慚愧・懺悔六根清浄『自分の人生には何一つ無駄なものはありません』

いつもお読みただきましてありがとうございます。

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただけるものと信じております。

 

慚愧・懴悔「六根清浄」毎日多くの方にご覧いただき心から感謝申し上げます。

 

六根清浄教の祝詞を教えられても意味が分からなければ何もなりません。。

 

先ずは人は【神の分霊(心)であることを知る事です】

私たち人間は、天の神から「分け御霊」をいただき、地の神から「肉体」をいただきます。

 

このように分け御霊とは天・地の神からいただき全ての人に神が宿っているのです。

分け御霊を授けるのは【父】、肉体を授けるのは【母】。

人間は天・地の神さまから授かったということであります。

 

自分が幸せになろうと思うなら両親、祖父母を大切にして下さい。

亡くなられても思いは必ず届きます。

 

天地の神さまから命を授けられた私たちは、神と同じように常に清浄な心を保ち、慈悲の心を持つこれが神様に愛される人間の秘訣なのです。

子を持つ親ならお分かりかと、我が子は可愛いものです、何かあったなら救ってあげたいと思うのが親の心、苦しみもがいているなら救おうとするのが神様です。

 

 

いつも清流の滝のような清らかな「心」 を保つことが寛容かと思います。

そんなことできるかとお思いでしょうが、これこそ私たち一人一人の「心」なのです。

 

人は善いこと、悪しきこと、すべてを決めるのは【自分の心】です。

人間は神の子であり、心の悪癖や、言葉、行い、等に気をつけることで少しずつ本来の神の姿に近くなります。

 

ただ、六根清浄を奏上しも願いが叶うわけでもなく、六根の祓いのお言葉のように「我が心に不浄なものを入れない」ことです。

六根清浄を奏上するに当たり、心の穢れを改め、清浄にすることを心がけ【天・地の神と一体】なり一心に願うことで成就致します。

 

 

此処で大切なことは、六根清浄を奏上することで、神さまに向き合い願い事を叶えて下さるのは神様であるということを決して忘れないでください。

 

 

すべて六根清浄唱えたから願いが成就と言うわけではありません。

例えば自宅で、神さまの御前に正座をし、願い事一つにしても礼をもって礼に終わるという言葉があります。

 

いきなり柏手を打つことなく、

いきなりお願い事をすることなく

祝詞を奏上することなく、

 

これは一つの例であります。

 

先ずは自分の今の心がしっかりと神様に向いているか、

どこを向いているか、

心が安寧であるか、

全てが穏やかと思ったなら、

二礼二拍手一礼をもって住所名前は必ず家であっても申し上げます。

 

「柔和な心には御神仏さまが宿ると言います」。

 

神社では柏手いらないという説もありますが、このことは「参拝者の心」が大切かと思います。

 

「何度、六根清浄を奏上しても家庭内が落ち着かない(不和の状態)心であるなら願いは成就されません」。

 

すべては【縁起「因果応報」』『原因があり結果がある』】から成り立っていることを六根清浄は示されております。

 

六根清浄祓いには

心神を(わがたましい)傷(いた)ましむことなかれ、(こちら)と有ります。

 

因果応報の「原因・結果」、すぐに関係が出ることは少なく、その人個人の周期により現れるかと思います。

 

こちらをご理解いただけますとお分かりかと、「六根清浄祓いには(煩悩)」も示されております。 

六根清浄大祓いの祝詞の最後の方に、

天地の神と同根なり、天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり、万物の霊と同体なるが故になすところの願いとして成就せずということなし、無常霊宝 神道加持。

 

この意味は、

天地の神と同根なれば、天地から生まれるすべての神々、全ての霊と同根になる。

すべての霊と同根なれば天地の神の「威徳(高い徳のこと)」が現れどのような願いも成就する。

 

【同根すなわち同じ根からと言うことにおきずき下さい】。

 

山、川、海、森、全てに神があるようにて、地にも神がおられます。

 

日本には八百万の神さまがおられると言い、極端な言い方を致しますと、散歩に出ると沢山の神様に出会う毎日です。

 

悪いことはしない、誰も見ていないと思ったことでも、「天知る、地知る、我知る」

必ず天地の神さまは見ており、そもそも自分が知っております。

どのような神さまにも敬いを忘れず、今は、散歩の途中でに小さな芽を出した木々があると思います。

どんな草花にもひと声かけることが自らの魂を向上させることになります。

 

