備忘録

ブログタイトルの数字はアバスチン治療の回数

【65】5年目を迎えて

6月で類上皮血管内皮腫と診断されて5年が経ちました。
2016年5月から開始したアバスチン単独療法も
2020年7月で通算65回を記録しました。すごい。
腫瘍が憎悪することもなく穏やかな状態のようです。


最近
少しくらい病気をしたほうが長生きできる、という意味を持つ
『一病息災』という言葉に感銘を受けまして、
一生付き合っていくであろう病気をもつ人にとっては
とても響く言葉なのではないでしょうか。
一病息災は『無病息災』から派生した言葉です。
病気をせず健康に暮らせることはこの上ない幸せだと思いますが
19歳で病気になった私は、この先どう足掻いても「無病」にはなれない。
そんな中出会ったこの言葉一つで、こんなにも心が軽くなると思いませんでした。
おまじないのような、お守りのような、大切にしたい言葉です。

実際、常に医療が側に在ることによるプラスの面もあります。
そして何より、病院での数々の出会いが一番の財産だと思っています。

病気という事実は打ち消せませんが、
病気を上手く利用すること
それが、これからがんと共存する上で私に必要なことだと思いました。


個人の特定を避けるため5年間類上皮血管内皮腫という病名を出していませんでしたが、100万人に1人とも言われる、恐ろしく症例の少ないこの類上皮血管内皮腫という病に罹られた方々の精神的な一助となればいいなと思います。

 

 

【39】


先生に「この治療、50回とかまで続くことってあるんですか? 」
と質問したあの頃が懐かしいね。。もう39回目です。。

ありがたいことに今の治療法が合っているようで
画像を見る限り病気の進行は抑制されているらしい。 
ただ私自身この病気に関して未だ無症状なので
3週間に一度点滴を打ちに行くことに対して
何してるんやろ🙄ってなることがしばしば。
告知されて3年経っても本人の自覚はこんなもんだ。。

病名が持つ力ってすごく重い。
これがもしも違うカテゴリーの病気であったのならば
私が背負うものは、私が一生背負っていくものは、
少しは軽くなったのか??
限りなくイエスに近いと思う。
このように考えてもどうしようもないことを
私は3年もの間ぐるぐる考えている。 考えても私の病名は変わらないのにね。

私にとって病院は自分が病人ということを自覚しに行く場
先生と看護師さんに会って元気を与えてもらう場
毒と精神安定剤を同時に貰いに行っているような感じ。 良い例えが思いつかないけど😭
地獄に仏…渡りに船…違うな…

 

 

2017年現状

 

現在21歳、大学4回生
関西在住


2015年6月
肝と肺の類上皮血管内皮腫と診断される

2016年5月
アバスチン(ベバシズマブ)単剤治療開始

 

3週間に一度通院していますが、治療という感じではなく(こら)、ただただ点滴しながら看護師さんとお話しする時間という軽い気持ちで通院しています。

体調は至って普通、というか多分普通の人より元気です。未だに自分が病気だという実感がないほどです。

治療もブログもいつまで続くかわかりませんがゆるゆると…

 

【12】治療の意味

2月某日 

気が付けば12回目の点滴。
京都では6回目。 


朝から歯医者さんと学校に行って昼から病院。 
採血採尿を終えて待っていると 
看護師さんが来てくださったので話していたら すぐに呼ばれたので一緒に診察へ。 
数値に特に変わりはなしということで治療室へ。 
以前から疑問には思ってはいたけど、 
この病院では抗がん剤点滴の際は 
お医者さんががルートを取ることになっているらしい。 
この日はおばちゃん看護師さんともたくさん話せた。 
「私くらいの年齢の方ってここにいるんですか?」と訊ねたら、 
なんとハタチの子がいるらしい。 
あと「この治療に意味はあるのか」という 
なんとも難しい質問をしてしまいました。 
「病院は意味のないことはしないよ。
ただ効果があるかというのは私にはわからない。でも意味がないことはないよ」という返答を貰った。 
意味があるのか、ということは常々考えていたけど、、、 
病気の症状もなければ薬の副作用もないから 
ただ病院に来て点滴をして帰るというその行為が 
自分の中で謎を生んでしまっている。
自分が病気ということをまだちゃんと理解してないんやと思う 
確かに抗がん剤という強力な薬剤を普通の人が使うわけがない 
理屈ではわかっていても上手く追いつけない 
とにかく私にできることはしっかり食事と睡眠を取って 
精神状態を保つこと!と病院に通うこと!だけですね。
私は病気よりなにより本番がこわい。。。
頑張って練習する。。。ピアノが私を待っている。。。

