闘病日記200501夜

 なんというか、今日は何事もなく平凡に過ごせた感じ。なんか、慣れてきた。ちょうどいい塩梅を見つけたというか。仕事も3件やったし、ピアノも練習できた。プログラミングはあまりできなかったけど。今のテーマは「言語優位にする」なんだけど、今日はいまいちだったかも。音楽の比重が大きかった。あと、筋トレは気づいたときにその都度やる感じにしている。これも割といい感じ。身体の一部が意識から消えている違和感があったら筋トレでけっこう回復できる。ちなみに今困ってるのは歯痛・・・

 

 今はバター醤油味のポテチ食べながら檸檬堂飲んでてイイ感じに眠い。てか、寝よう。

 

(もっとちゃんと書きたかったけど、まあ継続が大事だということで。)

The Call from the Night

 今夜は久しぶりに精神性が高く、確かに私は存在していると言えるような夜である。

 Tonight is a night where my mentality is so high that I can be sure that I, as a self, certainly exist. 

 

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An owl in a philosophical night

 

 このように自我が純粋な仕方で意識されると、私のすべきことは哲学くらいなものだ、という気分になる。実際、他にあるだろうか? 私がこの世界に存在しているのは、当たり前のことでは全くない。事実、さっきまで私はここにいなかったのだから。

 Once I've become aware of my pure self, I cannot help but feel that the only thing I should do is philosophy. Well, is there anything other than that? It is not at all a natural thing that I AM in this world. In fact, I was not here a short while ago.

 

 つまり、純粋な自我としての私にとって、このような世界に召喚されたことは全くの謎であり、奇跡であり、最も興味を引くことなのである。

  To me, as a pure self, having been summoned is nothing but a mystery or a miracle, and the most interesting thing in life.

 

 ところで、このように自我が純粋な形で存在していることは、人生を真に生きるための必要最低条件だという気がする。毎晩の睡眠によって、ふつうこの自我は埋没(あるいは雲散霧消?)してしまうので、本当なら毎朝、自我を呼び寄せる個人的儀式のようなものを執り行うべきなのかもしれない。しかし、実際にはそのようなことはせず、自我の存在しないまま、なんとなく流れるように生きている。そして、そういう生き方をしているとき、今感じられているような生の充実もまた存在しない。

 By the way, I feel that my self being alive in pure form like this is a prerequisite for living in truth. As this self-awareness is usually lost in daily sleep, perhaps I should perform a private ritual to summon myself every morning. However, I always omit such rituals, and I live without myself, flowing thoughtlessly. But living in such a way don't give me the sense of fullfillment that I am feeling now.

  

 「一体、私はどこから来たのか?」

 "Where on earth have I come from?"

 

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The ritual

 

 何かが存在するとすればそれは現実の中に存在するのだから、現実の外には何も存在できない。というような論法をたまに見かける。だが、私という現象を考慮に入れると、それは事実あったりなかったりしたのだから、錯覚であると考えるか、もしくは現実の外に待機していたのだと考えざるを得ないと思う。

 If something does exist, it exists in the real world, so nothing can exist outside the real world. This type of reason is sometimes observed. But thinking of the phenomenon of the self, it sometimes appears and sometimes disappears, so I should think of the phenomenon as an illusion or think that it was waiting to be summoned.

 

 私はどうやら現実の存在ではない。背後にある何かから生じたものだ。だから、召喚されたという表現が正しいと思う。

  It seems that I am NOT an existence of the real world. I was brought into life from behind. So 'summoned' is a correct way of describing how it is. 

 

 私には人格がない。私は私であるということ以外に何も持っていない。私がここに呼び出されたときは、いつもそうだった。

 I have no personality. I don't have anything except for the truth that I am what I am. When I was summoned to this place, it's always so.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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I can be myself only in loneliness.

 

 

 

 

 

 だから、私が神である。

 Therefore, I am what the God is.

闘病日記200430晩

 本日3度目の昼寝のあと、散歩をした。芸術脳を活性化させようと思って、スマホで写真を撮ることを考えながら少し歩いて帰ってきたのだが、その流れでPinterestを見てたら、唐突に持ち家が欲しくなった。枯れていた物欲が潤ったというか、なんだろう、自然と湧いてきた欲望を感じながら、これは生きる希望だなと思った。mustよりwantとか言うけども、むしろwould likeのような感じ? 特に欠乏感はないのでwantというのとはまた違うと思う。正直、欲しいものがなくなっていたので、久しぶりの欲求の感覚が新鮮だった。

 

 「答え」はいつも、思いもよらぬところにあるものだと思う。答えに気づいたとき、それは気づく前の自分が頭でどんなに考えても得られなかったものだということにも同時に気づく。常に見えていない「外側」があり、それは中でどんなに足掻いても見えるようになったりはしないということ。外に出るしかないんだねぇ。

 

 物質の次元というか、リアルというか、生活はこの階層において営まれるのであって、この現実生活にピントの合った感覚は、大事にしていくべきだと思った。なにより飯がうまい。少しずつこの感覚を定着させていこうと思う。まずは素朴に生活を楽しむことから。

闘病日記200430朝

今朝はずいぶん早起きだった。1時前に布団に入って、3時間くらい寝た。かなり短めだが、どうせ昼寝はするだろうし、元気なので、このまま起きていても問題ないだろう。

 

