ドイツ在住ジャーナリスト理解しがたい発言

NHK出身でドイツ在住の熊谷徹さんというジャーナリストがいる。

ドイツ語に堪能でドイツ人を前にドイツ国内の情勢について講演するほどで博識でもある。この方はtwitterに頻繁に投稿を行い、ドイツ国内の雰囲気などを話してくださる。率直に伝えてくださっているのであれば、ありがたいことです(ツイッターアカウントは です)。

 

しかし時に、到底理解できない発言が掲載されることがある。何かの前提条件や特殊な用語の使い方がある故なのかもしれないが、発言が切り取られて伝えられることや、他のツィートとの関係も無視されることは前提とすべきtwitterでの発言なので、その信じがたい意見が彼の本心なのかと思われる。若しくはわざと反論が出ることをいってviewを稼いでいるのかと思われる。ジャーナリストを称する方がしていいことなのか疑問に感じる。

例えば、2017年2月12日に以下のツイートがある。

裁判所の決定を公然と批判し、法治主義を疑問視するような大統領は、それだけでも弾劾されるに値する。 

 

これは米国大統領が米国政府か被告となった裁判における高裁の決定に不服を言ったこと対してのtweetと思われるが、上告することも可能な高裁の決定を批判することが、「法治主義を疑問視」することになるのだろうか?全く理解できないところである。このジャーナリストの方が、裁判所の意見に同調するが故に、反抗する米国大統領をヘイトしているようにしかみえない。

 

2017年2月12日に以下のツイートがある。

日本では、歪曲された歴史上の事実が、市民によってどんどん常識として受け入れられつつある。歴史を批判的にとらえる人が、少数派になりつつある。この知的荒廃には、愕然とさせられる。インターネットは便利な道具だが、一部の領域で知的水準を低めている。

 

様々な形で歪曲発言がなされているのは事実です。しかしここでいう「歪曲された歴史上の事実」とはなんなのであろうか? ジャーナリストが捏造記事を書いたことがあらわになり、大問題になることさえあるので、何をいっているのかわからないのである。ネットワーク上には、無名市民にしろ有名政治家にしろ、わざと人々を誤解させ世論をミスリードしようとの熱意に溢れる人が多くいる。ただしこの方の普段のtweetから、何がいいたいのか察することはできる。具体的には書かないで雰囲気で伝えるというのは卑怯であると感じる。

 

ドイツでは1930年代から40年代の歴史上の事実が、ネオナチなどを除けば大半の市民から常識として受け入れられている。歴史を批判的にとらえることが当たり前になっている。史実を歪曲しようとする者は、刑法によって罰せられる。

 

このツイートでは、「歴史上の事実」というマジックワードが非常なる怪しさを放っている。
果たして「事実」を特定することは難しいことである。実際にはあるのは言説である。3分前のできごとでさえ、証明できないことがあり、裁判所は冤罪で人が殺すことがある。そのなかで簡単に「事実」などといってほしくない。そしてこのツイートではいったいどのような言説を参照していっているのか全くわからない。文字数が限られるtwitterであり読者も多様、語る多少は複雑となれば全て明快に書くことなど不可能であるが、しかしここまで強い口調で「ドイツは」というのであれば、有名ジャーナリストとしての公人の責任において、明快に書く責任が生じてこようかと思う。
 

 

 14h14 hours ago

ドイツも防衛や貿易について米国に依存している。その点は日本と同じだ。しかしドイツの政治家は、トランプの悪い点は悪いとはっきり言う。日本の政治家やメディアは、その点をはっきりと言わない。欧米では相手の主張に対しノーと言わないとその主張に同意したことになる。それが国際社会のルールだ。

このような無節操なドイツと日本の比較はもっとも情けないと感じられてしまう。ドイツは中国に対してははっきりとものを言っているのであろうか? 中国の人権問題や領土拡張主義はささいなことなのであろうか? ドイツはそれらを積極的に支持しているのであろうか?

