まだまだ、おこさまらんち

顔色が悪いだけの人生

果たされない約束と夢から覚めて失ったミックステープ

先日、悲しみと寂しさに打ちひしがれるような夢をみた。

 

誰かが死んだわけじゃない。

 

世界が崩壊したわけじゃない。

 

夢のなかで知りあった人が「私の青春を詰め込んだよ」とミックステープをくれた。

 

受け取った途端に目が覚めてしまった。

 

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誰かのことを考えて、毎日暮らしてる。

 

視界に入るもの全てが誰かに紐付いている感じ。

 

道を歩けば「こんな空気のなか、あの子と歩いたな」とか、お店に入れば「あ、こういうのだれか欲しいって言ってたな」とか。

 

人と出会うときも「この人はあの子と仲良くできそうだな」とか。

 

そうやって、いつ何時も誰かが私の頭の中を駆け巡ってる。

 

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いつまでかわからないけど、人との約束を守るのが苦手だった。

 

借りたものを返すとか、どこそこに出かけるとか。全部めんどくさかったんだよね。

 

でも、いつからか全部守ることにこだわるようになった。

 

食事の約束も、遊びに行く場所も、「こういうのあったら欲しいんだよね」という誰かの戯言も、全部叶えなくては気持ちが悪い。

 

これはきっと「誰も私を大事にしてくれない」という気持ちから来ているものだと思う。

 

こうしないと「大事にされる存在」に値しない。

 

一緒にいる価値のある人間じゃない。

 

その気持ちを払拭するためには、人に役立ち続けるしかない。

 

その結果、人に過剰に期待するようになった。

 

私の願いをきっと誰かが聞いてくれるはず。

 

社交辞令なんてなくて、言ったことは守ってくれるはず。

 

だって、こんなに私は、人のことを考えてるんだもん。

そんなの私のオナニーで、勝手な押し付けなのに、小さな約束が果たされなくて、勝手に深く傷ついている。

 

あの時プレゼントされるはずだったネックレス、連れてってくれるはずだったレストラン、私のために作ってくれるはずだったミックステープ。

 

思い出したらきりがない。

 

全てが私に牙を剥き「お前なんてその程度」と低い声で囁く。

 

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夢の中でもらったミックステープは、ワクワクのかたまりだった。

 

「このなかに、私の知らない世界に連れて行ってくれる音楽が詰まってる」

 

「家に帰ったら聴こう!」

 

と受け取った。希望がたくさん詰まった瞬間だった。

 

今思い返しても、あそこで目覚めた自分が憎いし、神さまなんていないと思う。

 

でも、この夢のおかげで「約束もこんなもんか」と思えるようになった。

 

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社交辞令が苦手なのは、きっと全てを真に受けてしまうからで、そのときの熱量を忘れられないから。

 

でも、もしかしたら約束を交わした時点で、その熱は放熱される人もいるはずだ。

 

テープを受け取った瞬間、目を覚ましてしまった私のように。

 

そしてきっと私もだれかこう傷つけてるのだと思う。

一度立ち止まって、「そこに愛はあるのか」と問う

今年、28歳になる。社会に出て7年か、6年か。

 

お父さんやお母さんに比べたらまだまだヒヨッコだけど、曲がりなりにも「社会」で生きてきた。

 

18歳、学生という枠組み、透明の箱から出ようと壁にぶつかりつける私を見つけてくれた人がいた。

 

「きみは将来をどう考えているの」と三軒茶屋の立ち食いフレンチで、"社会"がなにかわからない私の話を聞いてくれた。

 

すごく嬉しかった。

 

それから、私はその人の弟子になった。

 

社会にでたらみんな同じなんだ

 

毎日のように同じ時間を過ごした。

 

師匠の仕事に着いていく、作業している隣に座って「働く」を間近でみる。打ち合わせにも同席させてもらうこともあった、「大人はこうして物事を決めていくのか」と話し合いの価値を肌で感じた。

 

夜の会食も同席した。どう物事が発展していくのか、人と人が重なると大きな可能性が生まれることを知った。

 

