36歳のおひとりごと

雑文を並べやすいからね。

職業訓練校と複利

先日、職業訓練pt2の面接を受けてきた。

pt2というのは今回で二度目とうことで、9年前に一度ウェブ系の訓練に通ったことがある。卒業したけど就職はしていない。

 

あのときは書類選考だけで通ったから良かったのだけど、今回は倍率のせいで面接があって、ざっと1.7倍なのでわりと落ちる可能性も高い。

質疑応答のほとんどは概ね大丈夫ではあると思うが、気にかかるとすれば「以前、訓練でウェブ習得したのになぜ?」的なことを聞かれて少し狼狽したことだ。

 

開業するためとは口が裂けても言えずに、職種は違えど就いた仕事においては大変役に立ちました的な返答になってしまった。

まぁデスクワークに関連性のある知識はないよりはあったほうがいいに決まっているのだが、これが向こうにどう捉えられたかはわからない。

こいつに訓練は必要ないから落とす、ということも大いに考えられるけど、今回はきちんとおたくの採用ルートで就職するので受からせてほしいところ。

 

要するに訓練校としては就職率を限りなく高めたいだけで、PCに触れたこともない人や事前に勉強するモチベーションのない人はどのみち駄目だろう。そういう人は「通えば自動的に就職できる」或いは「失業手当の暇つぶし」という他力本願が見え透いている。

自分としても勉強だけなら自主的にできるが、採用のルートを構築するのは無理だ。今回はその採用ルートがほしいから訓練にいくといっても過言ではない。

 

合格発表~訓練開始(受かっても落ちても)まで単発バイトでもしようかと思ったのだが、釣り求人が多すぎて応募した案件とまったく違う案件を紹介してくる。

自宅から県をまたいで交通費もでない最低時給の仕事を誰がやるのか、そんなのが続いて結局一度も就業していない。

そもそもウェブのマイページから案件選択→応募と進むのになぜ紹介だけが電話になってしまうのか。よしんば「あいにくその案件は埋まってしまい、、こっちの案件はいかがでしょうか?」というお情けで人気のない現場の空きを埋める魂胆なのだろう。

こういうのがいろいろ見え透いてくるから歳は取るもんじゃないなと思う。

若い頃なら二つ返事でやっていたことが邪推が進み腰が重くなってできなくなってしまった。

 

さて訓練期間中の小遣いくらいはどうにかしたいなと思いながら、ふとマネフォを見てみるとなんだか地味に残高が増えていることに気づいた。

仕事をやめて節約してるとはいえ生活費は出ているはずだが、NISAの複利がじわじわ効いてきているようだ。

それならば当面の生活費は除いて余ってる資金を成長投資枠に全ベットすればいいのでは、、という短絡人間特有の発想が出てきた。

しかし、どうやらこれが複利の恐ろしさなのだろうか、前日比が雪だるま式に増えだしている。禁煙したこともあって、日常の小遣いくらいは余裕で出ているのだ。

 

とはいえ、これはマイナスになることも十分にあるわけで、麻薬のような効果でしかない。つまり残高が増えているあいだは錯覚であっても平穏を保てるというわけだ。

このマインドは以外と大事で、無職にとって日々残高が減っていくのは日常生活のパフォーマンスを限りなく落とす行為につながる。

まぁこのクソ寒い季節に人権が行使できないようなバイトに行くくらいなら、この複利(幻想)にあやかり家で勉強していたほうが遥かにマシだなと思った。

 

それはそうと合格発表までなかなかにソワソワするが、とりあえず失業手当もない哀れな子羊を合格させてください。

そしてみんなも眠っている預貯金はNISAに全ベットしましょう(勧誘)

ながら勉強の効用と苦悩したあれこれ

さて移住の件にはとりあえず一段落して、改めて現在やることに向かっていくことに集中する。

この”脳”に移行するのにずいぶんと苦労した。

 

