起業相談受け付けます(学生限定)
僕も学生起業した身ではあるので、その知識が
少し役に立てればと思って学生起業相談を受けてます。
僕も起業したときとかってすごく不安だったし、
「分からない事が分からない」みたいな状況だったので、あの時の僕が欲しかった相談窓口を作りました。
リアルな体験が伝えられれば、より具体的なアクションを起こしやすいのかなと思うので気軽に相談してきてね。
相談資格
・学生(もしくは24歳以下)
相談時間
40分
相談日時
いつでも可
相談内容は不問です。
ビジネスモデルがあるならそういう相談でもいいし、ビジネスモデルが無くて何をしようか決めてない。って状況でもOKです。
僕と面識が無くても大丈夫です。
なにか行動を起こそうとする時は、
常に孤独だし、不安だし、誰も信じてくれないかもしれない
でも常に一歩踏み出した人だけが、世界を変えれるんだと思ってます。
自分の夢に正直に進んだ人だけが、面白い景色を見れると思うよ。
そういう手伝いができればと思います。
連絡方法
facebookかXで友達申請してメッセ送ってください。
社会貢献と自己成長について
ありがたい事に、弊社には「社会貢献したい」という志を持って入社志望頂く機会も増えました。
その「志」自体、私は悪くないと思っています。
ただ入社後、イメージとの相違が生まれる事があるので、
その差異を埋めるべく、在職スタッフやこれからの応募希望者向けに、私の思いを明確に記したいと思います。
社会貢献が目的では無い
誤解を恐れず言うと、私は特に「社会貢献」をしたいと思っていません。
私達は「シニアの働けないをなくす」という事業ミッション掲げ、一人でも多くのシニアの方が社会との繋がりを持ち、所得問題を解決して、実りある人生を送れる手助けをしている。
それこそが、社会問題の解決を担っている事は確かだと思う。
しかし、私達決して「社会貢献」自体が目的では無く、全く違うベクトルで事業を推進しています。
社会に「新しい価値」を生み出す
私達は、社会に今なき「新しい価値」を生み出す事を目的としています。
日本は世界一の高齢化社会の国である、また世界一の人材会社が多い国でもある。
そんな国において、シニアの就職支援は全国でも2〜3社程度しか無いのである。
シニアの方々がより就職しやすい労働市場を作り、国内企業のシニア採用の裾の尾を広げ、少子高齢化社会に適した新たな労働市場を創造する。
そして超少子高齢化国家が、経済成長出来る世界初の事例を作れば、それは「今なき新しい価値」を創造できるのでは無いかと考えています。
したがって私達は、目指す未来の過程で「社会貢献する事になった」だけであり、「社会貢献」そのものが目的ではないのである。
私達は「社会貢献」ではなく「新しい価値の創造」を目的としている為、成長と結果を重んじている。
なぜなら、今なき社会的価値の創造には、圧倒的な実力が必要だからだ。
成長せずして社会貢献はできない
社会貢献したいと思う多くの方は「誰かの役に立つ事」や「誰かを幸せにする事」で自身の存在価値を役務を通して実感したいのだと考えている。
その思考自体は間違ってなく、素晴らしい志だと思います。
しかし、成長しなければ、誰かを幸せにする事は出来ないのである。
・成長して実力があるから、同僚は仕事が楽になるのです。
・成長して実力があるから、顧客はあなたに仕事を依頼したいのです。
・成長して実力があるから、依頼した顧客と、顧客の関係者は幸せになるのです。
美容師で例えるなら、おしゃれな髪型にしたいと願う顧客に対して
おしゃれな髪型に出来る美容師は、おしゃれな髪型に出来る「実力」があるから、顧客の望みを叶えられる。
実力が無い美容師は、おしゃれをしたい顧客の望みを叶えられないのです。
顧客の望みを叶えたのは本人の「思い」ではなく「実力」なのです。
したがって「ビジネス」という世界においては、顧客の望みを叶え、顧客の幸せを実現できるのは「思い」ではなく、成長し自身が身に着けた「実力」であると考えています。
社会貢献が目的であれば、ボランティアをすればいい
もし本当に社会貢献をしたいだけであれば、無償でボランティアをすれば良い。と私は考えています。
自分の労働対価を「無償」にする事で、受け入れた団体は幸せになり、誰かの役に立つ事は達成できます。