「社会にでたらみんな同じなんだ。限られた時間はみんな同じだ」

 

「強者は弱者を馬鹿にするためにいるんじゃない。多くを持つ者は人に分け与えるために存在してると思いなさい」

 

何をやっても怒られる想像しかできない

トータルで3,4年一緒に過ごした。でも、ある時期から師匠と居るのが「しんどい」と思うようになった。

 

ヘマをすれば声を荒げて怒り出す。電話で謝ると「普通だったら来て謝るだろ」と言われ、電車に飛び乗って事務所へ向かった。

 

事務所のインターホンを鳴らしても、出てこない。

 

雨が降ってきて、傘も刺さずに長い時間待つこともあった。

 

何をやってもできない自分、何をやっても怒られる想像しかできなくなった。

 

「あぁ、もう愛されてないんだ。もうダメなんだ」

 

自然と頭に浮かび、私は師匠の元を去った。

 

「愛されてる」が大きなチカラになる

それまでの数年間は毎日楽しかった。

 

「どうして、大人は『わからない』というと馬鹿にするの」なんて、くだらない質問をしても、「それはね…」と丁寧に教えてくれた。

 

怒られても「でも、きみはこういうところが長所だから」と、必ずフォローしてくれた。

 

そういうところ全部で「愛されてる」って思えてた。だから、「はやく社会に出て、恩返しがしたい」、「美味しいごはんをご馳走したい」と思ってた。

 

でも、何かがきっかけで、そういうふうには思えなくなっちゃったんだ。

 

「きみは消耗されて生きるのか」

 

いまでも、師匠には、あの頃と変わらずに感謝している。今こうやって仕事ができて、多くの人が私を気にかけてくれているのは、120%、師匠のおかげだ。

 

あれから3年経って、「しんどいな」と思うと「きみは消耗されて生きるのか」と師匠の言葉が降りてくる。

 

「いいか、人と人は義理で生きてる。不義理なやつは、きみの持っているものを利用しようと近づいてくる。きみは人を喜ばせることがすごく好きだから、気づくとそういうやつ消耗されてしまうと思う。いいか、一度立ち止まれよ」

 

幸せなことに、多くの人に愛されて生きている。それは両親のおかげでもあるし、師匠のおかげでもある。そのおかげで「愛されている」にすごく敏感になった。

 

こんな私だけど、大人になるにつれ近づいてくる人が増えてきた。私が一人でできることなんて、何もないのに。

 

でも、こういうときに迷わず「YES」と「NO」が言えるのは、きっと"あのとき"愛してくれた師匠のおかげだ。

 

だから、私は一度立ち止まって「そこに愛はあるのか」と問うのだ。

 

消耗されるのが大人ならば、私は一生子どもでいい。

 

そんな私でも愛してくれる人がいるんだから。

どうしても腑に落ちないことがある

どうしても腑に落ちないことがあるんだ。

 

どうしても。

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半年以上前に、ask.fmにこんな質問がきた。

 

時期的に考えて、私のことをよく思わない人が投稿してきたんだろう。

 

でも、この質問は人種差別に通じていると思う。

 

もし、私が日系人だったら、もし私が白人の養子だったら、こういう質問がきたらすごく悲しいはずだ。すごく傷つくはずだ。

 

まだまだ、日本はこういう状態なんだ。

 

見た目が外国人であれば日本国籍でも"ガイジン"だし、見た目が日本人だったら、外国籍でも"ニホンジン"。

 

なんで、こういうことが考えられないのだろう。

 

どれだけ時間がたっても、これは腑に落ちないんだ。

 

ずっと誰かの1番になりたかった

「友だちが多いよね」って言われるのが本当にいやだった。

「浅いカンケイなんだね」って言われているようで。

だって、私はずっと誰かにとっての「1番」を求めてたから。

 

28歳だって「友だち」で悩む

今年で28歳になるけど、年齢問わず、人は「友人関係」に悩むもの。

最近、ようやくそんな自分を受け止められるようになった。

 

