やどかり。

長い長い寄り道の途中。もう、7時。

平凡と非凡 夢と夢

 

夜中に考え事はよくないというのは重々承知で

 

ひっさしぶりにあの感覚がやってきてる。眠れない。

 

嘘、エッセイ書き終わってない罪悪感で寝られないだけ。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつからか、もしかしたら意識がはっきりしはじめた頃から、

 

頼り方が分からなくて、誰に何をどこまで話していいか

 

分からなくて、言葉がよくつまる。出てこない。

 

気持ちはあって、頭にあって、でもどの言葉を使えば

 

いいか分からなくて、あれは違うこれも違うと脳内一人相撲。

 

で、困ったときは脳内でシャットダウン。

 

 

多分こういうのよくないんやろうけど、

 

いつの間にか身につけていた技。

 

 

 

 

 

 

漠然と怖さを感じるのは、きっと

 

何にも焦点があっていないから。

 

もしくは焦点がないから。

 

 

 

枝も大事。林も、森も。全部大事。

 

どれか一つがだめになると、成り立たない。

 

 

 

怖い

 

なんかすごく怖い。

 

 

 

 

 

追いつめなければ。追いつき追い越せ。追われなければ。

 

 

 

 

楽しいことを考えて今日におさらばしよう。今日のために。

 

楽しいことを考えて明日を迎えよう。明日のために。

 

 

 

Spring Quarter

 

Third Quarter

気づけば3学期目、と半分がたっていた。

来月の25日でアメリカに来てちょうど1年。

先月頭に日本へ帰ったけど(弾丸5日ツアー母驚愕兼激怒;突然過ぎたのと

滞在時間短すぎにより)、なんだかんだでもう1年たっている。

第二外来語の比重が大きくなり過ぎつつある、と

若干焦っている。その前に英語をなんとかしなければ。

とっさに出てくる外国語が英語じゃないと

スタバで注文するときに気づいて、これはやばい、と感じた。

 

、、その前に。今回の学期について。

EWRIT
ASTR
SECI
MAND

 

今振り返ると最初の学期が一番調子乗ってたなと思う。

もちろん良い意味で。訳も分からずとりあえず

クラス登録して、誰も日本人いなくて、

良い意味で緊張してて毎日必死だった。(ちょっと盛った)

この学期で秋から編入する四年制大学の合格通知を

もらった人もたくさんいたらしく、Facebookを見てみれば

いたるところにbarckleyの文字が。こちらに来るまでは

YaleとHarvardしか知らなかったのに。あまりにも

みんながUC UCと言うので必然的に覚えていく。笑

 

アジア人は母国があって、帰る予定で、

こっちに来てるからどうしても有名な大学を

卒業しないといけないらしく、バークレーじゃないと

お家に帰れないって言ってる子もいた。

だからみんな簡単にAを取れるような授業を取る。

そうすると、だいたいアジア人がたくさんいるクラスになる。

ちょっと面白い。初回の授業、教室入った瞬間

アジア人がたくさんいたら、「あぁ、これ楽単なんや」となる。

 

そこでとったAで、UC系列の大学に行って、

そのあと中身は付いてくるんだろうか、って不思議になる。

もちろんその学位は方法はどうであれ、最終学歴として残るし、

誇れるものだと思う。思うんだけど。

多分また編入したあとも、楽単探すんでは、、、と思ってしまう。

どうなんだろう?違うのかな、、、、。

 

で、考えたのは、わたし自身四年制編入して、

どうしたいんだろうって。キャリアデザイン?

コンスタントに節目節目で、どうなっていきたいか

っていうのが考えられない。で、じゃぁ、どういう人のような

人生を歩みたいか、ベースになりそうな人はいないかって、

考えても、近場で両親、って想像してみても、

わたしは彼らみたいに無敵人間にはなれないので、

というか、わたしは嫌だ。そんなに働けない。強くない。

じゃぁ、誰がいるんだろうって考えても、浮かばない。

探してないのかもしれない。探す気もないのかもしれない。

いつでも、今のためと将来のため二つ同時進行で

頑張れたら、楽しめたら、一番いいんだろうけれど。

二兎追うものは一兎も得ず原則が証明してる。

英語と韓国語同時の勉強は英語をも忘れさせていく。笑

まぁ、今は中国語も欲張って取ってるからなのかも

しれないけれども。欲張り万歳。笑

今手持ちの目標がいくつあるかって、

二つしかない。韓国語中国語を年内に片言レベルには

話せて読み書きできるようになること。

(帰ってくるまでには、意思疎通日常会話ぐらいは可能になること。)