ビジネスの世界においては、実力がなければ誰かを幸せに出来ないのは前述通りであり、実力がなければ同僚を幸せにする事はなく、顧客を幸せにする事もありません。
目の前の人を幸せに出来なければ、社会貢献など出来ないのです。
・「無償」という道具を用いて、誰かを幸せにするのか。
・「実力」という道具を用いて、誰かを幸せにするのか。
これが無償ボランティアとビジネスの違いだと、私は考えています。
そう、ビジネスの世界は「実力」という道具を用いて、誰かを幸せに出来るのです。
経営者だけが出来る仕事とは
僕の職業は経営者です。
経営者といっても仕事は何でもやります。正直従業員の方でも出来る仕事は多い。
では、経営者と従業員の仕事の違いはなんでしょうか。
僕はどんな世界をつくりたいのか、どんな未来を実現するのか?と言う「ビジョン」を作る事だけが唯一、経営者しかできない仕事だと考えています。
それ以外の仕事は、誰かが代替出来るのである。
経営者唯一の仕事は「実現したい未来」の方向決める事なのです。
私は「ビジョン」を作るときは、全くビジネス要素は考えていません。
収益性や市場など度外視し、心の底から「こんな未来って最高だよな」っていう少年の様な混じりっけ無い「思い」だけで決定します。
その「思い」を「論理」で組み立て「合理」で判断し実行に移して行く為、日々の業務の中では、この「論理」と「合理」しか日常的には見る機会はないかもしれません。
僕は骨の髄までビジネスマンである
外に出ている僕のインタビューは「ビジョン」に触れる機会が多く、僕の「思い」の部分のイメージが先行されているかもしれません。
しかしながら僕は聖人君子でも何でもなく、骨の髄までビジネスマンです。
もちろん我々の向かう先には、シニアの人々のより良い未来があると自負しています。
しかし、日々は「正しい行い」と「利益」を最重視し「ビジネス」を行っています。
僕は、利益が作れなけば、どんなビジネスも「悪手」だと考えています。
足元は利益が無くても、将来的に大きな「利益」を生み出せれば良いです。利益を産まないビジネスは全て「悪手」です。
「利益を生み出せる」こそがサービスの重要指標であり、会社として全うすべき最重要事項だと捉えています。
儲かる事は正義である
また、私は儲かる事が決して悪では無いと思っています。
人々が対価を支払ってまで利用したいというサービスを生み出し、市場に受け入れた結果、儲かるのです。
その儲かったお金で国に納税ができ、納税されたお金で国家が運営され、人々の生活がより便利になります。
儲かれば国家運営に貢献出来るのです。
ではなぜ、儲かる事が悪と見られる風習があるのでしょうか。
私は「正しい行い」の元に生まれる「利益」が会社として重要だと考えています。
これを守らない事業者が少なくない為、儲かっている事が悪と見られる事があるのだと考えています。
私達は常に「正しい行い」のもと「利益」を最大化させる事を使命にしています。
シニアの方の転職支援でも、今の職場に残ったほうが良い場合は「今の職場に残ったほうが良い」と伝えます。その場合、我々は転職支援は出来ません。
そうなると、売上増加のチャンスをわざわざ自分達で逃します。
無理に転職をすすめて売上を上げる事は出来るかもしれません。
しかし今の職場より悪い条件で就業になったら、それは「正しい行い」と言えるのでしょうか。
60歳という年齢で退職し万が一、再就職先が見つから無かったら、それは「正しい行い」といえるのでしょうか。
正しい行いの元生まれた利益の数は、人々の生活をより良く出来た数でもあるのです。
そのため「利益」と「正しい行い」をセットにし、徹底的に「儲ける」事が出来れば、会社としての方向性を間違う事は無いと考えています。
メディアには、きっと僕の「思い」の部分だけが映る事が多いので、日々の「ビジネス」の思考も共有したいと考え、僕の考えを記しました。
結果を重要視していますが、もちろん最初から結果を出す事はできないと考えています。
私達は「ビジネス」において結果を出す為のサポートは真剣に行っていますので、もし気になった方はぜひ気軽に問い合わせください〜
僕は人を信じていない
ビジネスでも、プライベートにおいてもでてくる「人を信じる」事について。
人間としての生活には、一部の人を除いて、基本的に、他人との繋がりやコミュニケーションを介して生活が成り立っている。
そして人として集団で生きている中で「人を信じる」という行為が生じる。
