団塊おんじ 人生100年時代を行く!

長く生きるかではなく、どう生きるかの試行錯誤録

日本は44%が一人暮らしの国になる

 日本はいよいよ「おひとりさま」がマジョリティーの国になるようです。

 

 2050年には全世帯に占める一人暮らし(単独世帯)の割合が44.3%に達するという衝撃的な将来推計が人口問題研究所から公表されました(2024年4月12日)。

 

 先駆けて2033年には全世帯の平均人数が初めて2人を割り込むといいます。

 

単身世帯への対策といえば、行政の関心は主に高齢者にあり、現役で働く人たちに政策としてかかわる必要はあまりないという認識が強かったように思います。

 

 とくに人口流入がずっと続いてきた東京区部をみると、ミドル層のシングルには多様性があるとはいえ、職業上の役割が生活の多くを占め、人間関係は限定的です。

 

「個人化と流動化が進む都市空間で、シングルが孤立せずに暮らすには、“開かれた場所”と“弱い絆”を豊かにする街づくりが必要だ」と放送大学名誉教授の宮本みち子さんは言います。

                         Hermann Traubさんによるpixabayからの画像

 宮本さんは、特別区長会調査研究機構の「東京区部単身者の4割近くを占める35歳~64歳を対象にした研究」のリーダーとして取りまとめに当たりました。

 

 調査したシングルたちの関心事として、一番不安を感じていることは“寝込んだ時どうするか”でした。

 

 女性は親きょうだいに頼る意識が強く、日頃から仲良くしてもいますが、男性は仕事中心で親族との交流の頻度が低く、行政サービスを頼る意識が強いようです。

 

 この結果に対し宮本さんは、「互いの関心と配慮で結びつく持続的な関係を『親密圏』と呼びますが、これを持たない人が特に男性で目立ちます。家族を基盤にした親密圏が弱まる一方で、会社中心の日々で新たな親密圏の存在が見えない。そうなると孤立、孤独の問題が出てきます」と指摘します。

 

 高齢世帯のみならず、ミドル期シングルもいずれ高齢期に突入します。

 

 今の独居高齢者には、配偶者と死別し子供がいる人が多いのですが、今後、非婚や離婚高齢者が増えていきます。

 

 その方々には、孤立を防ぐ「地域の知り合い」が必要です。行政は、安全で孤立しない環境作りに、今から取り組まなければ間に合いません、と宮本氏は警鐘を鳴らします。

 

 ひとりでぶらりと立ち寄れる場をつくったり、カフェや銭湯、ジム、フリーランスの交流会、朝ごはんの食べられる喫茶店など、地元の顔見知りができるような仕掛けづくりを、シングル自らが自分事として乗り出していくことが必要になるのでしょう。

 

 

実家の冷蔵庫を遠隔操作でチェックする

 実家の父が90歳を過ぎて、いよいよ車の運転に支障がでてくる恐れがあるので、3年前に免許を返納しました。

 

 それまでは日中自分で運転して、必要なものを買いにいく生活をしていましたから、車の運転ができなくなると、何かと不自由を感じているようです。

 

 ただ私たちの提案で、週に1回届けられる生協の宅配サービスを利用するようになりました。

 

当初は父が自ら注文書に書き入れていたのですが、細かい注文書の文字を見るのが困難になり、今では妻が父の要望を聞きながら、毎週ネットで注文するように変更しています。

 

 月に一度実家を訪問した際には、妻が冷蔵庫をチェックして、賞味期限の過ぎたものを廃棄処分しています。

                                   Lukas jancickaさんによるpixabayからの画像

 

 以前は、ちょっとした調理はできたのですが、最近では食欲が落ちてきたこともあり、めんどうな調理は億劫になっているようです。

 

 母が家にいた時は、用意した食事を居間まで運んで一緒に食べていたのですが、母が施設に行ってからは、居間まで運ぶのが面倒になり、台所で食事を摂っているといいます。

 

