can't dance well d'Etre

経験不足のカラダと勉強不足のアタマが織りなす研究ノート

【創作とは何か】マッチュの描いた芸術家の精神構造【詩へいたる病】

こんにちはザムザです。東京都美術館で開催されている『クリムト展 ウィーンと日本 1900』に行ってきました。そこでクリムトについて感じたことを書いてみようと思い、いざ書きだしてみたらマッチュが主役になってしまいました。というのもクリムト展にはクリムトと同じくウィーン分離派であるマッチュの作品もあったのです。

予定を逸れて今回書きあげてしまった記事は、クリムトではなくマッチュの作品である「女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ」を前にぼくが感じたことのエッセイになりました。

キーワード:フランツ・マッチュ、キェルケゴール、創作、詩へいたる病

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映画『グレイテスト・ショーマン』:最も偉大なマイノリティであれ!~フリークスであることの栄光に関する覚書

 映画『グレイテスト・ショーマン』を見ました。

 おもしろかったです。

 でも、ただ「おもしろかった」だけで終わらせるのは惜しい。それくらいに〝ナニカ〟を感じる映画体験でした。

 なのでその〝ナニカ〟をたしかめるためにも記事にすることにしたのです。

 

 わたしは『グレイテスト・ショーマン』を見て、この映画から「人生には希望があふれている」というメッセージを受け取るひとが多いだろうと感じました。〝夢を見ることの希望〟と言ってもいいでしょう。

 なんにせよ、ポジティブであることはたしかです。

 とくにフリークスという〝ユニークな人々〟が登場して、彼らもまた誰に邪魔されることのない絶対的なものとしての自分の夢を追い求める姿は感動的です。

 主人公もまたまずしく、映画冒頭の様子などは思い描いている夢とは絶望的なへだたりがあるように思われます。

 なのに、あきらめない。

 夢を追うことは自分に与えられた当然の権利だとでも言わんばかりに、夢に向かって突き進むのです。

 

 映画『グレイテスト・ショーマン』が、ひとの人生について、とくにひとが自分の夢を追うことについて何かしら重要なことを語っているとしたら、それはなんだろうか?

 

 わたしは考えはじめ、そして――この記事を書き上げました。

 

  • この記事の構成について
  • グレイテスト・ショーマン』の概要
  • ①人生は一度きり!冒険しよう!
  • ②他人の目なんて気にしないで!あなたはあなたなんだから!
    • 他人の目を気にすることなく自分自身になる
    • 夢を追いかけることは〈自分が自分であること〉にとっては絶対的なものである
  • ③マジョリティの安心感なんてクソ!むしろフリークス(マイノリティ)であることの栄光に浴せ!
    • 自分のことをマジョリティだと思っている人たちの醜さ
    • マジョリティの堕落とマイノリティの躊躇
    • フリークスのロジックは「みんな違ってみんないい」
  • あるひとつ感想:フリークスとしての自覚を持つことが大切である
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映画『ナポリの隣人』:通訳者は弁護士をウソつきと解釈する

2019年3月12日に映画『ナポリの隣人』を観ました。ジャンニ・アメリオ監督の映画です。ひとつの家族のすれ違いを、移民問題を抱えるナポリを背景にして映した作品。実の家族でうまくいっていなかった関係を、移民である隣人家族との関係ではうまくいきそうになってしまう父親とその娘の関係について書きました。

キーワード:真理と事実、解釈と通訳、家族と移民

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なぜ本当に書きたいことは書き出すことができないのか:試考日記0002(2019年3月16日)

ふと思ったこと。とりあえず、わたしは書いているけれど、本当に書きたいことのほとんどがまだ手つかずのままなんじゃないだろうか。これってヤバい。なんのために考えているんだ!なんのために書いているんだ!――この、一種の欠落感について、書いてしまっていました。

 

  • 本当に書きたいことに手をつけていない
  • 本当に書きたいアイデアを書き出せない理由
  • とりあえずの第一行を待ちながら
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