンスで汲み取って下さいとしか言いようがない。変だなー何か。

DT力

ブログが大変いい暇つぶしになるなーとやっと(というか昨日)分かったのは俺が大人になったからだ。
自意識と自己顕示欲のこじれが歳経るごとに磨耗していき、だんだん自分の中で理想と現実の折り合いがついていって、またつけるだけの力みたいのもそれなりについてきて、まーいわゆるDT力の減退を感じる日々なわけだ今の俺は。萌えアニメ観てもムカつかなくなったし、グレンラガン観てもムカつかなかったし、エヴァ新劇場版のテレビ放送、ちょっと楽しみにしてるし、あとこれが一番重大な問題なんだけど、最近皮オナニー止めて亀頭オナニーにシフトしちゃったし。ローション買うの恥ずかしいから乳液使ってるけど。
あ、ローションと言えばさー、高校んとき一度、皮オナニー止めようって心の底から決意したことあんだよ俺。あのー、そんぐらいの年頃の童貞にとって、オナニーって、いつか巡り来る本番の練習みたいな意識あんじゃん? 彼女できたらオナニーなんかしねーよ! ぐらいの勢いで、もう、真摯っつーか、敬虔だったよねあの頃の俺たち。とにかくそれ繋がりで。で、高校ぐらいの時なんて実家暮らしだからさ、ローションなんてあるわけないから、とりあえずボディソープ使ってみたんだよ。ガーっつって擦って、もう俺の亀頭に一生消えない石鹸の香りつけたるわーぐらいの勢いで。そしたらすごいね。俺の亀頭が干乾びた。あのホラ、スーパーのレジ前で売ってるパサパサの落雁みたいになっちゃって。え、和三盆は!? みたいな。上白糖どころかまさかパルスウィートで!? みたいな。何か粘膜にとっての天敵みたいな成分含まれてるんだろうねボディソープって。まー二週間ぐらいで脱皮して、結局元のしなやかな亀頭に戻ったんだけど、俺のチンコに訪れた生涯最大のピンチだったなー。その二週間オナニーできなかったし。
またなんか話ズレた。とにかく俺の磨り減ったDT力の残滓をかき集めてかき集めて、何とか形にする、みたいな作業をやるのに、ブログはうってつけだ。久しぶりに伊集院光のラジオも聴き始めたし(構成渡辺が童貞捨てたのにはビックリした。あれ、俺も童貞だったら多分怒り狂ってたと思う)、俺のDT力のともし火は明るくないけど、まだそれでも点ってるんだぜってところでやっていければなーと思う。明日には飽きてるかもしれんけど。

らき☆すたはモテそう

すげーどうでもいいんだけど俺、なんかずーっと『らき☆すた』を楽しめないなーと思ってたんだけどさー、一年越しにやっとその理由がわかった。不意に天啓を受けた。あのアニメなんかモテそうなんだよね。俺はモテそうなジャンルからは変な電波を浴びるオールド痴豚リスナーだからだめだ。
俺の中でらき☆すた観てるオタは、アニメ声の女と付き合ってて、で、彼女とカラオケいったら色んなアニソン歌わせたりしてる。一緒に聖地巡礼とかしてる。鷺宮神社だか何だかに。あと彼女にニーハイ履かせてる。ニコニコで一緒に実況プレイやってる。『腐女子が無垢な男子にBLゲーを実況させる【俺の下でAGAKE実況プレイ】part12』みたいな。
だから勝ち組だ、あいつらは。オタク間に広がる格差。これが現代の蟹工船。ロスジェネども見ろ、俺を見ろ。これが本物……っ 本当の蟹工船なんだよ……っ! ファッションだ……っ! お前たちのはファッション……っ! うすっぺら………っ! 響かない……っ 届きやしない………っ! 心が動かない……っ! 何で福本ネタ挟んだのか自分でも分からんけど、じゃあ何? 電脳コイル好きな奴と一緒にムキになってらき☆すた叩くのが俺の仕事か? 『電脳コイル星雲賞とSF大賞という権威ある賞を取りました。すばらしい作品です。翻ってらき☆すたファンは云々かんぬん』みたいな。ばっかじゃねーの。コミュニケーションツールに人生かけんなよ。

なんかSFばっか。

半年ぐらいで加速度的に本が読めなくなった。正確に言えばSF以外読めなくなった。ちっちゃかった頃の俺はドイツ文学とロシア文学がちょう好きで、クソつまんないシュトルムとかも我慢して読んで『面白かったやん』と自分に言い聞かせてたのに。お前さートニオ・クレエゲルさー、お前あれだろ『インメンゼエ』ちょう面白いっつってたからおれ読んだのにさー、むっちゃつまんなくてさんぴん茶吹いたんだけど。

