傷ついた不器用で優しいあなたへ贈る

”大切なのは、どう見られたいかじゃなくて、自分がどうありたいか”??

なんだか迷った時には心に響く、よく聞く言葉だけれど

あれ、ちょっと待てよと思う。 

日々真面目に頑張りすぎてしまっているあなたの心が楽になるためには、周りの目を気にしすぎるよりも 飾らないありのままの自分を好きになって正直に生きようって思うことはとっても大事なこと。

 

だがしかし

この言葉を免罪符にして「ありのまま」と称する自分を全面に出してしまうのはどうなんだろう。陰気っぽくて近寄りがたいとか、なんかお高く留まってるとか言われて、ますます自分を出せなくなっていませんか。

どうありたいかより、どう見られたいかが大事なこともあるんじゃないかなと思うのです。

他人に分かってもらえない、誤解されやすくて苦しい人は、

どうありたいかにフォーカスを当てて自分らしさを貫くもいいけれど

どう見られたいかをほんの少し考えてもいいのかなって思います。

 

人は見た目じゃないなんて、ウソでしょ。

ちょっと不器用だけど責任感が強くて、ほんとはとっても人が好きで優しい。

でもたとえば眉を細く剃って唇の端にピアスの穴があるような医者を初対面で咄嗟に信用できるだろうか。中身を知ってだんだん大きな信頼を勝ち得ていくかもしれないけれど。

だらしない格好した人が本当は潔癖だろうか。

いつも楽しそうに笑顔の人が心の中で常に怒っているだろうか。見た目って、中身をそのまま反映してると思うんです。

 

社会的動物として、社会の中で何か役割を担って生きている私たちは、少なからず立場にそぐう見た目を心がける責任があるんじゃないかと思う。

話が逸れたように見えるかもしれない。

でも、あなたの素敵でいいところに気づいてもらうために、どう見られたいかにほんの少しピントを合わせてみてほしい。

 

きっと誰にでもなりたい自分があるはずです

本当は腹黒いのに人前でいい子ぶって。でも、誰にも気づかれずいい子を演じきれているのなら、それはしたたかさという才能である反面、ホントはいい子なのかもしれない。見る人が見れば必ず分かるから。人間良い部分も悪い部分も持ち合わせている。どっちを多めに他人に見せるかってことじゃないのかな。理不尽なことばかりだけれど、腹の中で啖呵切って申し訳なさそうな顔してみたり。人が何と言おうと構わない、私は私らしく生きるわって吹っ切れてみたり。でも肩で風切るのと凛と生きるのは月とすっぽんです。

 

顔つき、服装、言葉遣い、仕草、外見は中身そのもの。

強面なあの人、緊張と責任のある仕事をしているが故の顔つきでしょう。

男勝りなあの子、いつもピンクの小物持っているけれど、本当はとっても照れ屋で乙女なんじゃないの。

 

どうありたいかは心を楽にするけれど、”どう見られたいか” ということが

”どうありたいか” を叶えてくれるかもしれない。

偉そうに、なんだかわかったような言いっぷり。でもこれは、ちょっとだけ大人になった私が昔の私に教えてあげたい、自分への手紙のようなものでした。

おわり

 

 

 

 

 

アニオンギャップとその臨床的意義について

 

はじめに

本ブログの位置づけ

本ブログの医療関係の項は、本格的に知りたい人、ある程度しっかりした知識のある人には物足りないかと思います。主に医療系の学生さん向けに書いていきますが、授業を一番大切にしてくださいね

 

アニオンギャップとは

アニオンギャップ(AG)とは、測定できない陰イオンと陽イオンの差を計算したものです。アニオンギャップがどう重要なのかという説明の前に、とりあえず式の成り立ちを見てみましょう。式で書くとこちら

AG=Na+-(Cl-+HCO3-) (正常値=12±2mEq/l)

ただこの式、いろいろと過程が省略されてるせいでわかりづらいですね。

酸塩基平衡を考える上での大前提として、「体内の陽イオンの総和と陰イオンの総和は等しい」というものがあります。体内のイオンの電荷をぜーんぶ足したら±0になるよ、ってことですね。当たり前です。

じゃあこの12って何かというと、ルーチンで測定されない陽イオンと陰イオンの差を表しています。AGに占める最大のアニオンはアルブミンです(検査の学生さん、これ重要です)。

測定されない陰イオンをUC(unmeasured cations)、測定されない陽イオンUA(unmeasured anions)としましょう。そうすると、AGはUCとUAの差を計算したものであることから、

AG=UC-UA

と表すことができます。

 

ここでひとつ大胆な近似をします。

それが「ヒトの体内(※)において、陽イオンの大部分はNa+が占め、陰イオンの大部分はCl-とHCO3-が占めている」というものです。つまり、体内のイオンは大部分がNa+とCl-とHCO3-、残りのちょっとをUCとUAで構成していると考えるわけです。※ここでの「体内」とは「細胞外液」のことです