友人たちとの集いは、「彼氏がさ〜」、「この前の合コンでさ〜」なんて、恋愛関係についての愚痴、悩み、そしてノロケが飛び交うもの。

 

でも、私は目の前にある友人関係に頭を悩ませる。

 

「この子たちにとって私は何なんだろう」って。

 

一人遊びは完成すると悲しくなる

私は16歳まで一人っ子だった。

生まれてから16歳まで、学校から帰れば一人で遊んでいた。

 

幼稚園のときにピアース・ブロスナン主演の「007」をみてから、ボンド・ガールになるのが夢だった。

一人、広いリビングで自由画帳を開き、自分専用のツールを設計する。BMWの7シリーズを描いて、自分の好きな色に塗り、空を飛べる機能をつけた。

あと、大好きなマドレーヌちゃんを座らせる席もつけた。

 

完成しても見せる相手がいない。

製作中は楽しかったけど、完成すると「終わっちゃった…」と悲しい気持ちになった。

「ここに友だちがいたら違うのに」そんなことばかり考えていた。

 

自分の知らない「楽しい話」

両親がいない家に友だちは遊びにきてくれないし、許可がないと友だちの家に行けない。

 

仕事中の親に電話して許可を取るのが億劫だった。

 

そうすると一人でいるほうが楽。

 

でも、私がそうやってふてくされているあいだ、クラスメートたちはお互いの家を行き来して、楽しい時間を過ごしてる。

 

翌日、学校に行けば「昨日さ〜」「あれ面白かったよね〜」と、私の知らない思い出を語る姿を見なくちゃいけない。

 

だから、休み時間が嫌いだった。

 

いつしか友だちは敵になった。

そんな幼少期を過ごした上に、学習障害ADHDなので、人と関係を築くのが困難だった。

 

「みんな私を馬鹿にしてる」、「みんな私を消えろって思ってる」、そんな気持ちを抱えながらも、ピエロのようにおどけたり、家から漫画を学校に運んだりしてた。

 

休み時間と放課後が嫌いなのは変わらず、授業の終わりを知らせるチャイムと同時に保健室に逃げ込み、終礼後は敵陣から基地に戻るようにダッシュで家に帰ってた。

 

「どうせ、みんな楽しいことするんでしょ、私抜きで」

 

こんな気持を抱えながら。

 

長い間ずっとふてくされているんだ

先日、ふと、そこにたどり着いたものがある。

それは「あぁ、私はずっと誰かの1番になりたかったんだ」ってこと。

 

そんな学生時代を過ごしてきた私にでも、友だちはいた。

でも、私の求めていた「友だち」っていうのは、唯一無二の親友だった。

 

周囲が認める、「◯◯ちゃんと言えば△△」、「△△と言えば◯◯ちゃん」、こういうもの。

 

でも、私は友人たちのそういった存在にはなれなかった。

 

 

それが悲しくて、私はずっとふてくされているんだ。

 

もうちょっとだけふてくされたい。

大学を卒業して、仕事を含めた色々なことをきっかけに友だちが増えた。

毎月「山家会」という、私を中心にした友人たちが集まる飲み会も開催してる。

結婚パーティーには50人以上の友人が参列してくれた。

すごく幸せなことだ。すごく嬉しいことだ。

 

でも、まだ、私は「誰かの1番」を求めてる。

 

そして、まだ、「私の知らないところで楽しいことをしてる」、「みんな裏で私を蔑んでいる」と思ってる。

 

そう思い続けることは彼らにとって失礼なことだっていうのはわかってる。

 

でも、もうすこしだけ、ふてくされさせてほしい。

 

もう少し、自分に自信を持てたら、きっと「誰かの1番」を目指さなくなると思うんだ。

 

だから、あと、ちょっとだけ。

 

 

 

 

 

私は今、『愛を求めてる期』を迎えてる。

何度、「ここに愛があればいいな」と思ったことだろう。

 

ずっと満たされない「何か」にぴったりなピースを探して、その「何か」が肥大化することを恐れてる。

 

友だちがいるから、彼氏がいるから、同棲してるから、結婚してるから、側から見れば「何か」を埋めるものに見えるのかもしれない。

でも、そうじゃない。

 

自分でも困惑することがある。

 

友だちがいるのに、家族がいるのに、彼がいるのに…って。

 

じゃあ何が欲しいの?と自分に聞いても、うつむき続けて答えは出ない。

 

大好きなカルピス?牛乳にぴったり合うクッキー?じゃあ、お買い物でも行く?