 

 

肝生検(2015)

2年近く前の話。

そしてこれ↓↓を打っていたのは2015年7月の話


(2015/7)
肝生検、もう2ヶ月以上も前のことなんで曖昧にしか覚えてないけど一応記録。


2015年5月某日

大学を休み、朝から病院へ。
母だけではなくなぜか父も付いてき(てくれ)た。

この日は朝から、というか前夜から、
「途中で麻酔切れて痛み感じたらどうしよう」
「安静の時トイレ行きたなったらどうしよう」
「大量出血したらどうしよう」
どうしようのオンパレード
最終的には全て杞憂に終わって良かった。

9時に病院に着いて手続きをして、
看護師さんの案内で6階の4人部屋の病室へ。
すぐに病棟の案内をしてもらい
その際に身長と体重を測定。
しばらくして担当の若い看護師さんがいらっしゃって、
血圧測定,検温,採血して、検査着を渡されて着替えた。

でもその看護師さん
検査着を間違えて持ってきはったみたいで
後で違う看護師さんに浴衣型タイプの検査着を持って来ていただいた。
ワンピースにしては短すぎるよなと思っていた笑

そこから昼過ぎまでひたすら暇で、
ベッドに寝転んで動画を見たり
スクフェスシャンシャンしたりごろごろしていたら
担当してくださる消化器内科の先生が様子を見にいらっしゃった。
飛び起きた。恥ずかしかった。
自室のようにくつろいでた。
頑張りましょうと言いに来てくださって泣きそうでした……(T . T)

13時くらいに看護師さんが呼びに来はって、病室の前にストレッチャーが。人生初ストレッチャー。
ストレッチャー(何回言うねん)に寝転んで、血圧と体温を測り、そして肩に筋肉注射。これも初めてで、想像以上に痛かった。この時点でまだ病室の前。人が普通に通ってる中、思わず痛い゛〜〜って叫んでしまった。
そしてストレッチャーに乗ったまま6階から2階の診察室まで移動。先生や看護師さんが5、6人いたような。多!って思った記憶。


最初に点滴(失敗されて左手の甲に針刺した)、人差し指に酸素濃度計を付け、両腕は万歳の状態で
検査着を開いて右の脇腹あたりに消毒液を塗って、組織を取る部分だけが開いているシートを被された。(説明の仕方がクソ)

何回か呼吸止める練習をしてから、麻酔。
はじめ、効きが弱かったみたいで何回か追加。部屋が暗くなり、先生の息止めてねのアナウンスのあと、肝臓に針ブスッと。何回か刺されて、段々痛くなってきて、多分追加で麻酔打ったりしてもらってたけど、息止めてから針が通る瞬間がほんまに痛くて、涙が出てきて、看護師さんと呼吸器内科の先生が手握ってくれて、余計涙出た笑 先生も謝りながら作業してくださっていた笑

無事に終わり病室へ。
夕方に親が帰ったあと爆睡しててんけど、パッと目が覚めて、その時何故か朝だと勘違いして、朝ごはんまだかな〜看護師さん来やんのかな〜と思いながらしばらくぼーっとしてたけど妙に周りが静かやからなんでやろと思って携帯を見たら夜の12時40分。そりゃ朝ごはんまだやわ!と突っ込んでまた寝た。1時間ごとに目が覚めた。

朝が来て、ご飯を食べて、退院手続きをして、2限の途中から学校へ。さすがに疲れていた。4限が終わり、、、どうしたんやろ、さすがに帰ったんかな、でも練習して帰った気がする。覚えてないしどうでもいいわ😈

 

確かじゃないこといっぱい書いてます。そんでもって日本語が不自由すぎました。

余談。
病室で待機している時に、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番3楽章(キーシン)を聴きまくり、動画(ピティナ特級ファイナルの山﨑亮汰さん)も見まくっていたので、完全に先生と肝生検の曲(?)になってしまいました。

 