 栄養の偏りが心配ですので、実家に行く度に野菜やたんぱく質を摂ることをくり返し言っていますが、せっかく生協に注文して届いているものも、かなりの食べ物が冷蔵庫に残っています。

 

 先日も卵が3パックも食べずに残っていましたので、持ち帰ってきました。

 

 今朝妻が父に電話を入れ、今週注文したものを報告していましたが、父から「卵が全然ないから、次回に注文してくれ」と言われたようです。

 

 全然手をつけていないから、いらないのかと思いきや、やはり冷蔵庫に入っていないと不安なようなのです。

 

 以前母が家にいた時に、週2回ヘルパーさんに来てもらい、食事を作るサービスを受けていましたが、母の施設入所により、そのサービスはストップしていました。

 

 ケアマネジャーに相談して、再びヘルパーさんの応援をお願いしようとしていますが、まずは父の介護認定を受けなければなりません。

 

 昨年までは、自分の身の回りのことを自分で行うことに、自信をもっていたのですが、母の入所以来、気弱になってきている気がします。

 

 

 

孫が日々成長しています

  一昨日の午前中に、妻が外出している時間に次女から電話がありました。

 

 近くに来る用事があるので、帰りに寄るかもしれないとのこと。

 

 昼に妻が帰宅したので、そのことを伝えると、知っていたようです。

 

 ラインで昨夜のうちに妻と次女の間で連絡を取り合っていたようなのです。

 

 妻は慌てて掃除を始め出し、私にあれこれと指示を出しはじめました。

 

 まだ掃除も終わらぬうち、下に到着したと連絡がありました。

 

掃除は妻に任せ,私は1階まで迎えに出ました。

                                     Carole LRさんによるpixabayからの画像

 次女からは孫がぐずっていて、機嫌が悪いと聞いていたのですが、行ってみると私の顔を見て、ニコニコと笑顔を返してくれます。

 

 孫を抱きかかえると、また一段とずっしり重くなり、着実に大きくなっているようです。

 

 孫が来た時にと買っておいたシャボン玉を夫さんに渡すと、いくつものシャボン玉が宙に舞うと、目を輝かせてシャボン玉を掴もうとします。

 

 妻が掃除を終える間の時間調整で、しばしシャボン玉を飛ばして孫と戯れてから、家に向かいました。

 

 我が家は、休みの日には朝食を遅い時間に摂るので、昼食も時間がズレ込みますが、次女夫婦は買い物を済ませて、昼食もすでに摂って来たといいます。

 

 孫にも食事を与えてきたようですから、小さなジャングルジムをセットした部屋で孫を遊ばせることにします。

 

 1歳半になり、しっかりした足取りで動き回る孫は、少しもじっとしていません。

 

 リビングにある色々なものに興味を示し、テレビのリモコンやらコップやら手あたり次第に掴もうとします。

 

 ダイニングテーブルに座る次女夫婦に、妻がお茶菓子を並べると、今度はそれに興味を示し、ダイニングの椅子によじ登ろうとします。

 

 すかさず妻は、予め買っておいた乳幼児用のポテトチップスの袋を出してきます。

 

 あまり味がしないので、美味しくないのか1つ2つ口に入れましたが、すぐに放り出しました。

 

 たかが小一時間、孫の相手をしただけですが、へとへとになります。

 

 四六時中傍らにいて相手をしている母親(次女)は、本当に大変だなと思いました、ただ子育てを通じて次女も親として成長していくのでしょう。

 

 会うたびに孫は、逞しく成長しています。

 

 

自然の背後に隠れているもの

 日本民俗学の父といわれる柳田國男(やなぎた くにお)さんは、萩原朔太郎『青猫』に収められた「自然の背後に隠れて居る」という詩を好んでいたようです。(菅野覚明著「柳田國男」のあとがきより)

 

 草むらの影、地平のかなたに「見えない生き物」の存在を感じ、怯えているのにそれに惹かれてしまう子供の心持ちが、そこでは語られています。

 

 日本人すなわち「我々の父祖」は「何を信じ何を怖れ」て生きてきたのか。

 