 

自分のご機嫌を取るために様々なピースを用意する。

 

でも、どれもはまらない。

 

大海原に放り出されたように「いつになったら岸が見えるんだ」と悲しく切ない時間は長く感じる。

 

数日が数ヶ月に感じ、「あれ、もしかして私人生の大半寂しいのかも」なんて思ったりする。

でも、こういう気持ちになるのはずっとじゃないんだ。

 

大人になってちょっと自分を引いてみれるようになった。

 

すると、いくつもの地層が重なって自分を形成してることがわかった。

 

ちょっと前まで「愛とはなんだろう期」で、その前は「イケイケ期」で、それより前に「愛されたい期」があった。

 

「あぁ、生きるってこういうことか」って気づいた。

 

だからきっと今感じてるのも地層の一つになる。振り返れば「あ、この前まで『愛を求めてる期』だったのか」って鼻で笑ってしまう。

 

辛いことは一生続かないって大人は言うけど、たぶん、こういうことなんだろうな。

 

言われたほうは「うるせえな、今しんどいだってば。今ここから抜け出せたいんだってば」って心の中で叫んじゃうけれど。

 

きっともうすぐこのシーズンも終わる。


春になって新しい風が吹きはじめたから。

 

また楽しく過ごそうよ、カルピスでも飲みながらね。

モラトリアムに出口はない、だから、優しくしないで

愛されたいと思えば思うほど、周りの人に愛されていないと感じるのはなぜだろう。

 

触れたいと思えば思うほど、周りの人が自分を避けているように感じるのはなぜだろう。

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なんだかずっと憂いの中で生きてきた気がする。

 

「自分は愛されていない」とか、「人は皆、私を避けて生きてる」とか、そんなことばかりずっと思っていた。

 

夫婦関係だって、友人関係だって、「なんでこの人は私と一緒にいるんだろう」とずっと疑問を感じてる。

 

だから、旦那に「どうして私と一緒にいるの?」と聞いてしまう。

 

その度、旦那は困った顔をして「なんでやろな」と答える。

 

理由がなければ人は一緒にいてはいけないのか。

 

いや、そうじゃない。

 

でも、私は理由がないと一緒にいる価値のない人間だから。

 

ずっとそう思って、ずっと生きてる。

 

誰かのためにできることを模索して、誰かのためになりそうなことを習得する。

 

何かができないと、何かしないと、何か、何か、何か…

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学生時代は、本当に、苦痛だった。

 

年齢に縛られ、一つの箱に大人数の人間が幾何学的に並んでる。

 

人間関係の構築がうまくできなくて、放課後は呼び出されて「あんたと一緒にいたくないのにいてやってる」とせめられる。

 

もう開放してほしい。お願いだから、ここから出してほしい。

 

そう、刹那に思えば思うほど「逃げちゃダメだ」と首に鎖を巻く。何重にも何重にも。

 

辛くて逃げたくてしていたリストカットだって、そこには何も意味はない、そこに何も価値がないことだってわかってた。

 

でも、窮屈な人間関係、自分の居場所がない虚しさ、不安や絶望でいっぱいになった、パンパンになったカラダ。

 

「身体のなかが腐ってガスが溜まってる、抜かないと、爆発する」と刃物を片手に掴み、眠れない夜を過ごしてた。

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大学に入って、箱庭のような息苦しさから開放された。

はやく社会に出たくて、はやく「価値のある人間」になりたくて、必死だった。

 