最近は禁煙で明らかに太ってしまったなんとも醜い体を元に戻すべく自宅でエアロバイクを漕ぎながらCPAラーニングで簿記の動画を観ている。

最初はサラッと流し見で全容を把握し、次の日にそれ用に作った解答用のExcelで実際の例題や問題を解いていく。

使える関数をさがすためにExcelの動画も併用して観るのが一石二鳥だ。

これが毎日の日課になって実に効率よく勉強とダイエットが進んでいる。

もちろん職業訓練に通えばこれと同じ講義があるので、大丈夫なはずではあるものの、怠けてリハビリが必要な自分に予習は必要だと思っている。

 

思えばここ5年、随分と頭を使うことをせずに生きてきた。

苦労する壁を乗り越えるために動かした頭脳と、こういった体系的な勉強では頭の使っている部位が違うんではないか。

もっとも前者の頭脳はあえなく徒労となってしまった。

力不足もあるが、不可抗力というものは頭を酷使してもどうにもならないから不可抗力なのである。

そして人間は安心感が欠如してくると物事の視野が狭くなる上に頭も悪くなるらしい。

 

店をやめて半年間、右往左往していたけどもようやく”脳”が息を吹き返してきた実感がある。最初は本当に酷かった。

PCでゲームをやり寝ては食って働く気もゼロ、もはや廃人一歩手前までいっていた気がする。「どうせおれには店を再開するしか生きる道がない」と考えていた。

それもそのはずで、今思えば自分はそうなるために親に教育をされていた気がする。

今でも口酸っぱく言われるのは「お前にサラリーマンは無理だ」という半ば洗脳に近い言葉だ。

 

確かに挫折したことは多い。

これは認めざるを得ない事実だが、最近は以前のように親と働くことがなくなったこともあって、よくよく考えを巡らせることがある。

  • そんなに難儀なら世の中にこんな多くサラリーマンはいない
  • 入った環境が本当によくない職場だったのではないか

最近、こんなツイートがよく流れてくる。

まぁツリーを眺めていくとその真意を読み取ることができるのだが、自分の考えはもっと浅はかだ。

思い返せば今まで雇用されていたときに話の通じない人や合わない人がたくさんいた。

これを別に学歴がなんたらというつもりはない。自分とてないに等しいようなものだから。しかし、話が通じない、合わないというのはことは頻繁に起こっていた。

 

周囲の会話は常にギャンブル・女・酒・自慢・愚痴・噂話という煩悩に溢れていた。そこに迎合するには自分も同じ人種になるかしかない。

組織とはそういった足並みが大事であるからだ。

 

しかし、やはり無理なので辞めるのだ(ハム太郎

 

では、そういった職場環境に行かない確率を高めるためにはどうしたらいいか。

絶対ではないにせよそれは勉強して知識を高めて、それにふさわしい環境に入れる努力を怠らないことだ。

こんな単純明快なことが、この歳にしてようやく理解できた自分はやはり浅はかだと思う。

 

自営飲食の時も同じで誰にも相談できなかったしそういった人はいなかった。

同業で知り合いを作ればまた上記の”周囲の会話”が始まると思っていたからだ。

自営というのは玉石混交、経歴がマズイ人もいれば本当にチンピラ同然のような人もいて、実際に自分は二度ほど騙されかけたことがある。

そして真面目に経営してる人ほどつるんでしょうもない会話に時間など割かない。

自分はそのどちらでもない曖昧な人間なのだろう。

これは元々自分が望んで努力して手に入れたものではなく、親の人生の延長線を演じるのが仕事と感じていることにわだかまりがあったのかもしれない。

まぁ料理自体は好きなので、個人的にこういったスキルが身についたのは良かったと思っている。

 

Quoraというサイトで誰かが答えていたのが印象的だ。

事業に成功するかどうか=資産があるかどうか、だという。

すべてではないにせよ、この要素は限りなく大きいと感じている。

捻くれた負け惜しみかもしれないが、実際にきちんと資金を積み立てていれば、こんなあっけなく店がなくなることはなかったと思う。

 

だから簿記なのかもしれない。

とはいえ、今の年齢でこの段階では10週近く遅れているランナーと一緒だ。

コース外を走りすぎた(笑)

何かとこうして自分に言い聞かせてはいるけれど、ようやく負のループから抜けて正の方向へ軌道修正ができそうなことに一縷の望みがわいてきた。

人生は何度でも立ち上がれると信じたいです。

 

今年の目標は

  • 禁煙の継続
  • 体型と健康への配慮
  • 訓練校の合格及び就職

継続して頑張っていこう!

