夜明け前

書いた小説など

飲んで大学生 壱

 二十歳の夜、僕は都会の路地で歌っていた。

 当時僕はどうしようもない大学生だった。大学生がまともというのも変なのだが、およそ最近のまじめ腐った学生からも、ちょっとやんちゃな学生からしても、ダメだった。この年というのは、中学生とも、高校生とも違う、社会の一歩手前にいる中で、なんだかよくわからない鬱屈した感情が襲ってくる。そのよくわからないモヤモヤがなんだかイライラさせるのだ。だからちょっとコンビニのゴミ箱にゴミを力いっぱい投げ入れてみたり、パチンコに入り浸ってみたり、公園で酒を煽って「飲まなきゃやってられないぜ」なんて悪態をついたりするのだろう。大人のようで子供みたいな振る舞いをしている。蛹から大人という蝶へ羽化する一歩手前なのだろう。

「おい、飲み行こうぜ」

 そう声を掛けてきたのは、友人の可神だった。大学は地元から離れた大学へ通っていた為、総友達は多くなかった。可神はその貴重な友人の一人だ。

「別にいいけど、金ないぞ。昨日スロットで二万負けたから」

「まぁ俺らの飲み方は金かからないからな、奢ってやるよ」

 よく見れば可神の手には既に鏡月ボトルが鎮座していた。準備のいいやつだと内心思いながらも、また公園かとうんざりした気持ちになった。

二人の話で(2013年にやりたいこと)

 二人の話で(2013年にやりたいこと)

 

「私は、私の話だけではなく、あなたの話だけでもなく、私とあなたの二人の話で会話をしたい。」私は今でも携帯電話から聞こえてきた彼女の言葉を忘れられない。

 

 私は人と会話をすることが極度に苦手だった。苦手というよりも、相手の言葉に対するレスポンスや感情の表現の方法というものがわからなかったと言ったほうが正確かもしれない。話をしなくてはと、必死に言葉を捻り出せば、いつもチンプンカンプンな返事をし、相手の顔が曇っていく。いったい何を話せばいいのか、話せば話すほど自信がなくなり、どんどん会話をすることが億劫になった。

 私たちが普段何気なく行っていることではあるが、人と会話をすることほど高度な技術が必要なものもないだろう。相手の声の抑揚、表情、しぐさを感じとりながら、相手の言葉と心情を理解する。日本語は語彙が豊富であるし、表現方法も多彩だ。婉曲的表現にいたっては、相手の発言から、その心情を察しなければならない。しかし逆に考えてみれば相手の気持ちを思いやる言語ともいえる。これが日本が培ってきた文化の本質なのかもしれない。

 彼女と知り合ったのは大学の飲み会だった。仲間うちで飲んでいるときに、仲間の高校時代の友人が遊びに来ているとのことでやってきた。彼女は物静かではあるが、明るくよく笑い、しかしミステリアスな雰囲気を持った魅力的な女性だった。気のいい仲間連中ともすぐに打ち解け、非常に楽しい時間を過ごしたようだった。その場もお開きになり、もう会うこともないだろうと思っていた。

 次の日の夜、バイトから帰った私の携帯に彼女から着信があった。一応礼儀的にアドレスの交換を行っていたのだ。「もしもし・・・どうしたの?」そこから私と彼女の関係は始まった。

 彼女は東京に住んでいたので、名古屋の私とのやりとりは基本的に電話だった。自分がうまく話をできないことに強い劣等感を持っていたため、彼女が私と話しても楽しくないのではないかという不安感を常に払拭できなかった。相手を理解したい、私のことを知ってもらいたいという想いと、うまく話せないのではないか、誤解されてしまうのではないか、嫌われてしまうのではないかという葛藤があり、なんとなく上っ面な会話ばかりをしていた。どちらかと言えば主導権を握って話すのは彼女であり、私は相槌をうっては少し話を広げていくといった具合だ。

 しかしあるとき彼女が切り出した、「本当は色々と話したいことがあるんじゃない?」そう言われたとき、私は心を見透かされているようで、ドキッとした。

 そのときの私の家族は色々とうまくいっていなかった。学校と部活とバイトを行き来し、両親からかかってくる電話にでて話を聞く。病気でもうだめだと弱音をこぼす父を励まし、それを支える母の不安を和らげる。両方のフォローが必要だった。傲慢かもしれないが、二人の気持ちの逃げ場として私があったように感じていた。だからこそ余裕のなかった私には、彼女との電話はとても心癒されるものだった。

 だが、だからこそ本当の気持ちを話すことが怖かったし、むしろそれをどうやって言葉にしたらいいのかまったくわからなかった。私が口ごもり黙ってしまい、口を開くまでとても長い間無言の時間が流れたが、彼女は辛抱強く言葉を探す私の返事を待ってくれていた。「俺と話していて楽しい?」やっとの思いで私が口にした言葉は、自分への自信のなさを表す情けないものだった。「俺の話なんて面白くないし、何を話せばいいかわからない。」搾り出すようにそこまで言うと、私は怖くなって電話を切りたくなった。しかし、彼女はそんなこと気にもしてないように少し笑ってあの忘れられない言葉を私にくれたのである。

 人との会話への恐怖の根本には、人間に対する恐怖が隠れていた。会話がうまくいかないことで人との距離ができる瞬間を何度も経験した私には、人と会話をすることで人に嫌われてしまう恐怖が根付いており、人に対して心を開くことができなくなっていたのだ。両親の話を聞いていたことも、自分がもっとしっかりしなくてはいけない、弱音を吐いてはいけないという想いを、無意識のうちに強めていたのかもしれない。

 会話において一番大切なことは、相手に対するレスポンスをどう返すかなんてことよりも、どれだけ相手に心を開けるかが重要だということに彼女は気がつかせてくれた。自分の気持ちを本気で伝えようと思う気持ちが私には足りなかったのだ。

 それから彼女との会話を繰り返すうちに、私は日常の中での自分の変化に気がついた。以前は友達といても、飲み会でもまったく自分から話をしなかった私だったが、気がつけば自分が中心になって会話をするようになっていた。人が私の話で笑ってくれることがとても嬉しかった。人は私の悩みにも真摯に耳を傾けてくれるのだといいうことがわかり、人に対する信頼感と安心感というものがこれほど心地いいものだということをはじめて知った。人に他する恐怖感というものは徐々に薄れていき、これらの出来事全てが私に自信を与えてくれた。

 その後、彼女とはちょっとしたすれ違いから、お互い別々の道を歩むことになった。彼女がいてくれたからこそ、今の私は人と会話を楽しむことができるし、人と真剣に言葉を交わし、信頼関係を形成することができるのだ。

 もし、もう一度どこかで会うことができたら、「あなたと二人の会話で話をすることができたから、俺は人との関係性を築けるようになったよ。ありがとう。」と言いたい。今も感謝している。