あともう一つは、まぁ、遠い遠い先の50年先ぐらいの目標なので置いといて。

 

となると、やっぱりわたし外国語もっと勉強するしかない。

こんだけ豪語してるんだから、それぐらいしなければ。

自学自習。楽単取ってるんだから、それぐらいやろう。

はい、決めた。がんばる。

今できることを、今やろう。今したいことを、今しよう。

でも、来週のアストロのテストも忘れないように

 

 

 

逃げている途中で。

 

second quarterが始まって2週間ほど。

今回も4科目とったけど単位的には19単位なので

前回より2単位増えたので少しだけびびっている。

 

自分で出来ないから無理やりその環境にいれてやるのが

(いれてくれてるのは両親)常だったので今回、

とうとう韓国語をとった。とにかく聞けて話せるように

なりたいと思うし、だからこの3ヶ月でどのぐらい

追い込めるかだと思う。一生懸命フレーズ取ろうとするけど

接続詞ぐらいしか授業中はナチュラルに話してくれないから

自分でなんとかするしかない。うぎょるとインタビューで勉強。

この熱を英語にも費やさないといけないんだけれども。

どうしても喋りたいというよりも、どうしても見たい、

彼らが言ってる事を理解したいという気持ちだけ。

多分、『外国人の彼氏の法則』と同じだと思う。

画面上かそうでないかの違い。

 

中国語の熱がおとなしくなってきているけど

必ずここを出るまでには話せるようになる。なる。

他に増えたとしても絶対に減らさない、変えない。

 

語学を専攻したいわけじゃないしただの興味だけで

科目を取ってるけど、どこかでひっかかっている。

自分が今とっている世界史や前回とったPOLISCIも

ただの趣味でとどめておくべきじゃないのかなと。

 

最近よく好きを仕事にする、しないとか、

得意なことを仕事にする、しないとか、

そういう記事をよくみかけて早く早く自分も、と

考えていると今の選択は果たしてよいものか、と。

これはわたしの先の何かに繋がっているんだろうか。

 

正しいのか間違いなのかはもっと時間がたってから

気づくものだから今はどちらかというと掛けに

出ている感じがしてしょうがない。

何も先に確証がないものに、時間を費やしている。

人の意見を聞くのも参考にできると思う。

今はISPのカウンセラーの人と、Jimに相談してみようと思う。

ここまできたら地域も国も特に隔たりは感じなく

なってきているし、受け入れられると思う。

でも無意識に帰ることは範囲内に入ってない自分が

やっぱり逃げている最中だと、頭のどこかにあるんだろう。

First Quarter

こちらにきて初めての学期が終わり、

1週間ほどたち、グレードが出た。

 

・USHIST

・ADMJ

・MATH

・POLI

 

どれも面白かったと思う。(数学は、、、うーん、うん。)

教科書は本当にただの教科書であって

材料であって、授業そのものではない。

高校でもないし、大学でもない。

出て当たり前、意見を交わすのが当たり前、

調べて読んで書いてなんぼ、の世界。

 

とにかく先生に恵まれた人生だと思う。

恵まれたくせに飛び出したけれども。

恵まれたからこそ、飛び出したのかもしれない。

 

親身になってくれる先生ばかりでうれしい。

小さいクラスを取れば取るほど。

気にしてくれるし、ありがたいなと思う。

頑張ろうと思える。やはり褒めてもらえたり、

気にかけてもらえるとこちら側も気分が乗る。

おそらく誰かが良い意味で足跡を残してくれたおかげで

可愛がってもらえた(?)のだと思う。多分。

 

成績自体は両手を挙げて喜べるほどの

ものでもないけれど、それ相応のやった分の

成績が返ってきたと感じる。mr. Suitsに関しては

おそらくおまけ点が入っていると。

いや、間違いなく入ってる。

 

数字も大事、でも人も大事。

というか先生がとっても大事。自分のことを気にかけてくれている

誰かのためにがんばろうというのは、そんなにつらくない。

たとえペーパー7枚であっても。

 