【7】治療室大好き芸人

2016年11月某日

授業のあと急いで病院へ。
採尿採血して診察。
この日は朝方まで課題が終わらず、寝たら起きれないと思いつつ1時間だけでも寝たくてリビングで寝転んだら案の定寝坊。

レッスンやばすぎて食事どころじゃない、レッスン後すぐに移動、
ということで朝から水分さえろくに摂っていない状況で検査したから脱水気味だったらしく
大したことはないですが今まででHが一番多かった。
あと血圧が上140越えという。普段100あるかないかやのに。
この病院に来ると極度に興奮アンド緊張している自分がいる。
体温は35.4。こっちは低すぎる。

診察が終わり治療室へ。
この病院の看護師さん達はみんな適度にフレンドリーでいつも楽しい。パーテーションが無くて空間がオープンなのもあるんかな。
あとやっぱり関西やからかなあ。
絶賛脱水気味ということでお水とお菓子をいただきました。
嬉しいのと申し訳ないのと…。
でもちやほやされるのは悪くない(?)
あの中にいると私は赤ちゃんレベル(意味がわからない)

そういえば、生理がこないことを遂に主治医先生に伝えたら
「薬のせいかもね〜婦人科の先生に診てもらう?」と。。
自分で考えられる原因としては
1ストレス
2体重の減少
がある。何が原因なんやろうか。とりあえず院内で予約取ってもらえそうなので婦人科受診してきます。

 

 

 

【6】京都

2016年10月某日

京都で初めての化学療法。
前回が9月の頭だったので約5週間振りの治療。

この日は授業が終わり急いで病院へ!
のはずが色々とハプニングがあり…
14:30~15:00予約なのに着いたのが15:20で、
急いで受付して採尿と採血。

お会計が〜お会計が間に合わないよ〜
と思いながらレポートを書いていたら番号を呼ばれ、検査の数値は特に異常なしということで治療へ。

主治医の先生が診察室でルート取ってくださったんです…が!!
わたし、針が刺さってるのを見るのがこわいから
顔逸らして目瞑ってるんですよ。
先生「痛いよーちくっとするよーごめんねー」…………痛くない。先生すごい。痛くない!!!
わーいわーいすごい
って思ってたらなんと針が刺さってない。
その後2回ほど刺されました。
やっぱり針は痛かった。
痛みのない針は幻でした。

ということで先生さようならして治療室へ。
消化器内科の診察室から約3秒。目の前。

前回外来日に挨拶だけさせてもらった
治療室の看護師さんから色々と説明を受け、
その後、奥の部屋で女性の先生(初めまして)と3人でお話を。
主治医先生は男性だし言いにくいこともあるかもしれないから何でも相談してね、
というようなことを仰ってくださいました。

主治医先生お父さんみたいよね、
ってぼそっと呟かはったけど
そんな風に思ったことは全くなかったなぁ笑

治療室、私みたいなお嬢さん(←無理)が
滅多にいないらしく、
治療室が浮き足立ってますと言われて
少し嬉しくなった20歳でした。

治療室を見渡すと
私よりも年齢が上の患者さんが殆ど(というか100%)で、
思えば名古屋でも、治療室どころか病院内でさえも若い患者さんらしき人と出会ったことはなかった。
いないわけではないやろうけど割合としては…
若くしてがんになる人は多くはないんやなぁと改めて感じた。少ないに越したことはないねんけどね。。


そして点滴開始。
レポートの続きをカリカリしていたら、
看護師さんや薬剤師さんがいらっしゃって、
説明を受けたりお話ししたり。
若い看護師さんは「音楽勉強してはるんですね〜」とか、
おばちゃん看護師さんは、「あらケータイ大変なこと(画面バキバキ)なってるねえ!」とか…
他愛ないことでも話しかけてくださることが
私はとっっっても嬉しかった。

そんなこんなで17時半前に終了。
初回だからということもあるのか
意外と時間がかかっていたらしい。
そしてやっぱりお会計は間に合わなかったので
救急センターでお会計して、終了。

お世話になっている看護師さんとは
この日は全然話せなかったけど、
気持ちがずっと張り詰めていて
気を抜いたらすぐに泣いてしまいそうだったので、
逆に話せなくて良かったなと思った。
次の治療は私が3週間後実習で外来に来られないので4週空きます。長いよーこわいよー耐えられないよー早く病院行きたいよーと思っているうちに11月が来るんだろうな…あーこわいこわい。