 

これらを踏まえると、以下の式が成り立ちます。

Na++UA=Cl-+HCO3-+UC

 

ここで、AG=UC-UAですから、

AG= Na+-(Cl-+HCO3-)

となるわけです。

 

以上が式の成り立ちとなります。

ここまでの長々とした説明で結局何が言いたかったかといいますと、「AGが一体何を測定しているのかをしっかりと式の成り立ちから理解してね」ってことです。これがあやふやなままだと、NaやHCO3-のような主役級のイオンに目を取られて、AGって結局のところなんなの??ってことになりがちです。

 

AGの臨床的意義

 

ここまででAGが何を測定している値なのかは理解できたかと思います。次は肝心の臨床的意義についてです。

代謝性アシドーシスの鑑別に使われる指標である、というのが教科書的な説明ですが、実際の臨床ではアシドーシス患者にこだわらず、一見pHが正常にみえても血液ガス測定をしたら必ず計算します。なぜ全例計算するか。

pHを見ただけでは、アシドーシスかアルカローシスかさえ判断できないこともあるからです!

そんなことがあるのか、と思われるかもしれませんが、分かりやすくざっくりというと、例えばもともと糖尿病か何かでアシドーシスのあった人が嘔吐したらpHが釣り合ってしまうということがあります。つまり一見正常に見えても実はAGを計算するとめちゃめちゃ重症かもしれない。そういった意味でもAGは大変意義があります。

 

代謝性アシドーシスの鑑別に用いられる場合について

下痢や腎における尿細管性アシドーシスなど、単純なHCO3-の喪失による代謝性アシドーシスでは、HCO3-が減少する分、血中にCl-が現れます。

その過程は様々あるのですが、重要なのはHCO3-もしくはCl-の増減は、お互いに補正しあうことでHCO3-とCl-の総和が保たれ、AGは変化しない、ということです。

AG正常のアシドーシスの腎性かそれ以かの鑑別は尿浸透圧ギャップ、尿アニオンギャップの測定が有用です。

 

一方、アニオンギャップが開大している代謝性アシドーシスの場合は、上述の通りUCの増加によるアシドーシスであることを意味しています。陰イオンの総和は一定に保たれますから、UCが増えた分HCO3-とCl-の総和が減り、その結果AGが上昇したというわけです。

UCの代表例として覚えておいてほしいのが乳酸・硫酸・リン酸・ケトン体などです。アニオンギャップが上昇している患者さんの体内には、これらの不揮発性酸が蓄積するような病態が存在していると考えられます。

 

最後に代表的なものを挙げておきますね。

糖尿病性ケトアシドーシス(ケトン体)、腎不全末期の尿毒症(硫酸・リン酸)、ショックなどによる組織低酸素(乳酸)、トルエン中毒(馬尿酸)などによるアシドーシスでアニオンギャップの上昇がみられます。※カッコ内は増加するUC

 

 

今回はここまで。少しでも勉強の手助けになれば幸いです(^^)

本物に触れてこそ育つ、という私の人生観

 

 こんにちは。私先日、三井記念美術館に行ってきました。

現在開催中の「三井家伝世の至宝」という特別展(2016年1月23日まで)です。

私はお習字を少しやっていまして、今回の師範試験の課題の一つが「孔子廟堂碑」でした。それが展示されているというのもあり、見に行ってきたのですが

 

毎度気疲れします、この日本橋という場所。展覧会も銀座で行うのでまあ初めて足を踏み入れたわけではないのだけど、慣れるとかいうもんでもないし、素でうろつける場所ではないですね。なんだか、この都会の一等地の誰もがどこか気取っているような空気感がすこし苦手。

そして扉が重厚すぎて閉館しているのかと思いましたわ←

なんか有名なすごい人?が作ったお碗の美しさに魅了される、みたいな高尚な心持ち合わせてなくて本当残念です自分。

 

 その土地に違和感を感じるということは、自分がそこに似つかわしくないということですよね。昔好きでよく行ってた場所に、だんだん用事がなくなったり、以前は興味がなかったところに急に行ってみたくなったり。それがまさに成長で、私たちは本当に土地に育ててもらってるって思います。土地になじめないなんていうのはよくありますけど、犯罪者が潜伏するのは、どんなに遠くに逃げても生まれ育った土地と同じくらいの規模(人口)のところなんだそうです。

あ、母が学生の頃の話ですが、ホームステイ先でルームシェアしてた女の子が超絶お嬢様で、”カップラーメン”というこの世の存在を知らず、お掃除の際捨ててしまったんだとか。で、あとでそれを知ってたいそう驚いて「ええっ!あれって食べ物だったんですか」と。

読めばラーメンて書いてあったでしょうにね?