この「人を信じる」について、僕なりの見解があるので纏めておきたい。
僕は人を誰も信じてない
僕はたまに「中島さんって、人の事を誰も信じてないですよね」言われる事がある。
そう。僕は人を一切信じてない。
家族も友人も、社員も恋人も誰だとしてもだ。
ただ、僕は人を信じてないし、疑ってもいない。
ただ起きた事実だけを確認し、その事実を受け止めて、消化するだけである。
人を信じる人、信じない人いずれかを否定するつもりはない。
また他者が、全員悪人だと思って接している訳でもない。
「信じる」という行為の前提と意図を自分なりに考えた結果。僕は上記考えにたどり着いた。
「信じる」という期待
僕は「信じる」とか「信用」という言葉が嫌いだ。
なぜなら僕は「信じる」という言葉の裏には、
「他者が自分の理想や、都合の良い言動を行なってくれるという期待」だと考えているからである。
・信じてるから、言わないでくれるだろう。
・信じてるから、助けてくれるだろう。
・信じてるから、◯◯という事はしないでくれるだろう。
・信じてるから、任せても成果を出しれるだろう。 ...etc
など、自分が期待している結果とズレが生じた時に、
人は「裏切られた」とか「信じてたのに」という感情に陥るのである。
しかし相手は自分の期待を全て理解する事は出来ない。
まして大多数の人は、最終的には他人より自身を優先する。またそういった自己優先の思考は至極真っ当な考えだと思う。
だから「裏切った」とされる本人は、裏切るつもりはないのである。自身の考えを優先したまでなのだ。
つまり信じるという行為は「勝手な期待」だというのが僕の見解だ。
そのため「信じる」という勝手な期待がなければ、「裏切り」という行為そのものが起こり得ないのだ。
人は悪にも善にもなりえる
人は環境次第で、悪にも善にもなりえる。と考えている。
仲の良い人間だって、家族だって、恋人だって
目の前に自己利益があれば手にしようとするのである。
相続で揉める家族がいい例だ。
血を分け合った家族だって自己利益の為に争うのであるから、他人と揉める事は容易に想像がつく。
善悪の意思が無くてもそうだ。
例えば知人を助けようと車で病院に運んでる最中、子供を轢いて殺害してしまったとしよう。
極端な例ではあるが、その人は一瞬で、善人から悪人になるのである。
本人の意思有無も含め、
その人の置かれた環境・状況次第で、人は悪にも善にもなりえるのだ。
とはいえ僕はどちらかと言えば「性善説」を信じてる側の人間である。
信じているというか、そう願いたい。
人は生まれ持ってして善であり、状況環境次第では悪にもなりえる。
悪になりえる環境状況を取り除く事ができれば、みな善として生きると願いたい。
強い信念と、確固たる判断基準
僕は信じる事がない。その為裏切られる事もない。
そしたら何を、判断基準とすれば良いのだろうか。
そう思った時に僕は「事実」だけを受け止め判断する事に決めた。
自分の見えていなかった相手の一面が見えたとしても、万事その事実を受け止めて、相手のせいにせず解釈して消化する。
そして事実だけに目向けて、自身の責任で判断を行うのだ。
他者の言動に一喜一憂せず、すべては自責であるという強い信念をもち、確固たる判断基準を持つ事が大事だと考えている。
これが、僕の人を信じないという事に対する見解だ。
誰しもがいい人間である一方、自分も含め誰しもが悪い人間になりえるという前提をもち。
一方的な期待をせず、自責の信念と判断基準をもって、自分自身の判断を「信じる事」
それがお互いにフェアな関係なのかなと思っています。
顧客満足度について
「顧客満足度」の向上というのは、
全てのサービス提供事業者にとって重要である事は間違いないし、常に向上を図るべき物だと思っている。
ただ顧客満足度について、日本における商習慣価値観と本来の価値創造において相違があると思っているので、僕なりの見解があるので纏めておく。
利用継続こそが「顧客満足度」である
まず顧客満足度の定義として、
僕は「サービス利用継続」こそが顧客満足度であり、それ以上でも以下でもないという考えだ。
みなさんも飲食店に行って、
自分が満足するサービス(雰囲気、料理、価格など)でない場合、リピートは決してしないだろう。
逆に満足するのであれば、リピートするし、いずれかは常連さんになるのでは無いだろうか?