チャレンジはタダ

もう今年の12分の1が終わりだと思うと本当に時間の流れが早すぎる。

ストーンオーシャンは読んでないけど、時間を加速するスタンドがいたな~感です。

 

昨年の7月以降ずっと移住に向けて算段を立てていたけど、ここにきて大幅に予定を変更することになり移住は一旦保留。

まず第一に移住するための家は決まったものの契約が進まない。

理由は近隣にあってこちらの問題ではないのでどうしょうもできない。

このような状態からだいぶ時間が経ってもう完全にグダグダになってきている。

こちらもやる気と動くタイミングというものがあって、時間経過でそれが薄れてきてしまっているのを実感している。

 

輪をかけるように年度初めに能登地震があった。

現時点でそれなりに傷んでるであろう築古の物件をローンで購入するというのは、はたして正しい選択なのだろうか…早まったときこそ後悔するのではないか…

昨今の情勢においてそういった悩みが次々に浮上してくるのはいうまでもありません。

 

幸か不幸か熱意が薄れてきたことで冷静な部分が機能してきて、改めて移住して店を開業する計画を考えると、現状では悪手であると考えはじめた。

ひとまず年齢の壁がエベレスト(今は浅間山くらい)になるまでは就職の道を諦めない方がいいということです。

自営飲食の大変さ、報われない仕組みそのものをここ数年のコロナ騒動で嫌というほど味わってしまい未だに払拭しきれていない。

確かに正常運転では飯が食えるくらいのポテンシャルは秘めていると思うものの、それには”やり方”を考えないとまた不条理によって詰むことになる。

ましてや何の助成金も使えない今の状況では、自費やクラファンで開業までこぎつけるのは可能だとしてもその先々リスキーな話に変わりはない。

 

リスクをとって開業しても確実にリターンを得れる確証がない。

 

こんなのは元も子もない話だが、果敢に挑むならまだしも持たざるものが盲目的に挑むならやめたほうがいい。

 

もちろん途中までいろいろな人を混ぜてしまい、今更やめるの?って呆れられるのは言うまでもないが、『決心を変えることを恐れるな』という言葉がある。

これは昔ドハマりしていたビバリーヒルズ高校白書でブレンダ(Shannen Doherty')が言っていた言葉だ。

始めるも辞めるも自己責任の世界だからこそ、賢明な判断とアドバンテージがない限りはやるべきではない。とくに飲食店は一度開くとその場所に固定されることになり、移転することこの上なく困難だ。

備品・什器・設備・設計・運転資金・許可申請等々、これには多大なるお金と時間がかかり、始めるにはこのハードルをクリアする諸々の”条件”のいくつかが整わなければ難しいだろう。

 

これまでの人生、男気のようなものを発揮する部分はあったのだが、「てやんでい!」とそれを切符よく受け入れても結果として自分が報われていないことが多々ある。

これは他責思考なだけではあるが、早い話が男気がないということに気づいた。自分は負う覚悟もないくせに口先だけで偽善ぶるのは自分のみならず周りも困るわけで、そういった自分の甘さや弱さとは決別しなければならない。

 

少し遠回りしすぎている感じはするが、まぁそれも含めて今の人生なんだろう。寝かせておくのはなにも料理だけではなく人生も等しく必要なときがある。

再開したければいつでもできるのだから。

 

というわけでまたもや職業訓練にいくことにしました。

ウェブデザインは開業のためだったけれども今回は就職のために受ける。

およそ10年ぶりに社会というものに関わるわけで、これまた開業と同じく大変なリハビリが必要だろう。ブラック企業を渡り歩いた自分がまたそっちの世界に歩みだすというのはなんとも滑稽な話だが、チャレンジはタダなのです。