 柳田國男氏がそれを尋ねる営みは、彼らが実在を信じた妖怪と神々、死者の霊との関わり、自然環境との交感へと視線を伸ばしていきます。

            Monikaさんによるpixabayからの画像

 

 私が小学生の頃、私の家は賑やかな地区から少し外れた場所にありました。

 

 まだ街灯もろくに整備されていませんでしたから、夜になると漆黒の闇となります。

 

 家の前には、街の篤志家が提供してくれた子どもの遊び場がありました。

 

そこも夜には光がまったくありませんでしたが、山から流れてくる清水を溜めた小さな池があり,夏になると池のまわりにホタルが飛び回っていたものです。

 

 まだテレビもありませんでしたから、夕食を済ませ、共同浴場で風呂に入った帰り道、その遊び場に立ち寄っては、ホタルの飛び交う様子を眺めていたものです。

 

 しんと静まり返ったその場所では、ちょっとした草むらの虫が動き回る音もよく聞こえました。

 

 ときに風が吹くと、ザワザワという木々の音も、私に何かを語りかけてきているような気がしたものです。

 

 小学生高学年になって宮沢賢治の「風の又三郎」を読みました。

 

 風の強い夜、寝床の中で読んでいると、「どっどどどどうど どどうど どどう」

と強い風の吹くさまが表現されています。

 

 不思議な擬音語で表現される風の音に、幼い私は布団の中で身震いしたものでした。

 

 ろくに遊び道具もない子供時代、自然を相手に遊び方を考えながら過ごしたあの頃は、自然環境から発せられるメッセージを体で受け止めながら過ごしていたような気がします。

 

 

社会を支える労働者が大幅に不足する時代

 先日予てからみたいと思っていた映画「パーフェクト・デイズ」を見てきました。

 

 渋谷の公衆トイレ清掃員の何気ない日常を映し出すストーリーですが、ほとんどセリフがないなかで、役所広司の身体で演技する作品となっており、非常に後味の良い、期待通りの映画でした。

 

 この映画の主人公のようなエッセンシャルワーカーの働きで、私たちの社会生活が支えられていることを改めて実感させられたものです。

 

 4月1日から配送ドライバーなどの残業時間の規制が強化されました。

 

 それにより人手不足にますます拍車がかかることが懸念され、物流関連企業は対策を講じているようです。

 

 物流分野に限らず、今後社会全体を支える労働に従事する人々の不足が、深刻な問題となりつつあるといいます。

 リクルートワークス研究所では、有効な対策が実行されないと、2030年には341万人余、40年には1100万人余の働き手不足となり、労働力をめぐる状況は社会が成り立たないほどの深刻な事態になると警告しています。

 

 人流、物流、建設作業などを担う労働者が大幅に足りなくなるうえ、介護職員も不足し、活躍していた優秀な人材が、親の介護のためやむなく離職し、人手不足に追い打ちをかける事態が発生するといいます。

 

 さらに企業間の人材争奪戦が激化し、特定の企業や業界に働き手が集中して、他分野での人手の確保が困難になる事も予想されています。

 

 すでに警察官や自衛官等、公務員の応募が少なくなっていることに、その兆しがあります。

 

 また外国人労働者で不足の労働力を埋めるという方策は、日本の受け入れ態勢が劇的に変化しない限り難しいともいいます。

 

 このように絶望感すら抱かせる未来の社会像が示された時、私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか。

 

 自動化、ITによる管理や、ロボットへの代替を早急に実現することなど、知恵と実行力を発揮することで、社会の持続性を確保することに真剣に取り組まねばならないでしょう。

 

 

新年度のスタッフが集まらない

 今年も年度の切り替わりに、何人ものスタッフが退職しました。

 

 毎年のことではありますが、今年は特に退職者が多いような気がします。

 

 先日の春闘では、大企業が5%台の大幅賃上げを決めましたが、私たちのようなNPO団体では、賃上げもままなりません。

 