顧客満足度とは、シンプルに「利用するか」「利用しないか」が僕は一番はっきりした指標だと考えている。
「顧客満足度」の違和感
僕は今の日本に商習慣おける「顧客満足度」に対して違和感がある。
それは以下の様な事案だ。
・不当な要求
・過度な説明要求
・過度な対応要求
・購入後にサービス金額を値切る
・サービス提供ルールを変更要求 等
上記の様な事に答える事が「顧客満足度」の向上と考えている風潮があるのでは無いかと思う。
これは昔から日本に根付いてる「お客様は神様」という、商習慣の価値観からきているのでは無いかと推測している。
上記の様な事に応じる事が「顧客満足度」の向上とするのであれば、
私達は一切「顧客満足度」の向上を目指さない。とはっきり述べたい。
むしろ上記の様な消費者には、利用継続を拒否しても良いと考えている。
なぜならば上記の様な事案に応じる事で、サービス価値の向上を図る事ができなくなる可能性があるからだ。
サービス価値の向上が全て
顧客満足度の定義は「利用継続」であるという事は前述通りだ。
したがって、顧客満足度を向上させる方法は1つしかないのだ。
それは、「サービス価値の向上」である。
サービス価値とは購入する理由である。
・圧倒的な低価格
・圧倒的な品質
・圧倒的な体験
・圧倒的な速度 等
消費者は「たまたま手に取った」からサービスを購入する訳ではない。
上記の様な多くの「価値」に対して、対価を支払い利用するのだ。
そのために我々は、利用継続の為に「圧倒的価値」を創造し続けなけばならない。
圧倒的価値がなければ、ユーザに利用する理由がなく、サービスが繁栄する事もなく、世の中に数多ある、「よくあるサービス」の一部として埋もれてしまうのだ。
圧倒的価値の創造には「代償」がある
しかし、圧倒的サービス価値の提供には、背負わなければいけない代償が発生する。
それはビジネス構造上における「ひずみ」だ。
一般的に考えれば、以下の様な構図が生まれるのは安易に想像がつくと思う。
・高品質の物を手に入れようとすれば、高価格になる。
・安価な品物を手に入れようとすれば、低品質になる。
もちろん、これらのビジネス構造上の「ひずみ」を埋める企業努力は十二分に必要である。
しかし、論理的・物理的に解消不可能な部分も多大にある為、
同業界の中にも高価格帯や低価格帯を狙ったビジネスの棲み分けがされる。
この様に従来製品群の中から、圧倒的価値を創る場合には少なからず「ひずみ」が生まれるのである。
しかし圧倒的価値の創造がなければ、新しいイノベーションは生まれない。
ひいては「圧倒的価値の創造」がなければ、我々の様なベンチャー企業に存在価値は無いのである。
価値の本質
そのために私達は「価値の本質」の選別に時間をかける。
価値の本質とは、顧客成功像を作り上げる要因であり、私達が創る事の出来る未来である。
顧客にとっての「価値の本質」を見つけ出し、その価値創造の為に「選択」と「集中」をし続ける事。
これこそが、圧倒的価値の創造活動における重要事項だと考えている。
求人サイトは「1円でも安く、いい人」
例えば求人サイトにおける「価値の本質」はなんだろう。
求人サービスにおける顧客の成功像は「1円でも安く必要な人材を採用し、採用した人材が会社に貢献」している姿と定義している。
ここで大事な事は以下2つである。
・1円でも安く採用
・採用した人材が会社に貢献してる
貢献する人材を取れるのであれば、割高な手数料を支払ってでも採用したいと考えている。
なぜならば採用活動とは投資であり、投資した分リターンが回収できれば良いのであるから、問題は手数料ではなく「リターン回収が出来る人材か?」が重要となる。
しかし、現実には存在しないが「全く同じ人材」を採用できるとしたら、どうだろう?