 

まぁ行政のことだからうまく就職にこぎつけれたとてマズイ会社に当たる確率は大いにあるわけで、ただ自分が欲しているのは実務経験と資格という”入り口”だからそこは踏ん張るしかない。どの業界にも需要がある職種なだけにある程度の実務経験を積めば転職は可能だ。

そのためにはまず第一におっさん未経験資格なしという明らかに終わっているこの状況(派遣でも受からないと思う)から這い上がる必要がある。幸いにもそういうのは嫌いではない。

 

移住に際しても他にスキルがあればU・Iターン就職で仕事は見つけられる。そうすればマンション借りるだけで済むわけで、先のリスクは限りなく減ると思う。ただそうするにしても現状ではあまりにも力不足なのである。

 

今日、やるべきことをきちんとやって明日も明後日も数年後もやり続ければいい。

周りにどう思われようが哀れみの目を向けられようが、戦う相手は他でもない昨日の自分自身なのだ。

龍が如く0の久瀬の兄貴と一緒で『最後まで“張り続けられなかった”ヤツが負けるんだよ』理論でやっていく(笑)

こんな威勢はせておきそもそも訓練に受かるかどうかもわからないけれども、今年は落ち着いて強く目標に向かっていきたい所存です。自戒を込めて。

 

(一年後に泣き入ってないことを祈りますw)

2024年について、すでに思うこと

スレッガーさんかい?早い!早いよ!

というわけで早くも2024年について物申したくなったわけですが、まぁその原因たるやを書いていきましょう。

 

あけましておめでとうございます。

新年一発目から能登にお見舞いしてくれた地震のおかげで、すっかり正月気分(具体的には正月気分になりかけた矢先に)が興ざめした。

 

石川といえば去年のGWあたりにも大きな地震がおきたのが記憶に新しい。

正直いってまたかよ、、という感じではある。

被害でいえば去年のそれより遥かに大きなものなってしまい、なんとも心が痛い。。

 

 

 

こればかりは無事と回復を祈り可能な範囲で寄付をするしかないわけだが、これがきっかけで他にも令和に物申したいことが山程でてきた。

 

今年は実家に帰って年越しをしたわけだけど、12年ぶりに親戚にばったり遭遇しそのままあらかたの空白期間を語るに至った。

しかし、どういうわけか、新年早々に言いたくもないことが口をついて出る。

オブラートに包む表現を試みたが、それでもなお辛酸たる具合に「お祓いに行ったらどうか」ということを真剣に言われた。

別に僕もその親戚もスピリチュアル感はまったくない。

 

思えば父が倒れて店に入ってから、いろいろありすぎたのかもしれない。

 

・2020年には婚姻関係のことから旅行など、一世一代のライフイベントを計画していたものの、すべてコロナによって中止になった。こればかりはキャンセル等の手間もあって本当に冷めた。

 

・そればかりかこの時期から本業のお店の経営も芳しくなくなった。

ウクライナとロシアの問題から原価が高騰し賃料とも折り合いがつくなくなり、ついには閉業を決断せざるをえなくなった。

 

・そしていろいろ悩んだ末に移住して心機一転、新潟方面に物件を決めたわけだが、隣人が境界の件で訴訟を起こした(隣人敗訴)経緯があることやこちらのお覚書に押印しないなど、早速面倒な臭いがプンプンしてきた。

 

・このままだと頓挫する可能性がでてきて、物件探しも降り出しに戻るとなればこっちで仕事をする必要がでてくるなぁ、などと考えを巡らせていた矢先に今回のこの地震だ。

 

・ついでにいうと二週間前に妻のスマホが急にブラックアウト、今朝起きて朝食をとろうとしたところ、買って間もない電子レンジ(お高いヘルシーシェフ)がリコールばりの故障を起こしお陀仏に。

 

なんだろうひろゆきか)

 

これ、なんか呪われてやしない…?