以前、森羅万象についてお話したことがあります、森羅万象とはどなたにも分かりやすくお話するには、天と地の間に存在するすべての万物を森羅万象と覚えると分かりやすいと思います。

 

 

森羅万象、目に見えるすべての生きとして生けるものが神の子にして、『神の生命の分け御霊』、神がお分けくださった神の現れなのです。

 

小さな小さな自己を離れ、大宇宙に『満ち満ちる神こそが自分の本当の姿』と認識することで『神の分け御霊、われは神なり』と自覚された時こそ本当の力を発揮できます。

 

一歩外へ出ると周りは全てが森羅万象、八百万の神さまと出会えます。

 

「人間生きていく上で大切なことは、人間には必ず死が訪れます」

 

人の死は「神・仏のみぞ知る」と思うと、朝目覚め命あることに感謝、夜には一日生かされたことに感謝。

 

自分で生きている等とは大きな過ちで、常に生かされていることに早く気がつく事です。

 

必ず訪れる死という現実に少なくとも一度は直視しておくことはとても大切なことと思います。

すると小さな幸せに気がつきその事に感謝する事になります。

 

日頃から、生かされていること、お陰さまに感謝することを忘れないように心がけましょう。

 

浄土真宗に教えられております一文に

 

私の人生、何一つ無駄なものはありません。

この世には、何ひとつ無駄なものはありません。

いまは、丁重に歩ます。

 

自分の人生何ひとつ無駄なものがない、この言葉、よくお考え下さると人生が少しわかると思います。

 

 

「死生観」

1、人は必ず死ぬ。

2、人生は一度限りである。

3、人生はいつ終わるか分からない、死は「突然土足」でやってきます。

 

この死生勧を掴むことで人生そのものが変わって参ります。

自分で早く理解するか、それとも今は死については少し先に延ばそうとする人とでは、逆境に出会ったときには前者はすごい力を発揮致します。

『死生勧』自分に起きた不思議な体験を書いて見たいと思います。

 

慚愧懺悔たくさんの方にお読み頂き心から感謝申し上げます。

懺悔は必ず毎日繰り返し行うことが良いかと思います。

 

今、歎異抄を読んでおります。

なかなか興味深くひと月以上読んでおり、いまだ理解できないところも有り、近いうちにブログに上げたいと思います。

 

歎異抄「いきなり極楽浄土の世界へ」

とても興味のある歎異抄です。

 

私は、何度も申し上げておりますが宗教に一切関係なく、本職は只の買取屋です。

人より「金、プラチナ、ダイヤモンド」に長く携わっている普通の人間です。

 

たとえ、お一人の方でも当ブログを読み、生まれた時より魂を汚すことなく、磨かれることを願い書いております。

 

ブログを書くことで、自らの魂も磨かれるように一文字一文字を大切にキーボードに向かっております。

 

世界中の方に幸福がありますように。

 

ジュエリーニシオカ  

    にしおかまさる   

最新のランデイングページが出来ました。

慚愧・懺悔・六根清浄、多くの方は今後の人生に不安なのです。

いつもお読みただきましてありがとうございます。

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただくことが出来ると思います。

 

投稿したブログの閲覧では、お陰様で昨日迄の420回投稿の中で他を圧倒しております。

多くの方にお読みいただき心から感謝を申し上げます。

 

弊店ブログ【慚愧懺悔六根清浄、今後の人生に大きな変化】(こちら)を、お読み頂いた理由を自分なりに分析を致しました。

 

それは「自分の罪(悪業)と死後の世界」と結び付けているかと思われます。

 

犯した罪(悪業)は消えません、その後反省を重ね心改めることで余程の悪業でなければ許されます。

天台宗の教えに忘己利他(もうこりた)己を忘れ他を利する」という言葉があります。

 

人の嫌がることを積極的にこなし、正しいことをして、善いことをする。

無我の愛、「乏しきとき与えるは富みて与えるにまさる」

 

公共施設で自分が汚した便器を掃除出来ますか?

自分さえ良ければそれでよし、誰が見てなくても「心の仏」は見ております。

 

人の嫌がることを実践することで魂は向上し、謙虚な心を持つことで心も変わります。

人の心は変わらないと云うのは誤った考え方でありその人の心がけで変わります。

自分の心の中に「天国もあれば地獄もあり」どちらに行くかはあなたの心の中におられる「心の仏」様があなたを救済して下さいます。

 

いつも「心の中はおだやか」にいることが大切かと思います。

「心の仏」はあなたと一緒に行動されいつもあなたを見守っております。

 

あなたの「心の奥底に」おられるかも!

