由緒:創建は不詳だが、周辺が新田開墾された戦国時代の享禄年間(1528~1532年)頃、当社も成立したとみられる。大和国吉野の丹生川上神社を勧請し、水害除けのために堤防を築いた際、その上に鎮斎したと伝えられている。新編武蔵風土記稿には「寶蓮寺持」と記され、別当寺が東林山華蔵院寶蓮寺(現・亀戸4-35-12)であったことがわかる。
当社の鎮座地域は下ノ圖子と呼ばれていたが、1900(明治33)年に亀戸町が成立すると下の組と改称、志茂陸会を結成して維持に当たった。明治末期までは巨木が鬱蒼と繁る森に囲まれ「水神森」と呼ばれていたが、付近に民家や工場が激増したため次第に樹木が枯死し、往時の面影は失われている。1945(昭和20)年3月10日の大空襲により大きく被災し荒廃するが、前年に結成された亀戸水神宮再建奉賛会の尽力により1960(昭和35)年6月に再建された。現在は亀戸香取神社の兼務社となっており、亀戸水神奉賛会により護持され毎年6月第一日曜日に例祭が斎行されている。(「神社と御朱印」より引用)
住所:東京都江東区亀戸4-11-19
初穂料:500円(書置)