お祓いの件もそうだが、ちょっと真剣に疑いがでてくるレベルになってきた。

 

確かに人生の選択してるのは自分の意志なんだろうけども、それにしては悪いことばかり起きてる気がしてならない。

心当たりがあるとすれば今住んでる場所が墓地の一帯なのだ。

 

窓からは都心特有の広くはないものの管理の行き届いた墓地が直下に眺められる。

よくよく考えるとここに引っ越して早3年経つが、おそらくガクンと運気が下がったのとこの3年という時期は重なる。

 

失礼は承知のうえだが思い当たる節はこれぐらいしかない。

 

正直に僕自身はそういう非科学的なことはまったく信用してないんだけど、いよいよ「有り得なくない話」として脅威の対象になってきた。

自分自身に起こってることと世界的に起きてることの不運なベクトルが一致してしまっている。本来こういうのは分けて考えられるのだけど、見事にリンクしてしまってるのが怖い。

 

もし、こういった場所に住んで運気が爆下がりした、不幸に見舞われたとのことがあればぜひDMください。聞いてみたい(笑)

 

さて、年明け早々なんとも雲行きが怪しくなってきたが、本年度はここでもうすべての不運をメタ的に払拭し、いい加減ポジティブに生きれるほうに舵を切らなければならない。

というわけで妻が帰省から戻ってきたら、お祓いと初詣にいくことから始める。

非科学的だが、相手が非科学的な方法でやってくる以上、対処法はないように思う。

これでもずいぶん考えを詰めていろいろやってきてるはずなので。

 

地震もそうだけど、いろんな意味で修羅になってきた日本社会、本当に一日一日を大事に生きなければと強く思わされた。それが年明け初日だったのは不幸中の幸いってやつなのか。。

 

本年度は格別、みなさまに幸あることを心から願いながら燃えていく所存です。

健康に気をつけて、今年もよろしくお願いします。

 

今年の振り返り、反省と展望

おかげさまで先月、無事に36歳という年齢を迎えてその一ヶ月後には恒例の年末年始というお決まりの季節になりました。

 

今年は店を6月に辞めてからあっという間に半年がすぎて、下半期は迷走の日々であった。

辞める時期については最後の最後まで迷っていたけれど、6ヶ月に及ぶ解約予告と世の情勢という2つの不透明な未来を探りながらベストなタイミングを図るのは至難であった。

もちろんその2つは大きな要因であって、細かいところまで考えると本当に多岐にわたり葛藤があったが、物事は終わらせることでまた新たな始まりが見えてくるものだ。そしてその間のクールダウンやら迷走やらの時間が必ず必要になってくる。

そう考えると総じて良かったと思う。

 

いよいよ、来年は新天地へ向けて旅立つことになる。

中古住宅の購入&DIYと移住開業というトリプルキャパオーバーがすでに始まりつつある。リフォーム業者さんと修繕箇所や補助金関係の打ち合わせをしつつ、行政との手続きを並行して首尾よくやっていく必要がある。

 

購入前に業者さんに「まだイケる住宅なのか」を診てもらったのは大きい。

小汚いおっさんが、平日の図書館に通い詰めてリノベや木造建築関係の本を漁った結果、中古住宅のリノベはまず設計→購入の順がマストであることがわかった。

よくありがちなのは家を購入したあとにリノベすることがあるが、後々予算を大きく上回る可能性が高いのでおすすめできない。ローンの場合はリフォームローンの金利が高いので、やはり物件購入費と合算して住宅ローンを一本化するのが妥当だと思う。

 

もちろん一括購入や人気物件争奪戦であればこの限りではない。

まぁリノベ関連の書籍はいろいろあるけれど、わかりやすかったのはこの本かな。

おすすめ

知識として知ってるだけでもかなり得がある本かなと思います。

とはいえ今回の僕の場合は予算の都合上、リノベーションなんて洒落たことはせずに局所的なリフォームしかしない。インフラ関係はできないので業者さんに依頼して、それ以外はDIYでコツコツ補う感じにできればベストかな。

