家の近くの駐輪場で9000円払った

4月の中頃、珍しく自転車で出かけた帰り、家の近くのスーパーに寄って買い物したとき、そこの駐輪場がコインパーキング方式だったんだけど、いつもそんなところに自転車で行かないせいで普通に歩いて家に帰ってきてしまい、そのまま一切自転車について思い出すことなく日々の生活を送って、今日に至った。

久々に自転車に乗ろうとマンションの駐輪場に行ったら見当たらなくて、最初は盗難を疑ってたけど、しばらく考えて自分が犯人であることがわかった。

いっそ盗まれててほしかった。

自分にしか責任がないのが堪えられない。

記憶を辿って思い出したスーパーに歩いて向かい、精算ボタンを押して9000円って出たとき、本当に吐きそうになった。

毎日このスーパーの前を通って仕事に行ってた。

精算するのにお札は1000円札までしか使えなかったけど、交通系ICカードには対応してたから、わざわざ近くの駅に行って10000円チャージして、戻って即使った。

本当に生きるの向いてなくて助けてほしい。

吐きそうになってはいたけど、9000円払って使えるようになった自転車のおかげで帰り道は速かった。

自転車の快適さを思い出した。

もっと早く思い出しておきたかった。

マンションにはすぐ着いたけど、こんなときにエレベーターは壊れてて使えないし、階段を上る気力も無くて、部屋にたどり着けないかと思った。

今は「階段上れてえらいね」という気持ちだけで生きながらえている。

粘菌歌会投稿作品まとめ

2019年の2月から、粘菌歌会さんをきっかけに短歌を作るようになりました。

投稿した作品の中から、運良くご紹介いただけたものをまとめました。

(ありがたいことに2020年以降にもご紹介いただくことがあり、その際は都度更新しています)

 

2019年 

2月 第14回「動物」

過去形の昔飼ってた話には 死を乗り越えた強さが宿る

 

3月 第15回「食べ物」

ウイダーはゼリーのことではなかったの謎が深まる奴inゼリー

 

5月 第17回「新しい」

新作が出てもワシには関係ない ワシの中ではひゃくごじゅういち

 

6月 第18回「命令形」

おいピカチュウもういいもどれ出しゃばるな調子に乗るな二足で立つな

 

7月 第19回「月火水木金土日」

いつからかゴミの日呼ばわりされている 星の名前を背負ってるのに

 

8月 第20回「韻」

血が出たしチカチカするしもう死ぬし流行り病でかなりやばいね

 

2020年

1月 第25回「%」

50パーOFFから更に50パーOFFで値段が無くなっちゃった

 

8月 第32回「スマホ」

定位置の胸ポケットが無い服でただ人前で乳首を削る

 

9月 第33回「本」

人格に害を及ぼす本だけを寄贈してこの街を滅ぼす

 

11月 第35回「隠す」

隠しボスみんなこんなに強いのに隠れていてくれてありがとう

 

12月 第36回「3」

三河屋のサブに原チャで轢かれた日 ちゃん付けで呼ぶことはもう無い

 

2021年

5月 第41回「お金」

3円で袋詰めまでしてくれる これが昔はタダだったのか

 

6月 第42回「ゲーム」

そんな罰ゲームが無くても盛り上がる遊びを最初からしませんか

 

7月 第43回「電車」

いつからか鈍行呼ばわりされている 駅があるから寄るだけなのに

 

8月 第44回「スポーツ」

永遠にeスポーツの元年で2年目がいつになっても来ない

 

2022年

4月 第50回「忘れる」

とくぼうをぐーんと上げて生きていく 忘れたままでいれたらいいね

 

7月 第52回「選ぶ」

うんこ味のカレーにもうんこ入ってた 重大なレギュレーション違反

 

9月 第54回「流行る」

赤マルが急上昇でなんかよくわからないけどめでたいですね

 

2023年

3月 第59回「送る」

覚えてる? 先送りした問題が大きくなって帰ってきたよ

 

4月 第60回「迎える」

筆文字で書かれた熱烈歓迎と私を足して常温になる

昔から面影がある?

「面影がある」って言葉あるじゃないですか?

あれの使われ方に違和感を覚えることがたまにあって、

たとえばテレビとかでタレントの幼少期の写真を見たときに

「面影あるね~」

っていうコメントをする人が結構いるんですけど、あれって正しいんですかね?

僕の感覚では、今の姿と昔の姿を見比べたとき「今の姿」に「昔の姿」が残っていることを「面影がある」って言うものだと思ってるんですけど、

「昔の姿」を見て、このままいくと確かに「今の姿」に成長していきそうだな~っていう感覚を「面影がある」って呼んでる人けっこういないですか?