相手の主張に対しノーと言わないとその主張に同意したことになると強弁なさるが、そのような単純なものではあるまい。例えば、このジャーナリストの発言に即座にノーといわなかったら同意したことになるのだろうか? それが国際ルールなのだろうか? もちろんそのようなことにはならない。

 

ゆうべの夕食会でドイツ人のティーンエージャーに、1980年にドイツの銀行で使われていた穿孔テープのテレックスについてドイツ語で説明したのだが、彼は全く理解できなかった。「文章をスキャンするの?」と問い返された。

 

まるで平成生まれの人と江戸時代生まれの人が会話をしているみたいだった。「ドイツ博物館に行けば、現物が見られるよ」と教えてあげた。

 

たわいのない話だが、このジャーナリスト氏に聞いてみたい。「あなたがハードディスクやUSBメモリの仕組みをドイツ語で説明したとき、その人は理解できたと思いますか? もしできるのだとすれば、穿孔テープが理解できない理由はなんですか?」と。
理解できなかったのは、説明が手順を踏んでいなかったのか、ドイツ語が下手だったからか、話の聞き手の理解力が非常なるレベルで幼稚であったのか、のうちのどれかである可能性が高い。世代が違うから理解できないという合理的な理由は見当たらない。
このジャーナリストの方は表面的な出来事を自分の都合のよいように解釈する癖があるのだと、このつまらないツイートをみて、思われてならなかった。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げちゃだめって言えるうちは軽症

逃げちゃだめって口にだしているうちは軽症で、問題にならない。

逃げちゃだめっていいながら、なにから逃げているのかわからなくなってしまうもので、たいていはこの状態。本当に逃げ出したいと思っているもののことは、忘れている。なぜかというとそれを覚えているのは、辛すぎるから忘れてしまう。しかし、なにか他のものから逃げてしまう。本能に近い感覚によってさけてしまう。それはどうしてさけているのか、どうしたら避けないですむのかわからないから、とても大変だ。自分にも周囲にもその奇妙な行動の原因はわからない。ただ、へんなやつ、ただ、怠け者、そういわれるだけ。

もとの問題がわからなくなってしまつたら、ほかの強いポジティブななにかで代償するしかない。それで、うまくいく場合もあるし、それが強烈な拘りになって、うまくいかなくなってしまう場合もあるだろう。

できるなら穏やかななにかで、うめあわせをしたい。穏やかな力をすこしずつかけられて、長い時間をかけて、昔うけが傷がうめられていくのが、よろしいかと思う。

傷ゆえに、なにかに怯えているような人には、なかなかそういう機会は訪れないのであるが。

世の中で大切なこと、どう振る舞うかということ

世の中で、どう振る舞うか、そう考えたときに大切なことが3つあります。

第一に、格好いいこと。

格好いいというのは、なにが格好いいのか直接定義しないけれども、社会的に好ましく、機能的でデザインも優れていて、一緒にいると得をした気分になれる、人が容易には真似することができない何かでしょう。結局は、大抵の人はこういう人が近くにいることを好みます。そういったフィードバックが返ってきます。また、なんといっても、自分自信も、なんとなく嬉しい。格好いいとは、そういう根源的な良さを含むものです。

 

第二に、他者に優しいこと

他者に優しくすれば、喜んでもらえる。これが一番です。ルールよりは、その人が嬉しいことを考える。それが一番大切なことだから。恩返しで優しくしてもらえるかもしれないそれは、おまけぐらいに考える。なにか勘違いされて返って意地悪されようとも優しくする。それは、自分自身にとって嬉しいことだから。

 

第三に、自分を律すること

しかし、自分については、できる範囲で厳しく律する。怒らない。嫌な感情を持たない、よくない言葉を使わない。大切なことです。

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人の性格について、スターバックスの椅子の引き方でわかる事とわからない事

 スターバックスの床は固く、椅子は重い木製である。座るためにそのままひけば、ガタガタギィギィー、と派手な音が乾いたものが多い、店内で響いて、とても居心地の悪い思いをする。

 これを引き摺らないで、持ち上げるようにして少し下げて、そっと下ろしている人は、優しい人に違い無い。

 では、何も気にしないで、引き摺り大きな音を立てている人は、優しくない人だろうか? いいえ、それは言えない。優しく運んでいる人は、優しい人。引き摺っている人は、関心が無いだけからかもしれないから、その人が優しくないとはいえない。

 このことを意図的に混同する人たちがいる。「あなたたちは此れをしないから」、そういう理由が人にレッテル貼りを行う。まことにやっかいな仕組みがあらゆるところで発動されている。困ったものである。

はてなブックマークって本当に時間の無駄でしかない

はてなブックマークって本当に時間の無駄でしかないと思う。全部が全部無駄ではいないが、ほとんどが煽り煽られの、よくいって時間潰しでしかない。

普通にユーザーの利便性を考えたら、一度みた記事は表示できないようにする、NGワードを設定してそれにひっかかる記事は表示しないなどのフィルタリング機能をつけるなどが、正常な対応であろう。