手数料は1円でも安い方が選択されるのである。
つまり「1円でも安く、いい人」採用出来る事が、求人サイトにおける「価値の本質」なのである。
全てはサービス価値最大化の為に
シニアジョブという求人サイトは、圧倒的価値創造の為に「コスト」を選択した。
例えば、看護師を正社員で採用して7万円である。
成果報酬型の求人サイトにおいて、看護師の正社員を7万円で採用出来るサイトは、現状私は他に知りえない。
この圧倒的低価格こそが、我々のサービス価値なのである。
・全ての企業に、営業マンが細かくサービスの説明をする事もできた。
・全ての企業に、管理画面の操作方法を一つ一つ説明する事もできた。
・メッセージ機能も、もっと自由度を提供できた。
・求人だって全てを代行して作成する事もできた。
できれば顧客1人1人と対話して、根掘り葉掘り課題解決に取り組みたい。
でも、これをしない「選択」をした。
そう、すべてはサービス価値最大化に「集中」をする為である。
価値の本質を真剣に見極め、
価値の本質の先に、正しい顧客未来像があると信じ続け、
自分達の持っている、全ての知識と体力とお金と時間をつぎ込み、圧倒的価値を創るのである。
これこそがサービス価値の追求であり、利用継続の要因であり、我々が存在する意義なのである。
中途半端な価値提供をする「よくあるサービス」になってはいけないのだ。
感謝の思いは、忘れない。
とはいえ、我々が存在しているのは「お客様」があってこそ。
お客様が我々のサービスを利用し、対価を支払って頂けるから、私達が生存していることは、紛れもなく事実である。
創業社長である私は、初めて法人口座にお金が振り込まれた日の事を、今でも鮮明に覚えています。
今では、その新鮮さは薄れてしまっているかもしれませんが、感謝の度合いは薄れる事はありません。
類似製品で従来受けられていたサービスが受けられず、困惑する部分も多分にあるかと思います。
しかし我々は圧倒的価値を創造の信念の元、サービス価値の最大化を図り続け、利用頂く皆様の成功像の実現に、自身の人生を掛け、全てを注ぎ続けます。
それが私達の信念なのです。
全てのお客様に感謝を伝えると共に、私達のサービスを利用頂いている全てのお客様の成功を心から願っています。
スケボー再開
小学生の時に親に買ってもらって以来、小さい頃は毎日熱中してやっていたスケボー。
ここ最近30歳超えて、またスケボーにハマり始めた。
(ただしあまり上手くない)
高校生当時、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとか絶頂期で、音楽もそうだし
NITRAIDとか着て、スケーターのRYUJINのスケートフィルムを友達の家で見てた思い出がある。
今思うと小さい頃から、ヒップホップカルチャーが好きだったんだなと思う。
最近は、思いつきで適当な街に滑りにいって、その街のせんべろな店で飲んで帰る。
そんな、身体にいいのか悪いのか分からない休日を過ごしてる。
今年中にKICKFLIPをメイクする!頑張るぞ〜
何が起業家を殺すのか
最近「何が起業家を殺すのか」について考えていた。
これは文字通りの殺害ではなく、「スタートアップの死」、いわゆる「廃業」や「身売り的な売却」を指している。
創業者の諦め
僕はつまるところ「創業者が諦める事」が、スタートアップや起業における終了原因の9割だと考えている。
他にも「資金ショート」も大きな原因とも考えたが、
正直、創業者が諦めなければ、復活する程度の資金を集める事は大いに可能である。
また大企業参入や、他社競合に市場を圧巻され、廃業に追い込まれるケースはかなり稀であり、
