ふたたび
私が2006年から2009年の間ともに河合くんやその他のジャニーズJr.を応援していた幼馴染たちがいる。
中学3年になった頃、一人の友人が
「もうすぐ高校生になるしジャニーズを追うのは辞めようかな」
と言った。
その時の私はとても単純で「そうだね、もう大人だもんね。」と受け入れた。
中学生の時はね、高校生なんてすごーく大人に見えるものですよ。
私自身スーパーキラキラ華のJKを夢見てましたよ。
結局コミュ障でたいして友達も出来ず中途半端な高校生活になっただけなんですけどね。
もう、二度と戻りたくない!
そんな話はどうでもよくて
あ、なんかもう真面目に書くの面倒になってきたから自分なりの文章で書きますね
そんなこんなでその後は戸塚祥太についてはちらっと風の噂で坊主になったとかデビューしたとかは聞いていたんですよ。
でもそのときは国境を越えて別のアイドルにはまっていて
(仲良くなった子がそちら方面が好きで友達増やすためには自分も好きになろう!っていう薄っぺらい理由です)
(アイドルを追うのは辞めようという理由で離れたのに結果的に変わらなかった)
現場にいくとかテレビで見ることすらほとんどなくなっていました。
それでもふと頭の片隅に残っていたみたいで、真夜中眠れなくて過去の少クラの映像探して観て泣くっていうことはしてたなあ。
いま、この記事を書きながらふたたびジャニヲタに戻ることになったきっかけを一生懸命探しているんだけど思い出せないんですよお
それでいてブログを開設した自分に自分がびっくりしてますわ....
確実に言えるのは、年末にジャニーズ総出でメドレーを行うことが決まって放送前にひたすらA.B.C.の映像を探して、観て、懐かしさを爆発させてたら止まらなくなったということですね(ざっくり)
ということで、見事に8年ぶりにジャニヲタに返り咲いたというわけですよ。
あの青春時代から8年ですよ。14,5歳だった私ももうすぐ21ですよ。自担28ですよ。アラサーですよ。
ああ、怖い怖い
ときの流れが速すぎて怖い
ってな感じで先月行われていた戸塚祥太主演舞台「広島に原爆を落とす日」をもって現場へ足を踏み入れる日々もふたたび戻ってきました
すっごい、ふわ〜っとダル〜っと「担当:戸塚祥太」になった話をまとめて....まとまってはないな。
自分文章書くの下手すぎだな....
これからはもっとゆるーく書いていこうと思います。
ブログ開設も8年ぶり!!!!!!
長文なんて大学のレポート以外で書いてないよ.....
自分の新たな思い出の印として残していこう。
よし!!!!!
はやく30日になれ!!!!!
はじまり
2006年の夏頃。
元々亀担を名乗っていた小学生だった私が
何気なく愛読していたアイドル誌をある日いつも以上に熱心に読んだ
最初は、KAT-TUNのバックにつくことの多いジャニーズJr.を少しでも知ろうと何気なく見るつもりだった。
KAT-TUNとは違って注目度もそんなに高いわけでなく強いて言えば長年ジャニーズJr.として在籍するからかグループとしてのページがあるくらいでたった1枚のページに1枚の写真、そしてグループでの対談が載っている程度。
しかし、そのたった1枚が私の青春を今日まで引きずることになったのである。
「河合くんって人かっこいいなあ」
第一印象はそれだった。特に他のメンバーは視野にはいら......
「なんだこれ!!!!!可愛い!!!!!!気持ち悪い!!!可愛い!!!!」
どう考えてもリアクションがおかしいのは当時の自分も今の自分もわかっているつもりだ。
気持ち悪いって...こんなことバレたらファンに潰されるだろうけど、思ってしまったものはしょうがないのである。ジャニーズらしいアイドルらしいギラッギラしたKAT-TUNとは違って素朴で純粋そうな彼がいたのである。それがかの有名な戸塚祥太なのだ。
素朴で純粋そうなは、当時は思ってないです。だって私の方が8つも年下だし。
まあ、それは置いといて、その日から私の中で副担になったのである。
やっぱりそのときは興味本位で見ただけだから何も知らないし、やっぱり亀梨和也が一番だし、ってなわけで「副担:戸塚祥太。」
それからしばらく時が経ち、今でも放送されているザ少年倶楽部を観ていた。
トークに赤い衣装を着たA.B.C.の4人が登場し「あのNASAが(笑)」とあまり喋らない五関くんがツッコミをした回である。
A.B.C.何歌うのかな〜と特にそれ以上のことを考えることもなくそのまま観ていたのだが
画面の中央にはギターを抱えてマイクスタンドの前に立つ戸塚祥太の姿があった。
まさか彼が一人で歌う姿など想像していなかったためその瞬間は今でも鮮明に覚えている。
曲が始まってから私は画面から目を離せなかった。
こんなに目力があって、歌声もしっかりしているなんて想像もしていなかった。
これが戸塚祥太なのかとようやく認識することが出来た日だった。
そして、それと同時に「この人が1番だ」と決まった日でもあった。
その日から今まで元担を見るために見ていた映像から必死にバックで踊る戸塚祥太を探す日々が始まったのだ。
初めてのコンサートも戸塚祥太も出演したジャニーズJr.のコンサートとなった。
この2006年からの熱は、あっという間に3年を越えさせた。
その中でなかなか行くことは難しかったが元担のツアーでバックについていたA.B.C.を追いかけて遠征したり、今ではもう伝説化されている(と思っている)Kis-My-Ft2とともに行ったコンサートにも行った。
私の中学3年間の青春時代に彼がいたのだ。