金払いの悪い客なだけにいろいろ理解ある業者さんと出会えたことは幸いだけれど、移住の目標の一つには「いかに節約してできるか」ということも含まれるので、こればかりはやむなしだろう。

スモールスタートは正義なのだ。

 

というわけで来年早々、この件は忙しくなりそうです。

 

他に進展があったことは禁煙です。

これは本当にドデカミン

今までニコチンのために生きていたといっても過言ではないが、まさかこうも禁煙が継続できているとはびっくりです。

もちろん、最初はキツかったし2ヶ月を迎えた今でも誘惑がないわけではないけども、まぁ大丈夫だろうくらいの軽い感覚でいる。意外と意識しなければいけるものらしい。

 

それより体調が悪くないのは当然として、お金が浮くに浮く。いやぁ、本当に何を今までと思う。現時点で一箱530円冷静に考えて狂気です。これは決して煙草そのものをディスってるわけではなく、国は依存を逆手にやりすぎなんだよね。

正直、僕は健康換算とかはそこまで考えてなくてお金の問題のほうが大きい。

あと依存性が(あるからこそ美味い)厄介で、一日一本とかで済むなら別に禁煙までしなくてもいいとさえ思うものの、実際は一本では済まなくなるのがニコチン中毒なんだな。そう考えると松葉煙草なんてのはよさそうかもしれないと思っている(吸ったことはない)

 

ということでなんだかんだ店を移転することと、禁煙したことは大きい。2つ合わせてほぼ50年継続したことに終止符を打ったわけだから。

この大きな変化に少し憂鬱になることもあるが、来年はもう少しばかり明るい年が待っているような気がする。

今年もあと3週間とちょっと、健康に気をつけてまいりましょう。

禁煙の効果

本日で禁煙4日目を迎えたのでここでさらなる意志表示のために感想を書く。

「4日?お前、ニコチン依存なめてんのか」という声が聞こえそうだけど、とりあえず3日乗り越えたから偉いんだよという上からマリコでいきます(笑)

 

ちなみに僕の喫煙歴は20年です。

それなりにヘビーではないけどライトでもない愛煙家です。

紙タバコ・葉巻・電子タバコとオーソドックスなものはだいたい吸ってます。

 

20年越しの禁煙、、やはりなかなか強敵です。

 

ズバリ禁煙して感じたメリット

  1. 睡眠の質が高い(深く寝れて寝起きがいい)
  2. 起きたときに気分が沈まない
  3. 朝から疲れてない
  4. 口内の不快感が零
  5. 波紋を習得したように呼吸と体が軽い
  6. ご飯がススム
  7. なぜなのか全能感
  8. お金、お金、お金
  9. 心なしか肌が調子いい
  10. 血流がよくなりいろいろ好調
  11. タバコの充電や本数、喫煙所難民を恐れない
  12. 心が穏やかになった気がする

 

デメリット

  1. 手持ち無沙汰
  2. ひたすら眠い
  3. 一服の誘惑
  4. お通じが気難しい

 

という感じです。

太字はとくに強く感じたことで、デメリットはとにかく眠い。

2日~3日目にかけて昼間に強烈な眠気を感じて、実際そのままノン目覚ましで寝た。

今日はまだわからないけど、こういうときは本当に無職の恩恵を感じる。

時間制限とストレスがないというのは禁煙するには絶好の機会なんじゃないかなと。

これが通常の社会生活を送っているとなかなかこうはいかないですからね。。

巷には喫煙を誘発する場面がありありと思い浮かびます。

 

メリットはすごいですよ。

たかだか4日の禁煙でこの辺の片鱗を感じるあたり、1ヶ月後とかにスーパーサイヤ人になっててもなんら不思議ではない(笑)

「ニコチンのことかーーー!!!!」

 

まず睡眠が最高です。

100%寝てる感じというか、今までの睡眠の質の低さが嘘みたいに思う。

喫煙してるときはおそらく朝起きて60%くらいしか回復してない(これマジです)

