すまーとほん
ついこの間、携帯を無くした。
最初は「あれ?どこ置いたかな。」と探したけど
3分でやめた。
探すほど「必要」ではないんじゃないか。そう思った。
むしろ、手放して少し解放感があった。
いつもの帰り道、街を歩きながらふと気づく
なんでもかんでも掌サイズのちっちゃい箱で出来るようになってさ
連絡もすぐ取れる。知りたい情報もすぐ知れる。音楽が聞けて、テレビもみれて
とにかくなんでもできる。
なんか「家でやってたことが、外でも出来るようになった。」のかな。
その分、外でもずっと画面とにらめっこ。
スマホ持ち始めて、どんどん普及して
全然街のこととか見なくなったなぁ。って改めて思いました。
あと、あるのとないのとで時間の流れが全然違う感じがしますね。
2日ほど、携帯がないゆったりした時間を過ごしました。
勝手に携帯に縛られてたんだね。慣れって恐ろしいわ。
わすれもの
「優しい」ことがたまにキズ
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私が生まれた年代は
よく「ゆとり世代」と言われている。
例えば年齢を聞かれて
「いくつぐらいなのー?」
「○○歳です。」
「あーじゃあ、ゆとり世代だね~。」
と、まあ、こんなあからさまな会話はしたことはないけれども(笑)
ゆとりと分かった瞬間に「あー。ゆとりねー、そうねー。」と
少なからず勝手に「可哀想」と思われたりする。
ゆとりゆとりってあたかも
ゆとり世代生まれ=勉強できない=頭の中お花畑
ではない。年代=人格 と判断する人の脳内がお花畑だ。摘んでまうぞ。
いつどの時代だって
やる人はやるし、やらない人はやらない。
出来るのにやらない人もいるし、出来ないけどやる人だっている。
なんとか世代ってのは関係ない。やれる人がどんどん上がっていくだけのこと。
見た目や生まれで判断せず
「うちがわ」をしっかり見れる人になりたいもんです。