しかし、そういった機能がないのは、運営側が時間つぶしこそが、はてなブックマークの本質であり、煽り記事が栄えることこそ重要であると考えているのであろう。

記事やブログの中にも、それを狙っているものも多いわけであるし、そうしたやらせを前提で楽しんでいるユーザも多いのであるから、否定はできないが・・・。個人的には、非常に使い難いものになっていると感じる。

やる気が出ない時は、片付けと整理をする

やる気が出ない時は、片付けと整理をすればよい。

往往にしてやる気が不足している人は、普段から片付けもさぼりがたちで机の上から部屋のなかまでごちゃごちゃと、いらないものがたまったりしているものだ。そうした、ごちゃごちゃ感がさらにやる気をそいでいる。混沌とした環境は、何か手に負えないものが眼前に存在しているかのような印象をあたえ、知らずしらすのうちにさらにやる気をそいでいく。だから、やる気がなかったら、まずはそれを解消しよう。

片付けというものは、ある程度まではなんの目標もなくてできる。特にゴミがちらかった部屋であるならばなおさらだ。本当にめんどうくさかったら、大きめの箱を用意してゴミ(と思われるもの)をそこにほおりこむだけでもよい。その結果あらわれた綺麗なスペースは、以前よりは、あなたにやる気をあたえる。

片付けの効用はほかにもある。とにかく手を動かすことで、働くことがくせになるということ、そして着実にきれいになることで、精巧体験が植え付けられるポジティブになれることである。やる気のない人は、なにかの失敗が心の奥深くに刻みつけられていて、どうせがんばってもうまくいかないのではないか、という思いにかられている場合がある。そんなことはない。昔うまくいかなかったことがあったからといって、将来は全く別である。それが証拠にほんのちょっとガンバッテかたづけければ、その成果はきちんとあらわれる。

体を少しでも動かすことは、気も晴れる。なおいいことに、その間によいアイデアがうかぶ場合が多いということだ。ちょっとひいた位置がながめることはとてよいことである。がんばりすぎないでがんばる、こと。それが片付ける動作の中で、ゆったりと考えることで実現される。

やる気は誰にでもそなわっているものである。ところが、なにかのきっかけで、そのやる気が否定されてしまうと、恐れが発生しできなくなってしまう。やる気と恐れの葛藤がさらなるやる気の減退を生み恐れを生む。こうした負の連鎖を断ち切るためには、体を動かすことである。では何を? そのときに一番よいのが、お片づけである。日々のルーティンとしてお片づけや掃除を取り入れることができれば、こんなによいことはないだろう。

こんな当たり前のことを・・・そう思われる方もおおいだろう。あたりまえのことの積み重ねがよい生活に結びつくのに、それはなかなかできないもの。うまくいく人はそれができるし、うまくいかない人はそれがてきない。ちょっとしたことでも、根本であるだけに、影響は大きい。 

matlabスクリプトの高速化

matlabの行列はをfor statementで連続して処理するとき、

左側のindexを操作するfor statementを内側にもってきたほうが、

動作が速い。

 

このことは昔より知られていたことであるが、

あまりにも大きなパフォーマンスの違いがでるゆえに、

さすがに改善されているのではないかと思ったが、

現在(2015a)においても健在であった。

 

>> A = zeros( 2000, 2000 );clear A;tic; for i = 1:2000; for j = 1:2000; A(i,j) = i^j;end;end;toc
Elapsed time is 3.276390 seconds.

>> A = zeros( 2000, 2000 );clear A;tic; for i = 1:2000; for j = 1:2000; A(j,i) = i^j;end;end;toc
Elapsed time is 0.441224 seconds.

 

後者は、処理時間が、前者の1/7 以下である。

 

なおparforを外側ループに適用すると前者は速くなり、後者は遅くなる。

もっともはやいのはparforを使わない場合の後者である。

 

ちなみに、for statementを単純なインクリメントではなくランダムな順序で、i,jを変化させるように書き直すと、for statemtnの順序にかかわらず、さらにおそくなる。

>>a = randperm(2000);

 >> A = zeros( 2000, 2000 );clear A;tic; for i = a; for j = a; A(j,i) = i^(0.1+j);end;end;toc
Elapsed time is 3.687055 seconds.