だから、昔の写真を見て、そのあと今の姿を改めて見て、「(今の姿に昔の)面影あるね~」って言ってるなら分かるんですけど、どうもそうじゃないような気がするんですよね。

「昔から面影あるね~」とか言ってたりすると、完全に(僕の感覚とは)違うなって思います。

 

別の場面で「面影がある」っていう言葉を使う状況として、よく知ってる人の親を見たらやっぱり本人に似てたっていうパターンがあると思うんですけど、

あれは親という「時系列として先にあるもの」(つまり昔の姿)が、子という「後にできたもの」(今の姿)に形を残しているということなので、子ども本人に「(お父さんやお母さんの)面影があるね」って言いますよね。

これを親に向かって「お子さんの面影ありますね」って言う人はあんまりいないと思います。

 

 そうするとこの二つの状況で使われ方が違うっていうのは違和感があるので、どちらかに統一するとしたら「今の姿に昔の面影がある」っていう僕の感覚のほうになると思うんですけど、実際の用例としてはどっちも結構あって確信が持てないんですよね。

手近な辞書を見ても「あるものを思い起こさせる顔つき・ようす。例:目もとに父親の―がある。」(デジタル大辞泉)としか書いてなくて、載っている例は理解できるやつだけど本文に明確にどう使うか書いてるわけじゃないっていう。

 なんかどこかにわかりやすく説明してくれてる資料とかないかなって思いながら特に詳しく調べたことはないんですけど、もし何か心当たりがあったら教えてください。よろしくお願いします。

つむグミでDT砲できた フルver.

つむグミでDT砲を作ったというツイートをしたんですが、実はその続きも律儀に作ってましたという記事です。

 

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以上です。

ありがとうございました。

テトリミノの断面がこんなに汚かったら嫌だな。

140字でも苦労してるのに31字は無理

おつかれさまです。

今年に入って急に短歌に手を出し始めた者です。

先々月くらいから「粘菌歌会」というところに短歌を投稿しています。

 

 

 

粘菌歌会っていうのはざっくり言うと毎月設定されるテーマに合わせて一人3首まで短歌を投稿できて、募集期間の後に管理人さん達が気に入った短歌を選んで座談会を開いてその様子を記事にしてくれるサイトです。

去年から存在は知っていて記事を読んではいたんですが、今年、14回目で遂に自分でも投稿するようになりました。

座談会の中で触れられるような短歌は発想が斬新だったり綺麗だったりどれもおもしろくて記事を読むだけでも満足してたんですが、今はもしかしたら自分のが触れられるかもしれないっていうワクワクも加わってるので、更に読むのが楽しみになっています。

初投稿の第14回でいきなり話題に出してもらえて、第15回でも触れられて、上手くいきすぎてますが、今後もこの調子で頑張りたいと思います。

 

僕の投稿したものは置いといて、第1回から最新の第15回まで全部おもしろいので、興味を持って一度読んでもらえると嬉しいです。上のツイートから飛んでください。

 

ちなみに現在第16回テーマ「壊す」の募集期間中です。

締切が10日なのに全く思いつかなくてちょっと焦ってますが、1週間後の自分に期待したいと思います。

 

最近よく字数を気にしてたおかげでブログが字数無限なことに改めて気付いたんですけど、これはこれで難しいですね。

メモの墓場と自由律俳句

止まった時刻を伝える死んだ時計

 

受け取ったけど使わない遅延証明書

 

トイレに行くときしか通らないフロア

 

メモを取るか取らないかの瀬戸際

 

目薬をさすまで天井を見ていなかったらしい

 

夜間にしか押さなくていいことは知っている

 

トイレットペーパーの切れ目が見つからない

 

おいしいものを食べれば食べるほどおいしくないものが増える

 

ちょうど駅名が見えない位置だ

 

気付かないふりに気付かないふりをした 

大晦日だったり一周忌だったりする

2017年も今日で終わってしまうので、今年のことは今年のうちに振り返っておきたいと思います。

 

今年はなんといっても直前に家族が一人欠けたところからのスタートということで、基本的に最悪の出だしでしたね。

去年の12月31日に亡くなりましたからね。

今日もどちらかというと大晦日というか父親の一周忌っていう意味合いのほうが強いです。

 

初めて近しい人の死に触れて気付いたんですけど、自分の時間感覚が明確にあの日の「以前」と「以後」に分かれてるんですよね。

あの日以降、何をやっても「これやるの死んじゃってから初めてだな」とか、「これ前にやったときはまだ生きてたな」っていう気持ちになって、いちいちもういないという事実を再確認しているような、そんな感覚に陥ります。

 

ちょうど先日もそういうことがあったので、ブログの更新ついでに書かせてもらおうと思うんですが、

最近ちょっと大きめのタブレットが使いたいなーっていうときがあり、家のリビングにあった誰も使ってないiPadを借りてSafariを起動してみたんですけど、父親が倒れて入院する前、旅行を計画して自分で検索したのであろうタブがそのまま残っていて、なんかもう見てられなくなって、タブはそのままにしてとりあえず電源を切りました。

この件に関しての報告は以上です。

 

年末はいつもなんだかんだ一年ってあっという間だなぁっていう気持ちが強いんですけど、今年はことあるごとに後ろを振り返っていたので、むしろまだ一年しか経ってないんだなぁと思っています。

 

でもそれ以外の点では最近仕事のほうで良い方向に変化があったり、格ゲー界隈が盛り上がったり、暇さえあれば大喜利したりと楽しいことが続いているので、年末年始も楽しくテレビ見てゆっくり休んで、来年も頑張っていきたいと思います。

 

雑な締めですが今年の振り返りでした。

来年もよろしくお願いします。