でも『ハイペリオン』読んで『SFファンへのご褒美だ!』とか言い出したり、あとさー氷川ドラゴンみたいに『今こそアニメはオールドSFの描写を映像化すべきだ』とか変なスイッチ入ってガーガーわめく大人にはなりたくないよねー。あと『電脳コイル』にSF大賞あげたり。あれ中盤の数話以外だるだるじゃん(でもヒゲが文明化する話はやたら面白かった)。まーそんないっぱしぶった批判はおいといて、ジャンル文学ファンの中で一番ウザいよねー、オッサンのSFファンて。俺アニメ・エロゲオタクで、歴史オタとか鉄オタとか他のウザそうなオタとはカラミ無いからとくにそう感じる。あいつらちょっとした怪我しないかなー。

何故オタはアニメのタイトルを海外SFから持ってきますか? たまにエロ同人とかでもあるよなー。なんか、あの、『エム博士の島その他の物語』みたいな。意志を持ったドMの島に人間たちが流れ着くんだけどさー、そいつらがどんどんどんどん文明化してくの、あのー、スーファミのさ、無人島物語みたいに。んで、木が切り倒されたりさ、レアメタル掘り出されたりさ、油井が出来たり、まー早い話が環境破壊される度、『イっちゃうぅ〜〜!』っつって島があえいで大地震が起こって文明レベルリセット、みたいなマクロスFの同人誌。あれ楽しいじゃんこれ。ごめんアイス川先生。これ楽しいわ。今こそアニメ業界はベスターのどうとかこうとかを映像化すべき。

何でこんな話になっちゃったんだろう? SF以外よめねーなーって話してただけなのに。多分俺がSFを読んで安心するのはそこに根拠があって理路整然としてるからだ。今の世界と離れてれば離れてるほど安心する。ディックとかね。ちゃんとロジカルだもんね。電気羊とか読んで、人々が共感に縋るのとか読むとちょう安心する。お前らシンプルに生きてんなーと思って。あとあんま頭使わないしね。

存在を思い出した。

お気に入りを整理していたら、不意にこのブログを見っけて驚いた。うわーこれ俺のブログじゃん。何の気もなく始めて何の気もなく飽きたアレじゃん。というわけで久しぶりに記事を書く。楽しいなー、ブログって。


文章を書く以外にいくつか面白いことを見つけて色々やってきたがやっぱ文章書くのが一番面白いっつーことに最近気づいた。文体をどこまで砕けるかっていうのが最近の考え事で、それはつまり文脈によって各単語の意味をどこまでぶっ壊せるのか? 日本語っつーのはどこまで暴投してもちゃんとミットに収まるのか? みたいなことだ。それは口語に近づいてくって話になってくのかもしれんが、いまんところはよく分からん。


才能がないというのは言い訳にも奮起にも使える便利な言葉だ。俺はもう一年とか前に小説で賞を貰ったんだが、そっから先、企画会議っつーのに落ちたり、とつぜん文章が書きたくなくなってバっくれたり、結局、未だに活字になってない。そんな事実に直面しちゃったとき、才能がねーからなーと俺はひとり呟いたりするんだが、いいかんじ。売れたいねー。小説で。たくさん。

『地図男』語りと見せかけて。

地図男 (ダ・ヴィンチブックス)

地図男 (ダ・ヴィンチブックス)


面白かった。空中殺法をポンポーンと繰り出すルチャリブレみたいなエンタメだ。計算されていて隙がない。『山賊』はすげえ巧いなあって唸った。でもまあ感想文とか別にいいじゃんそんなの。誰が何言おうとみんな買って読むよこれ、だって面白いもん。そんなことより俺は古川日出男について語りたいっていうか語るけどね。


もともとこの『地図男』、古川日出男の『LOVE』っぽい小説かしらんと思って読んだ。ぜんぜん関係なかったけど、まあそれで、俺の中の『古川日出男』っていう、不定形の神像みたいなものを、少し言語化することが出来たんだ。ありがとう『地図男』。読んで面白い上に思わぬ副産物をくれて、本当にありがとう。で、せっかくだから比較論みたいな形にしてみようか。
アートルーパーが『人間とは何か』を解き明かしたように。


・『地図男』の文体は、古川日出男と似ている(さすがに『袋小路』に『デッドエンド』ってルビ振ったりしてなかったけど)。古川日出男ほど一文一文を刃物みたいに研ぎ澄ましたりはしてないけど、だからこその速さと楽しさがある。