ライバルに打ち負け廃業に追い込まれるとう事は、スタートアップにおいてほとんど起こり得ないのが実情だ。
事業モデルが悪ければピポットすればいい、資金が足りなければ集めればいい、人に裏切られたのであれば自分を見直せばいい、リリースがなければ集めればいい。
上記の様な問題解決に「創業者の心身がついて行かなくなる状態」が訪れたとき。
そのときに「スタートアップの死」は訪れる。
諦める理由は捨てるほどある
決して諦めるという判断を否定しているわけではない。
同じ起業家として、「諦める様な瞬間」が毎日の様に訪れている事を知っている。
・ニーズが想定以上に少ない
・人がついてこない
・売上が上がらない
・人手が足りない
・創業者間で問題が起きる 等
これ以外にも、本当に挙げたらキリがない。
それくらい「諦める理由」は目の前に、そして毎日大量に転がっているのだ。
それに対して、「諦めない理由」はどうだろうか。
諦めない理由というのは目に見える形では無い。目に見えないのだ。
諦めない理由は、創業者の心の中にある「覚悟」や「理念」などの本人思いだけ。
たった1つ「思い」だけなのだ。
だからまともな精神状態であれば、多くの人が諦めるという選択をするものだと思っている。
諦めなけば勝てる
スタートアップや起業は多くの場合、諦めなけば大体の事はうまくいく。
という記事を何かで読んだ。
これはまさにその通りだと思う。
上記で記載した通りに、様々な問題解決に疲弊した起業家が次々と諦めていく。
いつのまにか、ライバルは自然といなくなっていく。
つまり「諦めなければ勝ち」なのだ。
当たっている宝くじは誰でも換金する
「1億円の宝くじがあたっているが、台風だから換金を諦めた」
もし身近な人でこんな話を聞いたらどうだろう。
きっと誰しもが、換金に行かない事を不思議に感じると思う。
僕にとって「諦める」とはこの感覚に近い。
換金所は遠く、電車に乗らなくては行けない。
しかも外は土砂降りの雨だ。換金所に着く頃にはお気に入りの服はびしょ濡れ間違いない。
ただし換金すれば1億円が手に入るのだ。
こう聞けば、誰しもが「諦める」選択肢は無いのではないだろうか。
起業家はその価値をいくらにだって設定できる、1000円でも1000億円でも自由に設定可能だ。
大事なのは、その価値を混じりっけ無く信じれるかという事だ。
もちろん、換金しに行く数多の困難を乗り越える覚悟もセットにして。
病的な信念
僕は創業1日目から今まで「上場」できないと思った事がない。
赤字出しまくって、創業者間トラブルがあり、キャッシュアウト寸前だったあの日も、「上場したら、これを自伝の本のネタにしよう」と予定を立てていた。
呼吸すると同じ様に「自分の会社は上場できる」と考えている。
何がそうさせるかは分からない。
しかし「揺るぎない自信」「強烈な信念」を病的に有している。
これらは初めからあった訳ではない。
自信を付ける方法は長くなるのでここでは割愛するが、自信は後天的につける事が可能だと思っている。
病的な信念こそが、全ての始まりであり、病的な信念が不可能を可能にする。
病的な信念が「起業家そのもの」なのである。
「諦めそうになった事はなかったのか?」
と聞かれる度に、不思議に思っていたので自分なりの考えをまとめてみた。
僕たちは上場だけでなく、僕の目が黒いうちに時価総額1兆円を目指したいと考えているます。
その過程を一緒に作ってみたいと思っていただける仲間を募集していますので、
ぜひ気になった方は覗いてみてください。
バリューについて
シニアジョブでは、バリュー追加・スピリット変更し