リストカットから脱したものの、大人に喧嘩を売ってコテンパンにやられたり、一回り以上離れた人と関係を持ったり、他にも、振り返れば「何をやってんだ」とため息が出るようなことばかりしてた。

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27歳になって「価値ある人間」になれたかなんかわからない。

 

でも、一緒にいてくれる友だちや大人にとって「価値ある人間」でなければならないという気持ちは年々強くなってる。

 

この人のために何ができるのか、この人が私に何を望んでいるのか、私の何をこの人は求めているのか。

 

たまに、息苦しさを感じる。

 

「いつまでこれを続けるんだろう」、「私は誰のために生きているんだろう」。

あるときぼくは気づいたんだ。

このモラトリアムに出口がないって。

 私はもっと頑張らなきゃいけないから、まだ、これぐらいでへこたれちゃいけないから。

 

だから、優しくしないで。

優しくしてもらえるように頑張るから。

今は、まだ優しくしないで。


MGF "優しくしないで'94" (Official Music Video)

 

 

「精神的迷子」は次のステージに進んだ証拠なのかも。そうかも。

「なんだかな、なんだかな、私はこのままでいいのかな」

 

もうずっとそんなことを考えている。

 

会社員をやめて1年。
平日働いて土日に休むという生活から一変、休みのない生活になった。

 

仕事をするもしないのも、お金を稼ぐのも稼がないのも、ぜんぶ自分で決められる。
でも、私は仕事を休むことが苦手なので、気づけば週7日仕事をしている。

旦那と財布は別。自分の生活費は自分で稼がなくちゃいけない。でも、これも自分で決めたこと。

 

体調を崩して寝ていても、枕元にMacBookを持ってきて横になりながら片手で作業をする。

 

腰が痛くても、首がぎっくりになっても、作業できる姿勢を探して、何かしらの業務をこなす。

 

ただ、人に縛られてやっていることではないので、精神的に支障はない。

それはそれでつらい。




自分に優しくできなければ、人に優しくできない。そんなことはわかっているけれど、仕事を休むことで落ちる信頼感だったり、収入が減ることだったり、自分がダメな人間なんだ、という「何か」に怯えてる。

 

人に触れてもらいたい。でも、セックスはしたくない。

こんな生活をしていたら性欲が一切なくなった。

 

だから、セックスとは離れた生活を過ごしてる。

 

昔ここにも書いたけど、私はセックスで愛情を感じ、癒される性質。

 

でも、たぶん、これは過去の話しで、今は何をどうしたら愛情を感じて、癒やされるのか、わからない。

 

もしかしたら、世の中には今の私と同じように「精神的な迷子」になっている人がいるのかもしれない。

 

どうしたら、自分を癒せるのか。

どうしたら、自分を励ますことができるのか。

どうしたら、自分を幸せにできるのか。

 

今まではこれが目に見えるようにわかった。

 

カルピスを飲めば、インスタントな幸せを得られる。

ヤクルトを1パック飲めば、大体1日はハッピーでいられる。

旦那に抱きしめてもらったら、深い眠りにつける。

旦那とセックスをすれば、身も心も満たされる。

 

でも、今はわからない。まったくわからない。

 

「精神的な迷子」は、別のステージに移った証拠

人生はきっと色々なステージで構成されている、ゲームと同じように。

1つのステージをクリアすれば、先が見えない次のステージに進んでいく。

どういうアイテムがあればボスを倒せるのか、どういう仲間がいれば先に進みやすくなるのか、どうしたらHPを回復できるのか、たぶん人生も同じことなんだと思う。

 

保育士を経て、会社員を経て、昨年の10月から今の状態になった。

過去を振り返ると、自分の癒やし方も、自分の励まし方も状況によって違ってた、と、思う。

 

今はきっと別のステージに移ったから、迷子になっているんだと、思う。

そうだそうだ、きっとそう。

新しいアイテムを集める、新しい仲間を集める。

 

そう、今がきっとそのときだから、疲れた心と身体にムチを打って、前に進みましょう。