なんというか、昔は毎日かなりの量の文章をブログにしていたのだが、久しぶりにこうしてパソコンに向かっていると、以前のように書きたいことが湧き上がってくる感覚がない。以前は相当な書き手だった私だが、特にテーマを決めたりもせず、書きたいことを書いていただけなので、こうなってしまうとどうしようもないのだが、結局、書きたいことというのは自分自身の中にあるものだろうから、この停滞感というか、思考が全然湧き上がってこないこと自体を文章にしてみようと思う。

 

文章に限らず、あらゆることに対して、動機がない。「〜したいから〜する」というような回路の存在自体が感じられない。つまり、私の生活から自然な行動の発生ということがなくなってしまったような感じである。だが、ここで「やりたいことがなくなってしまった」だとか、絶望だとかいうことを持ち出してしまうのは早計かと思われる。これはおそらく単に「リズム」に乗れていないだけであり、自分の能力としてのリズム感覚自体が失われてしまったわけではないのだ。歌っていて、なぜかリズムに乗れなくなってしまうことはある。特に理由などないのだ。だったら、もう一度リズムに乗ればいいだけだ。

 

ブログを再開した理由は、おそらくそんなところだろう。やはり自分は文筆活動をしている方が似合っている。最近はツイートの量さえもだいぶ減ってしまったが、ここいらで書き手としての私を復活させようと思う。

 

さて、今朝は朝から生徒と電話したあと、いつものようにコンビニでサバおにぎりとエナジードリンクを買ってきた。外を歩きながら、体の感覚を調整した。昨日発見した「デフォルト」の姿勢のことも思い出しつつ、やりすぎない程度に、今日も身体的な居心地の良さについては意識し続けようと思う。2オクターブ下を歌うという修行をやりすぎて、せっかく完治したと思った発声障害が再発しかけていたが、それも昨日、今日でだいたい元通りになった。なぜだかいまいち分からないが、身体のことなど、よく分からないくらいでちょうどいいのかもしれない。

闘病日記200429

今日から闘病日記を再開しようと思う。

 

私の病気は統合失調症と痙攣性発声障害だが、精神の方は非定型精神病あるいは広汎性発達障害などの可能性もある。といっても、分類などに意味はないと思うのだが。

 

長らくエビリファイの筋肉注射を打ってきたのだが、最近、ついにやめた。理由は、副作用が深刻になってきたからである。それはつまり、病気自体が良くなっていることの現れであるといえる。かりに、病気それ自体というものがあるとして、それが躁状態へ向かう動きであるとすれば、鎮静剤が投与されるわけだが、病気それ自体が治ったとき、躁状態へ向かう動きもまたなくなっているのだから、鎮静剤は余計なことしかしなくなる。そういう理屈だ。

 

というわけで今は基本的に薬剤は使用していないのだが、以前のようにバグる気配は全く感じられない。むしろ、どちらかというと、落ち着きすぎて困っているような感じなのである。

 

実を言うと、今日は、とある(あまり多用できない)方法でブーストをかけているため、比較的、活動量は多いのだが、ふだんは、メンタルには目立った問題がないものの、単純に体力が足りていないような感じで、昼寝ばかりしている。少し動くとすぐに疲れてしまい、頭の働きが鈍くなるので、何事もはかどらなくなってしまうのだ。それで、結局寝てしまう。

 

ブーストをかけたときとそうでないときとでは、スイッチのON/OFFのような差がある。ブーストをかけた状態の方が正常だと感じるので、早くコンサータがほしいのだが、主治医の手違いにより、しばらくは手に入らないようだ。

 

起きていても何もできないので結局寝てしまう。一応仕事はできているので、今は良いのだが、今後のことを考えると困りものだ。時が解決してくれればよいが、その保証はない。

 

解決策は特にないので、正直けっこう困っている。

読むことを習慣にする試み

日本一周はさすがに却下ということになった。なにしろ、2〜3年かかるらしい。そんな暇はない。

 

とにかく(いつものことだが)行き詰まっていて、どうにかしてこの状況から抜け出したいのだが、方法がわからない。もう何年も、そんな人生。

 

要は元気が出ない、やる気が出ない、眠くなる。いっとき調子が上がって、その日は生産的に過ごせたとしても、次の日の朝にはダウン。今、少し上がってきてはいるものの、明日になったらまた下がる可能性が高い。

 

どうしたら、元気な状態を継続できるだろうか。ちなみに、今多少元気でいるのは、昼寝したあとにすぐエナジードリンクを飲んだからだ。この方法は困り果てたときに使っている。だが、カフェインも万能ではない。

 

昼寝してからエナジードリンクを飲んで作られるこの状態を、もっと自然な形で作りたい。今、直感的にこれが大事なのではないかと思うことは、「言葉」だ。読書が苦でない状態、あるいはもっと強く、活字中毒のような状態。そういう状態にい続けることができれば、たぶん眠くならない。(あるいは、多少眠くても、活動的でいられる。)

 

どうせ勉強しなきゃいけないのだから、とりあえず前に買った英語の本でも毎日読んでみようかと思う。1日のほとんどの時間を「何をしたらいいのか」「これからどうすればいいのか」といった思考に費やしているため、やることを決めるのは本当に大事だ。

 

決めたからといってそれを守れるような人間ではないので、結局おじゃんになってしまうかもしれないが、ちょっと試してみようと思う。とにかく、読むこと。