 

死後の世界、多くの方は記憶もなく誰も本当のことは分からないのです。

私は小学生2~3年迄は死というものにとても恐怖を感じ夜は中々眠れません。

しかしいつごろかそれも収まり、今ではあれだけ怖れていた死と向き合うことも少しは出来るかと思われます。

 

もちろん誰にでも死の怖れはあります。

10年前のこと

一度目は前立腺癌で、手術前に癌の生検では異常もなく只の前立腺手術のはずが手術中に採取した検査で術後前立腺癌と知らされ、診療室を出てから癌だったんだと思いました!

今でも三ヶ月に一度の前立腺癌検査を10年以上受けております。

2年半前

大腸癌を告げられ手術までの50日は、ご神仏さまに守られている事を確信してから不思議と「いつも心の中は穏やか」でした。

今も時折り仏壇、神棚の前ではある症状が私に現れます。

 

家族にはとても気を使ってくれたことに感謝しております。

自分を信じることで、悩み苦しみから解放され、この癌は必ず克服できるという強い信念と自分の執刀医を最後まで信じました。

 

人はやがて必ず死ぬと分かっていても必要以上に怖れていては何の解決にもなりません。

 

いつ死ぬなんて誰にも分からないことであり今生かされている、生きていることに感謝をして今を大切に生きる、天地からいただいた大きな命を自分のため、人のために生きてこそあなたの魂もさらに向上致します。

人間に生まれる可能性は自分の爪に砂をかけてその砂が残るほどの確率と言わるほど大切な命を最後まで感謝をしてその恩に報いましょう。

 

読まれた方の多くの方は、「過去の生き方に対しての不安から生じた心の揺らぎから六道への行方」が気になったのでしょう。

 

一時的に不安になっても「心の中におだやかさをとり戻すこと」で我が身はいつも安泰です。

世の中8割以上、大なり小なりの悪業を抱え、それを心から反省し自分は何のために生まれてきたかを思い出し今一度更生することで余程の悪業でない限り仏さまは救ってくださいます。

 

生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!

 

ジュエリーニシオカ(https://e-dia.jp)

にしおかまさる

[自己・真我・真如・三毒」この世は「全て無である」

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

 

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただくことが出来ると思います。

 

人は輪廻転生を繰り返す理由として「只々、魂の向上」を目指し輪廻転生を繰り返しております。

魂の向上には「自己」「真我」「真如」「三毒を理解することで私は魂の向上はできると思います。

あくまで私個人の意見でありますが「自己・真我・真如・三毒個々に書くと長く難しく詳しく書いても目を通すのが嫌になり要約致します。

般若心経を頭に描きますと比較的解かりやすいかと思います。

「自己」

円覚寺・今日のお言葉より、自己についてこのようにおっしゃっておられます。」

我々は時間的に言えば無限の祖先とつながって、親から遡れば、つい宇宙の生成力につながる、という大きな命でありそれは更に「横には我々全ての空間的存在と連なっている。

「自己・すなわち時間的に無限の時間,空間的無辺の存在、この時間制、空間性の交差する中心に私があると」これが真の(自己)であると。

「その時間、空間を切り取り抽象したものが自我である」と、円覚寺(大森老師)はこのように説いておりさらに今私たちは生かされている、天地無限の命を今いかされている。

今「生かされる立場から生きる立場に転換し、大きな生命に生かされている私がその大きな命に報いる為に自分から生きる、それが人生というもの」。

此処からは自分の解釈で、

「それが人生」、本当の人生という言葉が解ったようでした。

自分の存在は現実であり

自分の存在以外は「全て無である」と(色不異空・空不異色・色即是空・空即是色・)思いおこすとお分かりかと。

時間的に無限の時間、空間的無辺の存在、この時間制、空間性の交差する中心が自己であると説いておられます。

 

「真我」

本当の自分を指し、心の一番奥底にある「本当の自分の心」を言います。

 

宇宙の心であり神の心であり無限の愛のエネルギーです。

宇宙の意識、神の意識で自我を消したものでありすなわち無我であります。

 

「真我」とは、の世は本来何も存在しないということであります。

この世は仮想現実、自分自身が現実である。

 

時間制、空間性の交差する中心に私があると先の「自己」の欄に記載いたしております。

自分が現実であるとは、自分の過去(輪廻転生)を繰り返し(魂)に、現在の自分を積み重ねているので自分で自分の人生を創造していくことができます。

 