まぁ◯◯歳のときから喫煙が当然の環境だった自分には驚愕の新事実です。

だって、もう20年前の非喫煙者のときのデフォルトを覚えていないから。

この理論でいくと非喫煙者の方はバキバキ100%の状態で一日のスタートを切ってるわけでしょ。もちろん、いろいろあってそうでない人もいると思いますが。

 

今日朝起きて思ったんですよ。

これ、最初から喫煙してなかったらもっと高パフォーマンスで生きれてたんじゃね…

人生変わったかもしれない、そう考えたらマジで萎えました(禁煙効果でなんとか持ち直したけど)

 

うちは幼少期から家族全員喫煙者だったこともあり「副流煙で死ぬくらいなら吸う」というアホなロジックに身を任せてしまったことが始まりで、さらには高校からバイトし始めたらみんなヘビースモーカーで次第にそれが常習化してしまったというオチだ。やがて高校でも喫煙がブームになるという今ではあるまじき時代。

「人のせいにするな」

ド正論だけどやっぱりね、環境って本当に大事よ。

人の振り見て我が振り直せってのはあるけど、これは一過性じゃないのよ。

 

悲しいけどこれニコチン依存なのよね

 

タバコというのはすぐにはやめれないどころか、習慣化というもっとも強固なものにまで昇華されていくのです。

 

ズバリ今回、初の禁煙に挑んだのは度を越した飲酒喫煙の翌朝が常々不快になってきたこと。正直、年齢を感じました。

5年前ならいざ知らず、今後もこの生活続けてたらまぁ死ぬなと。

もう一つは「急にくだらないと思った」ことです。

ふと、なんでこんなことをしてるのか、バカバカしくなったのです。

 

喫煙してると誰しもが無意識にしてる行動範囲の縮小化。

  • 常に喫煙場所を探す
  • 常に充電や本数を気にする
  • 持ち歩くと荷物になる
  • 忘れると不安
  • 店や施設を喫煙可能かどうかで判断している
  • 東京だと喫煙所がなさすぎてもはや家から出たくなくなる

これ、改めて考えると頭おかしいですよ。

だってすべてがニコチンの思うがままの支配感にまんまとやられている(今さら…w)

これがわりと頭にきたんですよね(笑)

なぜ、こんなことでお金と機会損失してるんだろうと。

 

いや、ここまで書くと喫煙を冒涜するような気がするけど、たしかに愛煙家たる嗜好品の側面はある。

お酒もそうだけど、これだけ歴史があって美味いのは間違いないですから。

ただ、美味いがゆえの依存は本当に困るんだよな。

いや、何事にも光と闇があるのだからそればかりは仕方がないですね。

 

まぁ時節柄、値上げとか嫌煙される圧力も強くなってきてるので、この無職期間をうまく利用して断たなきゃなと思うわけです。イギリスも2009年以降に生まれた人に紙巻きたばこを販売できなくする法案の導入されるみたいですし、日本もゆくゆくは1000円とかになるだろうなと。。

 

そんなことから離脱症状をも楽しみながら意志を強く持って禁煙に取り組みたいと思います。まだまだ先は長い。

ではでは。

移住に向けて動き出す

8月はあっという間に終わり9月に突入。

今年の夏は本当に◯ぬかと思うくらいの猛暑で、さすがにきついざんすです(笑)

店を閉めて先が見えぬことで憂鬱になることもありながら、2週間ほど前に初見でコロナに罹るという今更感。

しかも味覚と臭覚が戻らずにかなり参ってる。

おのれコロナよ、店と味覚という生業たる生命線を同時に奪いに来るとはなかなかいい度胸ですな。

はっきり言っておれはこの上なく貴様を恨んでいるぞ!