 久しぶりに事務所に行ってみると責任者から、内定していたはずの方から土壇場になって辞退の連絡があったとのこと、責任者は頭を抱えています。

                                Ronny Overhateさんによるpixabayからの画像

 

 そういえば長年一線で活躍していてくれた女性が、数か月前に退職したことを思い出しました。

 

 彼女は職場には愛着をもって働いてくれていたのですが、子どもが高校・大学と進学の時期にさしかかり、もう少し報酬の高い仕事につかないと、家庭のやりくりが大変だということで、転職を決めたようです。

 

 国は“物価と賃金の好循環”などといいますが、このままでは私どものような団体は、運営することもままならなくなります。

 

 昔からこの業界では“寿退社”という言葉があるようです。

 

 今や結婚が決まった女性が、家庭に入るために退職をするという意味の“寿退社”という言葉は死語になってしまいましたが、NPO団体などでは男性スタッフが、結婚を機に、家庭を守るために、より条件の良い仕事を求め転職するという現象は、今でも健在です。

 

 特定非営利活動促進法、いわゆるNPO法は特定非営利活動を行う団体に法人格を付与することにより、ボランティア活動をはじめとする市民の自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進することを目的として、平成10年12月に施行されました。

 

 以来26年の月日が流れました。

 

 NPO団体の活動の性格により、寄付金を中心に運営を行っている団体もありますが、大半は国や地方自治体からの委託を受けて活動を行っています。

 

 これまでは、長い間のデフレ経済下で、何とかやりくりをしながら活動を維持してこれたのですが、このところの急激な物価高騰のなかで、スタッフの生活を守り切れることが困難になっているのです。

 

 NPO活動は、いまや日本の諸課題に対応するうえで大きな役割を担っています。

 

 “物価と賃金の好循環”と政府が唱えるのであれば、中小企業同様、そこで働く人達の生活を守ることに目を向けてほしいものです。

 

 

目は口ほどにものを言う?

 孫は1歳と5カ月になり、会うたびに新しい変化をみせ、楽しませてくれます。

 

 久しぶりに会うと、最初はキョトンとしていますが、しばらくするとジイジだと認識してくれ、なついてきてくれます。

 

 生後6ヶ月の赤ちゃんはサルの顔を見分けることができる。

 

 認知神経科学者の中野珠実氏が指摘しています。

 

 人間は目で見たものを脳に伝達し、様々な識別処理をすることを、生まれて間もなくできるようになるようです。

 

 そういえば、スマホに蓄積した、生まれてからの写真を見返してみると、生後2~3ヶ月頃は私の顔をみても、ぼんやりと見つめるだけで、ほとんど反応を返してくれませんでしたが、サル同様、数か月が過ぎた頃からニコッとした表情を返してくれたことを思い出します。

「目は口ほどにものを言う」との表現があるように、人の目の表情はとても豊かです。

 

 それを可能にしているのは、人間の目が横長で白目の部分が大きいからだといいます。

 

 この人類の目の特徴は、かつて敵から単独で身を守るためにはとても不利だったそうです。

 

 目の動きから外敵に行動を見破られてしまい、襲われる可能性が高まるからです。

 

 この不利さを一転させたのは、ヒトの目が<社会的なシグナルの交信という新たな役割を持つようになった>ためではないか、と中野氏は推定しています。

 

 人々は目で合図をかわしあいながら静かに獣に近づき、集団でこれを仕留めました。この瞬間、外敵は獲物に変わったのです。

 

 顔を覆う体毛を減らし、動く眉を人類が獲得したこともシグナル交信に役立ったといいます。

 

“目で合図を交わす”というシグナルの交信は、現代では様々な人間関係に影響を与えています。

 

 ただ言葉とは違い、相手からの目を通したシグナルは、必ずしも正確に相手に伝わるとは限りません。

 

 そういえば私も若い頃、女性に見つめられているような気がして、この女性は自分に気があるのではなどと勘違いして、恥をかいたことが何度となくあったことを思い出します😊。