「真我」と「無我」

真我とは、この世は本来何も存在しないという意味であり、無我とは自我をなくした状態でネガティブな人間らしさを消し去った「嫉妬心」「欲」「執着心」状態。

心我を知ると今の状況も理解でき、死に対する恐怖心も薄くなり、人は必ず死にます「真我(一次元)」の世界に戻ります。

自分の寿命も生前に全て自身の魂が決めており、(三次元世界)では前世で出来なかったことをやり直し新たなことに挑戦しようと誕生致します。

今の私たちは【三次元】の世界です。

 

「真如」

万物の本体として永久に変わることがない。(万物とは宇宙に存在するあらゆるもの)

円覚寺の今日の言葉のなかに

禅では(平常心、びようじょうしん)と読み「あるがまま・そのまま」を表すそうです。

教えでは「不安な時は不安でよい」肯定することも、「恐れる心もあるがままと」言っておられます。

不安な時は不安でよい

恐れることを恐れないで

遅かれ、早かれ、みんな死にます

だから大丈夫、大丈夫でなくても大丈夫

 

三毒

三毒「貪瞋痴」と言ってしまえばそれまで

「貧」出世欲、動物的欲求、金銭欲

「瞋」周囲を不快に、怒り

「痴」自己利益・愚痴など

心の三長者を一度ご覧戴けたらと思います。

 

生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!

 

ジュエリーニシオカ(https://e-dia.jp )

にしおかまさる

慚愧懺悔六根清浄、今後の人生に大きな変化-2

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

 

お読みになり実践することでご神仏さまから「徳」をいただくことが出来ます。

【慚愧懺悔六根清浄、今後の人生に大きな変化】(こちら)21年4月22日(373回)投稿したブログが閲覧では、お陰様で昨日迄の419回投稿の中でも一番多く読まれました。

心から感謝を致し、本日はもう少し踏み込んでどのようにしたら自分の人生を良い方向に引き寄せるかを書いて見たいと思います。

 

人は輪廻転生を繰り返す理由として「只々、魂の向上」を目指し輪廻転生を繰り返しております。

これはいろんな文献を見ても間違いがないようです。

 

魂の向上には「自己」「真我」「真如」「三毒を理解することで私は魂の向上はできると思います。

「自己・真我・真如・三毒突き詰めるといまだ難しく、お陰様で少しではありますが理解ができるようになりました。

 

六根清浄大祓詞には次のように

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり(神さまは五臓を御守りくださいます)

五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり(同根とはつながり)

五臓に無い膵臓もきちんと守られておりますのでご安心を。

天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり (万物とは宇宙に存在するあらゆるもの)

万物の霊と同体なるが故に(同体とは一体と訳しました)

為す所の願いとして成就せずといふことなし(願いは全て叶います)

無上霊宝 神道加持

 

「この大祓詞は天照皇大神が自らおっしゃったお言葉」で、(神社内・地鎮祭等)宮司さんが奏上しておられます。

 

六根清浄とは

欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになること。

「六根」は私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官をいう。

「清浄」は煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで汚れがない境地。

 

1「我が心は決して汚さず、心をいつも穏やかに保つことで五臓は健やかに保たれます」。

私の心の中はいつもおだやかです。「3回」

私の心の中はしあわせだからおだやかなんです。

五臓の神さまのお陰で五臓はいつも健やかです、ありがとうございます。

感謝の言葉を声に出して下さい。

 

六っの感覚器官により生じる自分の感情をコントロールして自分を大切にすることで内臓機能も正常化していきます。

これで解かるように

私の心の中はいつもおだやかです。「3回唱える」

私の「心の中はおだやかだからしあわせ」なんです。

 

心の中はしあわせだからおだやかなんです。

これこそ宇宙の法則なのです。

 

2「自分を大切にすることで、人間関係も解消されます」。

 

3「いつも声にしてしあわせと唱えてください、しあわせはあなたに訪れます。

 

「お金が入りますように、幸せになれますように」では現状はお金がない、幸せでないとなります。

ただ「しあわせです」というだけです。

言葉に引き寄せられしあわせはやってきます。(引き寄せの法則

 

「神棚のある方、仏壇のある方」、はせめて日に一度でも良いです、心から六根清浄大祓詞を奏上して下さい。

自然と「我が心がおだやかになり」、心がとても豊かになり幸せを感じます。

心がおだやかになれず、イライラする方は、自分は神の子と云う神の意識、宇宙の意識を持つこと。

 

宇宙全体が自分の身体と思うことです。

いつも新たなる全徳の無限の無限の輝きを頂くことに感謝を致しましょう。

 