どーこで育ったんだか知りませんけど、さすがは私立の英文科です(偏見)

 

 ところで、私を育ててくれた周りの大人たちは、常に「本物」を私に与えてくれました。本物に触れて育った子は 本当に価値のあるものをちゃんと見抜ける子になる、という両親の子育て観が今の私の人生観に繋がっていることは確かです。これは決して個人の金銭感覚に左右される「このくらいの値段普通でしょ?」みたいな強気のものではなく、仕立てのいいものとか、家族で笑いながらおいしいものを食べるとか、そういうことなんじゃないかなぁ。小さいうちからこんな高いもの与えて、親が甘いんじゃない、なんて言われたこともあるけれど、それ以上の学びや感動があればプライスレス。

 私が父の理想通り育ったかは不明ですが、良いものに囲まれていればいつか自分がそれに見合ってくるという思いは常にあります。

 素敵な師につけばその人を目指すし、憧れの洋服を買えばだんだんそれに似合うようになっていく。逆も言えて、だからあまりよくない友人関係や、部屋が汚いっていうのはきっと自分を下げていく。目指したいものの近くにあれ的な感じですかね、住む土地だってね。知らんけど;p

 

 以前twitterで見かけたのですが、「普通だと思うレベルの底上げ」っていう言葉、ほんとに素敵だし真理だと思いました。誰かや何かに引き上げてもらうのではなく、レベルの高いものに自らが馴染んで、普通と思える水準を上げてく。優しさも気遣いも、勉強も、字も。この”普通”は自分だけのもので、他人に”普通”の押し売りなんかしないで、自分だけの財産にすればいい そう思います。

 

話が逸れました。いい字にたくさん触れて、たくさん習って、

いつか書けるようになりたいものです、孔子廟堂碑。

 

 

 

 

関連性を持たせる

 

 最近ようやく12月らしく寒くなってきましたねー!

例年11月には寒くていそいそと出すコートも、今年は先日おもむろに出してきまして、わくわくしてます♪

コートとマフラーがついつい集まってきちゃう我がクローゼット。

女性なら特に なんか花柄のワンピースばかり買っちゃうとか、なぜか靴下だけ増えていくとかそういう経験あるんじゃないでしょうか(*^^*)

 

 私はとかく田舎で浮きそうな鮮やかな色もほしがるチャレンジャーですが、色にはざっくりと相性のいい組み合わせというのがあって、でもどんな組み合わせを選んでもその比率次第かなって思ってます。(オレンジのコートに緑のマフラー巻いてる友人がいましたがあれはにんじんでした)

 

 例えばこんな感じ。簡単に丸で表しました。なぜ三色かというと、だいたい三色以内におさめると色が散らからないからです。左からトップス、アウター、靴と適当にあてはめたり、選んだ色をベースに色を足したりするイメージ。比率を変えるというのは何をメインとするかということ。赤白黒というとパトカーみたいですが、白いワンピースに黒いジャケット、赤いパンプスとか、白ニットに黒スキニ―という服のニットの中に赤っぽいシャツ着て襟がちらっと見えるとか、あーなんかたしかにいるね!な服装の出来上がりです。

●○    

 組み合わせによってイメージってありますよね。これなんか菱餅

 

そこで少しコツがあるとすれば、スニーカーのラインの色をと帽子の色を合わせるとか、バッグのファスナーの色とピアスの色をそろえるとか、マフラーと靴下を同系色の色にするとか、離れた部分に同じ色を使って関連性を持たせるということだと思います。関連性を持たせることで全体に統一感が出ます。ファッションにおいては素材感やシルエットのほうが重要な要素!って言われちゃうかもしれないですけどね(笑)

 余談ですが、十二単襲色目(かさねいろめ)は色を重ねて四季のある日本ならではの美しい季節を表現しています。裏地を透けさせることで濃淡までつけていたほど。あれほど繊細な色彩感覚はまさしく世界随一です!(あなたはそんな平安貴族の子孫かもしれないですよ♡)

 

 あとフラワーアレンジメントなんかも、モチーフを二つ違う花で作るとき、メインのほうにサブの小さめの花を入れ、サブのほうにメインの花のつぼみを入れたり、さらに同じ葉を使ったりして関連性を持たせていきます。

 

さらに、たとえば謎かけは、一見関係のない二つのことを“その心は”でつなげて結びますよね。文章もそうで、最後にすべてのつじつまがような”心”で締めたり、あるいは結びにつながる内容がどこかに織り込まれているとまとまるのかなと思います。書き出しの一文が最後の一文に対応しているとか、そのくらいでもいいのかな。

 

 偉そ~なこと言ってきましたが、私は文才が皆無です。「やばい」頻用のイマドキのボキャ貧だし、なにしろ構成力に欠けるというか、流れの作り方が皆目わかってない。

よって、なんの関連性も統一性もなく思いついたこと好き勝手書いていこうとおもっております(^^)  おわり。