 

しかし、それらのきっかけが次への転機の足がかりになった。

ようやく、やっと、長らくというべきか。

意を決して移住への準備を進めることができる。

構想自体は何年も前からあったんだけど、いろいろタイミング的なものが噛み合わず、今になってしまったものの、振り返るとむしろこれくらいのゆとりがあるなかで進めたほうがいいとも思える。

 

東京を逃げるように去るっていうのは神戸のときに経験済みだけど、結果としていい方向へはいかない。なんというか、そういう後ろめたさや焦りは必ずあとで追い打ちをかけてくるんだよな。

よく逃げ移住のような形でもといた地域をディスるとしっぺ返しが来るが、そうなるつもりは毛頭ない。

 

とはいえ、本当に自分にとって東京を離れることがいいのかどうか、それはずいぶん前から考えたりしている。

箇条書きにおこしてみよう。

 

東京のよいところ

  • 豊富なジャンルの買い物ができる
  • 交通網が便利
  • 文化的施設の充実
  • イベント推し活等のアクセス性
  • 遊ぶところが多い
  • 多様性の浸透
  • 美味しいものがたくさんある
  • 医療が発達してる
  • 歴史的な名所が多い
  • 人に干渉されない

まぁやろうと思って即行動すれば何でもできる体制と可能性が盛りだくさんという感じかな。あとは人によると思うけど飽きない?!(自分は飽きたというか慣れてるというか、そういう感覚自体がない)

そりゃ山奥のような地方出身だったら憧れて上京する理由も大いにわかる。

というか絶対一度はすると思う。

 

しかしだ。この35年というもの

裏を返せばこの便利さを享受するだけの日々の”生活コスト”がなかなかにきついと考えている。

 

実家が都内にある知人や同級生はたいてい二世帯住宅にしてリフォームという祖先の既得権益を余すことなく使ってる人が多いのだけど、うちは限界家族なのでそれができない。

正直にリフォーム代くらいは出せるのだが、住人に資産がほぼない状態なのでこれはもう難しいと判断した。万が一の子育てはおろか、いろいろな面で逆に頼られて生活どころではなくなりそうだ。

別に縁切りするとかではないけど、店で毎日顔を突き合わせてたこともありちょっといい距離感がほしいところではある。

 

まぁこんな家族は珍しくもないんだろうけど、周りにはこういう人がいないので「なんであんたら二世代でぜんぶ食い尽くしてんだよ…」という愚痴がどうしてもでてしまう。

是非に及ばずといったところだろう。

 

となると実家が都内にあったところで、別に賃貸で暮らしてるならわざわざコストのかかる東京にいる必要がないことがわかる。

このコストを上回るだけ都内のアドバンテージを活用してるならまだしも、僕も嫁もまったく活かしていないというか、自分たちの嗜好性が噛み合っていないというのが大きいんだろうな。

例えば趣味一つ取り上げてもキャンプやアウトドアだが、これは車を保有してないと難しい。しかし都心の賃貸住みで車を持つのはなかなか無理だよね。。

今はカーシェアやレンタカーが便利ではるけど、神経すり減らしてまでわざわざやろうとは思えない。

 

あとなぜなのか、東京人は電車生活に慣れているはずなのに、車社会のほうに慣れてしまっていて、正直に不便さを感じてしまいしかたがない。

まぁこのあたりは神戸の田舎に住んでいた経緯が大きいのだろうけど、もともと電車移動(満員電車)が無理というか。

もうね、これは遺伝みたいなもので身内で電車通勤してる人がほぼいないという(笑)

あんまりいうと東京ディスりみたいになってしまうけど、決してそういうことが言いたいのではなく、要は個人的に価値観やライフスタイルから趣味まで合わないということだと思う。

 

都合よく嫁もフルリモート可能な職場だし、自分は少し手間がかかるけど場所さえあればすぐに仕事ができる状態にある。ということはもう無理して今の生活を続ける必要はない。

僕がもともとたいした年収を期待できないスペックなのがダメなんですがね(笑)

とはいえ10代~30代までいたのでもう未練はない。

数年前からは本当に必要最低限のお金さえ稼げればなんら問題ないということが身にしみてわかった。

 

それよりももっと大事なのは人生の”時間”である。

時間と余白こそが人に豊かさを与える唯一無二の代物だ。

それに代わるものお金でさえない。

 

ということで移住に向けて本格的に動き出す年になりそうです。