次はもっと計画的に。思慮深く。無理だと思ったら

すぐ変える。落とすことも選択肢のうちに入れておく。

そして多分また素敵な先生に出会えるから、

それに応えられるような成績を取ろう。

応えられるのは、やる気を見せるには数字しかない。

 

そして今度は素敵なお友達もつくる。ぜったい。

8月28日

 

7時半頃、お家に着いた。自転車を漕ぎながら、

やっぱり家に入らずそのままコンビニで教科書を

コピーしようか、と思った。でも、迷った。

別に今行かなくてもいいか、と。

 

特に深く考えず、そのままわたしは、

あの時のわたしは、コンビニに行った。

 

それが、わたしの取った選択だった。

そしてきっと、おばあちゃんの選択でもあった。

 

お墓に手を合わせにも行けない。

仏壇の前にすら座れない。

 

横で正座しながらお経を漠然と

真似してただけの時期はもう

微かにしか覚えていない。

なんとなく、してたような気がする。

ぐらいなのに、未だにあの意味不明な

暗号たちは覚えている。唯一わたしと

つなげてくれるものなのかもしれない。

 

まさか、わたしがここに来ることなんて

予想だにしていないだろうけれども、

というか見てくれているのかどうかも

分からないんだけれども。

 

わたしのこの生活は、この環境は

すべては、おじいちゃんのおかげであり、

それを支えてたおばあちゃんであり、

それを守るお母さんとお父さんの

おかげで、今こうして何不自由ない

どころか働かずにまた

勉強しようとしている。

 

 

12月9日はおじちゃんの命日。

こちらはまだ8日。高校卒業してからは

ほぼ毎月月命日として来てもらっている

お坊さんを待ち、一緒にお経を唱える。

わずかばかりの記憶から文字をたどり

節をたどり、音をたどる。

 

見たことも会ったこともない。

残してくれたものしか触れられない。

会いたかったと思ってくれているのだろうか。

この姿をみて、この21年をみて。

 

上を向いて恥ずかしくない生活を過ごそう。

眩しい人になりたい。そう思い続けていたはず。

背伸びぐらいがちょうどいい。

少し苦いぐらいがちょうどいい。

自分を高めなければ。

強く優しく。

 

今日もありがとう。いつもありがとう。

幸せ者です。この巡りあわせもすべてあなた方の子供の、

その子供として生まれてこれたからです。

ありがとう。

 

330日ほど。

 

たちました。多分。あっという間に1年は過ぎていく。

濃すぎたこの330日ほどは、きっと一生で片手に入るほどの

満ちていた時間だと思う。追われて追われて追われて、

少しずつ並んでいって、調子乗っていたらまた追われて、

でもそれも気に入りながらだったと、終われば感じる。

 

終わってみれば、違うものになっている。このパターンには

いつまでたっても慣れないし、でもわかっているんだけれども

全部が全部終わりまで続くものじゃないし、

途中で投げ出したものもあるし、一つ一つ大切に出来てるかと

言われればそうじゃないかもしれない。

 

 

でも、それでも、次々とはじまりはやってくる。

 

 

明日も、次の学校の生活も、最後まで駆け抜ければ

違う景色が見れるのはわかっているので、

進み続けるしかない。はってでも、進めるなら進めなければ。

 

環境は万全であり、完璧なサポートのもとで

好き勝手させてもらっている。この330日も含めて。

過去を美化できるのは今日の積み重ね。がんばろう。

課せられているもののすべては、可能であるから。がんばろう。

 

流しすぎるのもまた。

 

 学校が始まって生活習慣が変わって追いつけなくて

体壊してああ、いい感じになってきてるな、と思った。

金曜日から土曜日にかけてぶっ倒れてたけれども

それもたかが半日やそこらで、やっぱり

丈夫に産んでもらえたのが一番だと感じた。

 

 少し調子に乗ってたのかもしれない(笑)

私がんばってる()、私忙しい毎日送ってる()

みたいな感じで 驕りが過ぎてた。

わたしより頑張ってる人が目の前にいて、

君はまだ頑張ってないよ、と言われると

そのままには伝わってこない。

言葉の選び方に神経注ぎまくってた昔に

比べると最近疎かになってる。

 まず間違いなく、自分が傷つかないコツを掴んだから。

なんとなくコツを掴んだ。右から左が本当に

うまく出来るようになった。その代償がこれだったのか。

自分が傷付かないと誰かを傷つけてしまうのねー

いつまでたっても同じことで悩んでるらしい私。