たったこれで、あなたには宇宙の引き寄せにより幸せが訪れます。

 

六根清浄大祓詞(こちら)、私個人の意見ですがスピリチュアル的なことと違うと思います。

 

最近、自分にはあまり良いことがないという方は、あなたの魂が何かを学ぼうとしてそこに立ちどまっているのであり、これは自分の魂が試されているとお考え下さい。

寝る前で良いです、一日の反省「慚愧懺悔六根清浄」と7回唱えてください。

 

一例ですが

例えば(こちら)

私が幸せでありますように

私の悩み苦しみが無くなりますように

私の願い事が叶いますように

私に悟りの光が現れますように

私が幸せでありますように(ここは3回)

 

一人ひとりの幸せは違うでしょうが全て叶います。

 

生きとして生けるもの全てが幸せでありますように!

 
 

ジュエリーニシオカ(https://e-dia.jp)

にしおかまさる

故郷(上砂川)

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

 

2020年12月2日この日は今年一番という冷たい雨が頬を撫でてくれI'm ok thank you日中温度も上がらず底冷えのする一日でした。

散歩もお休み本当に寒く夕方のニュースでは北海道岩見沢市の積雪情報があり故郷を思い出しました。

 

上砂川を思い毎年10月の下旬には雪が2~3回程降りますとその雪は根雪にかわり、根雪は翌年の春(3月上旬)まで残り道路の状態は今と比較の対象になりません。

今は除雪車が家の前、道路の雪までもとり除く作業をしてくれるので友達は除雪費用は掛かるが体は楽だと言っております。

氷点下20度近くまで下がるなかを毎日徒歩で登校したことが今になり良き思い出。

 

遠い昔ですが、4月の山の残雪を見計らい、長靴の上部分をベルトで絞め靴の中に雪が入らないように子供ながら工夫をしバケツを持ちザリガニを捕りに山に入ります。

ザリガニを捕っても2日間くらいバケツに入れているだけの事、何と可愛いそうなことしたかと思います。

 

山の水は冷たく素手でザリガニをとり、冬眠から目覚めた熊に出合うことさえあるというのに何も考えない子供の行動力、親からも行ってはいけないなどと言われたこともなく何とおおらかな時代でしょうか。

 

小学生で自分でお昼のおにぎりを作り、飲み物は山の(沢)天然水で、冷たく体が冷えるのでそんなに飲めません。

今でも鮮明に覚えているのはザリガニ捕りは200mくらいの山を目指し、山の谷間というのか、山間の沢から流れる奇麗な(雪解け水)本当に冷たく手でザリガニを捕まえるのですが手は真っ赤になり指先のひび切れは半端なく冷たくかじかんでおります。(かじかんでる、方言ですか?手足が凍った状態)

 

陽が差す谷間の雪解けからは「黄色い福寿草蕾がこの時を待ちわびていたかのように白い雪の中から芽を出し陽ざしを浴び小さな黄色い蕾や花が至る所に咲いており我が故郷は実に素晴らしい。

今は龍ヶ崎市が第2の故郷龍ヶ崎市も素晴らしいところで、すばらしい故郷を二つも持つ私は幸せ者です、故郷に感謝!

目を閉じると(小学4~6年生)頃「春夏秋冬」の記憶が今でも鮮明に残り、全ての季節が心の玉手箱一杯につまりこんな素晴らしい故郷を持つ自分は改めて幸せ者です。

 

上砂川たくさんの幸せをありがとう!

 

「春」雪解け後の野原一杯につくしや、たんぽぽの花が咲きたんぽぽは綿毛に変わりどこ行く当てもなく風に乗りフワリフワリ大空を目指して遊覧飛行。

 

「夏」短い夏は川での遊泳その隣を青大将(ヘビ)が水面に頭を出し泳いでいることもありました。

 

「秋」この時期は昆虫を探すのが楽しく中でも雨あとのキリギリスを捕るのが楽しく(キリギリスは濡れた羽を乾かすため鳴きます)音を立てず、抜き足差し足とは、キリギリスを捕るための言葉、音を立てると鳴き声が止まりどこにいるのか見当がつきませんので、15分ほど待つと又鳴き捕ることができます。

夜には籠の中でキリギリス、外ではコウロギがともに競ってのど自慢

 

「冬」近くの山でスキー、春先には小さな雪崩が何度もそばで見ており今考えると鳥肌物です。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 

にしおかまさる

 

ジュエリーニシオカ(https://e-dia.jp)