会社としての価値観、大事にすることをリニューアルしました。
会社のビジョンやミッションやバリューは、組織の変化に伴い可変である思っています。
僕の場合は3年間後の会社未来像と、現時点の価値観に違和感がある場合は、アップデートを図っています。
ミッション・ビジョンは変わりないですが、シニアジョブの現時点の価値観を
きれいな言葉じゃなく、僕が思うリアルな言葉で解説をしたいと思います。
ビジョン
日本を、世界に誇れる「高齢化社会」にする
世界で一番高齢者多くても、日本という国が、豊かで発展した社会である事を実現したいと思っています。
ミッション
世界で一番、高齢化の社会問題を解決し続ける
日本は世界で一番高齢者多いので、日本で一番解決すれば、必然的に世界一解決した事になると思っています。
バリュー
・価値を生もう
・可能性にこだわろう
・自分ごとで行動しよう
「価値を生もう」
カネより価値。僕が腹の底から信じてる思いです。
僕が思う価値っていうのは、今無き物やサービスを創る事で、社会や周辺がよくなる事であり、よくなる幅が高いければ「高価値」で、よくなる幅が低ければ「無価値」って考え方です。
僕は一生涯、どんだけ儲かる事業でも、価値が無い事はやりたく無いと思っています。
これは事業方針だけでなく、日々の仕事においても同じ事が当てはまると考えています。
常に仕事も「これは未来に価値を生んでるのか?」という視点を持って業務に挑んでほしいと思います。
「可能性にこだわろう」
要は「結果をだそうね」って事です。
ただ僕は「結果にこだわる」って言葉が嫌いです。どれだけ結果を出したいと強く思い願っても、結果は変わらないからです。
結果というのは、1%の可能性が100個集まった物だと思っています。
「1pxずらす」「句読点の位置を変える」など、成果が出る可能性が1%でもある物事にこだわり続けるからこそ、結果が出ると思っています。
あらゆる視点で可能性を発見し、たったの1%にこだわる姿勢。これこそが結果にこだわる事だと思っています。
「自分ごとで行動しよう」
これは、当事者意識です。
・誰かがやってくれる、誰かが結果出してくれる、誰かが改善してくれる、誰かが考えてくれる、誰かが責任を取ってくれる。
・自分がやる、自分が結果をだす、自分が改善する、自分が考える、自分が責任を取る。
上記2つの思考の違いは「自分ごと」かどうかです。
後者の人と仕事するほうが、はかどりそうだし、楽しそうだし、やる気でますよね。
私達は、後者の様な組織でありたいと思います。
この3つがシニアジョブで働くうえで、大事な価値観であり、この3つが正義です。
シニアジョブスピリット(行動規則)
人として正しくある
・嘘をつかない、騙さない、誤魔化さない
・挨拶をしよう
・間違いを素直に認めよう
・ありがとう。が言える人であろう
僕はビジネスマンである前に、まず人として正しくありたいと願っています。
どれだけ仕事出来なくてもいいじゃないですか。
どれだけ間違ってもいいじゃないですか。
どれだけ頭がわるくてもいいじゃないですか。
どんだけ段取りわるくてもいいじゃないですか。
シニアジョブの仲間なんですから。
同じチームになった人間なんですから、仕事ができないくらいなんですか。受け入れて一緒に頑張りましょうよ。
ただし仲間というのは、人として正しくある方のみです。
ビジネスマンである前に、まず人間として正しく生きて、まっすぐ人生を歩む事。
これが、一番根底にある価値観です。
こういった価値観を大事にして、ミッション・ビジョンを成し遂げる為にチームで挑んでいきたいと思います