・『地図男』には、探偵が存在している。語り手の『俺』だ。要するに古川日出男の特徴は探偵の不在ということだ。どこのどれだか忘れたけど古川日出男論の中に、『いきなり真相が明かされる』みたいな趣旨の考察があった。動機も手法も真実もドバっと語られながら物語が動いていく。『ユリイカ』2006年八月号で斉藤環が、古川日出男の小説をして『謎解きの興奮も、カタルシスの感動もない予告篇的エンターティンメント(p180)』と評していた。

・もっと言うと、古川日出男の小説には『俺』がいない。またも斉藤環の言葉を拝借すれば『キャラクターを物語に従わせ』ている。ここを突き詰めると、古川日出男が作家論的に語られがちな理由の一端が分かりそうだけど、まだぼやーんとしか分からん。


・『地図男』では、彼岸/此岸が明確に境界化されている。『地図上の世界』と現実界は、ある一点において(ネタバレに配慮しました)、くっきりと区分されている。古川日出男は境界化されていない。というか此岸の中にひょいと彼岸が出現し(時間のズレた東京、猫の群れ、湾岸の明治、ほかにもほかにも)登場人物はそこにアクセスし、容易に帰還する。『文藝』2007年秋号、古川日出男柴田元幸の対談を引っ張ってみよう。

柴田 そういえば古川さんの小説では、「こっち」に踏みとどまる語り手と、「あっち」に行ってしまったすごいやつという図式は全くないですよね。
古川 ないですね。
柴田 多くの小説はそうなってるんですよね。エイハブはあっちに行って、イシュメールはこっちにとどまる。ギャッツビーはあっちに行って、こっちにニック・キャラウェイがとどまる。ドン・キホーテはあっちでサンチョ・パンサはこっち……とかね。要するにあっちへ行けない人間が語り手になる。でも古川日出男の作品の場合には、あっちへ行ったやつが戻ってくるっていう、今までなかった手法をやっている。

(p23)

あれ? 言いたいこと全部すげー分かり易く完璧に書いてあるよ? あれー? 俺って何なの? 馬鹿なの? 死ぬの?




こんなところか。これら雑感をキッチリ抑えた上で、『聖家族』をもう一回読み直そうかな。あの『聖家族に挑戦!』て、感想文を二回送ったら二回図書券もらえるのかしら。

移民前夜(3/5)

3

 臣民は希望の全てを国営新聞の六面に求めていた。どんなニュースよりも、国営新聞の六面こそが差し迫って必要なのだった。おかげで祖国の識字率は二十パーセントほど向上した。そうして増え続ける期待の総量がそのまま重圧の総量となり、いよいよ手紙官は、やってはならないことをやり始めた。ジャングルのあらゆる障害を踏破した開拓者、開墾に成功。今や半径三十メートル拓ける。今後の見通しは明るい。という文面が新聞の六面に踊った。半径三十メートルといえばもう直径六十メートルのことであるし、人間が住めるのも道理であろう。と誰もが淡い期待を抱き、それに応えるように、非合法移民代理店が密やかに誕生した。臣民は殺到した。

 代理店の連中は淡い期待を抱いた臣民から金を掠めると、適当に描かれたジャングルの地図を押し付け、あっという間にとんずらした。建国以来、ここまで手際の良い詐欺が祖国で行われたことなどなかった。徒手空拳でジャングルに迷い込んだ臣民は、餓死するか、野生のイリーヤに貪られるか、いずれにせよ悲惨な最期を遂げた。累代の速度が異常に早いことで知られるイリーヤの食性は、いつの間にか雑食に転じていたのだった。

 手紙官に残された手段は、知らぬ存ぜぬで嘘を突き通すか、開拓者は志半ばで死んだということにしてしまうか、二つに一つだった。だが手紙官は知恵を絞って(つまり事態をもっと泥沼化させるやり方で)この難所を切り抜けることに成功した。半径三十メートル拓けるも、再びの障害。今や妻となった先住民の娘、謎の存在により誘拐さる。開拓者は妻を救う為の遥かなる旅に出てしまった。臣民は心の底から開拓者に同情した。妻を攫われて開拓をせっつくほど我々も非情ではないぞ。と大方の誇り高い臣民は考えたのだ。ようやく事情を察してきた副王は、げらげら笑って、続きを楽しみにしているので頑張ってくれ、というような文章を国営新聞に投書した。辺境の未発達の国にあって、副王はすっかり退屈していたのだ。