サラバ! 

西加奈子はすごい。人間の心情を、どこまで正確に捉えることができれば、あんな文章がかけるのか。歩も、貴子も、お母さんもお父さんも、矢田のばあちゃんも、夏枝おばさんも、須玖も、鴻上も、ヤコブも。一人一人の心情に、同情できて、リアル。この人の、この心の変化には、納得出来ないわ、っていうのが1つもなかった。

 

登場人物の設定は、幾分ぶっとんだものも多いけど、だからこそ迫るものがある。

 

歩が、もっと自分の気持に素直になれたら、世界はもっと変わっていた。家族に対して、もっと働きかけて、互いをぶつけあう時間が必要なんだ。きちんと対話する時間が必要なんだということ。周りの了解を得ずに、勝手に話を進めると、ろくなことがない。後々に禍根を残すことになるだけだ。ずっと感情と理性のパイプとなるものがなかった。それこそが、作中の「芯」なのだろう。芯になりうる考え方を持っているはずなのに、それを貫き通せるほど強くない。ぼくは芯を持っていたいと思う。

こころとの対話 幸福を得るために

自分のこころと、対話をしたことはありますか。

 

きっと、きちんと自分のこころと向き合ったことのある人は、少ない。

 

こころと、からだと、あたまは、別物です。そして、自分が操ることができるのは、あたまと、そのあたまを通して命令を下せるからだだけ。

 

こころは、関数のようなものです。変数xに、外からの刺激を入れたら、yから反応が返ってくる。この関数の形は、おおむね、幼少期に作られるのだけれど、日々変化します。この形を操ることはできません。こころは、自分の支配下の外で、勝手に反応をする。

 

こころの反応にあたまを結びつけていかないと、幸福感は生まれません。多くの人は、こころの反応に気がついていながら、あたまでそれを拒否することがたまにある。そしてそれを、「大人の振る舞い」とよび、そうした大人を「成熟している」なんて呼び方もする。でも彼らは、自分の気持に蓋をしているだけ。素直になれていないだけ。

 

こころが何に反応をするのか、外から見てみよう。あたまをこころから引き離して、少し遠くから見ていると、自分のこころが、どんなことに嬉しさを感じ、悲しさを感じるかがわかります。野球をしているとき、本を読んでいるとき、人から感謝をされたとき、人の役に立てたとき、チームで勝利したとき。恋人と別れたとき、謝られたとき、一人でいるとき、誘いを断られたとき、無視されたとき。まずは、自分のこころの関数を知るところから始める。

 

そして、関数とあたまをつなげる。関数と行動をつなげる。こころとあたまとからだがつながったとき、あなたは幸福への扉を開けることができるはず。

 

おしまい。